夜を待つ

 

 ――おはようと言い合った筈なのに、何故また彼はベッドの上で横たわっているのか。
そんな尤もな疑問を思いながらも、真琴自身もその場から腰を浮かせることが出来なかった。

 力の抜けきった京の右手がやんわりと、しかしながらはっきりとした意思を持って、真琴の腕を掴んだ。
 視線がぶつかり、口を開きかけた真琴を遮るように、京は再び柔らかいベッドへ背中から身体を沈めた。押された布団から小さな塵が舞い、明るい日の光に溶けていく。
 清々しい朝の空気に不似合いな手の熱。突き刺さる京の視線と、薄く開いた唇。汲み取り難い京の意思とはいえ、流石にこれは真琴にも察しがつく。
 否、むしろ真琴でなければ気付けなかった。隠されたその素肌に触れ、浅いところも、一番深いところも等しく慈しみ、溶かし溶かされてきた男だから気付くことができた。
 溜め息混じりに名前を呼べばただ一言、「真琴が触るからだ」と言われてしまい、つい口ごもる。
 気をもたせるような行為をした自覚は多少ある。キスはともかく、耳や顎に触れたのは完全に
自分の意思だ。
 触れ合いと愛撫の境目のようなそれを敏感に受け、火をつけるきっかけになったというのは正直誇らしさを覚えないこともない。
 とはいっても乞われるがままその先に進むには、やはり朝というタイミングと限られた時間、その他あらゆる事情を冷静に見る理性が待ったをかける。
 だらりと身体を投げ出し、じっと見上げてくる京の瞳を真っ向から見つめながらも、真琴は落ち着かない気持ちを抱えて口を開く。
「……一応確認しますが、僕もあなたも午前中は時間に余裕があるというだけで、午後からは予定があるんですよ。休みじゃないんです」
「分かっている。が――真琴次第なんじゃないのか?」
 そうさらりと言ってのける京に面食らい、真琴はその顔を改めてまじまじと見つめた。
 普段とそう変わらない、冷静な京の表情。しかしその試すような物言いは煽動以外の何物でもなかった。
 京の言う真琴次第というのはつまり、かかる時間はあくまで基本的に主導権を握る真琴によって右されるということだ。 言うなればそれは普段の行為における真琴の諸々が長くなりがちで、その為に時間を長くとらなければならないのだと揶揄されているということでもある。
 尤も、それは医学を学ぶ身である真琴が、本来のセックスから外れた行為である以上、負担のかかる京の身に万が一のことがあってはならないと、すべてにおいて念入りに行っているという事実があるからではある。
 しかしながらそこに一寸の趣味嗜好も存在しないと言い切れるかといえば――結局のところ、否定せざるを得ないのだ。
 そういった事情に気付いているからこそ、京はそういった意味で思わせぶりな物言いをしている。
 ――煽ってくれる。京にしては珍しい露骨な誘いが癇に障り、しかしながらそれ以上の欲情を覚えて、真琴は自分の理性を意図的に焼き切った。
「――そうですか、分かりました」
 抑えた声でそう返して京に向き直り、ベッドへと乗り上げる。
 じっと真琴の動作を見守る京には構わず、開いたばかりのカーテンを再度引いた。閉めたり開けたり忙しないなと自分でも思う。
 だがここがいくらそれなりの高さに位置するマンションの一室であるとしても、これから変わる京の姿を外部に曝される可能性を残しておきたくなかった。
 部屋は漏れ込む光のみの明かりに戻ったが、満ちている空気には朝の新鮮さが残っていた。立て膝をついて、横たわる京を見下ろした真琴は、そのアンバランスな光景に違和を覚える自分を認めながらも、眼鏡を外す手を止めなかった。
 下腹部辺りで乱れている掛け布団を後方へ押しやりつつ、外した眼鏡をヘッドボードに置く為に身を屈める。 真琴の身体が作り出した影の中で揺れる京の瞳を見つめて、眼鏡を手放すと同時に軽いキスを贈った。
 そのまま顎、頬、耳朶と上って、唇とは逆の順番で指先を滑らせる。先程触れた場所を掠めると、京の膝が微かに震えるのを感じた。
 喉元を擽る指を下ろして躊躇いなくパジャマのボタンを外していく。
 剥き出しの引き締まった胸を掌で撫で、脇の下から腰までのラインをなぞるように触れてからズボンと下着のゴムにまとめて指を引っ掛ける。
 ――普段なら、ここまででももっと時間をかけている。
 興奮と快感が頭から爪先まで行き渡り、目も声も揺れて蕩けて、熱を持った肌から汗と蒸せるような色気が揮発するようになるまで、じっくりと丹念に緩めていく。
 それは歌以外ではあまり表に出されない京の心が、じわじわと真琴を許し、受け入れようとしている様を見届けているようで、真琴にとっても満たされる工程だった。
 とはいえ今は状況が状況であるし、京の言葉もある。吸い上げていた耳のすぐ下に何度も口づけながら、真琴は下着ごとズボンを引き下ろした。
 びく、と硬直する京をよそに身体を起こし、半端に脱げたそれをベッドの下へと落とす。
上は前を開けられたものの袖は抜かれず、いきなり外気に曝された下半身に、京は一瞬物言いたげな視線を寄越してきた。
 しかしもちろん止まる気はない。再度京に覆い被さって、散々口づけた耳の周辺に唇を寄せてから、反応を示し始めていた京の性器を掴む。熱を持つそれを擦り上げながら伸ばしたもう片方の手で、サイドチェストの引き出しからローションとコンドームを引っ張り出した。
 小さな袋を開き、指用のコンドームを慣れた手つきで被せ、ぬめりを確かめるように指先を擦り合わせる。
 次第に先端からぬるぬると体液をこぼし始める性器に、ボトルを身体の間から滑り込ませてたっぷりとローションを垂らす。
 屹立した性器を伝ってこぼれる粘液は陰嚢を濡らし、穴に垂れてシーツへとこぼれていく。
濡れそぼるシーツを眺め、洗うつもりだったからいいかなどと頭の隅で考えながら、真琴はぬるつく液体を薄い膜越しの指に絡めて穴をぐっと押した。
 あると思った抵抗は殆ど無く、驚くほどすんなりと飲み込まれていく指に、京が耐えきれず背筋を反らせた。
「ま、こと」
「……そういえば、日を置かずにするのは初めてですね。確かにすぐにでもいけそうです」
 小さく首を振る京とは裏腹に、潤ったその部分は増やされる指をずるずると引き込み締め上げる。
 早々に抜き差しを繰り返しながらローションを泡立てれば、夜更けに聞いても後ろめたいような派手な音が、朝の柔らかい空気に満ちた室内に響く。
「……っ、あ……っ!」
 馴染ませるような手つきとは違う激しい動作に、京の声が掠れる。
 穴は随分広がってきてはいたが、まだ少しきついようだった。真琴は押しこんでいた指を僅かに引き、更に大きく開かせるべく力を入れた。
「あっ、あ……っ!」
 今までにない少々強引な慣らし方に、戸惑ったように声を上擦らせて京が喘いだ。
 空気と泡立ったローションがぐぷりと体内へ吸い込まれ、その何ともいえない感覚から逃れたいと浮いた腰が訴える。それを優しく上からシーツへと押し付けて遮り、含ませた指をばらばらに動かして責め立てる。
「っ、真琴……っあ、う、あ……っ」
 投げ出されていた右手が所在なさげに彷徨い、額を覆う。指に絡む乱れた前髪は思わず目を奪われる程の色気に満ちていた。
 盗み見ていたその顔から真琴は半ば強引に視線を引き剥がして指を抜いた。
 飲み込んだものを吐き出したそこは、濡れたまままた閉じようと収縮する。手早く指に被せたものを外し、両手の親指でそっと窄まった穴を押し開けば、緩めることを覚えたそこは貪欲に口を開くかのように内部を曝した。
「真琴……っ!」
 喘ぎに掠れたものではなく、はっきりと名前を呼ぶその声に、真琴は漸く真正面から京の顔を見た。
「その、もう少し……ゆっくり」
 躊躇いながらこぼされるその要求に、一瞬心の内で迷う。
 自分から揶揄した手前、折れるのは大層決まりが悪かっただろう。そんな京の思いを一切汲むことなく、このまま意地を貫き通して進めてしまうのも、この際ありかもしれない。
 ただ――本当にそうするかと問われれば、答えは否だ。
 意地で京に無理を強いるのは本意ではないし、それに何より真琴自身、やはりどこか満たされない自分がいることを感じていた。
 横たわる京に覆い被さろうとすると、ゆっくりと身体が起き上がってくる。
 どちらからともなく唇を重ねて、正面から抱き合った。
 互いに軽いキスを繰り返しながら、真琴は京の半端に脱げていた服を落とし、火照った裸の背中を撫でた。京も殆ど乱れていなかった真琴のシャツに手を伸ばし、ボタンを外していく。
 開かれた胸に、京が触れる。早くなった鼓動をその手で確かめて、色づいた唇が満足そうに緩んだ。
「……京さん」
 再び口付けながら体重をかけ、もう一度ベッドへ押し倒す。
 唇を吸い、先程触れなかった部分を集中的に触れていく。
 乳首を摘み、鳩尾を撫で、掌を舐める。覚えのある愛撫を受けた身体は徐々に熱を帯び、じわじわと浸るような快感に 溶かされていく。
「あっ……あ……っ」
 耳を擽る、京の心地良い低音の喘ぎと、匂い立つ色気。
 真琴がつくりだした姿、真琴だけが知る姿――何より、真琴が愛してやまない京の姿が、そこにはあった。
 たっぷりとローションを絡ませながら、コンドームを被せた陰茎の先を少しずつ進めていく。
 押し広げられる感覚を覚え込ませるようにじりじりと根元まで含ませていくと、京は熱い息を細かく吐き出して 充足感に身体を震わせた。ぶつかった視線が微かに揺れるのを感じて、真琴は一人唇を緩める。
 広げた掌に最大限の愛情を込めて胸を撫で、内部で締め付けられる性器を軽く揺すった。
 決まりの悪さと、それ以上の途方もない快感に翻弄される京が、自分は愛おしくて堪らないのだと、仕草や表情で伝える。
 ただ口だけはやはり一言言いたくなって、浅い所を緩やかに突きながら呟いた。
「……っ、全く、よく言いますね。時間をかけられるのが好きなのは、あなたの方、でしょう……っ」
「そ、れは……っ、あ、真琴も、だろう……っ……?」
「ええ。――だから僕は最初から、否定はしていません、よ」
「あ――っ!」
 小波のような快感に慣れていた身体は、いきなりの深い挿入に激しく震えた。
 そのまま先端から根元まで抉るように擦られたかと思えば、また浅い所を上向きに何度も突かれる。
 緩急の激しい責めに追い立てられた京は、同じように眉を寄せ快感に耐える真琴を見上げて口を開いた。
「真琴、もう……っ」
「早いですね。時間、もっとかけなくていいんですか?」
「……もう、無理だ。待て、ない」
 率直な言葉に、下腹部がじわりと熱を持つのを感じる。
 自分自身のあまりの単純さに呆れつつも、その熱を吐き出すべく内部を擦る。
 なにせ厄介な煽りを受けた所為でどうにも制御がきかないのだ。そう心の内で思い直して、真琴は待てないと訴える京に応えてその身を揺さぶっていく。
「中、もっと動かせますか?――そう、少し力を入れて……っ、上手いですよ」
 真琴の声に促され、内部がきゅっと収縮する。
 きつく温かい締め付けが増し、途方もない快感を覚えた真琴は、お礼とばかりに体液を滴らせる京の性器を撫で上げた。
「あっ……!あ、あ、真琴、……っ」
「京さん、京、さん」
 感じ入った京に名前を呼ばれ、顔を近付けてそれに応じる。
 乱れる呼吸を洩らす口は開きっぱなしで、唇の間からちらちらと覗く舌に真琴は堪らず口付けた。差し出される舌を絡ませて吸い、柔らかい感触に酔い痴れる。
 彼の身体で一番気を遣わなければならない場所だというのに、柔らかい舌を唾液ごと食むのを止められない。
 上顎を舐めながら内部を突き上げ、張り詰めた性器を擦れば、京の身体が達する寸前の如くびくびくと震えた。
 腰が反り返るその艶かしい姿を見たくて唇を離すと、崩れるように片頬がシーツへと滑り、無防備な喉元が晒される。
 白い肌は興奮で色付き、彼の特徴的な部分を淡く滲ませている。真琴は内股を殊更丁寧に撫で付けながら、ごく自然な動作でその黒子に唇を寄せた。
 軽く音を立てて吸い上げると同時に、背中に回された京の手が切なげにシャツを掴む。
「真琴、まこと、あ……っいい、か……っ?」
 蕩けるような低い声に甘く問われて、分かりきったことを、と流す気にもなれず腰を進める。唇をそのまま滑らせて耳朶に触れ、熱を持つ吐息を取り繕うことなく真琴は囁いた。
「……いいですよ、とても。京さんはどうですか」
「……っ、ふ、あ、ぁ……っだ、めだ真琴、あっ、あ……!」
「だめじゃないでしょう。っ、は……いい、って言えますよ、ね」
「んっ……あ、っまこと、いい、ああ、あ……っ!」
 乞われるがままにいい、と喘ぐ京の姿に、全身が満たされていくのを感じる。
 許し、受け入れ、他人を――真琴の存在を、心の底から求めようとする様に、真琴は為すすべなく惹きつけられる。
 乞われるがまま、達した後もいい、と繰り返す京の声が、耳の奥で反響する。高まりきった熱を吐き出しても、真琴はその火照った頬に触れる指先を動かせないままだった。

 慌ただしく空にした二つのカップを手早く洗い、準備を済ませた京と玄関へ向かう。
 大方予想できたとはいえ、思った以上に残り時間は少なく、入れ替わりにシャワーを浴びて
早々に身支度を整えた。
 バタバタとしていた所為で会話は少なく、普段通りの穏やかな一日の始まりとは言い難い。
 ただ互いに妙な気まずさを持て余しているということも重々承知していたから、淡々と準備を進めるしかなかった。
 靴を履き、内鍵に手をかけたところで、未だフローリングの上に立ったままの京がぽつりと呟いた。
「すまなかった」
 振り返った先の京は何とも神妙な顔つきをしている。
 謝られるような謂れはないのだが、謝りたくなる気持ちも分かるような気がして、真琴は小さく笑って首を横に振る。
「……今回はお互い様ですよ。ただ――僕としてはやはり、夜の方が」
 少し高い所に立つ京に近付き、腕を取る。
 指先を絡めるように握り込むと、京の瞳が微かに揺れた。
「一日の始まりに、あなたの声でいい、なんて言われ続けたら色々と持ちませんから」
「……俺も、夜の方がいい」
 意図せず繰り返されたであろう「いい」という言葉に、真琴は思わず苦笑する。
 しかし京はそれに気付いていないようで、何かを思案するように視線を彷徨わせ、真琴を見つめた。
「今日は何だか、真琴のことばかりを考えてしまいそうで――困る」
 ――そんなことを言われて、困るのは僕の方ですよ。
 眉を顰めながらそう訴えられて、平静でいられるほど真琴も冷めてはいない。
 触れてしまいたくなる衝動をぐっと堪えて、今出来る最良の行動を選び取る。
 互いに待ち望んでいる、満たされる夜を迎える為に。
「……じゃあ今日は、次の予定を決めながら行きましょうか」

夜を待つ