teach to do

 

「師匠、ね」
 創真が口にしたその呼称を、彼女はそう言って繰り返した。
 含みのある口ぶりにに首を傾げる創真に向かって、師匠と呼ばれた男と肩を並べて学んできた水原は、物言いたげに視線を彷徨わせてから小さく嘆息してみせる。
 料理に関してならそう呼ぶのも分かるけど。
 それ以外だと。
「四宮、ろくなこと教えなさそう」

「――何考えてんだよ」
 不満げな、それでいてじっとりといやらしく艶めいた声がする。
 脳裏に蘇った水原の取り澄まされた表情が急速に遠のき、創真は仕方なく顔を上げた。
 柔らかい間接照明に照らし出された顔は意地悪く整っていて、それでいて眼鏡を取り払った瞳の奥にはちりちりと熱が焦げているから性質が悪い。
  ベッドのヘッドボードに背中を預け、その身に創真を乗り上げさせながらも男は悠然としている。料理人が目まぐるしく動き回る厨房に一人立ち、隅々まで神経を張り巡らせ組み上げる様と同じくスマートだ。
 しかしながら心が冷え切っている訳ではない。鋭く研ぎ澄まされた手練れの裏にはいつだって燃え滾る情熱がある。
 料理にも、こと色恋に関しても。
「眠そうだな」
「……そっすね。もう眠くてついうと、うと……っ」
 安らかな眠りとは程遠い、熱く湿った空気の中で、四宮はわざと思ってもいないことを口にして煽り立てる。
 売り言葉に買い言葉ではないが、そう揶揄されれば創真としても乗らざるを得ない。見上げてくる顔に向かってにやりと笑い返すと、四宮はわざとらしく鼻を鳴らしてなら仕方ねえな、と呟いた。
「じゃあ、寝るか」
 そんな言葉と共に、突き入れられた指が一際派手に動かされた。
 違和感が占拠していた下腹部に突如刺すような快感が奔って言葉を失う。肩を掴む手に力が入り、着崩した四宮のシャツに皺を作り上げる。
「眠いならお前も何かしろよ。手も口も空いてるだろうが」
 不遜極まりない口調で言い放つ四宮の姿に、創真の反抗心に火が点る。
 そうまで言われて引き下がれる訳がない。大体先程から散々弄り回されていい加減限界が来ている。
 眠気は無いものの、いっそ眠ってしまってもおかしくないほどの時間のかけ方だ。素知らぬ顔でよく言うものだと思う。
 やり返せと駆り立てる胸中のまま、創真は四宮の肩から手を離してその顔を捕まえた。
 唇をぺろりと舐めてやってから口付ける。容易に引き出せた舌に絡みつき、先端を吸い上げていると、含ませられている指はそのままに反対の手で太腿を柔らかく撫ぜられた。
 悪くないとでも言いたげな仕草に、まるで何かの教示を受けているようだと考えて、また物思いに耽る。
 これが所謂、ろくでもないこと、になるのだろうか。
 といっても水原がこの関係を知っている訳ではないから、本当のところは分からない。
 それでもついつい水原の顔を思い返してしまいそうになって、創真は一人慌ててそれを押し退けた。
 こんな状況で他人、しかも女性のことを考えるというのは流石に居た堪れない。
 それに四宮が心を許している昔馴染みだからまだいいようなもので、これがもし全く別の、例えば四宮の知り得ない同級生であったりしたならばそれこそろくでもないことになるだろう。容易に想像がつく。
 動きを止めた創真を伺う、目敏い男の視線から逃れるように小さく首を振る。
 しかしそれが四宮の目には込み上げる快感を逃がそうとしているように映ったらしく、潜り込んだ指に力がこもる。
 暴かれつつある窄まりを強引に広げさせられ、ぐぷり、と音を立ててローションが滴り落ちていくのが分かる。
「っ、う、せん、ぱい、……っ!」」
「口、離れてんぞ」
「だ、……って、あ、くそっ……!」
 空気を含ませるように広げられて創真の語尾が震える。
 腿を滴っていくローションのぬめりがぞわぞわと肌を疼かせて、下腹部に力が入ってしまうのを抑えられない。
 いやらしい責め苦に思わず悪態を吐く創真にも、四宮は構うことなく口づけを急かして見せ
る。
 僅かに差し出された舌にそろそろと唇を近付けると、舌先が触れ合った瞬間薄く開いていた四宮の目が柔く細められる。
 匂い立つ欲情の気配に全身が痺れて熱を持つ。堪らず絡んだ舌に食らいついて飲み込むように唇を重ねた。伸びきった創真の背中を追いかけて更に奥深く、指が押し入ってくる。
「……っ、うっ、ん……っ」
 前後の境目がぼやけて、身体全体が性感に溶け入るような錯覚を抱く。
 口の中で擦れる粘膜と、四宮の指によって擦られる粘膜が全てを曖昧にしていく。腰が揺らめき、立てている膝頭から腿が震える。むず痒い快感が腹の底で蠢いて、創真はもう一度くそう、と悔しげに呟いた。
「も……先輩、もう……っ」
「何だよ」
「ひろが、ってるんで」
「何が」
 目を閉じ、柔く唇を噛みながら抑えた声で問いかける四宮に、苛立ちを込めて腹部に力を入れる。
 複数の指がばらばらに動いていた穴がきゅっと窄まり、その締め付けにつられるように四宮は薄く目を開けた。
「……締まってんじゃねえか」
「あん、たな……っ、あ、あ……!」
 身も蓋もない言い分に堪らず文句を言う創真をよそに、押し込まれていた指が抜け出ていく。
 そのまま四宮は創真の身体を引き寄せて片手で前を寛げ始めた。体勢を入れ替えようとしない辺り、おそらくこのまま上に乗せられたまま進められるに違いない。
 ヘッドボードに置かれた小袋を後ろ手に掴んで、剥き出しの首に四宮が舌を這わせる。
 行き場を無くした手を背中へと滑らせながら、創真は教えられた快感に堪えるべく息を吐き、滴る下半身へ意識を向けた。

 ごまかせるかと思ったが案の定、四宮は創真の考えていた余所事に気が付いていた。
 熱い湯を浴びて温まった身体のまま、ゆったりと広いリネンのシーツで微睡んでいると、潜り込んできた四宮の手が隠し事を引き出そうとするように喉を擽った。仕方なく、水原に言われたそのままを口にする。
「ったく好き放題言いやがって……」
 自分は好き放題しましたよね、とは流石に創真も言わなかった。うんざりと唾棄する様に本気の苛立ちが垣間見えないのはいつものことだが、取り立てて言い返そうともしないのが気になって、疲れを滲ませる目をじっと見つめてみる。
「何だよ」
「いや、否定しないのかなって」
「料理以外は、って言ってたんだろ」
 喉を掠めていた手が、創真の顎に触れた。指先で手遊びするように唇を押してから、年上で先輩で先駆者である男は、ただの男の顔になってきっぱりと言い切る。
「プライベートで何を教えようが勝手だろうが」
 押し込まれた親指が舌先に当たる。創真はためらいなくその指の腹を舐めて、吐息と共に呟いた。
「……教えるのは絶対なんすね」
「出来の悪い教え子で苦労するがな」
「冗談。俺覚えるのは得意なんすよ」
 そう言って唇で吸い付けば四宮の息が僅かに乱れる。
 分かり辛かった欲情の兆しも、今では肌で感じられる。どちらともなく舌を差し出して絡め
て、胸に忍び寄る手の気配に創真は人知れず身構えた。
 それこそ散々重ねあったにもかかわらず、漂う空気はまた粘っこく溶け始めている。たしかにこれは、ろくでもないかもしれない。しかしそんな酩酊感に酔わざるを得ないのだから他人事のようには言えない。
 際限無い自分と、四宮の欲に苦笑して、柔らかく肌を刺す爪の感触に創真は小さく喉を鳴らした。