夜の話

 

 それほど深くなかった眠りからふと覚める。
 目の前は薄闇が広がっていて、傍らの携帯を手繰り寄せて時間を確認した。液晶の光が眩しく顔を照らし出す。
 暗がりに浮かんだデジタルの数字は、まだ朝が遠いことを示していた。
 何となく目が覚めたにも関わらず意識ははっきりしていた。喉が渇くような気もするが動くまでの勢いはない。
 発光する画面の明かりをぼんやりと眺めていると気配を感じた。人ではない。否、正確には人であったものだ。
 視覚として確認は出来ないが、確かに傍らに存在を感じる。尤も珍しいことではない。日常的にその姿を目視し、交流する特異を有しているのだから驚きも無い。
 ただ何の気はなしに浮遊する彼だか彼女だかの気配を追う。
 恐らく自分が起きていて、あまつさえその姿を認識しているなど思いもよらない様子で、霊体のそれはふらふらと部屋を行き来する。
 その動きには特に意図など無い。飽きればまたどこかへと行く気ままさがそこにはある。
 暫く光っていた液晶画面が消え、再度広がる暗闇の中思う。
 ふと目が覚めた真夜中でさえも、一人になることは無いのだ。
 遠い昔からずっと変わらないそんなことを、今更感傷ぶって思い返したって何の意味も無い。 にも拘らず脳裏を掠めたその考えに気を取られるのは、殊更静かな夜の空気が何かを煽り立てているのかもしれない。
 いずれにせよ、とりとめない思考に浸っている自覚はあった。
 闇に慣れだした目が、次第にその輪郭を捉える。
 おぼろげな姿が陽炎のように歪んだところで、隣から今度こそ生身の人の気配を感じた。
 すぐ傍で寝ていたその人間は起き上がり、ゆっくりと投げ出していた身体の上に圧し掛かってきた。
 もちろん存在を忘れていた訳では無い。ただ夜更けに意味も無く起こす訳にはいかないと、あえて気にかけないようにしていた。
 乗り上げた人間は足を挟み込むようにして膝立ちをする。見下ろす顔は影が濃く闇も手伝ってよく伺えない。
 それでもその瞳を覆う固い無機物の存在は分かった。寝ぼけている訳では無いと、確信させられる程の流れるような動作だった。
 第一こんな寝ぼけ方をこの人間はしない。
 暗く影を背負う顔を見て名前を呼びかける。しかしその背後で、起き出した人間の動きに戸惑う姿がちらついて思わず視線を向ける。
 するとそのよく見えない顔がぐっと近づけられた。
 殆ど押し倒すような姿勢で寄せられる。まるで視線を遮るように。 眼前まで迫ったその顔が漸く視界に入る。薄いレンズ越しの瞳が瞬く。
 物言わぬ姿はいつものことだが、いつも以上にその視線は雄弁に思いを語っていた。
 遮るように、ではない。遮っているのだ。見る必要は無いと遮っている。
 首を振られないということはつまりそういうことで、その行動は先程までの思考が読み取られていた意味も含んでいる。
 一人になれぬ者同士、そんな陳腐な親近感を舐め合う程どちらも浅はかではないが、少しでもそんな気配を滲ませるようなその人らしからぬ行動は純粋に好ましい。
 だからもっと安直な紐解き方をする。
 「そんなものより自分を」そう愛おしみながら受け取ってぴんと伸びた腰に触れる。
 布越しの体温が掌を温める。 漂い始めたよからぬ空気に、徘徊していた存在も流石に気付き、居心地の悪さを思ったかふらふらと彷徨い始める。
 けれどそんなことはどうだっていい。
 どうにもならないことなど考えたって仕方がない。やはり時間の無駄だ。
 緩く微笑みながら近付いた唇に指で触れる。かさついたそこを柔らかく押し、やがて唇を重ねる。
 部屋を満たす二人分の吐息に安堵して目を閉じる。後はただ思い出した喉の渇きを潤す為に、滑る粘膜を追いかけた。