秋山×桐生 R-18「すねごと」 本文サンプル

 

 近い、と思っていた。
 いや、他にも色々と思うことはあったのだが、如何せんいい感じに酔いの回った頭では、そんな短絡的な考えが先だって浮かんできてしまうのだった。
 秋山は再度近いなあとしみじみ思いながら、トイレの扉に押し付けたその男、桐生一馬の首元を見つめていた。

 発端は、至極些細なことだった。
 これまでも数度、皆で飲んでいたのだが、次はニューセレナ以外で集まらないかと話が持ち上がった。
 それならばと秋山が、自分の店であるエリーゼを提案したのだ。エリーゼなら酒も自由に出来るし、何かと目立ちがちな面々を集めても支障はない。以前も集まったことがあったが、その時は成り行き上限られた面子だけだったのだ。
 だから今回は予め店長にその旨を伝えて店を閉め、気楽にやるつもりだった。
 結果それなりの人数が集まり、縁のある人間が入れ代わり立ち代わりと、想像以上に賑やかなものとなったのだ。
  秋山は場の状況に気を配りつつその様を端から眺め、神室町という街の心地よさを改めて噛み締めていたのだった。
「どーも、お疲れさまです」
 不意にかけられた声に秋山が振り返ると、そこにはよく目立つ青のジャケットを着込んだ若い男が、グラスを片手に経っていた。
「あれ、谷村刑事。最近忙しそうだから来ないかと思ってたんだけどな 」
「オーラス跳満ツモったんで、も ういいかなって思って」
「当然のように仕事の話じゃないのね」
「厳格な警察官だってたまには羽目ぐらい外しますよ。先輩に付き合うのも仕事ですし」
 谷村はぬけぬけと言いながら、手にしたグラスを傾ける。
「伊達さんならちょっと前に帰ったけど。店も気になるしって」
「普段は気にする間もなくその店ででろっでろに飲んでるくせになあ。やっぱり場所が場所なだけに後ろめたかったんですかね」
「うちの店だしいいかなって思ったんだけど……配慮足りてなかったかなあ、俺」
「いい歳なんだしたまには健全な量で帰してやるのも配慮ですよ。――それより」
 当の本人がいないのをいいことに好き放題言ってから、谷村は秋山にぐいと詰め寄った。まるで尋問されているようだと言いかけて、相手の職業を思い直し止める。
「桐生さんは?」
 秋山はその勢いに頭を掻き、さっと辺りを見回した。それらしい姿を探してはみるが、先程ちらりと見かけたテーブルにも見当たらず、首を振る。
「いないみたいよ」
「みたいよ、じゃないですよ。見てなかったんですか?」
「いや俺も何だかんだとバタバタしてたんでね……」
 じとりとした視線を向けられ、秋山は思わず視線を彷徨わせた。
 仕方が無かったのだ。色々と気を回していて、そこまで目がいかなかった。最後に見た時は馴染みのホストと飲んでいたようだったから、わざわざ水を差すこともないと思っていた。
 しかし今そのテーブルにいるのは、この為だけにわざわざ錦栄町から足を運んできた品田だった。彼は野球の知識から名古屋界隈の近況、果ては錦栄町の風俗事情といった話題を、ライターらしい面白い観点から話して聞かせている最中だった。
「――平和ですね」
「まあ、それなりにはね」
「いや、俺が言ってるのはあなたのことですけど」
 ぽつりと呟いた谷村に頷くが、それを間髪入れずに否定され面食らう。
「何が?」
 秋山は戸惑いを隠せないまま聞き返す。 一方谷村はグラスの水面を見つめながら、ひとり言のように言ってきた。
「いや、そんなんだから福岡で変な若いのに茶々入れられ るんだと思って」
「え、なっ……!」
 突然のそれに秋山は思わず絶句するしかなかった。 福岡、若いの、で真っ先に思い浮かぶ のはあの、すかした姿勢だが内面はやけに暑苦しい、武術古牧流の孫息子だ。
 その青年と秋山は多少、いやしっかりと面識があり、色々とややこしい会話をしていた関係だった。
 それにしても何故この男、先だっての騒動の際なかなか連絡がつかなかったにも関わらず、どうしてそのことを知っているのか。

 <中略>

「――少し酔ったか」
 桐生はふっと目を伏せ、頭を振る。それが照れ隠しや誤魔化しの合図であると分かりながら
も、秋山はあえて指摘しない。
 こぼされた溜息は熱く、漂う空気も次第にじわじわと濡れていく。
 求めているのは自分だけではない、そんな確信を持ちながら、秋山は少しずつその固い外壁を解いていく。
「嘘でしょう、全然そんな風には」
「じゃあ、どう見えているって言うんだ」
「俺の口からはとても」
「お前の口から聞きたいんだ」
 伏せられていた瞳が秋山を再度捉える。鋭いながらも内包された熱に、また眩暈にも似たそれを感じた。
 聞きたい、だなんて煽ってくれる。そんな瞳を晒しておいて、酔い以外にあるものなんて一つしかないじゃないか。
 本当に何て目だ、いっそ舌打ちしたいような気分にさえなって、秋山は伸ばした手で頬に触れた。
 普段より少し高めの体温が掌に心地良い。 その上触れた瞬間桐生の双眸が心の底から心地良さそうに緩んで、もう駄目だと思った。
 だってこんなに露骨に引っ張られているのだ。理性や駆け引きなど 全てアルコールで誤魔化して、秋山は衝動のままにその顔を引き寄せた。
「っ、く……!」
 歯をぶつけないように気を付けながら唇を重ねる。
 最初から薄く開かれたそこに意気揚々と舌を差し入れて、秋山はぴったりと身体を寄せた。
 行き場を無くした桐生の背中が壁にぶつかる。靴が床を滑る音と僅かな衣擦れが妙に響く気がしていた。
 しかしそれ以上に絡ませた舌先が生々しく濡れた音を立てて、鼓膜を揺さぶる。
 ぬめる粘膜は熱く、アルコールの匂いが強い。ほんのりと桐生が口にした酒の味すら感じられる気がして、触れ合わせた舌もそのままに唇を味わうように食んだ。
 柔らかく噛み付くのを繰り返して少し唇を放す。躊躇いがちに追いかけてきた舌には少し笑って、労わるように耳の下辺りを撫ぜた。
「……どう、するんだ」
 熱い息と共に桐生が呟く。秋山は濡れた唇に視線を向けながら、重ねた身体を僅かに擦り付けた。
「もう、どうしましょうかね……」
「お前こそ酔ってるんじゃないのか」
「さあ、どうでしょう」
 そう嘯いた所で、トイレの外から派手な歓声が聞こえてきた。場は何やら大層盛り上がっているようだ。
 もちろん主催として喜ばしいことだが、今の秋山にとってはごく私的な理由でも素晴らしいというしかなかった。
 今暫く、このトイレに誰も近付かないでほしい。そんな至極勝手な願望が、図らずも叶いかけているのだから。
 そうはいっても、実質問題こんな目につく場所に立ち尽くしている訳にもいかない。秋山は暫し逡巡し、桐生を見た。
 酔いと、熱で混ぜこぜになった思考が揺らいでいる。そんな様子が手に取るように分かって、有無を言わさずその手を取った。 なだれ込んだのは、最奥に設置された個室だ。
 一番広くスペースが取られているそこに桐生を引っ張り、忙しなく鍵をかける。 桐生は扉にもたれたまま秋山を見ていた。
 先程よりずっとその身を覆う壁が薄くなった気がして喉が鳴る。個室に二人きり、心を許されている証拠だと自覚して、堪らなく欲情する。
 秋山は再度身体を重ねた。唇を軽く舐めて、そのまま顎に移動する。手は腰に触れているがそれ以上の動きはない。
 あくまで身体を密着させ、柔らかいキスを繰り返すだけだ。
「あつ、い」
 少し上から降ってきた恨み 言に、秋山は食んでいた首から顔を上げてその表情を伺う。
 眉根を寄せて控えめの声で囁く姿に、僅かな隙間も許さないとばかりにより身体を近付ける。
「後できちんと社員教育しときます」
「おまえが、だ……っ」
「ええ、分かってますよ」
 わざとらしく天を仰いでから空調の話に取り違えて答えれば、焦れたように言い募られるのが堪らない。
 秋山は謝罪の意味も込めて少しだけ胸の辺りを浮かせた。やっと出来た隙間に桐生は大きく息を吐くものの、今度はそこに手が差し入れられてびくりと身体を震わせた。
「確かに熱い、ですね」
 火照った胸に掌を当てて、秋山は囁く。シャツのボタンに指を引っ掛け、試しに一つと外してみる。
 秋山はその少し広がった胸元に唇を寄せかけた。しかし突然聞こえた物音に、屈んだ姿勢のままで硬直する。
「はーっ飲んだ飲んだー」
 軽い調子のよく通る声が聞こえてきて、秋山と桐生は顔を見合わせた。
 喜々としたその男の声は見知った人間のそれに間違いない。先程まで上機嫌で話をしていた男――品田辰雄だ。
 秋山はひっそりと溜息を吐く。まさか本気でいける所までいってやろうと思っていた訳ではない。
 それでもあまりにあっさりと水を差されてげんなりとしてしまう。もう少しこの人の箍が緩むのを見たかった、正直な欲望は未だ頭を擡げ続けて静まらない。
 一方そんな秋山の沸々とした不満を一心に注がれている男は、楽しげに鼻歌交じりで用を足していた。
 余程心地良く酔えたらしい。 移動する足音の後再度水の流れる音が聞こえて、手を洗っているのが伺える。
 漸く離れていく様子に、桐生がほっとしたように肩の力を抜く気配がした。
 やがて水が止まり、また足音が聞こえる。近づいて来たそれはそのまま遠のいていく、と思いきや、何故かすぐ傍で止まった。
「――桐生さん?」
 抑えつけた身体が僅かに身じろぐのが分かる。秋山はそれを宥めるように胸元を撫でた。