すべては愛

 

 絞られた照明と静かな部屋。生温く緩んだ空気はしっとりと肌に張り付いて時折背筋が細かく震える。
 整えられていた冷たいシーツは乱れ、素肌で転げ回ったおかげで温まっている。
ただ伸ばした足先辺り だけは熱が届ききっておらず、ひやりとした感触から逃れるように踵で蹴ると、見下ろしてくる男がコラ、 と小さく窘めてきた。
 薄闇の中でも男の姿ははっきり分かる。オレだけを早々と裸にした男は普段のスーツからジャケットだけを取り除いた格好だ。
 ネクタイすら解いていないその様からは寛ぐ気など微塵も伝わってこない。
 ましてや 今から、いかがわしいことをする気など、全く。
 男は――田中さんは下着のみの姿になったオレをじっと見つめていた。
 首、鎖骨、肩、二の腕。肘と手首の間辺りで田中さんの視線が止まったのを感じる。微かに溜息の音を漏らした田中さんは、投げ出していたオレの右手を取り上げて眼鏡の奥の瞳を細く尖らせた。
「これは?」
「あー……着ぐるみ脱ごうとした時によろけてぶつけちゃって」
 オレの返答に案の定眉を寄せて、田中さんは微かに痕の残った皮膚を指先で撫ぜた。
 柔らかい動きに卑猥な気配はなく、しかしながらそれでも状況が状況なだけに、オレは律儀にも直接的な体温の上昇を感じ取っていた。
 これはある意味、田中さんの癖だ。
 こうやって二人で触れ合う時、田中さんは決まってオレの身体を隅々まで見ようとする。全身をくまなく眺めて、目立つ傷や痕が 無いか確かめる。
 そうしてそれらしき部分を見つけた際にはどうやってつけられたのか問いかけて確認し、顔を顰め労わるように撫で摩る。
 幾度も繰り返されてきた一連の流れだったが、オレは未だにそれに慣れずにいた。
 当然だ。こっちはいやらしい気分を満たしきってベッドへ上がっているのに、毎度毎度まるで身体検査よろしくチェックされれば戸惑うなという方が無理な話だろう。
 向けられる鋭い目つきは厳格なマネージャーそのものであるにもかかわらず、そのくせ触れてくる場所がいちいち際どい場所なのがまた厄介だった。
 いや、それはオレが痕を残す場所がそんな所だという前提も大きく影響しているんだけれど。
 ともかく、有無を言わさない田中さんの手によってオレは今日も寝転がったベッドの上で入念なチェックを受けていた。
 右手は解放されたが、田中さんの視線はまだオレに注がれている。文字通りまな板の鯉だ。
 胸、みぞおち、脇腹。見られていると自覚すると余計に劣情を煽られて仕方ないから意識を彷徨わせようとするのに、見慣れない部屋の所為で上手くいかない。
 というか視線の置き場が少ないのだこの部屋は。
 壁一面に張られたポスターのアイドルを見つめるのは流石に居心地が悪い。ただそれを嫌だとは思わなかった。
 アイドルに夢中で、夢中にさせるアイドルを育てることにも夢中な田中さんが、オレの好きな田中さんだ。
 田中、さん。散らそうとした意識が一瞬で集まり、目の前の男に注がれる。
 向けられている視線は下腹部を通り越して脹脛に向かっていた。もどかしさにこめかみがじくじくと疼く。
 田中さんは実直なマネージャーだ。仕事に対して真摯に向き合う人だ。
 本来なら見守り育てるべきアイドルである存在――しかも年の離れたオレとこんな関係になることだって良しとはしないだろう。
 それでもオレが諦めないことを悟って受け入れてくれた。少しでも身体に負担がかからないようにと色々調べて気を回してくれた。
 誘いをかけられて頷くのも、誘うのもオレのスケジュールに合ったタイミングだ。
 年上の優しい恋人、有能なマネージャー。その境目はいつだって曖昧に揺らいでいる。それが不満な訳じゃない。 ただ――ただ今はどうしようもなく、もどかしい。
 耐えきれずに腰を僅かに捻る。シーツを滑った踵がまた冷たい部分を掠めた。
 咄嗟に跳ね上げた足は再度ベッドに沈むことなく捕えられた。足を掴んだ田中さんは、先程と同じように小さな声でオレを窘める。
「コラ、暴れるなって」
「暴れてない、ですよ……っ足が冷たくて」
 どこか拗ねた口ぶりになりながらも素直に返せば、田中さんはやけに真面目くさった顔でそうか、と呟いて正面の壁を見上げた。
 視線の先には備え付けのエアコンがある。夜は肌寒いとはいえ、まだ冬には遠く、暖房をつけるような季節じゃない。
 それに感じているのは凍えるような悪寒ではなく、興奮で温まった上半身との温度差だ。
 しかしながら放っておいたら電源を入れかねない田中さんの様子に、オレは否定の意味を込めて首を振った。
 覗き込んでくる田中さんの目に気遣わしげな色を見て、気付けば堪らず口を開いていた。
「田中さん」
「ん?」
「あの、もう勘弁してもらえませんか」
「何がだ?」
「田中さんがマネージャーの仕事をいつでも忘れないのは分かるんですけど……毎回こうやって見られるのは、ちょっと」
 投げ出していた腕を浮かせて、田中さんが撫でていた痕を見せる。
 首を傾げていた田中さんはオレの言いたいことに気付くと、何故か一瞬視線を脇に投げた。それからああ、だとかいや、だとかもごもごと呟いて、掴んだままだったオレの足を下ろした。
「……仕事だと思ってやってたことは一度も無いんだけどな」
「――は?」
 思ってもみなかった答えに声が掠れる。田中さんは目の端を柔らかく緩ませて、呆気にとられるオレの頬に触れた。
「オレがお前を色々見るのは――何ていうか、単にそうしたいからだよ。マネージャーだからどうってことじゃない」
 言い聞かせるような物言いは仕事について説く姿というより、面倒見の良い大人の男のそれだった。
 じわり、と胸の内で熱が上がるのを感じる。意識した途端その熱は身体全体に行き渡り、オレはなすすべもなくそれに飲み込まれる。
「好きなお前だから見たいんだよ。まあ、たしかに小言も言いたくなるんだけどな。でもそれだって、好きな相手を心配してるってことだ」
 ――とんでもないな、と思った。
 本人からすればただ事実をそのまま口にしているだけなのだろうが、あまりに直接的な言い分の上に居た堪れない思い違いをしていたこともあって、返す言葉が見つからなかった。普段はそれほどあからさまな言動を見せない分言われたことの衝撃が凄い。
 ただ好きだから隅々まで見たいし心配していると言われて、さらりと流せる程オレだってすれてはいない。既に全身の血が滾り熱を持て余している有様だ。
 何なんだこの人。恋人か。オレの。
 田中さんも若干照れ臭そうに眉尻を下げてはいるが、どこか堂々とした雰囲気は変わらず、オレはやり込められた気持ちでいっぱいになりながらもぼそりと呟いた。
「……田中さん、今めちゃくちゃ恥ずかしいこと言ってますよ」
「あー、うん、そうだな。でも正直今さらだろ?」
 オレの珍しいツッコミにも田中さんはやはり動じず、頬から滑らせた指でオレの耳に触れた。ふにふにと耳朶を優しく揉まれて首筋が疼く。
 後ろから入れられる時、田中さんがよく耳の裏に唇をくっつけてくることを思い出した。
 細く吐き出される湿った息がいやらしく絡まって興奮する。舐めるでも噛むでもなく、唇だけを押し付けて肌に触れてくるのも田中さんの癖だ。
 与えられる刺激と受け入れた記憶が身体を駆け巡り、オレは黙って田中さんを見上げた。視線が重なる。
「それに公平じゃないしな。お前ばっかり、っていうのも」
「そう言うんなら脱いでくださいよ」
 伸ばした手で結ばれたままのネクタイを掴むと、コラ、とまた窘められた。
 今日で三度目のその言葉にいい加減焦れて身を起しかける。しかし田中さんは耳に触れていた手でオレの肩をやんわりとベッドへ押し付けてきた。
 不満を訴えるオレの視線に苦笑して、漸く自分で結び目を緩め始める。
 シンプルな濃紺のネクタイを床へと滑り落とし、そのままシャツのボタンに手をかけるのかと思いきや、その指先は何故かオレの唯一残された衣服へと伸びてきた。下着の縁に人差し指が引っ掛かり、身じろぐ間もなく引き抜かれる。開いた足の間、既に緩く反応し始めていた性器がいきなり外気に触れて、無意識に腰が揺れた。
 準備良く隣に置いていたタオルをオレの尻の下に敷いてから、同じように転がしていたボトルを掴んだ田中さんは、とろりとした液体を掌に馴染ませてオレの性器を握り込んだ。そのまま音を立てながら擦り上げられる。
 生々しく滑る感触と掌から伝わる体温が震えるような快感を呼び、オレは投げ出した手足をぴんと張り詰めさせながらその動きに耐えた。
 散々待たされた挙句とんでもない爆弾を食らって、すぐにでも達してしまいそうな程余裕がない。田中さんにもそれが伝わっているのか、普段からすれば少し性急な手つきで、そそり立つ性器から垂れる粘液を絡ませながらその下の穴に触れてくる。
 そっと押し込まれた指先は特に引っ掛かることなく含まれていく。
 田中さんは僅かに目を見開くと、擦り上げる手の動きは止めずに指をぬるぬると押し込んだ。人差し指だけでなく中指も噛ませて縁を広げられて、開かされている内股が痺れるように引き攣れる。
「柔らかいな」
 ぽつりとひとり言のように言われて素直に答える。
「っ……一人でたまに、やってるんで……っ」
「ここを?」
「すげー広がるなっ、……って、な、んかおもしろ、く、なって、きて……っ」
「……お前らしいな」
 呆れた口ぶりだったが声の端は隠しようもなく甘かった。
 何だかんだ嬉しそうな田中さんの指が、身体の中を弄っては抜け出てを繰り返す。擦り上げられている性器は先端から体液を漏らし始めていた。
 オレのスケジュールを管理する為手帳を捲りペンを走らせるあの指先が、今はオレの体液とローションでべたべたに濡れている。オレの身体を開こうとしている。そう思うと更に腰が重たく熱くなった。
 いやらしい行為の合間に普段の姿を想起して興奮するオレは、この田中秋生という男のことが心底好きなんだと思い知って堪らなくなる。
 早くしてほしい。オレだって隅々まであんたが見たい。素のままのあんたに触りたい。
 収まっていた指が抜かれ、散々高められていた性器も手放される。
 いきなり快感をぽんと脇に放り投げられて、宙に浮かされたように身体が落ち着かない。ごそごそと身を捩るオレをよそに、田中さんはオレの下にあるタオルの端で指先を拭い、自分のスラックスに手をかけた。前を寛げ、足を抜き、下着を放り出す。
 しっかりと反応している田中さんの性器に、隙間なく埋め込まれる感覚を予期して息を飲む。取り出した小袋の端を切ってコンドームをつけてから、田中さんは思い出したようにシャツのボタンに触れた。
 きっちりと上まで留められたままのそれを順に外しかけて、二つ目を弾いたところで止める。こぼれた溜息には隠しようのない焦燥が含まれていて、オレは反射的に身構えた。予想通り、オレの両足を抱え込んで浮かせ、田中さんが腰を押し付ける。
 根元を指で押さえながら田中さんが入ってくる。柔らかいと言われた通り抵抗は少なく、オレは固く保たれた田中さんの熱をスムーズに受け入れる。
 ぴたりと全てを押し込められて息を吐く間もなくゆるゆると抜かれる。奥を突き上げるというよりは周りを擦り上げるといった動きに背筋を仰け反らせて息を吐いた。中で脈打つ田中さんの性器が熱い。どこもかしこも熱くて堪らない。
 オレと同じように深く息を吐いた田中さんは、内股に触れていた手をするすると膝頭、脛、つま先へと滑らせた。熱い掌が何度も撫でて、指の一本一本を指できゅっと包み込む。体温を移すような優しい手つきが心地良い。
 ただ全身に巡った興奮のおかげで、既に先程より足は温まっていた。
 されるがままのオレを田中さんは黙って見下ろしている。その眼鏡越しの瞳の端が緩んでい
て、何となく不穏な空気を感じ取って顎を引く。
「まだ冷たいか?」
「……っ、田中さんなんか……っあ、機嫌良くないっスか……!」
「お前も何だかんだ年相応なんだなと思ってな」
「答えになってな――っあ、あ」
 そんな風に悠々と返して、田中さんは足を抱え直して再度腰を進めてくる。
 オレの焦れを早々に察していたらしい田中さんはやはり機嫌が良いらしく、時間をかけた動きでオレの中を擦り煽り立てていく。
 膨れ上がった性器がその存在を名一杯主張しながら押し入っては抜け出ていく動きは凄まじい快感を呼んだ。オレはびくびくと身をうち震わせながら息を吐き、覆い被さる田中さんの半端に乱れたシャツへと手を伸ばした。
 襟を掴んで引き寄せれば、開きっぱなしだった口に田中さんの唇が触れる。離れる寸前上唇だけに吸い付くのも田中さんの癖だ。
「ふ、は……っあ、あ……っ」
「……可愛げがあるってことだよ」
「い、ま、言わなくても、ん、ん」
 わざわざ唇に吹きかけるように絞った声で呟いて、田中さんはもう一度オレに口付けた。
 それを言うなら分かりやすく機嫌を良くしている田中さんだって可愛いのではと思ったが口にはしなかった。
 大人の余裕をちらつかせて笑う田中さんはちょっと戸惑うような格好良さがあって、もっとその顔を見ていたかった。オレも大概浮かれている。
 緩やかだった動きが少しずつ早くなる。
 腰が押し付けられる度、濡れそぼってガチガチのオレの性器が田中さんのシャツへ張り付いて染みを作っていた。皺を作っているところなど見たことのない、まめな田中さんらしい整ったシャツだ。
 申し訳ないような興奮するような、複雑な思いを抱きながらも田中さんを引き寄せるのは止めない。蕩ける快感に残っていた僅かな理性が塗り潰されていく。
「たなかさん、たなか、さ……っん、ん……!」
「は……彼方、っ……」
 切羽詰まった田中さんの声に訳が分からないほど煽られる。
 喘ぐオレの顔を至近距離で見つめていた田中さんは、濡れて震えるオレの性器を掴んで握り込んだ。引っ掛かっている自分のシャツに少し笑って、浮いてしまう腰を押さえ付けて浸入を深くする。
「ふ、は、あ、あ、あー……っ!」
 容赦なく追い立てられて喉を反らせた瞬間、視界の端で光が弾けた。
 擦り上げる田中さんの手によってあっさりと高められて細かく声を漏らしながら精液を吐き出す。とぷとぷとこぼれ落ちる温い精液を指に絡ませて、田中さんも小さく呻いてオレの中で達した。
 二人で掠れた吐息を交わしながら波のように追いかけてくる快感に浸る。
 ぼんやりと霞んだ思考のまま投げ出した足を擦れば、冷たかったシーツは肌と変わらないほどに熱と湿り気を帯びていた。

 任せきりなのは良くないと思ってはいるが、深くベッドに沈んだ身体はなかなか動いてはくれなかった。 床から拾い上げられた下着を身に付け、部屋着代わりに持ち込んだTシャツだけを着て寝転がる。
 視線の先では田中さんが汚れたタオルを脱衣所に運び、オレの残した服をまとめていた。最後に自分のスーツをハンガーにかけてもう一度脱衣所に消えた田中さんは、結局ずっと着たままだったシャツをやっと脱ぎ、緩いスウェット素材の寛いだ姿になって戻ってきた。
 ベッドの横に立つ田中さんに寝るスペースを譲るべく身体をずらす。
 田中さんは縁に腰かけたものの横にはならず、様子を伺うオレの顔を眺めて唇を緩ませた。
目の端が少しだけ赤いような気がする。
「田中さん?」
「……うん?」
「今更改めて照れてもどうしようもないと思うんスけど」
「言うなよ」
 図星だったらしい。オレは決まりが悪そうに頭を掻く田中さんの腕を掴んで引っ張った。
 あっけなく倒れ込んできた背中に抱きついてぎゅうぎゅうと力を込める。彼方おい眼鏡、とか何とか言いながら身を捩る田中さんの声は弾んでいてやっぱり機嫌が良いようだった。
 外した眼鏡をパソコンの隣に置くのを見届けてからもう一度強くしがみつく。
 田中さんが引っ張り上げた上掛けに包まりながら身体をぴたりとくっつけて、心地良い体温に埋もれる。もう冷たいところなんて一つもない。
「彼方」
「うーん」
「ちゃんと言わなくて悪かったな」
「……プリケツ親善大使」
 顔を押し付けた首が小さく揺れる。
 今更改めて照れてもどうしようもないぞ?と笑いを噛み殺しながら言われて、オレは思わず目の前の首筋に噛み付いた。