そういう関係

 

「藤崎断ちぃ!?」
 相も変わらずかったるそうに生徒会室にいる、置物会長から飛び出たあまりにもアホらしい言葉に、榛葉道流は律儀にも大声でリアクションをとっていた。気配りの効く彼である。当の本人はおん、と間の抜けた返事をするばかりで、自分で放り投げた厄介事、もとい話のネタに関して深い説明をする気はさらさら無いらしい。
 それならもういっそ放っておきたいと思うのだが、そうもいかないのが複雑な所である。 より良い学園生活を維持するため、そして自らの身をトラブルから守るため、それらは決して気軽に無視出来るものではないのだ。
 榛葉は周りの様子を伺った。誰も自分から行く気はないようである。
 それならば仕方ない、と彼は半ばヤケクソに覚悟を決めた。惚れるぜ榛葉道流。モテ男は伊達じゃないのだ。
「藤崎断ち……って、何なの、安形?」
「あ? まんまだよ。暫くアイツ構わねえことにした」
 やはりというか何というか。あまりにもあっけらかんと言われて、榛葉は身体の力が抜けるのを感じた。
「なーんか最近なぁ、アッチが常に臨戦態勢なんだわ。流石にそこまで忠実にガツガツいってたらマズいっつーことで、暫くアイツ断ち」
 くだらねっ!  思わず口に出しかけた言葉を、彼はやっとの思いで飲み込んだ。 女性もいるというのに、あまりにもあけすけな猥談である。というか下ネタ。いやむしろノロケだ。
 とにかく安形は暫く藤崎―お気に入りの、あのスケット団の藤崎祐助を「断つ」という。
 正直な所、続く訳ない、というのが皆の率直な感想である。安形は、その「お気に入り」に対して、周りが少なからず引くくらいの入れ込みようなのだ。
 そうそう長続きはしないだろう。ぼんやりと空を見る安形を横目に、榛葉は溜息を吐いた。
 ともかくそんな安形の唐突な思いつきにより、その「藤崎断ち」は始まった。もちろん、本人は全く知らぬままに。

  数日後、件のスケット団部室では、藤崎祐助その人が妙に落ち着かない様子でいた。 そわそわとしたその不自然な居住まいに他の二人が気付かない訳がなかったが、さて何としたものかと考えて未だ特に何も言うことはなかった。 というより二人とも大方の想像はついていたのだ。
 一愛は面倒事の雰囲気に肩をすくめ、和義は今ならつけ込む隙があるのでは、などとかなり邪な思いさえ抱いていた。 彼はいつもの如く無表情だったが、頭の中ではかなり過激な、それこそ祐助本人に知れたらパソコンごとはっ倒されかねないようなイメージ映像が繰り広げられてい
た。
 しかし残念ながら当の本人は別のことで頭がいっぱいのようだった。時折扉の方をちらりと振り返るのは、やはり来訪者を待っているからなのか。恐らくは該当者は唯一人である。生徒会会長、安形惣司郎だ。
 彼との関係性は実に微妙だと言えるだろう。祐助が言うには「からかわれている」らしいが、安形としては「付き合っている」という。
 この微妙なすれ違いは、端から見れば「いちゃこいてる」の一言で済まされてしまうものなのだが、当人ら――特に祐助にとってはかなり重要な差異であるらしかった。
 とかくあの安形のことである。口では色々と言っているが、どこまで本気か分かったものじゃない。というのが、祐助の自論だった。
 そうは言っても祐助自身、ついつい数日姿を見せない安形のことを気にかけてしまっているのだ。それが何を意味するか、理解しつつも、彼は容易に認めてしまうことを断固として拒んでいた。
「……だーっくそ!暇だな!」
「そうやなあ」
「そうだな」
 得体の知れない苛立ちをごまかす様に声を出してみるが、各々好きなことをしている部員からは気の無い言葉しか返ってこない。
 実はそれも祐助のその感情を見越した上でのあしらいだったりするのだ。けれどもちろん彼がそれに気付く訳もなかった。
 面倒くさいヤツやなあ。一愛はちらりと祐助を見てそんな感想を心の内でこぼした。しかしまあ、そんな所も愛おしいと思えばそうなのか。
 アタシも大概甘い、と人知れず苦笑をこぼして彼女は雑誌に視線を戻した。それからまた暫
く、部屋の中が静かになる。
「――さて、俺は用があるので先に帰らせてもらうが」
「おう、お疲れ」
 荷物を纏めた和義が立ち上がった。一愛は声をかけてから和義と一緒に、畳でもぞもぞと動いている彼の背中を見た。
「ボッスン、先に帰るぞ」
「――え、ああ。お疲れ」
 上の空である。身を起こし、和義の方を見てはいるが、どこかぼんやりとしている。 隣の男が纏う空気の微妙な変化に、一愛はこっそり溜息を吐いた。
 コイツも大概アレやな――肩を叩いてやりたくなりつつも、そのまま部室を出て行く和義の背を黙って見送った。

 落胆などした所でどうにもならない。分かりきっているのだが、それでも気持ちは重かった。 一愛には気付かれただろうか。彼女は聡い所があるから、もう見透かされてしまっているかもしれない。
 和義は伏せていた目線を上げ、前を見た。すると少し離れた所から、こちらに向かってくる人物がいた。
「あれ、キミスケット団の。今帰り?」
 甘い容貌とそれを際立たせるさり気ない仕草。生徒会庶務の榛葉道流だった。 特に面識がある訳でもなかったが、それなりに生徒会とは関わりがある。和義は背筋を伸ばして向き直った。
「他の二人は? まだ部室かな」
「ああ」
「って事は藤崎君も部室か……」
 藤崎? 榛葉から唐突に出た名前に、和義は眉をひそめた。 そんな彼の態度に気付いたのか、榛葉はそれがね、と心持ち言い難そうな口調で話してきた。
「うちの安形がさ……」
 安形。安形である。当然といえばそうなのだが。それでも和義はここにいない男に向かって舌打ちしたい気分だった。
「キミの所の――藤崎君、とまあ、アレじゃない?」
「……ああ」
「それが最近、安形あんまり彼と会ってないんだよね。その理由っていうのが、安形曰く「藤崎断ち」だって――」
「藤崎断ち?」
 何やら聞き逃せない言葉が飛び出した気がして、和義は思わず問い返していた。
 和義の反応に同調するように榛葉が肩を落としながら、そうなんだよ、と苦笑を混じらせて答える。
「そのまんま。藤崎君と会うのを控える、って意味らしいけど……何ていうか、ね」
「――下らないな」
「ホントだよ。まあアイツのことだから、そうやって彼の反応を楽しむ、みたいな考えなんだろうな」
 何とまあ羨ましい、否、忌々しいことだろうか。 和義は先程の祐助の様子を思い出していた。確かに男の思惑通り、彼は終始上の空で、恐らくは男のことに考えを巡らせていたのだろう。 これではつけ入る隙も何もあったものではない。和義は思わず拳を握り締めていた。
「そういう事だから、暫く安形は来ないと思うよ。最近は、生徒会室の私的利用も減ってるし
ね」
「……はあ」
「キミも色々大変だね」
 それとなく含まれた意味に、気付かない筈がなかった。煙に巻くことも考えたが、この男には無意味だと悟る。 挑発か、牽制か。和義が相手の真意を測りかねていると、榛葉が困ったように笑った。
「ああ、ごめん。そんな深い意味は無かったんだけど。でもそうか、ふーん。いや、安形もキミも、彼ってそんなにイイのかな?」
「……さあな」
「つれないねえ。何か俺も興味出てきたよ、彼に」
 そう言ってゆったりと微笑む榛葉を、和義は無言で見返した。 どうということはない。深い意味なら、今生まれた。
「長く引き止めて悪かったね、それじゃあ俺はこれで」
 男が去った後も、和義は暫くその場に留まっていた。部室に残っている筈の、彼のことを考えながら、一人。
 その内にようやく用事があったことを思い出し、彼は胸に残る感情を持て余しながら足を踏み出した。

 とまあこういった具合に、様々な人間の思惑やら困惑やら煩悩をよそに、安形の「藤崎断ち」は続いた。約二週間。
 二週間すると流石に祐助の余裕も無くなり始め、最初は何でもない風を装っていたにも関わらず、この頃は目に見えて落ち着かない素振りをしていた。
 見ていられない、と思ったのは一番近しい所にいた二人である。それ程までに気になるのなら自分からいけばいいものを。一愛は至極もっともな意見を持ちつつも、彼の様子を見てそれを言うことは躊躇われていた。 対して和義は――和義は、自分の感情のせめぎ合いを自覚しつつも、結局は何も出来ずにいた。
 それこそ自分の意思に沿うことも、祐助の意思に沿うことも、だ。とんだヘタレ具合だが、致し方ない。彼は彼なりに、この件とは全く関係の無い所で二週間悩み続けていたのだ。
 そんな中、件のスケット団部室に突然の来訪者が現れた。いや、性格には来訪者達が現れたのだ。 会長率いる、生徒会執行部である。
「よお、邪魔すんぜ」
 ノックの音に背を向けたままおざなりに返事をした祐助は、その聞き覚えのある声に思わず飛び起きていた。 ここ数週間とんと聞いていなかった声。
 扉に目を向けると、男はそこに立っていた。もちろん言わずもがな、安形惣司朗その人であ
る。
 彼は部室を眺め、部員一人一人に視線を移した後――ちなみに特に祐助を贔屓するような素振りは全く無かった――入ってもいいか、と誰にともなく尋ねた。
 言葉を失っているリーダーの代わりに一愛が渋々了承すると、安形は部屋の中へと入ってき
た。 その後ろには椿、榛葉、丹生、浅雛といった生徒会の面々が顔を揃えていた。彼らも安形に続いて入ってくる。
  一愛は動揺を隠せないでいるかの人を思いながらも、彼女自身彼ら、特に安形を訝しんでい
た。ちら、と和義を盗み見ると、無表情で、否、静かな激情を瞳に込めて、安形を見ていた。 そんな彼らの反応を気にも留めず、安形はのんびりとした口調で言う。
「お、何だ何だ。相変わらず暇そうだな」
「……そらいつもの事やけど。ちゅーか何やねん、この狭い部室にわらわらと。生徒会の皆さん方が何の用や」
「かっかっか、まあ何だ、普段から色々と世話になってるスケット団と、より親交を深めようと思ってな」
 嘘だ。よくもまあこんな白々しい嘘が吐けるものである。 何故か楽しそうな安形をよそに、他の役員達は我関せずといった風に傍観を決め込んでいる様子だった。
 榛葉は肩をすくめて苦笑するばかりであるし、椿は不本意だとでも言わんばかりに仏頂面だった。浅雛のポーカーフェイスの隣には、いつものゆったりとした笑顔を浮かべた丹生がいる。この二人はとかく何を思っているのかよく分からなかった。
 一愛は横目に件の部長を窺いながら、安形に向き直った。
「親交なあ……」
「おいおいそんな胡散臭そうな目すんなよ。なあ藤崎?」
 唐突の呼びかけに、祐助は端から見ても過剰な程反応した。逸らされていた視線が、安形のそれとかち合う。 彼は安形の視線に何故か一瞬身を強張らせ、微かに赤らめた顔でやっと口を開いた。
「な、何なんだよお前ら! ぞろぞろ来やがって、俺らに何の用があるってんだ!」
「ボッスンそれもうアタシが言うた……!」
「え? あ、おお! そういやそうだな!」
 明らかに狼狽してしどろもどろになっている祐助に、見ている周りが居た堪れなくなる。 そんな中でも安形一人はにやにやと何が楽しいのか、皆を眺めるふりをして祐助を観察していた。何か変態臭い、と榛葉はこっそり心の内で呟く。
 和義の最早敵意むき出しの視線を物ともせず、腰を下ろした安形は更に話を続ける。
「部長の許可も下りたことだしな。腰据えて話でもしねえか?」
「おっ、俺は別に許可なんてしてねえからな!」
「いいじゃねえか。藤崎、お前妙につっかかってくるな。何かあんのか?」
 ちら、と安形に横目で見られて、祐助は言葉に詰まった。安形その視線もうセクハラ、口にしかけた言葉を、再度榛葉は飲み込む。
「な、にもねえよ!大体アンタらが先にいきなり来て……!」
「暇なことだな」
 黙りこくっていた和義が、不意に口を挟んできた。視線は目の前のディスプレイにあるにも関わらず、その言葉は明らかに特定の人物に向けられていた。
 当人もそれを自覚したのか、和義の方に向き直ってきた。が、先に反応したのはその当人――安形ではなかった。
「どういう意味だ、笛吹」
 こちらも同じく一言も言葉を発していなかった椿が、聞き捨てならないといった風に言い返してきた。
 これはこれで面倒だな、つーかお前じゃねえ! と和義は内心舌を打ちつつも、つい律儀に言葉を返していた。
「そのままの意味だ。生徒会全員で一介の部室に押しかけてくる、なんて暇としか言いようが無いと思うが?」
「我々にはよりよい学園生活をサポートする義務がある。それには一つ一つの部活動に目を光らせておくことも重要だ」
「それはご苦労なことだ。その割には、一部活動に肩入れし過ぎているように見えるのは俺の気の所為か。余程時間があると窺える」
「随分自意識過剰だな。仮にそういった部活動があったとすれば、それは何らかの問題を起こしかねない団体と判断されているからだ。大体時間があって暇というなら貴様らのことだろう」
「ちょ、ちょおスイッチ! アンタ出張るとこ間違うてるわ!」
「椿ちゃんも、そんな熱くなんないでよ」
「そうですよ、たまたま今日は時間があっただけなんですし。私とっても楽しいですよー」
 何やらがやがやと騒がしくなり始めた場に反して、祐助は一人落ち着きを取り戻していた。 てか何だこの状況、そうツッコミたいのを堪えつつ、正面の男を見据える。
 安形は恐らくは自分の思いつきであろうことを弁解もせず、祐助を見ていた。その視線――射るような視線に晒される度に、祐助は緊張を感じた。
 この二週間全くと言っていい程会うことが無かったにも関わらず、安形の反応は実にあっさりとしたものだった。それに落胆したのか、苛立ちを覚えたのか、祐助は自分でも分からなかっ
た。ただ一つ思ったのは、安形の余裕が気に入らなかった。
 心の中に蓄積していた感情を抑えきれず、気付けば彼は口に出していた。
「アンタは……俺に何をさせたいんだよ!」
 端的に言うならば、彼のその発言はかなり大きく響いた。騒いでいた面々も祐助の方を向き、呆気に取られている。 言われた安形といえば、にやにやとした笑みを崩すこと無くさらりと言ってのけた。
「ここで言わせるのか?」
 何言ってんだコイツ、である。 先程まで言い合っていた和義と椿も毒気を抜かれた様子で彼を見ていた。 言ってしまった、と祐助は後悔しつつも、半ば開き直ったようで安形に向かって勢い良くまくし立てた。
「大体アンタ何なんだよ! ここ暫くずっと姿見せねえと思ったらいきなり来て、ごちゃごちゃ言いやがって……!」
「来ちゃ悪かったか?」
「そうじゃねえよ! つーか他に言うことあるだろ!」
「藤崎、お前俺に会いたかったのか」
「っ、はあ!?」
「答えろよ。会いたかったのか」
 完全に蚊帳の外の周りはさて置き、彼はもうほぼヤケクソのノリで叫んでいた。
「会いたかったっつーかおめーのことばっか考えてたわバーカ!」
 バーカバーカバーカ。聞こえる筈のないリフレインが響いていた。
 いつの間にか傍にいた一愛が、今度こそ和義の肩を叩いた。彼はやはり無表情のまま、安形を見ている。
 男、安形は――そうか、と一言呟いて不意に腰を上げた。窺うようにそれを見上げる他の役員に、今日はもう終わりな、と告げて部室を出て行こうとする。
 扉を開け、足を踏み出す前に、安形は振り向いた。こちらを真っ直ぐに見ている祐助に向かって、一言。
「来るか、藤崎」
 どこに、とは言わなかった。けれど祐助は確信を持って、その場所を思い浮かべていた。
 安形の背を見送って暫く経ってから、他の面々も腰を上げ始めた。興味深そうに部室を眺めていた丹生が、さっさとその場を後にする浅雛の後を追って出て行く。
 榛葉も椿の背中を押しながら、近くにいた和義の方へ顔を寄せ、小さな声で囁いた。
「彼、面白いけど今はなかなか難しそうだね」
 和義の射るような視線に微かに微笑んで、彼らも部室を後にした。残ったのはもちろん、いつもの部室と部員である。
「……あー、何かめっさ疲れたな。アタシ帰るわ」
「……俺も、帰らせてもらう」
「じゃあな、ボッスン。お疲れ」
 放心状態の彼を残して、二人は部室を出た。小さく溜息を吐いて歩き出す和義の背中を見ながら、一愛は押し寄せる疲労感に肩を落とした。
 さて、一人残った彼であるが――ひとしきり迷った後、彼、祐助は生徒会室の前にいた。
 中にいるであろう安形のことを考えつつも、先程の自分の言動を思い返して恥ずかしさに居た堪れなくもなっていた。 けれど、けれどあそこまで言ってしまった以上、後戻りは出来なかっ
た。扉に手をかけ、ゆっくりと開ける。
「よお」
 先程と同じ、余裕を滲ませた声だった。

「物欲しそうな目してんな」
「は、はあ!? んな事何で分かんだよ」
 奥にある会長用の椅子にゆったりと腰を掛け、安形は扉を背にして立ち尽くす祐助を見てい
た。 所在無くいるその姿にからかいを含めて言ってやると、すぐに反論してくる彼。 そんな態度も好ましく思いながら、安形は殊更低く、静かな声で言った。
「分かるに決まってんだろ。早くこっち来いよ」
「……う、」
 そろそろと祐助が足を踏み出す。一歩、二歩。安形を上目でちらちらと窺いながら、彼が近付いてきた。 机を隔てて前に立つ祐助に回り込むように言い、傍にきた彼の腰をすっと抱き寄せ
た。
「ちょっ……!」
 思わず身をよじりかけた祐助を制してより強く抱き締める。 彷徨っていた祐助の手が肩に置かれるのを感じて、安形はくつくつと笑った。
「なん、だよ」
「いや」
 腕を解くとこちらを睨むように見下ろしてくる祐助と目が合った。 戸惑いと困惑と、そして確かな情欲の兆しがその瞳にはあった。
 そろそろと腰や腕に手を這わせながら、安形はさも楽しそうに言う。
「スケット団の部長さーん、ここ生徒会室だぞ?」
「な……! いつもはんな事言わねーじゃねーか!」
「俺は事実を言ってるまでだ。――跨いで、脱げよ」
「はあ!?」
 相変わらずの余裕のまま、安形が一際トーンを落とした声で囁くように言った。 いきなりそこに含められた欲情に、顔が熱くなる。
「ここでいいだろ!」
「俺の上で脱げ」
「このっ……!」
 抗えない、と思った。安形のその声で言われると、抗うことを忘れてしまうようだった。 組んでいた長い足を下ろして、安形は机に頬杖をつきながら、ただ祐助を見ている。覚悟を決め、祐助はゆっくりと安形の膝の上を跨いだ。
 少し低い位置にある男の瞳は、祐助だけに向けられている。どうしようもない羞恥に駆られつつも、指をボタンにかけた。
「顔真っ赤。お前、本当に俺のこと好きだな」
「う、るせ……!」
 シャツを脱ぎ捨て、アンダーシャツに手をかける。首から抜こうとするが、安形の上にいる所為でなかなか上手くいかない。 勢いで脱いでしまおうと祐助が身体を揺らしていると、僅かに熱を帯びた声で男が言ってきた。
「何だ、焦らしてんのか? んな事覚えるぐらい飢えてたってか」
「ち、げーよ……! バカかアンタ!」
 やっとのことで脱いだアンダーシャツを下に落として、祐助は相手を睨んだ。
 安形は微かな笑いをこぼし、露になった横腹を辿りながら、下のハーフパンツに指を引っ掛けた。
「お、い……!」
「何とでも。腰、浮かせないと抜けねえだろ。下」
「う……! も、ちょっと黙れよ……!」
 安形の方へ身体を突き出すような格好になりながら、祐助は下の衣服を引き抜いた。 上から下まで、彼の素肌をゆっくりと眺め、安形は満足そうに笑った。
「よく出来ました。偉いなあ藤崎は」
「……は……」
「俺に会いたかったか?」
 唇が触れそうなくらいの位置で安形が囁く。
「……言う、か」
「いいぜ。言わせてやるよ」
 そう言った途端、安形は薄く開かれた祐助のそれに口付けた。 全く容赦のない行為に、祐助は思わず声を漏らす。
 くぐもったそれが二人きりの部屋に響いて、耳に反響するのが堪らない。
「――っ、ん……!」
「こっち見ろよ」
「ん、ん、あ……っ」
 舌を絡められ、一瞬離れた瞬間に囁かれる。正面から視線がぶつかった。 眼差しの強さに眩暈がする。唇を甘く噛まれて、背筋が震えた。
 安形は僅かに唇を離し、溶けそうな表情を浮かべて祐助の顔を覗き込んだ。
「いい顔すんなあお前……無茶苦茶にやりてえ気もあるがな、今日はやめとくぜ。――その代わり、」
「は……あ、」
「いけるだけいこうな、藤崎」
「あっ……あ……!」
 伸び上がり、祐助の耳元に顔を寄せた安形の吐息が熱い。 時折歯が耳に当たり、祐助は思わず一際大きな声を上げた。
 それを見越した安形がまた囁く。
「俺に跨って、俺に見られながら俺の上で服脱いで。恥ずかしいな、藤崎?」
「それ、や、めろ……!こ、えが……! 」
「ん? 俺の声好きだろ、お前。喋りながら耳噛んでやったら、泣きそうな顔で声出すじゃねえか」
 最早否定出来ない程に身体の熱は上がっていたが、それでも祐助は必死で首を振る。 先程から息を吹き込まれていた耳に、安形が突然舌を差し入れた。
「うあ……っ!」
 耳の中で反響する音のいやらしさに、祐助は堪らず身をよじった。
「ほら、堪んねえって顔してるだろ……耳で感じてんのか? それとも声か、言葉か?」
「やめろって、ん……っ!」
 安形の唇から逃れようと祐助は胸を反らせた。露になっていた肌が、より男と密着する。
 彼のその素振りに安形は喉の奥で笑い、耳に這わせていた舌を喉元に移動させながらそこに触れた。
「そんな押し付けなくても触ってやるよ」
「んっ、くっ……!」
 爪の先で引っ掻くようにして触れると、祐助は堪らず喉を鳴らした。片方の手は腰元を滑り、余す所なく身体を蹂躙している。 男の、安形に触れられるだけで、突き抜けるような快感が押し寄せた。
 ぐっと力を入れて背中を掻き抱く。全く着崩していない安形のシャツを、皺が寄るのも構わず思い切り掴んだ。
「あ、あ……っ」
 舌と指で攻め立てられて声が止まらない。口を押さえようにも手は安形の背に回していてそれも出来ずにいた。 結局はよりそれを求めるように、身体を押し付けるばかりだった。抗えない羞恥とどうしようもない快感。その二つのせめぎ合いがより身体を熱くして、思考を奪っていく。安形のことだけを考えるようになる。
「下、濡れてんな」
 ぽつりとこぼされたその言葉に、かっと身体が熱くなる。先程から感じていた湿り気を指摘されて、祐助は身を震わせた。 既に剥き出しのそこを指で辿られる。
 安形の指が、触れている。そう思うだけで、眩暈がする程の快感が押し寄せた。知らず知ら
ず、求めるように腰が揺れる。
「あ……っ、んん……っ!」
「……俺はな、会いたかった」
「んっ、な……っ」
 愛おしげにそこに触れながら、安形が殆ど吐息だけで囁いた。吹き込まれる言葉が、直接頭に響いてくるようだった。 安形は祐助の髪を撫ぜながら、瞳を覗き込む。
 ちらちらと覗く激情に、取り込まれそうになる。
「我慢の利かねえガキみたいになるのが怖かった。だからいっそ会わないでおこうかと思ったが……上手くいかねえな」
「ひっ……あっ、な、にっ……!」
「でももう止めるわ。いないお前のことばっか考えるのより、お前見ながらお前のことばっか考える方が、ずっと良い」
「やっぱり……ばっ……か、だろ、っ……! あん、た……っ」
「言うなよ」
 安形の言葉で、ずっとわだかまっていた感情が溶けるように流れ出していく。大概都合の良い自分の思考にうんざりしながらも、祐助は安形の背を抱く手に力を込めた。
 どこから出してきたのか、液状のそれを指に絡め、安形の指が中に入ってくる。 その間にも片方の手は胸や下を辿り、徐々に性感が高まっていく。
「んっ、ん……っ、あ、あ……」
「で、言わねえのか?」
「……っく、ん、はっ……?」
「会いたかったって、よ」
 安形の言葉に合わせて、体内を動き回る指に力が入ったのを感じる。堪らない感覚に思わず祐助が呻くと、安形は指を増やしながらしつこく言葉を続ける。
「言えよ」
「んっ……! あ、っあ……っく……!」
「藤崎」
 埋められた指は時折粗さを見せたかと思えば、焦らすように浅い所を何度も擽ってくる。 気が遠くなる程のその動きは、やがて新たな熱を求めるように身体が順応していくようにと、追い詰めていくものだった。
 抜ける寸前まで指が弾かれ、鉤のように曲げられた所で、耐え切れずに祐助は震える唇を開いた。
「ふっ……んな、の……! 見たら分かんだろこの――っうあ……っ!」
 まるで悲鳴のように祐助が言うのに続いて、今度こそ指が抜かれ、いつの間にか付けられていた薄い膜を纏ったそれが、圧迫感と共に押し入ってきた。 跨る体勢もあり、自重が加わった快感は凄まじく、とっさに祐助は喉を反らせて引き攣った声を漏らした。
 そこから先は、殆ど嵐のようだった。 がくがくと身体を揺さ振られ、前後不覚に陥りそうな程の快感が駆け巡る。 激しい動きと比例するように安形の腰かけている椅子が耳障りな音を立てていて、しかしそれにすら煽られていた。 今更ながらここが学校の、生徒会室であることを思い知る。けれど止められる筈が無かった。
「ひっ、あ、あっ……! うっ……!」
「藤崎」
「あ、うあ、っ……!あっ、ん……!」
「ふじさき」
 安形は呟くように祐助の名前を呼んでいた。その声を聴くことで、祐助は目の前の男のことをはっきりと感じる。
「んっ、あ、あがた、安形……!」
「――っ、ああ」
「……っ、あがた……」
 結局の所考えていたのは安形のことばかりで、自分でも馬鹿らしくなる程動揺していた。 そしてそれが自分だけでなく、相手もだということに、苦しささえ覚えるような甘い感情を噛みしめている。
 離れ難いと思っていても、口に出せる訳が無い。そんな性格じゃないことは、男もきっと分かりきっているだろう。 だからと祐助は抱き締める腕に力を込めた。
 安形はそれすらも理解しているかのように、小さく笑って動きを強くする。
「あ、あ、やば、むりもう、あがた……っ!」
「ん、出していいぜ――っ……!」
「う、あっ、ん、んっ、あっ、は、あっ……!」
 殆ど悲鳴のような声を上げて、祐助は高まりきった欲望を吐き出した。少し遅れて、安形が耳元で息を詰める。それにぞくぞくとした快感を覚えながらも、祐助は弛緩する身体をそのままに任せた。

「で、結局言ってくれねえの」
「……は?」
 後始末を終え、ぐったりと椅子にもたれ掛る祐助を尻目に、安形は口元をにやつかせながらそんなことを訊いてくる。
 大方の想像はつきながらも、祐助は逡巡していた。大体の事の起こりを思い出すと、むしろ文句の一つや二つ言ってやりたくなってくる。 そう思って安形を見る。
 目が合って、そして思わず溜息を吐いていた。 祐助は安形を手招きした。そして近寄ってきた男の腕を引き寄せ、椅子に座ったままその唇に口付ける。
 唇が離れるその瞬間、囁かれた「言葉」に、安形は至極満足そうに微笑んだ。

「仲良きことは美しきかな、や」
「っ、えっ!? い、今何つったヒメコ!?」
「いやあーべっつにー」
 今日も今日とて平和なスケット団部室では、いつもの面子がいつものようにぐだぐだとした時間を過ごしていた。
 何やかんやで我らが部長も生気を取り戻したようである、と、一愛は最早保護者のような気持ちでぼんやりと思う。
 もう一人の男は―色々と思う所はあるようだが、まあとりあえずは一段落、といった所か。
 事の真意は分からない。分からないけれども、ただ一つ、確定して言えることと言えば。
「痴話喧嘩、ってヤツやわな……」