触れる寸前で押し留めた。本来ならそうしようと相手が思った時点で離れるべきだった。
実行しなかったのは、過った雑念が厄介だったからだ。
キスがしたい、それだけなら良かった。斉木さんと。何故か後付される名前。固有名詞。
その行為だけならやろうと思えば誰とだって出来る。欲求を晴らすならもっとましな対象がいる。それにも拘わらず何故か添えられる自分への宛名に、穏やかだった心中が僅かにさざ波を打つ。
読み取られていることを知りながらも相手はそう思う。考える。
厄介な話だ。中身を知っている手紙を破くような気持ち。その従順さというか愚かしさにはいっそ感心するが、だからといって行為を甘受することには繋がらない。
男の心に嘘はない。行動にも。けれどそこに真実がある訳でもない。
何てことは無い、たとえるならCC、付け加えられる名前はいつだって唯一ではない。
日替わり、あるいは分刻みでそれはころころと変わる。
ただ抱く感情自体に偽りは無いのが疎ましくもあり好ましくもある。
嘘のつけない男、馬鹿正直な男、何一つ気にかけることなく胸の内を晒すその男は、自らも気付かない刃を隠し持っている。
「好きっスよ」
付き従う名前には耳を塞ぐ。応える訳気などないくせにまた心が揺れる。
一列に並んだ女の影が見える気がして目を閉じた。
一絡げなんてまっぴらごめんだ。けれど頷くのはあまりに恐ろしい。
名前が呼ばれる。追いかける心の声。頼むから呼ぶなと言ってやりたいがそれもかなわない。ただ逃れたくて首を振る。
呼ぶな、乞うな、手繰り寄せるな。頼むからもう、その口で。
・鳥斉へのお題は『その口で何人の女を口説いたの?』です。
お題ひねり出してみた様より http://shindanmaker.com/392860