四創/線を引く四宮

 

 四宮小次郎にはルールがあった。
 自らの胸の内で定めた主義、一度決めたそれを曲げることなく貫き通し、自分という人間の軸をぶれさせない。
 そうあることで、例えどんな状況であっても前を見て躍進できる。そう考えていた。
 だから彼は覆す訳にはいかなかった。例えそれをどんなに揺さ振り、誘引する事実があったとしても。

 人通りの多い駅のコンコース、そこに併設する小さな喫茶店で、四宮は薄いコーヒーに溜息を吐いていた。
 エスプレッソに舌が慣れたからだとか、そんな前提で済む話ではない。混み合う店内と慌ただしいスタッフ、恐らく調理場も手が回っていないのだろうが、それにしてもあまりに投げやり過ぎている。 香りも味も遠く霞がかったようにぼやけたそれに、四宮はおざなりな手つきでミルクを入れて、時計を見た。
 そのおおよそ立ち寄りそうにない場所に彼がいる理由。彼は人を待っていた。
 十は年下のその男。過去に彼が通っていた學園の後輩で一度、本気でやり合わんと牙を剥き、挑みかかってきた男だ。
 確かにそれなりの腕はあったが、それでも生意気なことに変わりはない。食えないガキだとあしらって別れてその後、日本に店を構えるべく戻ってきた四宮が、研修生として迎え入れることになったのも、驚くことにその男だった。
 それでも以前とはまた違った立場で四宮は彼と向き合い、研修自体は無事終わらせることが出来た。
 しかし――何の因果か、はたまた本気でヤキが回ったのか、四宮はその子供にあろうことか、個人的な情を向けるようになっていた。
 正直この辺りのことを真剣に考え始めると、四宮自身多少居心地が悪い。
 相手はまだまだ青臭い子供で、料理以外に強い関心を持つことがあるのかどうかすら怪しい。それに重ねていうが本当に小生意気だった。
 しかしその飽くなき探求心とこだわり、物怖じしない姿勢を、好ましく思ったのも事実だっ
た。
 結局寄せられる邪気のない敬意に好意が混ざるよう振る舞い、触れて許した。あとはもう、なるようになるしかなかった。
 緩やかに進む時計の針を睨みながら、四宮は考える。 触れたといっても、肩に手を置いただけだ。他には何もしていない。
 見上げてくる曇りの無い目に指があと少しの所まで伸びかけたが押し留めた。
  脳裏にはあらゆる躊躇いが過っていた。 相手は遠月の在学生、しかもまだ十五。この勢いで手を及ぼしてしまうのは、流石に時期尚早に思えた。
 世間一般における体裁という面でも、冷静な頭が歯止めをかける。生半可な心積もりで踏み込めばそれこそ洒落にならないことになるだろう。
 だから四宮はルールを引いた。相手が年を重ねるまで――人として、料理人として成長し、自立するまで。
 それまでは決して手を出さない。一定の距離を持ってして、関わる。そう律した。
「四宮先輩!」
 名前を呼ぶ声に、四宮は時計から目を離す。入り口を見ると、中を伺う創真と目が合う。
 入ってこようとするのを手で制し、四宮は伝票を取って立ち上がった。

 残された少ない滞在時間を調整し、研修を終えた創真を拾って出歩く。 行先はたいてい決まっていなかった。
 といっても今日のこの日が二度目の約束で、前回も今も突発的に行っているから当然ではあった。
 明るく華やかな夜の通りを歩きながらとりとめない話をする。自分の話をすることに多少抵抗を覚えていた四宮だったが、今ではそれほど構えることなく話すようになっていた。 仕方がなかった。料理に対する興味と同じように、ひたむきな視線を下から向け続けられては根負けするしかない。
 最近はどうにもそれを自覚している節があるらしく、ことあるごとにじっと覗き込んでくるようになっていた。まったくもって始末が悪い。
「なんか最近増えてるんですよね、コーヒー専門店」
 鼻腔を擽る香りに、敏感に反応を示した創真がふと呟いた。確かにここ最近の日本にはコーヒーの波がきていると聞く。
 カウンターコーヒーから始まり、サードウェーブコーヒー。パリも含め世界のコーヒースタンドが東京へと集まり、一方でコンビニ、缶コーヒーといった手軽さの中にも、 プレミアム色が用いられる傾向にある。
 創真は興味をそそられたように、その店先をじっと眺めていた。時折眼差しに真剣な色が差し込むのは恐らく、香りに集中しているからだろう。
 ――香り。まだ大まかに聞いただけだったが、その素養を最大限に活かし、唯一無二の地点まで昇華させる男と、秋の選抜で戦ったことは知っていた。
 このコーヒー店自体が丸ごと料理に関わってくるかと言えばそうではないだろう。しかし創真の中の向上心は更に範囲を広げつつある。
 少しでも関心が向けば試したい。あらゆる可能性に蓋をすることなく前だけを見るその姿勢はやはり好ましく、四宮は立ち止まって創真を呼び止めた。
「入るか」
「え? いやでも先輩さっきコーヒー飲んでなかったっすか?」
「あれはカウントしなくていい。行くぞ」
 そう言って中に入る四宮を、創真が追いかけてくる。店内はなかなかに混み合っていたが、比較的すぐ注文することができた。
 内装はカジュアルなスタイルで統一されていた。バリスタの手つきにはムラが無く、丁寧だった。
 端の席に座り、向かい合ってエスプレッソを一口飲む。滑らかに抜ける香りと、後味に残るフルーティーなアクセントが舌を撫ぜていく。悪くない。
 多少雑然としている空気が気にはなるが、居心地が悪いという程でもない。
「いい香りっすね」
「ああ。悪くねえな」
「あ、そういや先輩、さっきのあれ。何でカウントしなくていいって言ったんすか?」
 創真の問いかけに、四宮はその顔を見た。黙って視線だけ寄越す四宮にも、創真は臆することなく見つめ返してくる。
 カップへ口をつけ、間を持たせてから、四宮は緩慢に答えた。
「お前がいなかった」
「へ?」
「お前がいなかったからだ。それ以外に理由がいるか?」
 例えあの店のコーヒーが至上の美味さであろうが、はたまた最悪の味であろうが関係は無い。
 あの時の焦れと飢えは、一人でいる限り満たされない。つまりはそういうことだった。
 その答えは四宮からすればかなり露骨だったが、案の定すぐには伝わらなかったらしい。創真はぽかんとした顔を暫く向けていた。
 しかし構わずコーヒーを飲み続ける四宮を見ている内に、その意図に思い立ったらしい。呆気に取られた顔が年相応に緩み、細められた瞳が四宮をとらえて惹きつける。
「へえ、そーなんすか」
「ああ、そうなんだよ」
 呑気に、しかしどこまでも柔らかくそう返されて、平静を装いながら頷く。
 満足げに綻ぶ口元がカップに近付くのを眺めながら、四宮はひっそりと嘆息する。
 しかしこれでは本当に、ガキそのものの付き合い方だ。色気もへったくれもあったものじゃない。
 自らが線を引いておきながら、四宮はその基盤が早々に揺れ始めているのを感じ取っていた。 それでも、覆してはならない。
 一度決めた以上、目の前に何をぶら下げられようとも、手を出す訳にはいかないのだ。
「だから先輩、いつにも増して難しい顔してたんすね。俺と目が合ったら普通だったんで、何かあったのかなーって思ってたんすけど」
 ぴくり、と四宮のこめかみに血管が浮く。つい先程掲げ直したそれを根本から破壊せんとする創真の言葉を、やっとのことで耐え凌ぐ。
 ――本当に、どこまでも、癖の悪い子供だ。四宮の思惑を知ってか知らずか、創真はカップから口を離して、躊躇うことなく真正面から微笑みかけてきた。

 店を出て帰路につく頃には、四宮の心情も落ち着きを取り戻していた。
 もう夜も遅い。お互い明日のスケジュールに響かぬよう、戻らなければならない。
 拳一つ分程の隙間を空けた近い距離で、行き交う人を縫うように歩く。意識せずとも並んで歩けるようになったことは、素直に喜ばしいと四宮は思っていた。
「あ、先輩ちょっといいっすか」
 ふと創真が足を止め、四宮を呼ぶ。駅と繋がっている百貨店に寄りたいという創真に、四宮は黙って付き合う。
 食料品や輸入品、あらゆるものを品定めするように眺めている姿には、料理人の研ぎ澄まされた空気が漂っていた。
 未だ研修中ということもあり、わざわざ聞くことはなかったが、また色々と思考を巡らせているに違いない。
 ひとしきり四宮を突き合わせて満足した創真と、今度こそホームへ向かう。近くのエレベーターに乗り込んで扉を閉める。
 二人きりになり、途端に広がる沈黙は、今夜初めて味わう静けさだった。
「……今日はありがとうございました」
 口火を切ったのは創真だった。四宮はその控えめな声に、階数表示に向けていた視線を下ろして、表情を伺う。
「四宮先輩って意外とまめなんすね」
「意外と、ってのは何だよ」
「いや、なんか他の先輩方に「四宮は長続きしない」とか聞いてたんで」
「……それが不満か?」
 脳裏に浮かぶ件の面々の面白がる顔を打ち消して、四宮は問いかける。 創真は一瞬虚をつかれたような顔を見せたが、すぐに首を横に振り、否定した。
「そんなことないっす。嬉しいっすよ、すごく」
「ならいいだろうが」
「嬉しいんすけど、何ていうか……埋められてない気がして」
「何がだ」
「距離っつーか、空気っつーか、うまく言えないんすけど、そういうのがまだあるんじゃないかって」
 四宮はその瞳をじっと見下ろした。本気で思案する様子には、カマをかけているような素振りは見られない。
 となると自分自身よく分かっていない焦燥を、創真は感じているらしかった。 それに対する答えを、四宮は持ち合わせていた。
 しかし悲しきかなそれは心に敷いたルールに抵触する。だから実行することはおろか、口にすることすら叶わない。
 いや、口に出来ないのは単純に、四宮が自制できなくなると予期していたからだった。 どちらにせよ、答えを差し出す訳にはいかない。
 四宮は強引に創真から目を逸らし、階数表示を再度睨んだ。早くホームへ着くことだけを考える。急げ、頼むからもう揺らがせないでくれ。
「四宮先輩」
 名前を呼ばれ、四宮は反射的に身体を向けた。すると突然左手を掴まれ、下へと引っ張られ
る。
 体重をかけて落とされ身を屈める四宮に、創真が顔を近付けてきた。
 ――眼鏡が当たる。最初に考えたのは、それこそそんな色気も何もない考えだった。
「――こういうこと、なんすかね」
 鼻先が触れそうな距離で、創真が呟く。散々言っておきながら、またこの子供にまんまと乗せられてしまったのか。
 ――いや、それとも考えを巡らせる中で思い至り、咄嗟の行動に移したのか。経緯はどうあ
れ、創真が四宮の出した答えと同じそれに行き着いたのは確かだった。
 覆い被さるような厄介な姿勢のまま、四宮はその瞳を覗き込んだ。 真っ直ぐな視線が突き刺さる。
 変わることなく向けられるその実直さに、抑えきれない衝動が込み上げる。しかし、それで
も――
 振り切れそうな心にもう一度蓋をして、四宮は背筋を伸ばし、創真から身体を離した。
「……えっと、なんか、すんません」
 少しだけ気落ちした様子の声に、罪悪感が刺激される。四宮は大きく息を吐くと、先程まで自分を捕まえていた手を取り、己のそれと緩く絡ませた。
 そしてもう一度だけ身を屈め、その唇に含ませるように、間近で告げる。
「幸平」
「……うっす」
「好きだ」
「――は?」
「足りなきゃ何度でも言ってやる。だから……待て」
 創真の瞳が見開かれる。言葉の端に滲んだ切なさを、四宮は隠そうとしなかった。
 これはあくまで自分が定めた線引きだ。だからそれを相手にも強いる以上、年上の男として、堪え切れない思いをすくい上げる義務がある。そう、改めて感じていた。
 創真は少し戸惑うように視線を彷徨わせたが、やがて四宮の目を見て頷いた。 恐らくその思いは伝わっている。
 何だかんだと聡い男だ、最初から引かれた線に何となく、気付いてはいたのだろう。これはきっと、口にしてみたかった我儘なのだ。
「――じゃあ、もう一回言ってくださいよ」
「調子づきやがって」
「だって足りなきゃ何度でもって……あ、やっぱりいいっす」
「何だよ急に」
 朗らかな笑顔を浮かべた創真は、未だ繋がったままの手を持ち上げた。
 指先を絡めたその手を見て、悪戯を仕掛ける子供じみた顔で、創真は耳打ちするように囁いてくる。
「やっぱりいいんで、上に着くまでこの手、このままにしてましょうよ」
 セーフか、アウトか。自分の中の両天秤にかけようとして、四宮はそれを放棄する。
 仕方がない。言葉にする代わりにと言われれば、叶えてやる他に術はないだろう。
 それにエレベーターが到着するまであと数分、その少しの間だけなのだから。 我儘をすくい上げてやるのも、大人としてのつとめと言えない訳でもない。
 四宮は黙って指先を引き寄せ、一層強く絡ませた。

 四宮小次郎にはルールがあった。
 自らの胸の内で定めた主義、一度決めたそれを曲げることなく貫き通し、自分という人間の軸をぶれさせない。
 そうあることで、例えどんな状況であっても前を見て躍進できる。そう考えていた。
 四宮を揺さ振り、誘引する事実はなかなかに手強い。しかしながらその中のあるルールは徐々に、時間の流れに呼応するように緩められていく。
 それを怠惰と呼ぶかは四宮次第だったが――恐らくきっと、そうはならないだろう。
 引かれたルールも、それを揺るがす思いも、全ては彼に通じている。
 四宮が心をとらわれてやまない彼。彼と見据える未来がある以上、名前を付けるとしたらそれはやはり、愛情と呼ばざるを得ないのだから。


四創/線を引かない四宮に悩む創真

 

 幸平創真は戸惑っていた。
 後悔ではない。意思確認の時間は十分にあったし、決して決断を急がせるような環境でも無かった。
 互いに了承済みの上、いや何なら自分から多少、けしかけた節さえあった。
 しかしながら目を覚ました彼には戸惑いがあった。改めて思うその事実、自分はとてつもなく重大なことを選び、そして相手に選ばせたという現実だ。

 目覚めたすぐには違和感も何もなく、創真はゆっくりと身体を起こした。
 時間を確認しようとして振り返り、初めてその変化に気付く。そこにあるのはここ最近目にしていたスタッフルームの壁ではない。
 寝ている場所もソファではなく、心地良くスプリングが弾むベッドだった。そして何より、服を着ていない。
「……あー」
 覚醒し始めた頭がこれまでの出来事を綺麗に蘇らせていく。 終わった研修、その中での会話、男の言葉――そう、男だ。この部屋の主であり昨夜散々話をした男。
 話すだけでは飽き足らず結局こうしてなるようになってしまったその人を、創真は探そうとした。が、その必要はなかった。
 すぐ傍から聞こえる衣擦れの音にどきりとして見下ろす。普段よりも更に尖った瞳が、薄く開いたところだった。
「は、よございます」
「……おう」
 仰向けに寝ていたその男、四宮は、見下ろしてくる創真の視線をまるで強い日差しのように目を眇めて受けた。
 何となく動けずにいる創真に向かって、徐に手が伸びてくる。持ち上げたもののその指は行き先を探して彷徨い、最終的に何故か創真の――鼻に辿り着いた。
「なん、すか」
「今何時だ」
「えっと……」
 鼻をつままれながら創真は視線を巡らせる。 男の背後にかかっている時計を見つけて、そのままの状態で文字盤を読む。
「五時、っすね」
「流石にまだ早いな」
「はあ……あの、いい加減離してもらえると嬉しいんすけど」
 創真の反応に眼鏡を介さない剥き出しの瞳がすっと細くなる。 創真はふと強烈な既視感を覚えて、すぐにその理由に思い至った。
 身体の隅々まで向けられた視線、薄闇の中見上げたその、熱を持った瞳の色。 連鎖するようにどろりと溶け出す濃い空気を思い出して、背筋が強張る。
「寝惚けた面だな」
 叩かれた憎まれ口にも、今はどこか色気を感じる。
 言い返す言葉を探して、創真はその人らしからぬ癖のついた前髪に触れた。
「……先輩だって髪、乱れてるっすよ」
「お前よりマシだ」
 自分で確認した訳でもないのにそう言ってのけて、漸く鼻を解放した指が、そのまま頬へと滑っていく。
 それとは反対の手で髪を弄る手首を掴まれ、その微妙な変化に気付く。
 頬から首の裏に回った指に力が入り、強く引き寄せられる。抱き込まんする手つきに創真は手をついて耐え、見上げてくる四宮の思惑を遮る。
「い、やちょっと! 起きましょうよ」
「……あ?」
「朝飯食いません? 早いっすけど」
 四宮は暫し押し黙り、やがて諦めたように気怠く溜息を吐いた。 手を離し、緩慢な動作で身体を起こす。
 着崩したシャツから肌が覗く姿は、 乱れた髪と同じく新鮮に映る。 起きてすぐに覚えた戸惑いがまたちらつく気がして、創真は落ちていた服を羽織り、早々にベッドから抜け出した。

 朝食は創真が作った。献立は、オーソドックスな和食にした。 冷蔵庫の中にはそれなりに食材があったし、米も炊ける。和食器も一通り揃っていた。
 設えられたダイニングテーブルで向かい合って食事をしながら、創真はぼんやりと四宮の様子を伺っていた。
 寝起きに比べて身形は整っている。しかしどこか顔つきが剣呑なのはやはり、先程のやりとりが引っ掛かっているのだろうか。
 それでも料理に手をつけ、咀嚼する時は多少和らいでいるように見える。 それに若干の誇らしさを覚えながら観察を続けていると、煮浸しに視線を向けたまま四宮が唐突に言ってきた。
「何か考えてるだろ」
 いきなり確信を突かれ、流石に動揺する。分かりやすく態度に出していたつもりは無かった
が、よくよく考えれば遠慮のない視線を向けていたのだ。
 勘ぐられて当然ともいえる。 創真は少し考えて、結局特に取り繕うことなく頷いた。
「――ホント、めちゃくちゃ勘良いっすよね」
 機微に敏感なのはその実、当人が繊細で思慮深いからだ。そんな考察も込めてしみじみと、感嘆するように言うと、まんざらでもなさそうに四宮の目つきが緩む。
「それで? 何が言いたいんだよ」
「……いや、何つーか、結局俺は色々と先輩に投げたのかなって」
 創真は思ったままをそのまま口にする。しかしそれはあまり要領を得ない答えになってしまった。
 投げたのはつまり、責任だとかそういった話だ。最終的にこうなることを選んだが、それには当然ながらあらゆる制限が付き纏う。
 そして相手が自分より年上である以上、その皺寄せはより多く、そちらへと向けられることになるだろう。
 昨夜も考えなかった訳ではない。ただそれよりも四宮の許容範囲に、踏み入るという事実に気を取られていた。
 つまるところその躊躇いが、朝になって戸惑いに変わったのだ。
「なるほど、そういうことか」
 言葉を補う前に、その聡い男は察したように頷いた。
 そして出汁の匂いが香り立つ味噌汁を持ち上げ一口飲み、それを十分に味わってから口を開いた。
「大したことじゃねえな」
「そう、なんすか?」
「俺にふっかかるリスクを考えてるならな。離れなければいい話だ」
 何なら誓いでも立てるか? そう言って四宮は椀を置き、笑ってみせる。 その揺るぎない口調と姿勢に、創真は少しだけ呆気に取られた。
 自信家だが、それ以上にシニカルな目を持った男からすれば、夢見がちとすらいえる言い分
だ。
 ――もちろんそれが、自分に対する気遣いという側面を含んでいるというのは伝わってくる。それでもやはり、それ以外の根拠を知りたくて追いかける。
「そんなこと言っちゃっていいんすか」
 からかいを含ませて言ったものの、響いた言葉には固さがあった。 四宮は厚焼き玉子に伸びかけた箸を留める。
 言われた言葉とは逆に、柔らかく折り重なるその黄色のふくらみに目を向けてから、男はまるで研修時のそれのような口ぶりで言い放った。
「生憎だが、俺は一度口にしたことは何があってもやり遂げる」
 ――単身渡仏し、自らの店を持ち、宣言した通り勲章を携えてきた男。 そんな四宮の言葉に
は、彼の根幹を支える矜持があった。
 それを保つ為に四宮は途方もない努力を重ね、頭を使い、時には大胆な手法にも挑んだのだろう。
 切り捨て、張り詰め、その身を尖らせずにはいられないようなことも、そこにはあったのだ。
「幸平、お前は違うのか」
 正面からじっと見据えられる。 その男が言った言葉。根拠の無い自信だと、言ってしまえる筈がなかった。
 そこには四宮小次郎という人間の生き方が含まれていた。 何よりその毅然とした姿、その背中に創真は敬意を抱き、そして焦がれるようになったのだから。
「結構ずるくないっすか、その言い方」
「どうだかな」
 息を吐き、緩めた口調で言う創真に向かって、四宮は低く笑って煙に巻く。
 そうやって背を押されてはもう乗るしかない。その性質を理解しているからこそ、押し付けがましくない言葉で、四宮は創真を引き寄せてみせるのだ。
「やっぱり四宮先輩、大人っすね」
「お前よりはな」
「あと格好良いっす」
「お前よりは――」
 米を口に運びかけた四宮の手が止まる。つられて返しかけた言葉を押し留め、言われたそれを反芻する。
 あっけらかんと笑う創真を見て、四宮は決まり悪そうに眉を寄せてから、間を置いて言い直した。
「……いや、いい勝負か」
 言いながらも四宮は、ひそかにその心意気に感服していた。
 あらゆる事象を引っ繰り返しかねないようなことをした後、いの一番に冷静な目を持ってして四宮に気遣いを向ける様。
 決して甘えではなく、対等でありたいと願うからこその深慮に舌を巻く。
 これらを全て感覚でやってのけるのだから、料理人としてだけでなく、人を惹きつけてやまない筈だ。
 そして、だからこそ――四宮が向き合って、愛おしみたいと思うのだ。

 緩やかに流れる朝はいずれ終わり、こうして向き合っていられる時間も、多くは残されていない。
 幸平創真は戸惑っていた。が、それも今は遠い。
 結びつける言葉を口にされた以上、その思いを無駄にせぬよう、寄り合うだけだ 。
 コーヒーを飲む四宮が創真を呼ぶ。カップを置いた指先が何を求めているのか、何となく察しがついていた。
 ――遮られた寝起きのそれを、どうしても仕切り直したいらしい。創真は気が付かないふりをして、素知らぬ顔で近付いていく。
 それでも、堪え切れずに口元が緩んでしまう。だからそれを誤魔化すために、――そう、それを誤魔化すために、創真は自ら顔を近付けていった。


四創/線を引かない四宮の別の話 R-18

 

 傍らから離れていく気配で目が覚めた。
 四宮はすぐには身を起こさず、寝返りを打ってベッドから抜け出した背中を見つめる。
 立ち上った彼は、借りてきたペットのようにそわそわと部屋を見回していた。普段の習慣で早く目覚めたはいいものの、他人の部屋でどう過ごしたものかと思案しているようだった。
「……何やってんだよ」
 もう少しその珍しい姿を眺めていようかと思ったが、結局それほど待たずに声をかけた。
 創真はその声にすぐさま振り返ると、ばつの悪そうに頭を掻きながら小さく頭を下げた。
「はよっす。すんません、なんか目が覚めて。寝直します?」
「――いや、いい。俺も覚めた」
「あの、何なら俺、朝飯つくりますけど」
 朝飯、と口にした途端、創真の表情には溌剌とした気力が溢れ、やる気が滾り始める。 四宮はその変わりように目を細めた。
 言葉通りにさせてやってもいいが、起き抜けの頭が気乗りしないと背を向けている。
 支店には昨日顔を出した。今日は午後からの取材や、税理士との打ち合わせが主なスケジュールだ。
 限られた日本での滞在だが、空いた時間で多少のガス抜きを入れるくらいなら問題ないだろ
う。それに四宮の返答を待っているその男も、授業が無いときている。
 朝から爽やかな食卓を共に囲むのも悪くは無いが、ここはひとつ、いたって不健全な過ごし方を提案しようと四宮は企む。
「幸平」
 身体を起こさないまま四宮が呼ぶと、創真は首を傾げながらも素直に近付いてくる。 ベッドの傍らで見下ろす創真に黙ったまま手招きをする。
 腰を屈め、無防備に近付いたその身を、四宮は力を込めて引いた。
「う、わっ!」
 バランスを崩した創真が倒れ込んでくる。邪魔な掛け布団は既に脇へと追いやっていた。
 空いたスペースに転がった創真を、腰に回した手でぴったりと、隙間なく抱き寄せる。
 あとはもう手慣れたもので、圧し掛かり首筋に顔を埋め、腰から滑らせた手で腹を撫で擦る。しかしその手は、素肌に触れる前に創真によって阻まれた。
 渋々顔を上げ、不機嫌な視線を寄越す四宮にも、創真は絆されることなくじっと見つめ返してくる。
「寝直さないんじゃなかったんすか」
「……目は覚めたって言っただろうが」
「だから起きて動くんすよね」
「だから起きて動いてんだよ」
 言葉に合わせて自由な方の手で剥き出しの太腿に触れる。ハーフパンツの裾から指を入れ、内側の柔らかい皮膚を探ると、創真が堪えるように眉を顰めた。
 この辺りの奥まった部分に粘液が滴り、白く塗られる光景はなかなかにそそるものがある。四宮はその更に奥、股の間を膝で軽く押し込んだ。
 途端に見下ろす顔に焦りが滲む。緩やかな圧迫を加えつつ、忍ばせた手の侵入を深くする。もう少し近付けば触れてしまう、そんな微妙な距離を保ちながら、指先だけで肌の感触を確かめ
る。
 創真の息が乱れ始めていた。阻んでいた手にも力は込められていない。四宮はその拘束からゆっくりと抜け出し、再度腹の辺りに手を置いた。
 それだけで次の何かを予期するように、腰が揺れる。服の上から撫で、裾を捲り上げる。覗いた素肌に掌を当てる。肌は熱い。寝起きという点を頭に置いても、熱く火照っていた。
「――まあ、俺は寝直せないこともないが、お前はどうだかな」
 心地良さに緩みかけていた瞳が、その揶揄に反応して鋭くなる。 向けられる強い視線に余計煽られて、四宮は一度、強く膝を押しつけた。
 膨らみ始めた部分にいきなりきつい刺激を与えられて、創真の背がしなる。
「んっ、あ……!」
 声は最早ぐずぐずに蕩けていた。ハーフパンツから手を抜き、四宮は伸ばされた創真の足を捕まえる。
 大きく開かせた間に入り込み、胸まで捲り上げて唇で触れていく。下腹部に近い所で、熱い息を絡めながら口付けを繰り返す。創真の手が焦れたようにシーツを叩く。
 顔を上げ、四宮は真上からその表情を眺めた。良い具合に溶け出した劣情が瞳と、細い息を吐き出す口元に現れている。
 まったくもって、朝には似つかわしくない爛れた光景だ。
「二度寝する、って顔じゃねえな。あ?」
「……っとに、どーしてくれるんすか……」
「分かってるだろうが。いいから触られてろ。朝食もいいが、ちょっとは色っぽい起こし方も覚えろよ」
「何すかそれ……先輩の趣味?」
「趣味だな」

 からかう言葉にあえて真顔で答える。てっきり突っぱねられると思っていた創真は、予想外の返答に珍しく視線を泳がせた。
 四宮はその隙に下着ごとハーフパンツを引き下ろす。濡れた先端を殊更やさしく包んでやりながら、乱れる息を殺す唇に向かって強請る。
「付き合えよ幸平。朝だって向こうに戻ればずれるんだぜ?」
「……んっ、そ、れは……反、則っすよ…っ!」
「悪いな」
 悔しそうに喘ぐ創真に謝りつつも手は止めない。回された腕がしっかりと抱きついてきている以上、止められる訳が無かった。
 空は徐々に明るくなりつつあるが、カーテンは閉め切られたまま動かない。粘ついた音と喘ぎが、部屋の濃い空気と共に丸ごと隔離されている。
 すっかり落とされた創真が垂らす唾液を拭って口付ける。朝の気怠さはとうに無く、ぬるま湯に浸かるような心地良さに浸っている。
 目覚めとしては最高だが、癖になりそうで恐ろしい。そんな至極勝手なことを考えながら揺さぶっていると、目が合った創真に微笑まれてちくりと良心が痛む。
 ――終わったらすぐにシャワーを浴びて、朝食を食べる。 そうもう一度強く思い直して、四宮は怠惰な朝を許してくれた創真に詫びながら口付けた。



四創/酔ったふりの電話

 

 あらかじめ聞かされていた訳ではなかったし、予感めいたものも一切無かった。
 だから突然液晶画面に表示されたその名前を見て、創真は何かの間違いかと思ったのだ。
 朝一番の授業を終えて、次の授業が始まるまでの間。教室移動の合間に、その電話はあった。 何気なく画面を確認して、創真は暫し硬直した。
 通知された相手は四宮小次郎――遥か遠くフランスに身を置く新進気鋭の料理人であり、「レギュムの魔術師」という呼び名を携えたその男は、敬意を払うべき先輩であると共に極めて個人的な付き合いをしている相手でもある。
 その彼が電話をかけてくる時、それは後者としての意味合いを強く含んでいる場合が多い。
 しかしながらその際は事前にメッセージを交えて、時差と擦り合わせてから話すのが決まりごとだったため、今回のそれはかなりイレギュラーな出来事だった。
 だから創真は咄嗟に固まらずにはいられなかったのだ。
 向こうは夜中の二時頃だろうか。呼び出し続ける電話を見つめながら創真は考える。
 この時間創真が授業を受けていることをもちろん相手は承知している。それでも前置き無しに電話しきた理由。 ――何かあったか。
 可能性は薄いが、緊急性のある要件というのもないことではない。かけ直す選択肢と迷いながらも、結局創真は席を立ち、足早に教室を離れた。
 なるべく人気の無さそうな場所を探して、階段の踊り場に辿り着く。携帯は未だ鳴り続けていた。
「もしもし?」
 漸く繋げた電話の向こうからは、一瞬息を飲むような気配が伝わってきた。
 しかしそれきり相手は何も言わず、かさついたノイズだけが鼓膜を撫ぜていく。
「四宮先輩?」
「――ああ」
 それ以外に誰だというのかと、創真は自分の言葉に対して一人冷静に指摘を入れる。それでも程なくして返ってきた声には正直安堵した。
 少なくとも何か急ぎで伝えなければならないことができた訳ではなさそうだ。 口調に切迫した空気は無い。そうと分かればそれほど構える必要はない。普段通り、もしくはそれ以上ののんびりとした声で呼びかける。
「いきなりっすけど、どうかしたんすか? 何かあったとか」
 いつもと変わらない緩やかな声音に、相手がまた言葉に詰まる。どうにも今日は舌が乗らないらしい。
 とりたてて言い募るようなことではないが、やはり何かしらあったのだろう。
 どうしたものかと創真が考えを巡らせていると、重たい口をのろのろと開けて四宮は言葉を選び始める。
「……何もねえよ。いや、あったことはあったが――そうじゃない、ああったく違うんだよ、俺は別にこんな風に――」
「あの、ちょっと、四宮先輩?」
 話し出したと思ったら文句のような愚痴のような、とにかく要領を得ないことばかりを口にする四宮に、創真は様子を伺いながら口を挟む。
 彼らしくないその勢いに少し戸惑いを覚えていた。苛立っているのとも違う、言葉の端々に妙な熱がこもっていて、そのくせ時々言い淀むから躊躇いが漂う。
 毅然とした物言いの彼からすれば明らかにまとまりがなさ過ぎる。創真はその意味を頭の隅で考え続け、ふとある仮定に思い至った。
「幸平……」
「四宮先輩もしかして――酔っぱらってたりします?」
 夜中の二時、突然の電話。途中で切ることなく鳴らし続けておいて、いざ相手が出れば困惑したように口を噤んでみせる。
 一貫性のない行動に理由を付けるとするなら、それぐらいしか思いつかない。創真の問いかけに四宮は押し黙り、やがてどこか吹っ切れたようにはっきりとした口調で応じてきた。
「酔ってねえよ」
「あ、そうなんすか」
「飲んではいるがな」
「……そうなんすか」
 どう違うのかと言いかけたそれをぐっと飲み込む。とかくこの四宮小次郎という男は扱い辛いのだ。
 今でこそそれなりに率直な表現も増えてきたが、当初はその崩し難い態度にかなり骨を折っ
た。もちろん全ては頑ななだけで、その裏には取り繕いようのない
 想いが込められているのだが、素直でないことに変わりはない。
 しかしそんな男が酔いを口実に――そう、あくまで口実に、普段絶対に出さない甘えをこうしてこぼしている。
 定休日ではない筈だから、何か変則的な理由で店を休みにして、前の夜にスタッフを飲みにでも誘ったのだろう。
 本当に判断が怪しくなるほどアルコールに浸っているとは到底思えない。それでもどこか緩んだ気持ちを吐き出したくて、あるいはもう一度引き締めたくて、四宮は電話してきたのだ。
 と、考えながらも創真はもう一つ別の、それこそあからさまな理由を感じていたが、口にはしなかった。 口にはしなかったが、込み上げるにやついた笑みは抑えきれなかった。するとその変化を聞き逃さなかった四宮がすぐさま拾い上げてくる。
「何笑ってやがる」
「いや、先輩結構露骨だなって。俺はいいんすけど、やっぱりちゃんと話したいんで、また時間取って電話しましょうよ」
「……ああ。悪かったな」
 時間が差し迫っていることを匂わせると、四宮は嘆息して今の状況を詫びた。創真としてはそんな言葉を求めた訳では無いから、今度は堪えずに機嫌よく笑う。
「四宮先輩、眠れます? なんか俺喋りましょうか。桃太郎とか」
「もっと色気のあること言えねえのか。次帰国したら覚えとけよ」
「えーっと、それってこの電話のこと全部覚えといたらいいんすよね?」
 少し意地の悪いからかいを込めて言ってやる。普段ならそこにまた言い返してくるのがお決まりだったが、四宮は抑えた声で、まるでらしからぬ子供じみた物言いをしてみせる。
「――何でもいいから覚えとけ。忘れんな、考えてろ」
「……先輩のこと、っすか?」
「そうだよ考えてろ。俺がどれだけお前のことで頭働かせてると思ってんだ自覚しろ。対等ならまずそこからだろうがおいてめえ幸平聞いて――」
 何か言う間など無かった。創真はただその矢継ぎ早にまくし立てられる告白を聞くしかなかった。
 そう、これは紛れもない告白だ。しかもそれこそ素面では絶対に言えないような、胸の内を丸ごとさらけ出したような告白だった。
 これは流石に、あまりにも。自分が口にした訳でもないのにこれほどまでにむず痒いのだか
ら、相手は。
 創真は黙ったままその様子を伺う。次第に四宮の荒れた口調が静まり、本人も冷静さを取り戻していく。そして広がる沈黙。
「……分かったかよ」
「う、うっす……覚えときます」
 ――またかける。結局それだけ言って切れた電話を、創真は呆然と見つめた。 げに酒の力は恐ろしき、とでもいえるのだろうか。
 言われた言葉を噛み締める間もなかったことを惜しみながら、それでもどうせ一字一句覚えているからと思い直す。
 次の授業はもう間もなく始まろうとしてた。創真は急いで教室へと向かいながら、またかけると告げた男の声を思い出す。
 果たしてどんな様子で連絡してくるのか。そうやって早速思い返している辺り、言葉通り実行しているといえなくもないのだが、当然四宮は知り得ない。
 仕方ない。それでは今度はこちらから、この胸の内を教えるより他にはない。 『声が聴きた
い』だとか。そんなあからさまな理由を口にして。


四創/本当に酔っぱらう悪い大人

 

 その人に珍しく上機嫌かつ、気の緩んだ様が愛おしかった。
 だからといってもちろん、すぐさまこんな風になることを望んでいた訳じゃない。
「せんぱーい、風呂入ったっすよー」
 ゆったりと広い浴槽に湯が張られたことを確認して、バスルームから呼びかける。しかし案の定、反応は無い。
 仕方なく創真は一つ溜息を吐いて、動かない相手を迎えに行く。電気は消さない。どうせすぐ風呂に入りたがるだろうとあたりをつけていた。
 リビングのソファに腰掛けているその男は、身体を投げ出し、気だるげにアームへ肘をついていた。
 目の前に置かれたグラスの水が減っていないあたり、帰ってきて腰を下ろしてから殆どその場を動いていないらしい。

  先約があるから、その後なら。そう前置きされて部屋へと招かれ訪れた部屋で、主である四宮は絶妙な具合に出来上がっていた。
 何でも先約とは、世話になっている人との食事会のことだったらしい。 多少予想外だったが、元々聞かされていたことだから特別不満は無い。
 そんなことよりも限られた時間を共有する方が重要だったし、それに――普段見られないその姿には単純に、高揚せざるを得なかった。
「風呂、入んないんすか?」
 覗き込む創真に、伏せていた目が向けられる。眼鏡越しの瞳はそれでも、はっきりとわかるほど熱く解けていてぞっとする。
 思わず身を引きかけた創真に、企むような笑みを浮かべた四宮の唇が、僅かに動く。
「くち、」
 口がどうした、と聞き返す前に首の後ろに手が回る。そのまま有無を言わさない勢いで口を塞がれ、そういうことかと文字通り創真は絶句する。
 言葉を発しようにも、早々に入り込んできた舌が絡んできてままならない。
「……っ、う、ん……!?」
 舌の先で表面を撫でられ、下腹部から覚えのある快感が込み上げてくる。そしてそれに重なるように刺激を与えるのは、慣れない香りと、味。
 呼気に混ざって口内に残っていたアルコールが、ぴりぴりと痺れにも似た感覚を焼付かせている。
 その不穏な気配に、創真はやっとのことで身体を離し、口付けから逃れた。しかしいつの間にか伸びてきた反対の手に腰を掴まれ、強引に乗り上げさせられる。
 四宮は眼鏡を外してテーブルに置き、再度唇を求めて顔を寄せてきた。
「うっ、あ、せんぱい、酒が……!」
「あ? こんなもん大したことねえだろ。それにどうせそのうちやるんだ。今からちょっとでも覚えとけ」
「いや、それ無茶苦茶――んっ、あ」
 いくらなんでも大人としてそれはどうなのかと、問い詰めたくなるような言い分で捻じ伏せ、四宮がまた唇を食む。
 その間も抱えた腰に指先が入り込み、素肌をするすると撫でていく。暖かい指の腹で慈しむように触れられるとどうにも堪らなくなる。
 加えて舌を刺すアルコールが、脳髄を芯から蕩けさせて息が出来ない。むせ返るような粘つく空気と、際立たせる葡萄の香り。
 酒気を帯びた吐息が相手によるものなのか、含まされた自分のそれなのか分からない。境目が曖昧になっていく。滴る欲情があらゆるものを遠ざけていく。
 唇の端に浮いた唾液を、四宮の舌が柔く撫ぜて舐めとっていく。解放された口からはもう、爛れた溜息しかこぼれ落ちてこなかった。
「あ……っ、ん、ん……っ」
「……すげえ有様だな」
「誰のせい、っすか……大体先輩が、飲み過ぎるから……っ」
 未だ燻る快感に語尾を震わせながら言い募ると、四宮は一瞬満足げな表情を浮かべたものの、次には何故か真剣な顔つきになった。
 伸びてきた手が創真の顔をとらえ、頬に触れる。そのまま鼻先が擦り合う距離まで引き寄せられて、四宮が囁いた。
「お前が来るから浮かれて普段より進んだ、って言ったら信じんのか」
 投げやりな言い方だが、見上げてくる瞳に拗ねたような影を見て、創真は思わず小さく笑う。
「信じるっすよ。……つーか、見てたら分かるんで」
「言ってろ」
「風呂は?」
「あとで」
 頷くと、四宮の目がほんの少し緩む。頬に触れていた指先が、意気揚々と服の中へ侵入してくる。
 予想が外れてしまった。つけっぱなしのバスルームの電気を思いながらも、創真はその背中に手を回して抱き締める。
 風呂はあとでいい。どうせ温め直して入らなければならない。それに今度は、自分も入る必要がある。汗とあと、まとわりつく酒の匂いを消すために。