特別な一日

 

 意識をするというか何というか、多少身構える気持ちはつまるところあったと思う。
 何といったって相手と――幼い頃に別れて以来の幼馴染と、恋仲になって初めての誕生日だ。
 何か特別なことをしたいと思う一方で、NRCに身を置き、寮長として皆を束ねる立場として は、羽目を外したり規律から大きく外れたりするようなことは出来ないとも考えていた。
 それに現状、相手との関係を知る者はごく一部で、今後も公にするつもりはないため、必然的にささやかなものにならざるを得ない。
 とはいえこういったことはおそらく物事の大小ではなくて気持ちなのだ。少しの自惚れを含めて言えば、相手は自分が気持ちを込めて考えたことなら、それが一番だと言わんばかりに喜ぶ予想もあった。
 だからそれほど気負わず、感謝と心ばかりの品と、あとは最大限の愛を贈ればいいと結論付けていた。
 とはいえ結論付けた、といってもまったく気をやらない訳ではなく、誕生日当日の二、三週間前程から頭の隅にあった思案の種は、時折脳裏をよぎって思考を絡めとった。
 喜んでもらいたい、本当にこれでいいのだろうか?といった自問自答を繰り返して、何となく視線を向けてしまっていた当人と目が合って面食らう、なんてことが何度かあった。その度にこちらを伺うように柔く笑いかけられて、照れと気恥ずかしさにすぐ目を逸らしてしまい、高鳴る鼓動と後悔を持て余して――言ってしまえばとどのつまり、少し前から散々だったという話だ。
 そんな悩ましい日々、もとい若さ溢れる日々を過ごしていたリドル・ローズハートだったが、事態は彼が思ってもみないところへ着地した。

「そういえば、もうすぐトレイくんの誕生日だよね」
 何かするの?などとリドル相手に屈託なく問いかけられる人間など、このNRCの中にそういない。彼を除いて。
 滞りなく終わったお茶会から寮室へと戻る際に、彼――ケイトはそっと耳打ちするように尋ねてきた。もちろん、近くを歩く当人に悟られないよう慎重に。
 不意を突かれたリドルはと言えば反射的に顔色を変えたものの、それこそすぐ傍らの存在に思い至って冷静さを取り戻した。止まりかけた歩みをなるべく自然な動作で戻して、ちらりと横目でケイトを伺う。
「……もちろんお分かりだろうけれど、特別派手なことはしないよ。祝いの言葉と、ささやかだけど贈り物を」
「いいじゃん!トレイくん絶対喜ぶよ、楽しみだね」
「そうだね……」
 毒気のまるでない笑顔でそう言われて、リドルは思わず言葉を濁してしまった。決めてからも散々あれこれ悩んできたことを思うと、強く頷けない自分がいた。ケイトはそんなリドルの思惑を知ってか知らずか、否、何となく思うところがある様子で、じっと視線を向けてきていた。
 探るようなそれではない。不躾に踏み込むような男でないことは分かっている。それは彼がリドルと相手の関係を知るごく一部の人間であるという理由だけではない。
 絶妙に距離感を保つのが上手いこの男だからこそ、リドルは自分の気持ちを少し話してみてもいいかもしれないと思いだしていた。 
 少し後ろを歩くその人を振り返る。彼は二人の一年生に挟まれて、授業についてとりとめのない雑談をしていた。こちらの様子に気づく気配はない。
 もう一度ケイトに視線を移して、リドルは小さく唇を動かして呟いた。
「喜ぶ、といいのだけれど……あまりこういう経験がないものだから、正直なところ不安もあって」
「なるほどね。オレは喜んでくれると思うけど、それもオレの感想だし……当人の気持ちを考えると……うーん」
 予想していた通りのフラットな考えを口にしてから、ケイトは暫し考え込むように押し黙っ た。客観的な意見を聞ければと思ったが、むしろその方がよっぽど困難だったかもしれない。それでも取り繕うように何かを言い添えかけた口を結局閉じて、リドルは大人しく次の言葉を待った。
「じゃあいっそ直接訊いちゃうのはどう?」
 ぱっと晴れやかな表情になったケイトの提案に、リドルは大きく開いた瞳を瞬かせた。
「直接、訊く?」
「色々考えてもやもやするよりさ、相手にしてもらいたいことを訊くのがいいんじゃない?オレたちで考えてても、結局想像でしかないんだし」
 一瞬固まってしまったが、ケイトの言葉には説得力があった。リドル自身、誕生日と言われてすぐ、相手に何も言わずあれこれ考えるのが第一だと考えて、それ以外の観点から考えることなどなかった。思考が凝り固まっていたリドルにとって思いもよらない提案だったが、言われてみればたしかに、あえて直接訊いてみるというのも選択肢としてありかもしれない。こうやって堂々巡りの考えに沈みながら日々を過ごしても、何だかんだ当日まで迷いが生まれそうな予感がしていた。
「そう、かもしれない」
「トレイくん、何だかんだ自分の気持ちを言わない人だからね。誕生日きっかけにリドルくんから訊いてみたら、色々話してくれるんじゃないかな」
 そういう言い方をされると正直弱い。それこそ最近は少し変わったようだが、どうしても相手は物事を腹に溜める節がある。ただでさえ自分たちはそれぞれ心を押し込めてきたのだ。こういう関係になったのだから、少しずつでも、もっとたくさんの本音を知りたい。そんな相手の素直な気持ちが聞ける機会となれば、試してみたいと思ってしまう。
 横目で伺うケイトの表情は相変わらず朗らかで、リドルはやはり毒気を抜かれる思いで、唇を緩める。
「ありがとう、ケイト。参考になったよ」
「どういたしまして。いい一日になるといいね」
 ――いい一日、そう、素晴らしい一日にしたいのだ。そう改めて思い直して、リドルは胸を張った。

 かくしてその素晴らしい一日になる予定の日が迫った前日、明日の主役であるトレイ・クローバーは、寮長の自室へと呼び出されていた。
 消灯前のわずかな時間を使って顔を合わせること自体は珍しくない。ただリドルの畏まった態度と、明日という日付のことを思えば、トレイが多少身構えてやってくるのも当然と言えた。
 しかしながらそんな様をおくびにも出さずに、トレイはその部屋の扉をごく自然にノックし た。
 訪れたトレイにベッドへ腰掛けるようすすめ、自身も隣へと座る。これだけ見ればいつもの他愛ない、ほんの少し色気を含んだ逢瀬と変わりないが、リドルは間を置くことなく単刀直入に切り出した。
「それでトレイ、明日はキミの誕生日な訳だけれど――キミはその、ボクにしてもらいたいこととか、ないのかい?」
 見つめた眼鏡の奥の瞳が丸くなる。何を言われるのかと想像を巡らせていたようだったが、リドルの問いかけは予想外のそれだったらしい。えーっと、と言葉を濁して戸惑いを含んだ笑みを見せるトレイに、リドルは繕うことなく正直に思いを伝える。
「キミが喜んでくれることを色々考えている中で、迷いが出てきてしまって。どうせならキミがボクにしてもらいたいことを訊いてみようと思ったんだ」
「それは……また何というか、思い切ったな」
「何でも――というと語弊があるけれど、わがままは言ってもいいのだし、できる限りのことには応えるつもりでいるよ」
 そう言ってリドルはじっと隣に座るトレイを見つめた。視線を逸らさないその圧にトレイの瞳が僅かに揺れる。――見間違いでなければ、滲んだ動揺を隠すように喉が鳴った。
 真剣な表情のリドルに逃げ場はないと悟ったのか、トレイは意を決したとでも言わんばかりに両目を強く瞑ってから口を開いた。
「じゃあ一日、リドルの傍にいてもいいか?」
 思い切った告白かと思いきや、あまりにもささやかな願望のように聞こえて、リドルは思わず首を傾げていた。
 言葉通りにとるなら、授業や部活動以外の時間は傍にいたい、という内容だろうが、常時とは言わないまでも、普段の生活でもかなりの時間を共にしているといえる。
「普段も割とそうだと思うけれど」
「それは副寮長として。恋人として、傍にいたいんだよ。もちろんバレないようにするし、仕事もきっちりやらせてもらう」
 どうだ?と少しあざとさを含んだ微笑みで問いかけられたらもう頷くしかなかった。元より大抵の願いは叶えるつもりでここにいるのだ。
 正直なところトレイの意図していることを正確に理解できているかといえば怪しいが、彼が満足するならそれ以上の贈り物はない。
 分かった、約束だよと重ねて言えば、トレイは心底嬉しそうな顔で微笑んだ。その笑顔だけで彼が十分に喜んでいることが伝わってきて、リドルの胸の内も温かく熱を持つ。
 それからはいつもと同じように少し話をして、指を絡めたまま立ち上がり、扉の前で軽いキスをして別れた。どことなくふわふわと浮足立つ思いを抱えながら、トレイに言われた通り丁寧に歯を磨いて、ベッドへ潜る。
 寝付けないかもしれないと思いかけて、本番は明日だと自分を叱咤する。滞りなく、素晴らしい一日を――そんなことをつらつらと考えている間に、リドルはいつの間にか眠りに落ちてい た。

 視線が、熱い。
 注がれる視線だけで焼け焦げるのではないかと思うくらい、熱を持ったそれが向けられてい る。何かの魔法じゃないかと思いかけて、そんな筈がないと瞬時に否定する。
 込められているのは魔力でも何かの力でもない。ただ純粋な恋慕の情で――それが驚くほど熱く、全身を覆いつくしているのだ。
 いよいよやってきた誕生日当日、朝から寮生やクラスメイトに祝いの言葉を投げかけられ、トレイはにこやかにそれを受け入れていた。
 祝われて、それを受けて言葉を反す瞬間、そのタイミングは相手の方に目が向くが、それが過ぎるともちろん視線は元あるべき場所へ戻る。
 つまりは、リドルである。もちろんそれと見て分かるほどあからさまに凝視している訳ではないものの、宣言通り朝からずっと隣にいるその男は、折に触れてはリドルのことを見ていた。
 否、見ていた、なんて生易しい表現では収まらない。一心に向けられる視線は普段のそれとはまるで違う。込められているのはトレイがリドルに対して向ける感情そのものとしか言いようがない、強い思いだった。
 傍にいてもいいと承諾したのは自分だ。ただこんな風に見られるとは予想だにしていなかっ た。これがトレイの言う「恋人として傍にいる」の意味なら、なるほど普段とはまったく違う。「特別」といわざるを得なかった。
 食堂で席を共にして、授業で別れてまた顔を合わせる。寮生から声をかけられて何事かとそちらに構いに言っても、気付くと目が向けられている。最初の内は身構えられずに真正面からその視線を受けてしまって、端から見て違和感を悟られてしまうほどわかりやすい反応をしてしまっていたが、午後を過ぎる頃にはリドルなりに対応策を編み出していた。といっても堂々と視線を受けられるほど耐性はついていないから、自分から積極的に目を合わせないようにするといった消極的な策だった。素知らぬ顔をしていれば少しはごまかせる。周囲の目はおそらくそれで問題ない。トレイ相手は、ともかくとして。
 そんなほんの少し落ち着かない一日も、何だかんだ慌ただしく過ぎつつあった。
日頃の庶務に加えて誕生日であるトレイにはインタビューの時間もとられていたりして何かと忙しい。もちろん寮でのパーティーもある。
 ケイトを筆頭に一年生や他の寮生の尽力のおかげで、パーティーは素晴らしいものになった。リドル自身も慣れないながらも厨房に立ってその“腕”をふるったり、特別な紅茶の最初の一杯を自らサーブしたりと大忙しだった。
 トレイがカップの中身を味わうのを確認してから、リドルも席に腰を落ち着かせる。テーブルに並ぶバースデーケーキやクッキーを満足した気持ちで眺めていると、隣に立つ気配を感じた。 そちらを見なくても分かる、注がれる視線が熱いからだ。
「……トレイ、少し見過ぎじゃないか」
 周囲に悟られないように、抑えた声で問いかける。もちろん相手の方は見ないままで。
 言おうか言うまいか少し迷ったが、どうしても聞きたくなって結局口にした。先程紅茶を注いでいた時だって、他の寮生の手前リドルの手元に目は向いていたが、こっそりと視線を寄越していたことに気付いている。自分から言い出したこととはいえ、あまりにも徹底していてもはや純粋な疑問となりつつあった。そんなにも、自分のことを見ていたいものなのだろうか、と。
 顔は見ていないが、トレイが微かに笑ったのが分かる。それがまたこの上なく甘さを含んだ笑い方で、リドルは胸の奥が切なく疼くのを感じた。
「悪い、でも許してくれよ。俺のことを思って色々考えてくれた恋人なんだ、じっくり見たくなるだろ?」
 テーブルに置かれた皿を引き寄せるふりをして身を屈め、トレイはリドルの顔のほど近くで呟く。堪えきれず横を見れば当然ながら視線がぶつかって、少しだけ目を眇めたいたずらっぽい笑みを向けられる。熱が、集まるのを抑えきれない。
「顔が赤いな」
「っ、キミが……っ!赤くなるようなことを、言うからだろう」
 姿勢を正し、すずしい顔でそんなことを言うものだから手に負えない。焦って大きくなりかけた声量を慌てて絞って、整えられたテーブルクロスに目を向ける。胸がざわついて落ち着かなかった。
 ストレートな恋心の吐露はあまりに刺激が強すぎる。お前が好きだから見ていたいなどと言外に匂わせられて、何でもない顔でいられる筈がなかった。しかしながら今は皆が祝うパーティーの席だ。冷静さを取り戻すべく、リドルは深く息を吐く。未だ視線は注がれたままではあった が、あくまで自然なふるまいを心掛けた。
 しかしながら見られ過ぎて、今やどこに視線が向いているか何となく分かるようになってしまった。相変わらず隣に立っているトレイと視線が交わることはない。それなのに彼がどこを見ているか分かってしまう。少し上から見下ろすようにして旋毛、髪の間からのぞく耳、横顔、頬と視線が移っていく。
 リドルは平常心を装いつつカップを持ち上げた。上質な茶葉の香りが鼻孔を擽り、神経を落ち着かせるようにゆっくり身体の中へ取り込まれていくのに、鼓動はまだ早い。
 傾ける動作に合わせて、軽く伏せた瞳に視線が動くのを感じながらカップに口をつける。熱い紅茶が唇に触れた瞬間、向けられているそれが更に熱を持ったような気がして、動きを止める。食い入るように見つめられているのはその、香しい紅茶を味わうべく濡れた唇、で。
「……っ」
 思わず隣に立つトレイを見上げたリドルは、その鋭い目つきに言葉を失った。今日一日のどのタイミングでも見なかった、どこか恐ろしささえ感じる強張った表情だった。
 一瞬の間の後、我に返ってリドルへと視線を移したトレイだったが、先程までの余裕はどこへやら、目が合った瞬間狼狽えたように眼鏡の奥の瞳が揺れた。
「……どうしたんだい」
「悪かった、少し調子に乗り過ぎた。……やらかしたな」
 リドルへの謝罪の後は、どちらかというと後悔の念の方が強く滲んでいて、それがどうにも気になった。それだけ言って取り繕おうとするトレイを、何事かと訊ねる気持ちを込めつつ見つめる。
 散々向けられていたそれが今は横に逸れていて、今はむしろリドルの方が優位だった。張り合う訳でも何でもないが、動揺を隠せないトレイが何だか可愛らしいなと思う。何を思ったのか ――まあおそらく、デリケートなところを見過ぎたとかそういったところだろうが――言いたいことがあるなら言えばいいのだ。今日は特に、そういう日なのだから。
「あまり見ないでくれ。ちょっと今――お前にキスしたくて堪らないから」
 ほんの少し保たれていた余裕が、勢いよく消し飛ぶ。横目でリドルをとらえて、あまりにも素直にぽつりと告白するトレイに余裕はまるでない。落ち着きかけた熱が一気に温度を上げて襲い掛かってくる。
 固まりかけたリドルの思考が間一髪で止まらなかったのは、狙いすましたように談話室へやってきたグリムと監督生、そして彼らを呼びに行っていたエースとデュースのおかげだった。
更に賑やかさを増すパーティーの中で動揺は少しずつ収まっていったが――胸の内を焦がす強い感情だけは、絶えずそこに存在し続けていた。

 祝いの言葉と感謝で溢れていた一日はつつがなく終わり、彼とリドルにとっての特別な一日も同時に一旦終了することとなる。
 消灯前、トレイの部屋を訪れたリドルは、あの日トレイに願い事を訊ねた時と同じように、今度は彼のベッドに隣り合って腰掛けていた。結局あれからも向けられる視線はそのままだったが、少しだけ抑える気持ちが入っていたような気がした。あくまで、リドルが感じた印象ではあるが。
「満足したかい?」
 相手の自室というパーソナルな領域にいる分多少気が解れているリドルは、ほど近い距離にいるトレイを真正面から見つめて問いかけた。
 聞かれたトレイはといえば普段通りの、二人きりでいる時の穏やかな表情を更に甘く緩めて頷く。伸びてきた指先がリドルの髪にそっと触れた。毛先一本一本を愛おしむような手つきが少しこそばゆい。
「ああ、リドルをひとり占めしたようなものだからな。最高の一日だよ」
「言われた時はよく理解できていなかったけれど、キミもすごいことを考えるものだね。なるほど、これはボクには到底思いつかなかった」
「そう改まって言われると正直恥ずかしいが……付き合ってくれてありがとうな、リドル」
 髪に触れていた指が肩へと移動して自然に引き寄せられる。鼻先を埋めるようにして旋毛の辺りに口付けるトレイに、リドルは一呼吸置いてから口を開いた。
「それで……キミは、もう十分?」
 伝わればいい、と願いながら口にした言葉は、トレイの元に正しく届いたらしい。
 肩に触れる手はそのままで身体を離したトレイは、少しだけ不安に揺れるリドルの瞳をとらえた。意図は察したものの、それが本当に正しいものなのかを確認するといった、真剣な表情だ。リドル相手にどこまでも誠実であろうとする、愛おしい男の顔。
「……まさか。もしお前が誘ってくれているなら大歓迎だ」
 頬に触れる手が熱い。今日一日ずっと感じていた、擬似的なそれとは違う。生身の熱だ。
 既に入浴を済ませて、着替えも持ち込んで、所謂“準備”も終わらせて。あとはお互いの気持ちを擦り合わせるだけのところまできている。期待と興奮に目を細めるトレイに、そのまま頷いてもいいが、ここはあくまで今日のルールに則りたい。
「キミの誕生日なのだからキミがおねだりよ。ボクはなんでも応えるといったのだから」
「じゃあ遠慮なく」
 顔が近付く。唇が触れるその寸前で、トレイは熱く熱を込めた声で強請った。
「俺だけのリドルを早く見せてくれ」

 絞られた照明の下で、むき出しの肌をさらしている。リドルの身体を覆うものは既に何もな い。こういった行為をするのは何度目かだが、なかなか慣れなかった。どうしたって込み上げてくる羞恥心と心許なさで身体は強張り、足が内に入ってしまう。
 そんなリドルの姿を、トレイは慈愛と欲情の入り混じった目で見つめていた。注がれる視線に背けていた顔を正面に向ける。目が合うと、トレイの微かな笑い声が耳を擽った。
「な、に」
「いや……お前のその顔、堪らないな」
「どんな、顔」
「恥ずかしそうで、でも期待してる顔。俺しか知らないリドルだ」
 蕩けた笑顔で、照れることなくそんなことを口にして、トレイはリドルに覆い被さる。上半身だけ脱いだトレイの肌が直に触れて、重なった部分が更に熱を持つようだった。
薄く開いた唇を食まれ、更に開いた間から舌を含まされる。眼鏡がぶつからないようにと気遣いながらも与えられるキスは濃厚で、リドルは息をするのも忘れて溺れた。濡れた舌が上顎の裏を撫ぜて歯を辿り、奥に潜んでいたリドルのそれと絡む。
「……っう、ん……っ、ん……っ」
 互いの舌と唾液が音を立てて絡み合う。こんな風にいやらしく湿ったキスがあることを、リドルはついこの間まで知らなかった。トレイと心を通わせてすぐ、知識を得ようとした中でそういった行為があると目にはしていたが、本来の意味では理解していなかったのだ。
 優しく触れ合うだけでない、互いを欲しがる欲望をそのまま重ねて、燃える火に薪をくべるように煽る。そんな生々しい欲情に満ちたキスが、あるなんて。
「……ん、ン、っ、ふ、う……っ」
 深く重なった唇が一度離れて、濡れた表面を辿るようにして今度は軽いキスを与えられる。
 小さな音を立てて繰り返されるそれは音こそ可愛らしいものだったが、煽られる欲は変わらない。時折トレイの吐き出す息が微かに触れて、その度に背筋が震えて四肢が引きつった。
「は、あ、っ……」
 最後にもう一度唇を食んで、ゆっくりと顔が離れていく。
 きっと今自分は、おそろしく情けない姿をさらしているのだろう。鏡を見ずとも分かる、己の顔が蕩けてどうしようもないものになっている様が、ありありと。
 それでも熱い吐息を洩らすのを止められなくて、リドルは反射的に口元を手で覆いかけた。しかしその動きは伸びてきたトレイの腕に呆気なくとらわれた。何かを言いかけたリドルの口はしかし、いつの間にか眼鏡を外していたその男の顔が、再び唇が触れる距離に近付いたことで遮られる。
「……いく時の顔もみせて」
 もうこれ以上、上がることなどないと思っていた熱が勢いよく全身を燃え上がらせる。
 真っ赤になった顔をやはり隠せないまま、リドルはその甘い懇願に身を委ねるしかなかった。

「……っあ、あ、う、……あっ……!」
 俯せた体勢で、枕とシーツに縋りながら下腹部の違和感に耐える。十分な潤滑油を含まされているが、閉じたそこを開く行為はやはり身体への負担が大きい。
 初めて身体を繋げた時よりは多少抵抗が薄れたものの、体内を探られる未知の感覚は、未だ少しの怯えを呼ぶ。
「……苦しいか?」
 それでも、中にある指と降ってくる声が、深い愛情と優しさに溢れているから耐えられる。上手く言葉に出来ない代わりに、顔を上げて首を横に振れば、熱い手のひらが背中を撫でた。優しい手はそのまま腰、臀部と滑って、震えるリドルの性器に触れた。想定していなかったそこへの直接的な刺激に、リドルは大きく身体を跳ねさせた。
「んっ……!あ、まって、トレイ、そこは、あっ」
 濡れた亀頭を手のひらで包み込まれ、滲んだ先走りを擦り付けながら竿を抜かれる。その間も後ろを解す動きは止まらない。いつの間にか三本に増えた指は抜けかけたと思いきや、浅いところを腹側に向かって押し込んできた。途端にびりびりと痺れるような快感が駆け抜けて、立てた膝が今にもくずおれてしまいそうなほどに震えた。
 体液と潤滑油が絡んだ粘液は真下へと滴っていくが、用意周到に敷かれたタオルへと吸い込まれて、直接シーツを汚すことなく溜まっていく。
「トレイっ、いっ、あ、っ、まっ、ほんとうに、まって……っ!」
 頭を振り、途切れる声で必死に訴える。本気の反応を敏感に察したトレイは、責め立てていた両手を一度離して、か細く喘ぐリドルの顔を覗き込むようにして背中から抱いた。
「だめか?」
「……っう、だめ、だよ」
 いかせたいんだけどな、と甘えるトレイの頬に、リドルは緩慢な動作で顔を傾けて口付けた。柔らかく押し付けられた唇の感触に、眼鏡を取り払ったトレイの瞳が丸くなる。
「それなら早く……キミを、中に」
 与えられる快感は強烈で、乞われるがままに身を委ねていたらすぐに溺れてしまう。
 相手の求める自分を余すことなく明け渡したい。だから、そうなる前に。
 震える唇で囁いたリドルの顎を、トレイの指が捕まえる。苦く笑う顔は優しいのにどこか剣呑な雰囲気をまとっていて、何故かそれにもひどく感じている自分がいた。
 顎を掴んだトレイの親指が唇に触れた。これ以上の気遣いは不要だと伝える意味で指先を軽く咥えれば、すぐ傍で喉が鳴る音がした。
 そっと身体を支えられて、仰向けの体勢に変えられる。体格差からくる負担もあって、挿入時はうつ伏せのことが多かったが、今日は前からでもいいかと強請られた。
 断る気は毛頭なかった。リドル自身、顔を見ながらの行為は嫌いではない。正面から抱き締められるのも心地良かったし、何より余裕の無いトレイの姿を見られるのは嬉しかった。自分も同じように見られているという恥ずかしさはさておき。
 薄い膜で覆われた性器が、散々広げられたそこに押し当てられる。反射的に引きかける腰を支えて、十分に屹立したものが押し入ってくる。含まされた潤滑油がぐちゅりと音を立てて溢れ た。
「あ、あ……っ、う、あ、あ……っ」
 大きく膨らんだそれが体内の壁をかき分けて入り込む。一番苦しい張り出した部分を飲み込んでしまえば、あとは驚くほどスムーズな挿入だった。
 体格相応のトレイの性器は自身のものに比べれば遥かに大きく、それを受け入れることなど不可能だと思っていたが、慣れというものは末恐ろしいとリドルはしみじみ噛み締めていた。
 もっとも、単に身体が慣れたという話ではない。丁寧な愛撫に緩んだ身体は挿入の段階になるといつも蕩けきっていて、いかにトレイがリドルを思って触れてくれているかが分かる。相手だから、こうなることができたのだ。
「……ん、……っう、ん、ん……っ」
「……大丈夫か?」
 根本まで受け入れた性器の圧迫感に喘ぎながらも頷く。後ろからの時と感じる刺激がまた違うのが生々しかった。
 みっちりと隙間なく埋め込まれたそれは存在を主張するだけでまだ動かない。落ち着くのを待っているのだろうが、既に煽られきった身体は熱の発散を求めてやまなかった。時折トレイが身じろぐ動きですら痺れる快感を呼んで堪らない。
 早く、新たな刺激を。そう願ってトレイの顔を見上げると、何故か身体を離され、深く入った性器が抜け出ていく。
 ずるずると内壁を擦りながら抜けるその動きにも背筋が震えてどうしようもない。けれど求めている刺激とは違い、リドルは思わず内股に力を入れていた。それ以上の喪失を拒むように身を捩り、シーツを掻く。もう少しで完全に抜け出てしまうといったところで、突然トレイは動きを止めて、自身を強く引き寄せる片足を持ち上げた。汗で湿った脹脛に口づけてくつくつと笑っている。ガラス越しではない素の瞳はその柔和な空気を尖らせる鋭さがあったが、ことベッドの上では隠し味のような甘さを含んでいて心臓に悪い。
 少しだけ意地の悪さを匂わせる笑みに向かって何事かと尋ねる前に、緩く弧を描く口が開かれる。
「こうやって、馴染んできて少し経ってから抜きかけると……足りないって、腰が揺れる」
 これも俺しか知らない、と、至極嬉しそうにささやくトレイに、全身の血が沸騰したようにざわめいた。指摘された事実もそうだが、何より足りないと感じていたことを見透かされていて居た堪れなかった。
「ばっ……、そんなの当たり前じゃないか!ボクは……ボクは、こんなこと、キミしかしらない……っ、キミとしか、しない」
 恥ずかしさに涙さえ滲ませながら、懸命に言い募るリドルに、真剣な表情のトレイが近付く。
「そうだな。俺も一緒だ」
 好きだよ、と繋がっているようないないような文脈で告げられて息が止まる。止まった息を飲み込むように口付けられて、舌を絡めながら中を深く責められた。
 抜けかけていた性器が一気に押し込まれて、リドルは胸を反らせて喘いだ。先ほど含まされた場所まで入ってきたと思ったら、奥を小刻みに揺さぶって擦られる。舌を吸う動きに合わせてぐちゅぐちゅと固いものが腹の奥を探り、感じ入るところを一つ一つ潰すようにして責め立てられた。
 あらゆるところから与えられる快感はとてつもなく、リドルは必死になって舌を差し出しながら喘いだ。
「っ、ふ、あ、あっ、い、トレイ……!う、あっ……っ」
 解放された口で懸命に酸素を取り込む。その間も快感は止まらない。断続的に押し寄せる刺激が強過ぎて、熱を外に逃がそうと無意識に四肢が引き攣れた。
 結果ぐっと前方にさらされることになった裸の胸を、相手が見過ごす筈もなかった。腰から滑ってきた手のひらが片方の乳首に触れ、優しく撫でられる。
 かと思えばもう片方は近付いてきた唇に挟まれて、じゅっと音を立てて吸い付かれる。圧し掛かる距離が近くなった分挿入の角度も変わり、体勢としては苦しい筈だったが、苦痛はまるでなかった。
「……っ、は、リドル……っ、」
 跳ねる両足を抱えなおして、伸び上がったトレイがリドルの耳に口付ける。そのまま掠れた声を流し込むように名前を呼ばれて、一気に絶頂へと押し上げられるのを感じた。
「あ、あっ、と、れい、とれい、いく、あっ、」
「ああ……っ、俺も、もう……っ、リドル、こっち、そう、っ、そのまま……っ」
 限界を訴えてシーツを掻くリドルの指を、トレイが捕まえる。絡められた手とは反対のそれが頬に触れ、視線がぶつかった。
 達する顔を見たいと言ったその願い通り、リドルは羞恥に震えながらも注がれる視線から逃げなかった。
「い、あっ、いく、とれい、とれい、あっ、ああっ」
「っ、う、リドル、っ……リドル……っ」
 膨らみ切った性器が上向きに手前の辺りを擦った瞬間、声を抑えることもできずに達した。直接触れられることなく射精に至る快感に、体内がきつく収縮する。遅れて体内でびくびくと震える感覚があって、トレイも中で達したのが分かった。
 腹の間で滑る精液にも構わずに、互いに整わない息のまま鼻先を擦り合わせて唇を重ねる。燃え上がった熱がゆっくりと引いていき、今はただ緩くとろ火にかけられるような、穏やかな心地よさが心も身体をも満たしていた。

 ぐったりと投げ出した身体を濡れたタオルで拭われ、促されるままに水を飲み、下着を身に着ける。
 本来ならもう一度シャワーを浴びた方がいいのだろうが、上手く下半身に力が入る自信がなくて、結局シーツに包まったままだった。
 部屋の主の匂いがするベッドの中で、その主が戻ってくるのを待つ。程なくして汚れ物をまとめたトレイが近付いてきた。
 他に何か飲むかと訊かれて、リドルは黙ったまま首を横に振った。そのままベッドの端に腰掛けるトレイに合わせて身体を起こすと、すぐさま伸びてきた腕が背中を支える。ずり落ちたシーツを引き上げて全身を包み込まれて、その手厚いケアにリドルは微笑んだ。
「トレイ……、」
「うん?……どうした、辛いか?」
「いや、その……キミは、ちゃんとよかったかと、思って」
 改めて思い返しても達する直前の蕩けた頭では、相手が満足できたか判断がつかなかった。けれど求められた以上、それに応えられたかどうかは確認しておきたかった。真剣な表情と、不安を湛えた瞳が交錯するリドルを、眼鏡をかけたトレイがじっと見つめている。広がる沈黙に耐え切れず口を開こうとした瞬間、シーツ越しに抱き寄せられた。
 優しい指が乱れて耳にかかる髪を除けていく。露になったそこに唇が寄せられて、触れるだけのキスを何度も繰り返された。
「っ、トレイ、何を、ふふ、くすぐったいよ」
「伝わっていないようだから、念入りに返しておこうと。こら、逃げるなよ」
 子供の頃のようなじゃれ合いがこそばゆくも嬉しかった。身を捩るリドルと同じようにトレイも小さく笑う。少しだけ幼く見えた笑顔に胸の奥が疼いて、リドルはシャツを羽織ったその背中抱く手に力を込めた。
「わかった、よくわかったから……ありがとう、トレイ」
 それはこちらの台詞だと囁かれて、身体が離れていく。正面から向き直ったトレイはあの日、一日を恋人の自分に欲しいと強請って、リドルが頷いた時と同じ、幸福に満ち足りた顔をしていた。
 それだけでやはり、リドルの心も満たされていく。
「ありがとうな、リドル。お前がいてくれてよかった」
 来年も、その先も、願わくはずっと。彼の特別な一日を傍で祝いたい。祈りのような願いを込めて、リドルは彼の唇に口付ける。
 時計の針は、十二時を回りかけていた。


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