四宮×創真 R-18「つまさきからてゆびまで」 本文サンプル

 

――「俺、なんか、先輩のこと好きなのかもしんないっす」
  「付き合って、くれるんすか」
◇何も知らないまま四宮と離れることに抵抗を覚えた創真が口にした「告白」から始まる関係とすれ違い。
◇スタジエールから始まる創真視点のなれそめ話  捏造・若干のモブ描写等有


 以前なら恐らく、特に気に留めなかったであろうその会話を拾い上げたのは、心のどこかに引っ掛かっていたからだろう。
「だからね、わたし言ってやったの。それじゃすれ違っちゃうよって」
 直接会話していた訳ではないから、前後の会話の脈絡など分からない。
 ただその断定する強い口調にふと気を取られて、創真は手にした新作料理を後ずさる丸井に勧めるのを止めて顔を上げた。
 家主の性格らしくきちんと整頓された丸井の部屋は宴もたけなわ、宴会場所らしく散々な有様になっていた。飲み放題、食べ放題のドリンクや料理を広げて、スペースをいっぱいに使って皆それぞれ談笑している。
 盛り上がりが最高潮に達したどんちゃん騒ぎからは少し落ち着いたが、それでもまだまだ誰も宴を終わらせる気はないようだった。
 それもその筈だ。一か月に及ぶ学外での研修が終わり、悩みもがきながらも課題を乗り越えて帰ってきた面々は皆心地良い疲労とそれ以上の達成感で高揚している。
 話題は尽きることなく場を温め、久しぶりの歓談を心から楽しんでいた。極星寮という場所がどれだけ特別なものであるか、途中から迎え入れられた存在である創真自身も、その帰ってきたという実感を噛み締めながら再確認していた。
 そんな和やかながらも雑然とした場で聞こえてきた言葉に、創真は何故か強く引き寄せられるものを感じた。
 手にした新作のこの上なく前衛的な品が乗った皿を置き、ぐるりと視線を巡らせる。
 正面に座り、青ざめた顔でそれから逃れようとしていた丸井が、ほっとしたように肩の力を抜くのが伝わってくる。
 創真と丸井のすぐ近くに座り込むのは、いつものように何かにつけて張り合う青木と佐藤、そんな二人を自作の燻製片手に冷静に眺める伊武崎だった。
 例のお米のジュースを酌み交わしながらやいのやいのと騒ぐ様は、どこか居酒屋の一角を思わせるシチュエーションだ。
 最終的に疲れて潰れた二人の肩を支えて立ち去る伊武崎の姿が目に浮かぶようで、創真は一人ひっそりと笑う。
 部屋の奥、離れた机の近くで話しているのは田所と一色だ。田所は真剣な表情で、一色の言葉にしきりに頷いている。
 一色の生き生きとした表情から察するに、極星畑の近況等を聞いているのかもしれない。
  ここ最近の田所は以前にも増してあらゆることに熱心だ。生来の控え目な性格に変わりはないが、頭から気後れするような素振りは減った。
 相手を気遣おうとする視野の広さからもたらされるホスピタリティ、着実に前へと進もうとする不器用ながらも真摯な姿は、創真の向上心にも影響を大きく与える。
 俺も負けてられねえな、そんな風に思い直しつつ、その横へと視線を向ける。
 目に留まったのは、壁に沿うように設えられたベッドの程近くに座り込み、何やら興奮気味で話している吉野と榊だった。
 特に話し声をひそめている訳でもないのに、どことなく近付き難く感じるのは、年頃の女子特有の空気がありありと漂っていたからだろう。
 所謂女の子のおしゃべりだ。流行、ファッション、恋愛話。遠月という特殊な環境に身を置く者とはいえ、その実体はごく普通の高校生と変わりない。
 普段は料理のことで占められている頭脳を少し休ませて、そういう何気ない話題に興じることもあるのだろう。
 一瞬考えたものの、創真はちょっと悪い、と丸井に声をかけてから結局腰を上げた。そのまま吉野と榊がいる方へと近付きかけて振り返り、勝手に味見ていいぞーと皿と丸井を交互に見てから言いおいておく。
 言わずもがな、丸井はぶんぶんと首を横に振っていた。
 徐に近付いてきた創真を、二人は意外そうな顔で見たものの、邪険にすることはなかった。ずれてくれた榊の隣に腰を下ろし、ベッドへもたれ掛かる吉野と向き合う。
「なになに、どーしたの幸平」
「やー何話してんのかと思ってさ。お、サンキュー」
 榊が手渡してくれたコップを受け取って一口飲む。中身はお米のジュース、ではなく、市販のジュースだった。
「んーちょっとね、所謂恋愛相談ってやつ?」
「恋愛相談? って、榊がしてたのか?」
「違うのよ幸平くん。悠姫の友達の話」
 創真に問いかけられて、榊は少し照れたように微笑みながら否定する。
 同年代の割に落ち着いた雰囲気の榊は、何事もやんわりと受け流すような柔和な印象を抱かせる。
 そんな榊の珍しい反応に気を取られていると、吉野がいやあそれがね、と隠せない好奇を滲ませながら顔を寄せてきた。
「昔近所に住んでた子で……あ、男子なんだけどね、彼女とうまくいってないみたいでさー、相手が何考えてるか分かんないとか言うの」
 男女分け隔てなく、気さくに話しかける人懐こい気質の吉野は、流石に交遊関係も広いのだろう。
 そんな吉野に、くりくりとした大きな瞳を輝かせて伺うように見上げてこられては――あるいは、好奇を滲ませながらも毒気無く直球に伺ってこられては、言い難いことも何だかんだと口にしてしまうのかもしれない。
「本当に好きなのか分かんないとか言ってて、相手が何考えてるか分かんないなんて当たり前じゃん?だからちゃんと言葉にしなきゃダメだよ、そんなんじゃすれ違っちゃうよって言ったんだけどさ」
 柔らかい曲線の頬を膨らませて、吉野はまるで自分のことのように焦れったい思いを吐き出していた。導きだされた先程の言葉に、なるほどなと創真は頷く。
 吉野の言っていることは潔く、正しい。
 いくら思いを通わせた関係であるとはいえ、伝えたいことをないがしろにしていたら、いつかは崩壊するだろう。それは何も恋愛関係だけではない。
 当然のことながら、脇に避けて忘れがちになるその事実をはっきりと口にする。吉野の清い物言いは、曲がることなくまっすぐと伝わってきていた。
「吉野ってそういうのしっかりしてんなー」
「い、いやぁそれほどでも……っていうか、幸平がこういう話に乗ってくるの珍しいね。……んー? もしかして……?」
 誇らしげに胸を張る吉野の瞳が、きらりと光る。そこに宿る好奇の意図に気が付いて、創真はあくまで自然に首を振った。
「や、別にそういう訳じゃねえんだけどさ」
「なーんだ、ビッグニュースだと思ったのに。つまんないの。ねえ涼子?」
「え、ええ……」
 視線をさまよわせていた榊が、はっとしたように吉野に頷く。
 目を向けていたのは一色と田所のようだが、こちらに少しも気を配ることなく話し込んでいる二人を見て、榊はそれをごまかすように創真に笑みを浮かべて見せる。
「分からないわよ? そう言いながら実は色々と進んでたりして」
「えー幸平がー? ぜんっぜん想像出来ないんですけど?」
 何かよからぬ想像でもしているのか、二人の女子は思わせ振りに視線を交わしている。
 忍び寄る追求の気配に、それをどうかわしたものかと考える創真の横から、手を打つ軽い音が聞こえてきた。
「さてみんな、そろそろお開きにしようか。まだ疲れも溜まっているだろうしね」
「あっ、帰る前にちゃんと片付けを手伝っていってくれよ!」
 立ち上がり、終了を告げる一色の声に重ねるように丸井が宣言する。
 その言葉を皮切りに、それぞれ派手に広げた料理や飲み物を片付け始めた。
 創真も手にしたコップを飲み干すと、丸井のところへ戻り、見事に手のつけられていない新作料理の皿を取り上げる。
 残っていた料理を口に運び、その見事な不味さに打ち震えてから黙々と片付けを進めていく。皿やコップをあらかた片付け、ゴミもまとめたところで、口々に丸井へ礼を言いながら部屋を後にする。珍しく綺麗に後始末までされていった部屋を見て、丸井は満足そうに皆を見送ってい
た。
 眠そうな田所を両脇から挟んだ吉野、榊と別れて、もうかなり限界でふらつきながらも言い合う佐藤と青木を、伊武崎と共に支えながら歩く。
 二人を部屋まで送り、ついてきていた一色と伊武崎と別れて、創真はようやく自分の部屋へと戻ってきた。
 暗く、月明かりのみでぼんやりと照らし出された部屋へ踏み入る。
 一ヶ月ぶりのその空間は以前と同じように創真を迎え入れ、帰ってきたのだとまた一人心の内で噛み締める。
 何も変わらない部屋。しかし家主である創真自身は、あらゆる変化を携えて戻ってきていた。
 研修先で学んできたこと、経験。少し伸びた髪にも象徴的に漂う変化は、確実に自分の糧となって存在している。
 明かりをつけないまま歩みを進めて、ベッドへと腰掛ける
 そのまま倒れ込もうと力を抜きかけて、ポケットに滑り込ませていたスマートフォンに手を伸ばした。
 メッセージ画面を起動させて一言、大丈夫っすと送信する。
 程なくして手の中のスマートフォンが振動して、創真は通知された名前を確認して通話ボタンに触れた。
「――幸平」
 少しざらついた声が名前を呼ぶ。鼓膜を揺らすその声は小波のように脳や神経へと行き渡り、ぴりりとした緊張感をもたらす。創真はマイクに引っ掛からないように気を付けながら細く息を吐き、口を開いた。
「お疲れさまっす」
「終わったのか」
「終わって帰ってきて――皆で騒いでたんすよ、さっきまで」
「忙しそうで結構なことだな」
「師匠には敵わねーっすけど」
 嫌みのこもった物言いにやり返して、創真は一人にやりと笑う。電話の向こうで苦々しく眉を潜めるを浮かべる姿が目に浮かぶようで、それが妙に楽しかった。
 取り澄まされた表情が自分の言動で変化する。その変わりようが新鮮で、心地良さを覚えていた。
「……相変わらず口が減らねえな。師匠だなんだと言うなら少しは敬ったらどうだ」
「師匠こそせっかくかけてきてたんすから、労ったりとかないんすか?」
 受話器越しに嘆息する気配がする。
 やがて観念したように、四宮は殊更低い声で呟いた。
「――まあ、うちの看板に傷つけずにやり遂げたことは誉めてやるよ」
「なーんか回りくどいっすね」
「まだ何かご所望か?」
 慣れた会話の中に一言、空気の違う言葉が混ざる。 創真は一瞬言葉に詰まり、何かを言いかけた。
 しかし結局は上手く口にすることが叶わずに、戸惑いを拭うように首を振る。
「幸平」
「……何すか?」
「――いや」
 珍しく歯切れの悪い物言いでそう呟くと、電話の相手はそろそろ時間だと告げてきた。
 創真は何か引っ掛かる心残りを覚えながらも口にはせず、分かりましたじゃあまた、とだけ返して電話を切った。
 あっさりと途切れた繋がりに、感傷を覚えないと言えば嘘になる。
 ただそれを言葉にするのは子供じみているような気がしていたし、どうしようもないといえばそれまでだった。
 通話の切れたスマートフォンに視線を落として、創真は今度こそそれを手放し、ベッドへと倒れ込んだ。横たわった身体は、蓄積していた疲労を絡めとらんとするクッションに包まれて沈んでいく。
 創真は目を閉じて近付いてくる眠気に身を任せた。
 緩やかに落ちていく意識の裏、心の隅でほんの小さなささくれのように存在を主張しているのは、吉野の言葉だった。
 ――すれ違っちゃうよ。
 目を開き、頭の横に転がされたスマートフォンに手を伸ばす。
 暗闇で光る液晶画面には創真にとって特別な存在である男の名が浮かび上がっていた。他愛ない、仲間達との会話。しかし創真にとっては、そうと言い難いものだった。
 吉野には嘘を吐いたし、榊の言っていることは当たっていた。
 今は遠く離れた地、フランスにてその魔術師と呼ばれる腕を奮う男。研修を越えて師と仰いだ四宮小次郎という男に――創真は焦がれていた。

 最初に思い出したのは父の背中だった。
 いくら年上とはいえ、親というほどには離れていないその人に向かって、 そう表すのは流石にあんまりだとも思った。
 けれどその、距離を置きながらも行く末を見守ろうとする姿に、一番身近な年長者の存在を重ねたのは確かだった。
 次に覚えたのは少しの違和感だ。
 未だ届かない存在に必死で食らいつく内に、厨房にいない時でも姿を追うようになっていた。これは別に、料理には必要ない。そう思っているのに目を向けることをやめられなくて、首を傾げた。
 最後は、殆ど衝動だった。
 一週間のスタジエールで結果を出し、認められた。現状、これ以上に得られるものはない。高揚と奮起に胸を躍らせている中、背を向けたその姿に目が止まった。
 敬意と感謝、そして越えるべき目標の意味を込めて呼んだ「師匠」は、いずれ自らの店、フランスに構えた本店へと戻る。そう、遠くない未来だ。
 それを思った瞬間、言葉が口をついて出ていた。それはまさしく衝動としか呼びようのない言動で、振り返った眼鏡の奥の瞳が、珍しく驚きに見開かれていたことをよく覚えている。
「帰る前に、時間取れないっすか」
 漠然とした感情だった。ただ無性に、話がしたいと思った。
 料理に関して未練がある訳ではなかった。認められ、学ぶべきことを教示された。その事実はたとえ今後一切会い見えることが無かったとしても、たしかに自分の糧になっていくだろうと確信していた。
 心残りがあるとするなら料理ではない、別の部分。極めて私的かつ、自分自身理解しきっているとは言い難い未だ成長中である己の一部が、悔やむ心をたしかに抱いていた。
 腰に手を当てた四宮は、身動ぎ一つせず創真を見ていた。
 二人きりのスタッフルームは爽やかな朝の空気に満ちている。
 扉を隔てた向こう側では、朝方まで続いた二人の調理にのんびりと付き合っていた面々が、欠伸を堪えながら身支度が終わるのを待ちわびているはずだ。
 それでも、どちらも動かなかった。
 やがて引き結ばれた唇が僅かに動く。
 否定か、敬遠か。身構える創真に向かって、四宮はそのどちらでもない言葉を口にした。
「――日本を発つのは再来週だ。明後日の夜は早く切り上げるが、お前は?」
「え、あ、えーっと新しい研修先が明日から」
「なら明後日の夜、俺の家に来い。相手してやるよ」
 終わったら連絡する。それだけ言って四宮はコックコートのボタンに手を伸ばした。正面を向いたその顔は、それ以上話すことは無いと告げていた。恐らく次の会話は明後日、かかってくる電話で交わされるのだろう。スタジエール初日、儀礼的に交換した連絡先がまさかこんな風に使用されるとは思わなかった。
 何とも言えない感慨に耽る創真の隣で、ボタンが淡々と外されていく気配がする。そろそろ行かなくてはならない。急かされるがままに、創真も上着へと手をかけた。
 待っていた皆と合流し、改めて世話になった人々に礼をする。
 最後まで嫌味な態度を崩さなかった四宮だったが、創真が去ろうとした寸前、抑えた声で一言告げてきた。
「獲れよ、第一席」
 背筋に、燃えるような熱を感じる。震え上がる闘志に唇を挑戦的につり上げて、創真は大きく頷いた。
 やはり料理に悔いるものは無い。あとはただひたすら前を見続け研鑽し、駆け上がるだけだ。
 そう、強く確信する裏で、反射的に先程の約束を思い出してもいた。明後日の夜、自室。繰り返したその約束は妙に緊張感を抱かせる。
 宥めるように大きく息を吐き、振り返ることなく創真は歩き出した。

  <中略>

「何畏まってやがる」
「……いや、そりゃ畏まりますよ」
「とりあえず座れよ」
 視線で目の前のソファを促される。
 腰を下ろす創真を見届けて、四宮は相変わらずのぴくりとも動かない表情のままで口を開い
た。
「それで?」
 抑揚のない声は研修時のそれと全く変わらず、動揺などはまったく見受けられない。
 その事実に、創真は軽い衝撃を覚えていた。
 あんなにも人を寄せ付けず、そう易々と気を許さない四宮が、 多少面倒をみただけの後輩を自室に招き入れている。
 どう考えても特殊な状況であるにもかかわらず、四宮自身はまるでそれを気にも留めていない様子だった。
  気にかけているのは――動揺しているのはまるで、創真だけだとでも言わんばかりの空気。あるいは特殊だと思っていることこそ創真だけで、もしかしたらそう珍しいことではないのかもしれない。
 他にも誰か、こんな状況になった人間がいるのかもしれない。直近ではなく、恐らくはもう少し昔に。
  ――もしかしたら、恐らく。考える内容がどれもこれも曖昧なのは、それだけ相手のことを知らないからだ。今の創真には四宮の変わらない態度の理由を想像するしかない。その全てが推測にまでも至らない、ぼんやりとした仮定だ。
 腹の底がざわざわと疼いて落ち着かなかった。
 スタジエールを経て、今までの自分から一歩踏み込む為にも、己の全てを皿に乗せて差し出し、認められた。
 しかしながら相手のことは僅かながら伺い知れただけで、まだまだ覆い隠されていることは山ほどあるのだ。
 当然といえば当然であるし、手前勝手だと自覚もしていたが、それでも酷くもどかしかった。嫌味なほどに涼しげな表情の裏に、何があるのか知りたかった。
 そこまで考えて、創真は口を開いた。
 理屈では上手く説明できなかった感情が、言葉と共にするすると導き出される。
「帰ってほしくないって思ってるんすよ」
 整った眉が僅かに動く。
 四宮は何事かを言いかけたようだったか、創真はそれを遮るように首を振り、言葉を選びながらもう一度口にする。
「や、ちょっと違うか。このまま帰ってほしくねえなって」
「……どういうことだ」
「スタジエでお世話になって――前よりずっと四宮師匠のこと分かった気になってたんすけど、そんなことなくて。こんなとこに住んでたのも知らなかったし」
 そこまで言って、創真はぐるりと室内に視線を巡らせた。
  オフホワイトの壁に沿わせて設えられた本棚。収まっているのは言語や地理といった専門誌
だ。
 その中に紛れて、いくつか雑誌のようなものの存在も伺える。料理に関係する資料か、それとも単なる好みか。それすらも判断がつかない。相手の好むものすら知らない――
 ぶり返すもどかしさを紐解きながら四宮の顔を見る。
 その表情は相変わらずびくともしないものだったが、射るような強い視線も頑として、創真から動いていないようだった。
「で、その――知らないまま帰られるのが嫌っつーか、気になるっつーか。俺は割とそのままぶつかってるんすけど、師匠は何か色々隠れてるみたいで、気に、なって」
 上ってきた言葉は、予想外のものだった。しかしながら深く納得している自分もいて、創真はそんな自分に抗うことなく素直な感情をさらす。
「俺、なんか、先輩のこと好きなのかもしんないっす」
 眼鏡の奥の瞳が見開かれる。あの日、時間を取ってほしいと告げた時と同じ顔だ。
 初めて口にした告白の言葉には、思っていたような高揚は無かった。ただああそうか、気になるってこういうことなのか、そんな風に己の中で点と点が結ばれていく。
 膝の上で手を組んだ四宮は黙ったまま小さく嘆息した。
 生まれた微妙な間に落ち着かないのは、今この瞬間が告白の答えを待っているという状況だからだと、創真は一拍遅れて自覚する。
「――かもって何だよ」
「いや、こういうのあんまり経験が無いんではっきりしなくて。多分そうじゃねーかなーとは思うんすけど」
  曖昧な部分を拾い上げて四宮は嘲笑する。たしかに告白と呼ぶにはあまりに拙い言い分だっ
た。
 自信家で尊大な性格はさて置き、創真よりも年長者である分、恋愛に関する諸事もそれなりにあっただろう。
 対して自分は経験が浅く、自分の本心でさえたった今自覚したといった具合だ。そんな差を踏まえて改めて心情を吐露したつもりだったのだが、四宮には逆効果だったようだ。
 先程と同じ、短い溜息だ。しかし吐き出された息は乾いてささくれている。
 苛立ちがはっきりと伺えた。
「……くだらねえ。勝手に師匠師匠と騒いだ挙句がそれか。遠月のスタジエールはいつからシステムが変わったんだ?ガキのお遊びにまで付き合ってやれとは教務部の指示には無かったぜ」
「いや別に遊んでる訳じゃ――! 俺は真剣にそうだと思ったから言ってるんすよ」
「真剣に?」
 四宮の眼が剣呑に光る。創真はその鋭さに身構えながらも、視線を逸らすことはしなかった。
「じゃあ何だ、真剣にどうしたいんだよ。付き合うのか?」
 冷ややかなその双眸を見据えながら口を開く。
「付き合って、くれるんすか」
 呟きは掠れていた。それを自覚した途端、創真は四宮がことあるごとに口にする文句を思い出していた。
  自分はやはり、まだまだ「ガキ」なのだろう。一人前に駆け引きを持ち込めるほど、大人にはなりきれていない。
 数十秒、いや数分、とにかく沈黙が続き間延びし始めた頃、四宮は僅かに口を開いた。
 唇の端をつりあげて笑う。眼鏡の奥の瞳は相変わらず冷たい――ように見えたが、一瞬だけほのかな熱が灯ったような気がした。
「……は、珍しく殊勝な物言いだな。いいぜ、付き合ってやるよ」
 まるで買い出しか新しいレシピの試作か、とにかくそんな料理に関する何かのように、四宮は悠然と頷いた。
  いや、たとえ料理が絡んでいたとしても、こんな風にあっさりと了承するとは考え難かった。
 とかく四宮小次郎という男は取っつき難い。嫌味もなくそう易々と創真の言葉に応じてくるとは思えなかった。
 かといってからかわれているとも、思えない。冗談にしては大して笑えないこの結果に、気まぐれに乗ってくる理由がなかった。
 互いに視線を外さないまま時間だけが過ぎる。座っている質の良さそうな革張りのソファに汗が滲みそうで、創真は思わず腰を浮かしかける。その気配を察したか否か、四宮の手がゆるりと持ち上がった。
 伸びた指先は真っ直ぐに創真へと向かい、手招く。何を強いられているのか分からないまま創真は腰を上げ、 正面の四宮に身体を寄せた。
「俺とお前が付き合うっていうなら――今のこの状況も変わってくるな」
 読み難い真意に創真は首を傾げる。
 その反応すら想定内だったようで、四宮は焦れることなく招いた手で創真の首を掴んだ。伸びてきた後ろ髪が擽る敏感な部分を不意に引き寄せられて背筋が伸びる。
「幸平」
 視線を絡めたまま名前を呼ばれる。それだけのことにひどく胸がざわめいて落ち着かない。
 操られている、そう強く感じた瞬間、何をされるか予期した気がした。それでも抗わない創真を試すかの如く、四宮の手に力がこもる。近付いた鼻先で息が止まった。
「……甘いんだよ、クソガキ」
 触れてくる、と思ったそれは至近距離でそう笑うと、存外あっさりと距離を取った。

 <以下抜粋>

「ちょ……! っと、鞄が」
「黙ってろ」
 短く言われて再度口付けられる。上背のある体躯で伸し掛かるように抱き込まれて足がふらついた。
 ぬるりと入り込んできた舌が内部を探ろうと動き回る。が、すぐに離れていった。反射的に閉じていた目を開くと四宮はもどかしげにかけていた眼鏡を外し、折り畳んで胸のポケットへ滑り込ませていた。
  何でも首尾良く、ともすれば嫌味なほどスマートにこなす男らしくない体たらくだ。ただその余裕のない有様が何故だか妙に色気を滲ませている気がして、創真はばれないようにこっそりと詰めていた息を飲み込んだ。
「……何だよ」
 細く吐息を絡めるように四宮が笑う。創真の用心も空しくあっさりと汲み取られた動揺に言葉が出ない。
 微かに笑みを浮かべたまま四宮は先程とは打って変わって緩やかな手つきで顎を掴み、上へと向けさせながら唇を重ねた。
 何か言わなければと薄く開いていた口が静かに割られる。潜り込んできた舌は広げた表面でざらざらと粘膜を撫で摩り、時折創真の舌と絡んでは離れて翻弄する。
「ん……っ、ふ……っ」
 滴る声と唾液が口の端から零れ落ちる。 顎を伝い指先に触れた滴に気付いた四宮は唇を離す
と、器用に伸びた人差し指を先についた唾液ごとぺろりと舐め上げた。今度は取り繕う間もなく、創真の喉が小さく鳴る。
「足りねえのか」
 揶揄を含ませて吊り上る唇に誘われるがまま頷いた。
 もっと触れてほしい。そんな思いを込めて、眼鏡を取り払った剥き出しの瞳を見つめ返す。細められた双眸に同意を見て取って、創真はようやく身体の力を抜いた。
 とにかくこの、玄関先で立ち尽くしている状況を何とかしたい。
 部屋に入って、一息ついて、然るべき、場所で。
 それにはまず、石張りの床に放り出されてしまった鞄を拾い上げる必要がある。そんな風に考えていた創真の思考は、手首を掴み、そのまま強く抱き込んできた四宮の腕によって中断させられてしまった。
 驚く声を上げる前に顎を取られて唇が追ってくる。あっという間に絡みつく舌にすぐさま先程の快感を呼び起こさせられて体温が更に上がっていく。
「ふ、ん……っ、んっ……!」
 ぴちゃり、と生々しい湿った音を立てて隙間が生まれる。四宮は好き放題に動いていた舌を引き出すと、濡れて光る創真の唇を舐め始めた。
 顎に触れる親指がその動きに合わせて柔らかく撫で擦る。下唇の端から中心、反対側まで行き着いたらそのまま上唇へ。時間をかけて一周するように這っていく舌の感触に首筋が焼けるように熱を持つ。
「ん、………っは……」
 堪えきれず吐き出した声は熱く震えていた。あからさまな欲情の兆しに羞恥を覚える余裕すらない。
 耐え難いほどじれったく這い回った舌はようやく始点へと戻ってきた。そのまま横へスライドさせて、舌先だけ浅く口内へ含ませられる。
 唇の間で挟ませるように鎮座した舌はしかしながらそれ以上の侵入を試みることなくやがてあっさりと抜け出ていこうとする。
 その瞬間、ぷつりと断ち切れる理性を感じ取って、創真は伸ばした手で四宮の頭を強引に引き寄せていた。
 散々暴れ回った舌を飲み込むように自分から吸い付いて絡ませる。教えられた通り歯を擽り、粘膜を撫で上げる。
「う、ん、ん……っ、ふ、は……あっ!」
 差し出された舌を無心に吸い上げていた創真は、背後に回された四宮の腕の動きに思わず声を上げた。
 触れていた背中から少し下へ移動した指先が、尾てい骨の辺りで留まり、ゆるゆると撫ぜている。
 そのじれったい動きとは逆に、無意識に揺れていた下腹部は四宮の下半身に押し付けられて、前と後ろの異なる刺激にどくどくと熱が溜まっていく。
「ん、ん、あ……っし、しょ、」
 触れ合わせていた舌先を離して呼びかける創真に、四宮はわざとらしく問いかけるように目を細めた。
  訴えたいことなど分かりきっている。こんな風に、ドア一枚を抜けた玄関で立ったまま性急に睦み合っている現状自体、互いに焼き切れそうな衝動を持て余しているが故だというのに、男は未だ焦らそうとしている。
 悠々と自分を弄るその姿に、少し前まで抱いていたほんの些細な反抗心は、創真の中で徐々に形を変えつつあった。
 自尊心を保ちたいだけではない。ただ純粋に、相手に求められたい。そんな熱を帯びた欲望
が、澄ました態度の裏に垣間見えているような気がした。
 濡れて火照った唇がもう一度重なり、どちらともなく顔を離す。
 湿った吐息を間近で混じり合わせながら、視線を交わす。
「足りねえっつっただろうが」
「そう、じゃないっすよ……」
「じゃあ何が足りねえんだよ」
 言葉の代わりに、回された腕に手を伸ばした。
 強く力を入れて掴むと、服の下の肌が存外熱く感じられて鼓動が跳ねる。そのまま身体を離して顔を見上げ、濡れたままの唇で呟いた。
「とりあえず部屋、入れてください」
「支えるか?」
「大丈夫っすよ、こんな――」
 また腰を引き寄せようとする腕から逃れて、転がされた鞄に手を伸ばす。
 少し屈めたことで不安定になった体幹が揺らぎ、思った以上に足元が覚束なくなってしまっ
た。
 よろめきながら鞄を取り上げて四宮を伺うと案の定、意地悪い笑みを唇に乗せていてばつの悪さを噛み締める。