trial and l
有体に言えば部屋に入った瞬間から何となくそういう気分になっていた。
特別変わったことがあった訳ではない。ただぼんやりと持て余すものがあって、それが二人きりの部屋という空間に足を踏み入れた瞬間、表面化したということだった。
ああこれが煽られるというものなんだなと自覚すると同時に、未知の衝動に新鮮さも覚えて、結局それを押し殺すことなくきっかけを作った男に視線を向けていた。
放課後、僕の部屋に上がった窪谷須は、母が出かけて不在の家にいても特に何も変わらず床に座って持ち込んだ漫画雑誌を読んでいた。
僕はといえば、腹に滞留する何とも言えない感覚に溜息を一つ吐いて、腰かけたベッドの上から窪谷須の横顔を眺めるしかなかった。
こればかりは、両者の合意なくして達成できるものではない。だからまず意思確認が必要だと思案しているのだが、何と問いかけたらいいかまったくもって言葉が見つからなかった。
そもそもを言えば、今までそういった行為に至った時はいつも何というか空気ありきで、例えば近い距離にいたのが殆どゼロになったとか、触れている間にいつの間にか肌が汗ばんできたとか、そんな流れが常に存在していた。
だから今のように何の脈絡もなく始めようとするのは極めてイレギュラーな事態であって、どうしたらいいか分からないのも当然といえば当然だった。
そこまで考えたところでふと、声をかけることにこだわり過ぎていたのだと気付いた。
今までそうやって空気の中で行ってきたのなら、結局空気を作り出す他ないのだ。
僕は一人そう納得して、紙面を追いかける窪谷須の目から視線を外し、そのまま背中からベッドへと倒れ込んだ。
布団が沈む音に反応して窪谷須がこちらを向く。暫しの間があったものの、結局その視線は手元の漫画へと戻ってしまった。
流石にこれだけでは無理があるか。どうしたものかと考えて、とりあえず身体全体をベッドに上げてみる。
何も言わず横になる僕にまた窪谷須の視線が向けられる。さて次は、と考えを及ばせたと同時に、漫画を置いて窪谷須が立ち上がった。
例えばもし、僕に超能力などという特異な力がなければ、僕の意図を察してくれたのかと期待を込めて身構えたに違いない。
しかしながら現実はそうはいかず、僕はその切り離せない能力によって窪谷須の思考を読み取り、相手が全く別のことを考えているのだと瞬時に理解してしまっていた。
「疲れたか?寝るならちゃんと布団被れよ」
こういうことである。
ベッドの横に立った窪谷須は、掛布団の上から横たわる僕を実に優しく労わってくる。
ちなみにそれが取り繕った言動でないことはもちろん件の能力で分かっている。だからこそ余計に居た堪れないというか居心地が悪かった。
僕はもういっそその無防備な手を掴んで引きずり込んでしまいたいとすら思ったものの、実行する気にはなれなかった。
そうやってなし崩しに事が運べばいいという訳もないのだ。ここまできたら自分で例の空気を作らなければ収まらないとも思う。
寝転んだまま、見下ろしてくる窪谷須の顔を眺める。起きるでも寝るでもなくただ視線を向ける僕に、窪谷須は少し戸惑いを見せたものの、以前気遣う姿勢は変わらない。
とりあえず投げ出していた片手を持ち上げて、手招きをしてみる。
特に躊躇うこともなく、窪谷須はベッドの空いたスペースへと腰かけた。二人分の体重を受け入れたベッドが、僕にとっては意味あり気に軋む。
存外あっさりと距離は近付いたが、ここからはどうするべきか。もう一度黙ったまま手招いてみる。今度は一瞬目を見開いて、どうかしたのか、と問いかけてきた。
――まあ、どうかしているかといえばそうなんだろう。ただ僕の答えが窪谷須の指摘している内容とは違っていることなど重々承知しているから、首を横に振る。
窪谷須は気づかわし気な表情のまま、それでも誘導された通りに体勢を変える。身体を捻り、僕の肩のすぐ横へ片手をついて、覆い被さるように僕を見下ろす。
かなり近い距離で視線がぶつかり、ベッドの上という状況も相成って、僕としては溜まっていたものがじわじわと込み上げてきてどうにもならないのだが、相手の様子は殆ど変わらなかっ た。
やはり不良は喧嘩だ何だとやる中で、至近距離など慣れ切っているのだろうか。そういえば彼らはやたらと顔を近づけて睨み合っていたような気がする。
といっても僕だって多少他人との距離が近付いたところでいちいち動揺したりするような人間ではなかったのだ。――こいつと、こうなるまでは。
あらぬところへ飛んだ思考を引きずり戻し、目の前の男に意識を向ける。考えを巡らせながら深く息を吐くと、変化の無かった窪谷須が僅かに身じろいだ。
――ちょっとこの体勢……アレだな。
アレ、などとぼやかしている余裕はないのだが、意識がそっち側に向いたのなら都合が良い。
僕は再度深く息を吐き出した。吐息が擽るほどの距離ではないものの、近さを再確認させるには十分だったらしく、窪谷須がまた身じろぐ。
そろそろそういう空気になっても良いような気がする。しかし肝心の窪谷須はまだはっきりとは感じ取ってはいないらしい。
どうしたものか。考え込む僕を他所に、窪谷須は居心地の悪さに耐えられなくなったのか、身体を離そうと動き始めた。
それは困る。せっかくの流れが水の泡だ。僕はとっさに腰掛けている窪谷須の腿に触れてみ た。
広げた手のひらをぴたりとくっつけると、途端に窪谷須の身体が固まる。
動きを止めたのはいいが、ここからどうすべきなのか迷う。窪谷須は一瞬視線をさ迷わせて、それから再度僕を見た。
目を合わせたまま、触れていた手を滑らせてみる。触り慣れた制服の生地を撫で、その奥の肌を探るように押す。
ちょうどベルトが収まる辺りまで辿り、縁へと指を引っ掛ける。僕の手に小さく息を詰まらせた窪谷須は、珍しく困ったように眉をひそめていた。
――何だ、何をされるんだ、俺は?
繰り返すが僕はするというよりしたいのだ。いかがわしい動きだと認識はされているようだ が、まだ決め手には欠けるらしい。
どうする、どうすればいい。やはりもういっそ腕でも引っ張ってみるか?いや、それよりもまだやれることがあるに違いない。
指を抜き、手のひらで再度腿に触れる。今度はもう少し奥、内腿の辺りに指先が来るよう滑らせて、窪谷須の顔を伺う。
覆い被さる窪谷須の喉が、僅かに動く。物言いたげに開いた口はしかし言葉を発することなく、代わりに頭で考えたことがそのまま流れ込んできた。
――やべえって、勃つから。
いいから勃ってろ!とは流石に言わなかった。
気まずそうに視線をさ迷わせる窪谷須のその、普段とは全く違う表情に、身体の奥がじわりと疼く。
僕は殆ど無意識に、見下ろしてくる顔に向かって両手を伸ばしていた。されるがままの窪谷須を見つめながら、その瞳を覆う眼鏡を掴んで抜き取った。
傷付けることのないよう丁寧に折り畳み、そのまま腕を反らせてベッドのヘッドボードへと上げる。
明確に言葉や思考があった訳ではない。ただ眼鏡を手放した瞬間カチリと切り替わるものを感じて、その感覚は見事に的中した。
覆い被さっていた窪谷須の顔が更に近付く。片手で顎を捕まれ、滑ってきた親指が唇の表面を撫でていく。
軽く力を込められ、促されるままに薄く口を開けば、親指と共に舌が潜り込んできた。
ぬるぬると触れ合う粘膜の生々しい感触に、持て余していた熱が更に温度を上げる。下にいる僕へ注ぐように絡められる唾液を飲み込みながら、動き回る舌に振り回される。
唇が離れていくと同時に、含ませられたままだった指が引き抜かれる。口から出ていくその瞬間、小さく音を立てて指の腹を吸った。最早ごまかせないぐらいはっきりと息を震わせた窪谷須は、どこか苦しげな表情で頭を掻き、乱れた髪のままのしかかってくる。
体重をかけられる感覚にまた熱が上がったような気がする。僕の肩へ顔を擦り付けた窪谷須の吐息も熱い。は、と短く吐き出される息が耳元を擽り、身じろいだ僕を窪谷須は見逃さなかっ た。
頭を抱き込むようにして引き寄せられ、逃げ場のない状況で耳へ口を近付けられる。熱く、湿っていてほどよく低い声と息が、そのままダイレクトに鼓膜へと注がれる。堪えられる筈がなかった。
掠れた声を漏らす僕に、駄目押しとばかりに小さな笑い声が降ってくる。 ――すげえ感じてる。
流れ込んできた思考が更に追い撃ちをかけ、下腹部の熱がはっきりと形を作りはじめているのを感じた。
耳から離れた窪谷須の唇は、首から喉へと滑っていく。自然と晒すように反らしてしまう喉を舐められている間に、着ていた制服が乱される。
シャツの前が開かれ、一般的な男の手よりもいくらか固く、筋張った指先が肌を撫で、乳首を柔らかく押し込む。
望んで誘い込んだにもかかわらず、想像以上に性急なその動きに僕は正直振り回されていた。
触れられている胸も、音を立てて吸われる喉も、身体の全てが熱くて堪らない。
だからといって待ったをかける訳にもいかず、せめて湿った息が漏れないように細く呼吸を繰り返すのだが、ぴたりと重なった下半身に口を開けてしまう。
押し付けられた下腹部と自分のそれが触れ、全身を震わせる快感に思わず腰を引く。
すると窪谷須はさらに体重をかけてのしかかり、逃げる僕の腰をベッドへと沈ませた。そのまま固く熱を持つ性器を擦りつけて、まるで内部を擦り上げる動きのように僕を揺さぶる。
下着どころかズボンすら脱いでいない状況だというのに、ぐりぐりと押し潰された性器は否応なしに昂っていく。
先端が湿った布地に包まれていくのを感じて、あまりの居た堪れなさに顔を背けようとする が、唇を舐められてそのまま舌を入れられる。
舌の先だけを柔く吸われながら快感の源を刺激されて、頭と視界が霞がかったように滲んだ。達していないのに濡れそぼっているのが見ないでも分かる。
荒い息とベッドの軋む音はそのままセックスのそれであるにもかかわらず、満たされない状況に意識が混濁してくる。
もういい、こんな風に動くなら中で動いてくれ。早く中で、同じように擦って。
そんなどうしようもないことを考えてしまうほど、とてつもない快感と興奮で思考が埋め尽くされていく。
「……いくか?」
緩やかに動きながら、僕の頭を抱き込んだ窪谷須が小さく問いかけた。
髪の中に潜り込んだ指先が地肌を撫でる。散々吸われた舌をさらしたまま、僕は黙って首を振った。
快感に浸りきった身体を動かし、片手で窪谷須の腰に触れる。さらに密着させるように力を込めれば、窪谷須はああ、と満ち足りた溜息を吐いて起き上がった。
鞄を引き寄せて、中に入っていた潤滑剤やコンドームを引っ張り出してくる。
それをぼんやり待っている気にもなれず自分からズボンに手をかけると、再度のしかかってきた窪谷須に手を掴まれる。
焦れる僕に構うことなく、窪谷須はゆっくりと僕の残った衣服を脱がせた。外気に触れた性器は固く張り詰めてどろどろで、いつ達してもおかしくないほど昂っている。
潤滑剤で潤った指が体内へと潜り込み、穴を広げようと動き回る。常人よりはいくらか順応性の高い身体を駆使して、僕はその動きが止まるのを待った。何でもいい、早く。
そう口にしたのをぐっと堪えて、頭上の顔を見つめる。
「斉木……」
掠れた声で名前を呼ばれて身体が震えた。押し込まれた指を強く締め付けてしまい、それに煽られるように窪谷須が深く息を吐き出す。
「……っくそ、悪いもう……いれる、な」
言葉と共に引き抜かれた指と入れ代って、薄い膜に包まれた性器が押し入ってくる。
最初は浅く、徐々に深く。根元まで入れられた熱に感じ入る間もなく、奥深くを一度抉るように突かれて四肢が跳ねた。
ずるずると時間をかけて抜かれてまた奥を突かれる。緩やかな動きは下腹部から込み上げてくるような深い快感を呼ぶが、頭の隅で思い出していたのは先程の擦りつけられた腰だった。
足りない。それでは足りない。蕩けさせられた頭で必死に伝える術を考えるが結局思い浮かばず、制服の上しか脱いでいない窪谷須のシャツを掴んで喘ぐように訴える。
「……っ、わかった、って……は……」
エロ過ぎてぶっ飛ぶ、とか何とか呟いて、窪谷須は僕の腰を掴んだ。くる、と分かっているにもかかわらず、襲い掛かる快感の波には何の抵抗も出来ないことを僕は既に知っている。
最初は二度、次は三度。浅いところを突き上げるように擦られる。その動きは徐々に激しくなり、派手な音を立てながら内部を犯していく。
擦られると堪らなくなる部分に張り詰めた亀頭が当たり、僕はびりびりと痺れるような快感に震えた。気持ちが良い。
散々溜め込んだ熱を強い力で引き摺りだされて舐められる。気持ちが良すぎて止まらない。
望んでいた激しい動きで腹部の下を容赦なく抉られて視界が白に染まる。
途方もない快感に上り詰めた感覚はあるが、性器は未だ濡れそぼって勃起したままだった。
「っ、いってんの、か……っあ、きっつ……っ」
収縮する内部に窪谷須が呻く。
達してしまうほどの強い刺激をやり過ごして、男は僕の腰を掴み直して苦く笑った。
「もたねえかと思った……ん」
近付いてくる唇を受け入れながら開いた足で窪谷須の身体を挟む。
結合部を擦り付けるように身を捩れば、眼鏡の無い剥き出しの瞳がすっと尖った。
中断していた動きが再開される。
ぐずぐずに蕩けた内部をまた擦られ、声とも息ともつかない掠れたそれがひっきりなしにこぼれ出る。
「……ちゃんといかせる、っから……っんな、欲しがんなよ……やべえ、だろ……っ」
いかせる、と口に出された瞬間、張り詰めていたものが一気に噴き出した。
勢いよく溢れた精液と共に内部が締まり、窪谷須もつられて絶頂に達する。体内に余すことなく注がれる感覚に浸りながら、僕は手を伸ばして窪谷須の乱れた髪に触れた。
ぽたり、と頭上から落ちてきた汗の粒が唇に当たる。それを何の気なしに舐めとった僕を見て、窪谷須は何度目かの困ったような笑い顔を浮かべた。
「……また勃つからやめろって」
流石に僕も今度ばかりは、いいから勃ってろ!とは言えなかった。
すっかり日の落ちた室内で慌ただしく後始末を終え、二人で床へと座り込む。
気怠く四肢を投げ出していると、隣に座った窪谷須が飲みかけのペットボトルから口を離して呟いた。
「その……悪いな、俺全然気付かなくて……」
申し訳なさそうな窪谷須に、謝る必要はないと否定する。
言うなれば僕の経験値が不足していたのがきっかけなのだ。やはりなかなか思った通りにはいかないのだと再確認する。
そういえば、明確にスイッチが切り替わったのはいつだったか。暫く考え込んで、僕は置き去りにされていたそれに思い至った。
ヘッドボードの上、折り畳んだ眼鏡を取り上げて、窪谷須に向かって差し出してみる。
案の定、目の前の男は何かとんでもないものを見たように目を丸くして、本当にやべえから、と恨めし気に呟いた。