blue summer blue

 

  じりじりと焼ける白い砂浜に、ただでさえ眩しい真夏の日差しが照り返す。
うんざりするほどの熱気。 湿度が高くないだけまだましだが、それでも暑い。暑過ぎる。額に浮く汗を鬱陶しく拭って、四宮は遠く揺らめく波打ち際を見つめていた。
「――どうしたんすか?」
 頭上から聞こえた声に、ビーチチェアに預けていた身体を少し持ち上げて仰ぎ見る。
 パラソルの下から覗き込んで顔を出す創真の手には、大きな青色のビーチボールが抱えられていた。
「あちーっすね」
「何だそれ」
「寮から持ってきたんす。ビーチバレー用に。一色先輩が持ってるのと二つ」
 得意気に掲げられたビニールの球体がきらりと輝く。ソーダ水を溶かしたような青は、空と海の間を透かして、その境界を一層曖昧にする。四宮は目を眇めてそれを眺めたが、やがて興味を無くし、身体をまた後ろへと倒してしまった。
「泳がないんすか?」
「……その内な」
「じゃあバレーします?」
「いや、いい」
 素っ気なく首を振る四宮にも、創真は臆することなく近付いてくる。目を閉じて顔を反らせる四宮を、創真がじっと覗き込む。
 近い距離に期待という程でもないものの、何か予感めいたものを感じ取って薄目を開けるが、四宮の眼前に広がっているのはビニールの球体だった。
 ぐいぐいと顔に押し付けんばかりに激しく主張されて、こめかみにぴくりと血管が浮く。
 苛立ったのはもちろん突き出されたボールが鬱陶しかったからだ。断じて掠めた甘やかな空気を足蹴にされたのが気に入らない訳ではない。
「バレーは」
「やらねえっつってるだろ」
 強められた語気に少し身構えたが、それで退くような男ではなかった。創真はビーチボールを抱えたまま、四宮の隣に敷かれたレジャーシートへと腰を下ろした。投げ出した足の間に置かれた球体が、出番を待ちくたびれたようにゆらゆらと揺れている。
「何だよ」
「休憩しようと思って」
「それ、持って行かなくていいのか」
「みんなまだ泳いでるんで大丈夫っすよ」
 その言葉通り、他の面々は各自好きなように遊んでいた。
 浅瀬ではしゃぐ女子の向こうで、豪快に泳ぐ一色。一番手前の砂浜では、アルディーニ兄弟が興味深そうによたよたと歩くカニを眺めている。
 その様子を創真はただ、四宮と並んで見ていた。
 次第に込み上げてくるどうしようもない焦れったさを溜息にして、四宮は顎を海へと向けてしゃくった。 
「行きたいなら構わず行けよ」
「嫌っす」
「あ?」
「だって先輩、付き合ってくれないじゃないっすか」
 いきなりの拗ねた物言いに、思わずぎょっとした四宮が創真の顔を見る。見上げてくる瞳には照れもなく、それが更にばつの悪さを増幅させる。
 何と答えたものかと言葉を探す四宮をよそに、創真は何かを思いついたようで、傍らのクーラーボックスをごそごそと探り始めていた。
やがて目当てのものを見つけたらしい創真がにやりと笑う。そのまま引っ張り出された青が、四宮の目の前にどんと突き出された。
「はい、どうぞ」
 触れる前からそのひんやりとした冷気が伝わってくる。
 受け取った青いアイスキャンディーの袋を破いて、四宮と創真は同時に口へと入れた。途端に横から殴られるような強い冷感と刺激が舌と歯を刺す。
 取り巻く気温が数度下がったと錯覚するほどの清涼感。色と反したグレープフルーツの安っぽい味が、喉を軽やかに滑っていく。
「さっぱりしました?」
 青い雫で唇を濡らした創真が笑う。四宮はその屈託の無い笑顔を眺めながらもう一度齧りついて頷いた。
 並んだ二人からはしゃくしゃくと、小気味の良い音がリズムよく聞こえてくる。
 一足先に食べ終わった四宮がゴミ袋に棒と袋を入れると、離れたところから呼ぶ声がした。
「そうまくーん! スイカ割りするよー!」
「おう!」
 田所の声に顔を上げた創真は、食べかけのそれと四宮を交互に見てから立ち上がった。
 躊躇うことなく四宮に先端が差し出される。口を開きかけたのを遮って創真が毒気なく言い放つ。
「どぞっす」
 唇に触れそうなぐらいまで近づけられて咄嗟に棒を掴むと、創真は満足そうに笑み、手招く皆のところへ駆けて行った。
 熱気に包まれて汗をかき始めるいじらしい涼をぼんやりと見つめる。垂れ出した滴が指先を濡らしたところで我に返り、四宮は思い切って残った欠片を口へ放り込んだ。味も冷たさも食感も、何一つ変わらないのに舌だけがやけに痺れている。
「……ああくそ、あついな」
 日差しか気温か、それとももっと別の何かか。
 いずれにせよ追い出しきれない火照りを覚えて、四宮は一人ごちる。
 ゴミを捨て、結局ぽつんと残された哀れなボールを拾い上げてビーチチェアから下りる。容赦のない太陽が、パラソルを離れた四宮を直に焼く。 僅かに感じた涼しさもすぐ立ち消えてしまったが致し方ない。
 冷やされた分は外に出るしかないし、何より新たに熱を入れられた胸の内は、仕掛けた当人に責任を取ってもらうしかない。
 近付いてきた四宮に気が付いた創真が手を上げる。
 思惑が成功してこの上なく嬉しそうな笑顔に向かって、涼しくあついその青色を投げ渡した。


総選挙センターカラーネタ

 

 忙しい、何でわざわざ俺が。そうこぼす四宮が必ずしも不機嫌では無いことに、もちろん創真は気付いていた。
 仕立てられた格調高いホールに集まる面々。
 見知った顔の中に一人混じるのは、フランスから戻ってきた魔術師と呼ばれる先駆者、四宮小次郎だ。
 殆どが一年生という面子に、その痩身ははっきりと目立っていた。唯一の二年生であり現遠月十傑第七席である一色と言葉を交わす姿には、学生には未だ届かない貫禄が漂っている。しかしその余裕を揺るがす違和感がそこにはあった。

 普段の姿とは打って変わって、きちんと制服を着込む一色と同様に、既に学園を卒業した四宮も、十数年ぶりの学生服に袖を通していた。
 白いラインの入った紺のジャケット、スラックス。シャツのボタンは外され、胸元にはストライプのタイが緩く巻かれている。
 たしかに違和感はあれど、それを感じさせない悠然とした着こなしではあった。そのそつの無さには正直敬服せざるを得ない。

 そもそも何故皆がこうして集められているのか。その確たる理由は実の所知らされていなかった。
 遠月十傑経由で依頼が来たことは事実だがその内容も曖昧で、あくまで広報用の写真撮影という名目だった。それが何の広報になるのか、詳しい所は結局集められたこの場でも明言されないままだった。
 俯瞰撮影用のカメラが高く上がり、並んだ皆を中央から見下ろす。 レンズを見つめてワンショット。続けざまに何枚か撮って、撮影自体はそれほど時間をかけず終わった。
 終了の合図に、張り詰めていた空気が多少緩む。
 慌ただしく機材を搬出して撤収する広報係と共に、各々が帰路につくべく歩き出す中、創真は背後を振り返った。それを予感していたように、後方に立っていた四宮と視線がかち合う。
 周りに声をかけながらさり気なく逆行する創真を、訝しがる者は一人もいなかった。
 ホールには既に、創真と四宮しか残されていない。 正面から向き合っても、四宮の取り澄まされた表情は揺らがない。
 こうして直に顔を合わせるのは久々だった。 それでも特別互いにかしこまって、ぎこちなさを覚えている訳ではなかった。
 何から話すべきか。やはり制服については二言三言言っておきたい。創真はその企みに笑ん
で、四宮の姿を改めて眺める。
 開かれた襟口から覗く首元。拘束とは程遠くやんわりと結ばれたそれに目がいって、指先でその端をひょいとつまみあげる。
「タイ、ちゃんと締めてないんすね」
「お前だって制服じゃねえだろうが」
 指を絡め、ほんの少し引っ張りながら煽るようにして言うと、四宮は鼻を鳴らしてさらりと言い返してきた。
 今更真面目に着込んでも仕方ねえ。嘆息する姿には多少の照れが滲んでいるものの、何だかんだ満更ではない様子だった。
 創真はタイの先を引っ張ったままひらひらと手遊ぶ。皺一つないシャツの襟がタイに振り回されるようにはためき、尖った喉仏をくっきりと際立たせる。
 背筋を伸ばし、指先から爪先まで神経を張り巡らせて立つ男が見せる緩み。ファッションの一環、他愛ない戯れの一つだとしても、生憎とそう易々と流してしまえるような関係性ではなかった。
 指を滑るストライプの生地を掴み直して創真はもう一歩近付く。
 見下ろしてくる瞳を呼び寄せるようにタイを引くと、されるがまま四宮の顔が距離を詰めてくる。
「もしかして脱がされたいとか、そういう?」
「ならお前のは着せ替えられたいってことか」
 どっちにしろ脱ぐんすね、とからかいながら返せば小さく笑いをこぼされる。その吐き出された息がやけに生々しく湿っていて、創真は内心少しだけたじろいだ。
 単なる先輩と後輩の境目に気まぐれに混じる密やかな気配に少しずつ意識をさらわれる。踏み入ったり離れたり、どちらかが明確な言葉にするまでそれは続く。互いに譲らない追いかけあいはむず痒くもどうしようもなく愛おしい。
 それとは分からないほど僅かにいかがわしく緩む眼鏡の奥の瞳を睨んで、次の誘いを待つ。
「脱がせに来るか?」
「着せ替えたいんすよね?」
 絡みつく挑発に顔を見合わせてひっそりと笑う。
 創真がタイを解放するのと同時に四宮の手が伸びて、同じように端の部分に触れる。 整った指先が静かに布地を押さえる。たったそれだけのことに既に誤魔化せないほど煽られている。
 焦げついた視線が一瞬だけ交わり、四宮は満足気に唇を緩めてじゃあなと創真の横を擦り抜けていく。
 振り返り、見慣れない背中を創真は眺める。呼び出しの電話はそれほど待たずにかかってくるに違いない。その時にはもう四宮も普段の装いに戻っているだろう。
 自分が知り得ない過去を想起させる姿に、顔を出していた些細な疎外感も最早無い。いずれにせよ箍は緩められているし、それに結局、脱ぐなら一緒だ。
 どこかあくどい笑みを浮かべて、創真もホールを後にする。
 いっそのこと乗り上げてわざとらしく、どうせなら先輩のを着させてくださいとでも言ってやろうか。
 その言葉に眉を潜めて神経質な瞳を光らせる四宮が、必ずしも不機嫌でない――いやむしろ上機嫌であることに、気付くのは無論創真だけだった。


思いのまま

 

「じゃあ俺帰るんで」
「おう……あ?」
 声をかけてから立ち上がった俺を、眼鏡の奥の瞳が怪訝そうに見る。
 その何となく威圧的な雰囲気に、俺は床に置いていた鞄に伸ばしかけていた手を引っ込めて制止した。
「泊まっていくんじゃねえのか」
「へ?いや帰りますけど」
 問いかける低い声に、そうきっぱりと言い切ってから、もう一度鞄を取ろうと身を屈める。しかし俺の指先が鞄に触れる前に、伸びてきた手に肩を掴まれた。そのまま強く引っ張られ、また背後のソファへと腰かけさせられる。強く弾むスプリングに強引に身体が沈む。衝撃でずるりと座面から滑り落ちそうになりながら、俺は隣の師匠、四宮先輩をちらりと伺った。
 読み取り難い表情の奥に、不満が見え隠れしている。無言の圧に折れた俺は、その目を見据えながら口を開いた。
「無理っすよ、外泊届出してねえし」
「そんなもんいるのか」
「そりゃいりますよ」
「めんどくせえな……俺が言えば何でもねえだろ。電話貸せ」
「いや、こんなことで元十傑第一席の名前使ったらマズイんじゃないっすか」
 俺のもっともな指摘にも、四宮先輩は不満げに鼻を鳴らしただけだった。
 苦々しい顔で目を細める表情は気だるく、ささくれだっていて、俺はその珍しく焦れた様子
に、緩みかける頬をやっとのことで引き締めていた。毅然とした態度が揺れ、普段は覆い隠している部分が露になる様は、俺に少しだけ優越感を抱かせる。もちろん、先輩には言っていない。
 揺れない俺の態度と、暮れていく窓ガラス越しの空に目を向けて、先輩は小さく溜息を吐く。そして様子を伺う俺に顔を寄せて、近い距離のまま、限界まで絞った声で呟いた。
「帰んなよ」
 ――限られた時間の合間に、休日の俺を呼びつけ、明日にはまた忙しく動き回って、フランスへ発つ。そんな先輩に向けて、俺なりに気を遣ってみたものの、あまり気に入る内容ではなかったらしい。
「……今のなんかいいっすね、ドキッとしたっす」
 堂々と言われてしまえば返す言葉もなく、俺は素直に波打った心中を認めてから、鞄を引き寄せた。中に入れていたスマートフォンを取り出して、じっと視線を注ぐ先輩に向かって声をかける。
「後で出しに行ったらいいか、ふみ緒さんに確認するんで、待ってください」
「最初からそうすりゃよかっただろうが」
「俺に我慢我慢って言う割には、先輩も出来てないっすよね」
「お前は本当に可愛いげがねえな」
 苛立った口調もさらりとかわし、俺は呼び出した番号に電話をかけた。程なくして通話に応じたふみ緒さんは、必ず後で極星寮へ寄るようにと念を押しつつ了承してくれた。
 スマートフォンを離し、通話を切ろうとする前に、腕を掴まれてそのまま引き寄せられる。ぶつかるようにして重なった唇からはすぐに舌が潜り込んできて、するすると手早く、的確に俺の欲を引き出そうと動いている。敏感な舌先を柔く吸い上げられて、口の間からぴちゃりと湿った音が漏れる。
 濡れた唇も合わせて吸われ、顔を離された時には、正直もうすっかり生温い快感に浸りきっていた。
「……電話切れてなかったらどうするんすか」
「そんなヘマ俺がすると思うか?」
 手首に絡んだ指が、さりげなく通話を切るべく画面に触れていたことにもちろん気付いてい
る。それでもその鼻で笑う姿に何となく反抗心を覚えて、俺は結局動かせないまま床に鎮座している鞄を見つめて呟いた。
「やっぱり夜帰るかな」
「ガキが、補導されるぞ」
「されたら先輩迎えに来てくれます?」
「俺はお前の保護者じゃねえよ」
「知ってますよ」
 だって恋人じゃないっすか。
 答えてから、両手を眼鏡のつるへと伸ばす。そのまま抜き取った俺の手から眼鏡を奪い取っ
て、先輩は空になった俺の手を口へと運ぶと、薄い唇を指先に這わせて舌を触れさせた。
 絡められた熱い息と、ぬるぬると滑っていく舌の感触に身体が強張る。掌を舐める先輩の目
が、指の間から俺をとらえて、じっとりと熱を持った視線に射すくめられて息を飲む。
「分かってるならここにいろ、幸平」
 普段と変わらない威圧的な態度の割に、どこか口ぶりに余裕が無い。思わずにやついた俺を咎めるように、掌を噛まれて刺激が走る。
「やーでも、どっちにしろ寮には行かねーと」
「……お前、後で覚えておけよ」
 緩く返す俺を睨む瞳の奥はどこか柔らかい。見え隠れしていた不満は消え去り、漂う空気も穏やかに緩んでいる。
 思っていた気遣いは上手くいかなかったものの、そのやすらいだ姿に、俺は一人こっそりと笑いをこぼした。