うたかた
この毒のような香りはなんだ、と男は思う。
噎せ返るようなそれは男の脳髄を芯から痺れさせ、正常を奪う。
これが己が「華」と表現した一つでもあるのかと、渡瀬は乱れた思考の中冷静に考える。
「桐生はん……あんた一体何もんなんや」
呼びかけると、桐生はままならない呼吸をやっとの思いで繰り返しながら、渡瀬を睨んだ。その着衣は乱れきっており、肌は汗と体液の境が分からない程しとどに濡れている。
これがあの伝説の男と呼ばれた龍の姿かと問いかけたくなる。
しかしその様に追い込んだのは紛れも無く己であり、その理由は龍によって目覚めさせられた殆ど暴力的な感情としか言いようが無かった。
こじ開けた内部を抉る度、桐生が低く呻く。何かを堪えるような表情はしかし苦悶ばかりでは無いように思えて、それが渡瀬には気に入らない。
思えば己の誘いに易々と乗ったことから、その全てに違和感しかなかった。
それは桐生自身、渡瀬という男の性分についてどこか同じ匂いに似たそれを感じ取っていたことに他ならない。 そしてそれを知りつつ、渡瀬は男が示した抵抗や疑念を
強引に捻じ伏せ、こうして連れ込んだ部屋で組み伏せている。 男の邪推や迷いなど知ったことでは無かった。そんなものは、後にはどうとでもなるのだから。
「あんたも相当好きもんっちゅうことですか……」
「――っ、うっ……!」
内臓を押し上げられるような感覚に、桐生が身を捩る。伸し掛かり、その動きを封じながら、渡瀬はベッドサイドに置かれたボトルに手を伸ばした。
コルクを抜き、一口喉に流し込む。その様を息を荒げながら伺っていた桐生に向かって、渡瀬はおもむろに手にしたボトルの中身をぶちまけた。
殆ど中身が残っていたそれは、桐生の顔から胸をぐっしょりと濡らす。身体を伝い、ベッドにじくじくと酒が染み入るのが見て取れたが構う訳が無かった。渡瀬は最後の一滴まで桐生に垂らしきると、噎せ返る男の顔を覗き込んで言う。
「いつぞやの返しですわ――ああ、ええやないですか。よう似合うてます」
「っ、てめえ……っ!う、っく――!」
睨み付ける桐生に唇を歪ませ、渡瀬は新しいボトルを手にした。収まっていた己を引き抜き、今度は中身をそのまま腹から下へ流しかける。
腹に溜まった酒が体液と混じり合い、シーツに沈む。質量を失い緩んだそこにも、アルコールは含まれただろう。渡瀬は小さく笑い、空になったボトルを床に放り投げ、再度その身に押し入った。
「っ、くそ……っ!」
匂い立つアルコールの香りに、桐生が顔を顰める。そしてそれはきっと香りだけではない。徐々に身体全体に回ってきたそれが、熱を更に感じさせる。
食い破らんばかりの勢いで抉りながら、渡瀬は理性と鋭敏になった感覚の間で揺れる男に顔を近付ける。
「不思議な人や……あんたは。まるでこうされることに飢えとったとでも言うような顔をしとるただのセックスやない、暴力に近いモンに、な」
渡瀬の言葉に桐生は視線をきつく向けるが、その瞳にちらつく色を隠せているとでも思っているのだろうか。
いっそ滑稽に思いながら、渡瀬は露わになったその首筋に噛み付く。何てことは無い、己の滑稽さも分かっていたのだ。
己も、男の持つ何かに狂わされこんな真似をしている。 それでも桐生がちらつかせるその人間をそのまま受け入れてやるのは癪で、渡瀬は噛み付いたその歯を桐生の耳元に寄せる。
「郷田龍司」
「っ……!」
「あんたをこないにした男、ですか」
息を呑む男のそこが律儀にも反応したのに、渡瀬は喉の奥で笑う。
理不尽に身体を暴かれなお、昔の名残を思い出しそれを相手に悟られるなど、男には耐えられないのかもしれない。 しかし渡瀬にはその矛盾が好ましい。そんな矛盾もいずれ、己によって須らく塗り潰されるだろうから。むしろそんなものでもなければ面白くない。
がくがくと身体を揺さぶりながら、渡瀬は桐生の顎を掴み、己へ視線を向けさせる。
きつい眼差しはけれど、どこか躊躇いすら含んでいて渡瀬は震えるような愉悦を覚える。
「東城会もあんたも、落とすんはこのワシや」
だから今は、せいぜい己に誰ぞを重ねていればいい。それだけ言うと渡瀬は笑い、のたうつ龍の身にゆっくりと己の歯を突き立てた。