窪斉/視姦

 

 その瞳に睨まれるだけで息が止まる。
 かつてそんな風に恐れられた男は、今もまだ隠せずに滲む気迫を、薄いガラスで覆うことで遮っていた。
 少し野暮ったいフレームの眼鏡を介せば、いくらかその剣呑な目つきも緩和される。――彼以外の、大方の人間相手には。

 一枚の隔たりがあろうが無かろうが、その奥の本質を最初から見ざるを得なかった彼。斉木楠雄はその能力で男の過去を察していた。
 その為表面的にどれほど繕おうが彼には関係なかった。 男が時折見せる滾った血の気にも気が付いていたし、それに構えることもない。
 よくある他人の秘密、その程度にしか受け取らなかった。怯えなどは端から無縁だ。
 だからその視線に覚える特殊な感覚は、そういったものとは全く違うそれだった。
 根拠などまるでない、何ならむしろ自分自身がそういった存在であるにも関わらず彼は、その男の視線に曝け出されるような圧を感じていた。
 生物の本能とでも言うべきか。感覚のままに生きているが故思考の読めない燃堂と同じく、窪谷須のそれにもどこかそんな節があった。
 生々しい闘争心を向い合せていた過去からして、ともすれば獣的ともいえる神経が養われてきたのかもしれない。
 何だかんだと御託を並べたが、それでも結局の所はっきりとした根拠は無い。 危機感を覚えるほどのことでもなく、ただ単に生理的、感覚的な印象に過ぎない。
 しかし斉木がその視線に、何となく不穏なものを感じ取っていたのは事実だ。
 それこそ燃堂のこともある。どんなきっかけでどう転ぶかは分からない。何せ培われてきた強さ自体は本物なのだ。自分に影響を及ぼすほどのものではないとしても。

 日が落ち、赤く染まった教室に一人 、斉木は帰り支度をしていた。
 気まぐれに立ち寄った図書室で、あまり人が読まないような作品を選り好んでいる内に、珍しく下校が遅くなってしまった。
 手早く荷物を纏める。椅子から立ち上がりかけたところでふと、人の気配を感じた。近付いて来るその思考を読んで反射的に身構える。
 それは見知った人間だった。
「……っと、斉木?」
 教室に顔を出した窪谷須は、斉木を見て意表を突かれたように固まった。しかしすぐに思い直したように足を踏み入れ、自分の席へと近付いていく。
「財布忘れちまってさ。お前は今から帰る所か?」
 頷く斉木に、窪谷須は机の中に手を入れ、忘れ物を引っ張り出してポケットに入れた。
 目的を果たし、さっさと出て行くかと思いきや、窪谷 須は座ったままの斉木を見て留まったままだった。
「帰らねえのか?」
 どうせなら一緒に。
 ごく自然に付け加えられている思考に斉木は手余す。 顔を合わせれば恐らく連れ立たされるだろうとは思っていたが、当然のような物言いにはやはり戸惑わざるを得ない。
 窪谷須が斉木を憎からず思っていることはもちろん伝わっている。それが世間一般における、単なる友情と呼ぶには多少ずれているという事実も、おおよそ理解している。
 ただ感じたことを直接ぶつけるようなコミュニケーションを取ってきた男が、その真逆ともいえる表情の読み難い、掴み難い男に対して、ある種特別な好奇心のようなものを抱いているという表現の方が、どちらかといえば正しい気はしていた。
 と言っても、そんな本人ですら自覚しているかどうか分からない思いを把握しているから気まずいとか、そういった話ではない。
 斉木が避けたいと思うのは、例の視線だ。確たる素養なんて何も無い、曖昧で不確かな印象。
 それでもこうして少しでも気をやってしまっているのだから、やはり侮れない男だとは思う。ヤキが回っている、認めざるを得ない。
 座ったままの斉木に、窪谷須は眉を顰めて近付いてきた。机一つ分空いていた距離が縮まる。
 脳裏に過るのは獲物を狩る獣だ。しかしすぐに打ち払う。
 どうあっても斉木が狩られる側に回ることは無い。それだけは揺るぎない事実だった。
 彼の前に立った窪谷須は、探るように机に置かれた鞄に目を向けた。どう見ても帰る準備は出来ている。何が彼を留まらせているのか、思考を巡らせている。
 ここまで来たらもうどうしようもない。諦めて従うしかないだろう。
 そう思ってこちらに視線が向く前にと斉木が立ち上りかけた時、床に転がる入れ忘れた消しゴムの存在に窪谷須が気付いた。
 その場で座り込み、窪谷須は落ちた消しゴムに手を伸ばす。机の内側の届き難い所からそれを拾い、自然に斉木を見上げる。
 先を予期したが遮れなかった。斉木の苦手とする目が、じっとその顔を見つめていた。
 焦げ付くような独特の熱を感じて、斉木はすぐに思考を閉ざした。 いつも通り、その肉体が透ける前に目を逸らし、何でもない顔をする。窪谷須はその様を黙ったまま見ていた。
  その脳内にはっきりと 、面倒な意図を読み取って、斉木は思わず視線を彷徨わせてしまった。 窪谷須の目が、じわじわと色を変え始めているように感じた。
 拾い上げた消しゴムをしゃがんだまま机に置く。その間も、視線が斉木から外れることはな
い。
 地に屈み、人を見上げる感覚は 、昔の記憶を思い起こさせるのかもしれない。
 喧嘩に明け暮れ、荒ぶる血の気を持て余していた頃。例え僅かな時間であっても、人を見上げている状況など甘受出来る筈がない。
 染みついた闘争心がやり返せと牙を剥く。瞳にぎらついた欲望が過る。
 どうにも距離を取られているようで気に入らない。そんな不満と結びついた衝動が、厄介な方に転がり出す。
 斉木は窪谷須の背後の壁を睨みながら、やり過ごす術を珍しく混濁した頭で考えていた。
 置いた消しゴムから手が離れ、そのまま自分へと伸びてくるのを予期して、斉木は身を椅子ごと後ろに引いた。
 肩透かしをくらった男の手は空を掻き、それにまた苛立ちがちらつく。斉木は無表情のままその様を見ている。
 斉木の思惑は 読み取り辛い。ただはっきりとした嫌悪なら流石にもう少し伝わってくるからそうではない。
 窪谷須はそう冷静に推測しながら、それでもやられっ放しは性に合わないと波立つ気持ちを抑えられずにいた。
 いずれにせよこちらを見ようともしないのは気に入らない。気を向けさせたい。焦燥と反抗が心を乱していく。
 どこにもいけなかった手を引き戻して、窪谷須は再度斉木の顔を見る。
 決して敵いはしないが、あわよくば噛み付かれかねないと思わせる視線には、つい後ろ暗い愉悦を覚えてしまう。
 視線を落とし、窪谷須の瞳が足元へと向く。揃えられた爪先をじっと見て、徐々に膝へと上がっていく。
 瞳はそれこそ戦意すら感じられるほど冷えていた。実際それは以前の彼らにとっては王道の、互いを挑発し合う行為なのだろうが、関係の無い斉木からしてみればただ遠慮の無い視線に曝されているとしか言いようがない。
 そしてその目付きは斉木が避けようとしていたそれだ。 じとりと、足に留まっていた視線が徐々に上がっていく。
 腰、腹、胸元に刺さるそれは、掴んでこちらを向かせたいという衝動の現れだ。
 瞳は変わらず窪谷須の背後を見ていたが、何か、覚えの無い感覚を斉木は味わっていた。嫌悪でも、畏怖でもない。しかし居心地の悪さは確かにあって、今も背筋をざわめかせている。
 見るな、とはね除けたかった。もしくはすぐにでも立ち上がって、顧みることなく帰路につくことも考えた。
 しかしそのどちらも実行に移せない。抗えない枷のような何かが、肌の上を這い回って戒めている。
 首に辿り着いた視線が、その焦れを見透かすように突き刺さる。捕食する前の舌舐めずりの如く目を細めて、僅かに覗く喉仏を睨め付けてくる。感じていた違和感が熱を帯びて込み上げ、斉木は拳を握り締めた。
 一度覚えたその熱は、びりびりとした痺れと共に身体を巡る。 触れられてすらいない、言葉も無い。それなのにただはっきりと、追い詰められている自覚があった。
 いっそのこと何か行動を起こしてくれればと思う。そうすれば無理にでも、この妙な間を終わらせることができる。
 けれど窪谷須は動かなかった。視線を外したら負けだとでも言わんばかりに、斉木を見続けている。
 顎を睨んだ瞳が唇へと向かう。その瞬間、 窪谷須の口元が僅かに緩んだ。湿った悪寒にも似た感覚が背筋をじれったく撫ぜる。
 わだかまる熱の意味に、斉木も気付き始めていた。ただそのぞっとする程の生々しさと対照的に、窪谷須の眼があまりに真摯で戸惑いを隠せなかった。それでも過った衝動ははっきりと届いている。
 窪谷須は――目の前の男は確かに思った。噛みたいと。
 にこりともしない取り澄まされたその唇を噛んで、丸ごと手懐けてやりたいと。
 斉木の目が、窪谷須へと向く。見てはならない、頭の中で鳴り響く警鐘に、身体が反応しな
い。
 熱にあてられたが最後、その行く先は斉木にすら分からない。だから何があっても見てはならないのに、真っ直ぐとぶれない視線の強さが気になって仕方がない。
 もし、覆い隠す眼鏡を取り払った瞳で見られたら。浮かんだ想像が冷静な思考をさらってい
く。いやむしろ冷静さなんて最初から無かったのかもしれない。
 恐れではなかった。避けていたのは、その直情に惹きつけられる不安を隠していたからだ。

 遮ったのは、いつも以上に大きく聞こえたチャイムの音だった。
 濃霧のように横たわっていた空気が一気に晴れ、窪谷須がはっとしたように顔を上げて時計を見る。斉木はその表情を伺った。
 瞳には、もう熱は無い。間延びしたチャイムが気を緩めて、斉木はそれに安堵するような、複雑な思いを抱いていた。
「――なあ、帰ろうぜ。斉木」
 差し込む夕焼けの赤に目を眇めながら、男はそう言って立ち上がった。
 斉木は机に置かれたままの消しゴムをおざなりに引き出しへ入れ、鞄を取る。その様を黙って見守っていた窪谷須の脳内に、
 過った感情。嫌でも伝わってくるその思いに、斉木は忌々しささえ覚えて息を吐く。
 ――やっぱり、嫌われてはいないようだ。
 安堵と喜びがない交ぜになった呑気な感情が、斉木をとらえて離さない。
 いっそ疎んでいる方がまだ良かった。牙を剥いた衝動などなかったような顔をして、隣を歩く窪谷須の顔を盗み見る。
 レンズの奥の瞳は、相変わらず鋭さを秘めている。 しかしそれに覚えるのが警戒心だけではないことに、斉木は気が付いている。
 その眼が見透かすのは中身ではなく、もっと厄介かつ不用意な代物だ。
 窪谷須がこちらを向く気配を感じて、視線を外す。
 最早取り繕いようのない居心地の悪さに、斉木は宥めるように自らの眼鏡を押し上げた。


鳥斉/睡姦 R-18

 

 人間というのはつくづく順応性の高い生き物だとこの頃は思わずにいられない。
 風呂上がりの湯気立つ身体で、静まり返って人気の無い廊下を、二人分のグラスを乗せた盆を抱えて歩いている。
 向かっているのはもちろん自室だ。既に家で風呂を済ませてきた来客が待っている。
 この状況はいつの間にか一連の流れとして確立しつつあるのだが、それにまた慣れとは恐ろしいものだと自覚してしまう。
 自室の扉を開けると、絞られた音量でバラエティを流すテレビがまず目に入った。部屋を出る時はそれを気だるげに眺めていた来客が、すぐ前に座っていた筈だが見当たらない。
 中に入って覗き込むと、少し離れたベッドへ凭れ掛かるようになってその人はいた。テーブルに盆を置き、近付いていく。
 ずれた眼鏡越しの瞳は閉じられ、微かな吐息が聞こえる。うたた寝どころかしっかりと寝入っているようだった。
 肩に触れかけた手を押し留めて、どうしたものかと頭を掻く。 どうせならベッドに上がって寝ればいいものを、その人らしからぬ中途半端な様子に手余す。仕方なく隣に腰を下ろして、グラスをとって一口飲んだ。
 これもまた一つの慣れだ。当初はあれこれ理由づけなければ家にも引き込めなかったのに、気付けばまるで習慣のように寛ぎ、眠り込むほどには許容している。あれほど立ち入らせないようにと距離を置いていたその人が、だ。
 そしてそれを喜ばしいことだと受け取る自分の変化も驚くべき慣れだ。少し前までは想像すら出来なかった状況も、今は愛おしまずにはいられないのだから全くもって人生というものは分からない。
 規則的な呼吸の音を聞きながら、眠り続けるその人を眺める。
 一度起こしてベッドへ上げなければならない。そう思いながらも、何となくそのまま動けずにいた。
 眠る顔は普段と何ら変わらない。ふとむずがるように眉が顰められて覗き込むと、端の髪の毛が顔を擽っていた。
 そっとそれを除けてやる。息を吐く音と共に表情が戻る。特に何も考えず、そのまま無防備な姿を近くで見ていた。
 閉じられた瞼が微かに動く。その奥の、直接見ることは無い瞳を思う。
 普段殆ど揺らぐことのないそれが時折、溶けるように滲むのを自分は知っている。身体の奥深く、内部にじくじくと押し入って吐き出す瞬間。腰が甘く震える快感をふと思い出してしまって息を吐いた。本当に人生は分からない。欲情といえばまず女性の裸体か喘ぐ声だった筈なのに、眠りこける彼の横顔だけでこんなにもあっさりと追い立てられてしまっている。
 とは言っても、彼はぐっすりと寝入っていて目覚める気配など無い。それこそ起こしてしまえばいいのだろうが、そこまでして手を出すかといえば躊躇われるし、その場合の彼の機嫌など言うまでもなく最悪だろう。
 だから結局頭を擡げた衝動をやり過ごすべくもう一度息を吐き、言い聞かせる。落ち着いたら今度こそベッドへ上がるよう促そう。
 そう思い直して離れかけた時、投げ出された下半身へ目を向けてしまったのがまずかった。
 身動ぎと共に擦り合わされる足。視線を上げるとずれ上がったシャツの裾から、浮き出た腰骨が覗いている。
 殆ど反射的に手を伸ばしていた。剥き出しの腰に触れると、普段より少し高い体温が指先に伝わって喉が鳴る。
 葛藤する心中とは裏腹に手を引くことが出来なかった。ズボンの縁から指を入れて前へと回らせる。中心に辿り着いて一度指を抜き、そのまま真下へと滑らせる。ふくらみを布越しにそっと包むように撫で擦る。彼の表情に変化は見られない。
 緩い刺激を与え続けていると、徐々に形がはっきりと目立ち始める。生理的な反応とはいえ、熱い血流を感じるそこに次第に頭が痺れてくる。
 撫でる右手は止めないまま、自由な左手をシャツの下から忍び込ませる。温かい肌を掌で感じながら上っていくと、初めて眉がぴくりと動いた。
「さ、いきさん?」
 恐る恐る小さな声で呼びかけるが、彼の目は閉じられたままだった。ほっとしたような、引き際を見失って戸惑うような複雑な感情のまま、彼の顔をじっと眺める。
 その寝顔にふと堪らなくなって、唇に口づけた。 触れるだけのそれを何度か繰り返す。
 柔らかい唇が触れ合う度、舌を押し入れてしまいたい衝動に駆られたが留める。 それでも抑えられない感情が滲み始めていた。
 顔を離して、差し入れたままだった手で肌を辿り、胸に触れる。 反対の手で捲り上げられたシャツから覗く腹を撫で、また下腹部へと指を下ろす。 試しにとズボンを下へ引いてみるが、横向きに凭れ掛かっている所為で上手く下ろせない。
 諦めて手を引き、少し上から彼の姿を見た。半端に乱された上下の所為で、胸のすぐ下から腰までが丸見えになっている。
 両足に隠されてはっきりと目視は出来ないが、緩い刺激に煽られた一部は固く反応している。されるがままに横たわる身体。
 眠り続ける表情がその姿とアンバランスな程に穏やかで、普段の取り澄まされた様子と相俟って、倒錯的な魅力を感じずにはいられなかった。
「マズイ、っスよね……」
 呟いた言葉にはもちろん反応など無い。声にすれば少し冷静になれるかとも思ったが、かえってその熱のこもりようを自覚してしまって焦る。 乱れた寝姿から目を離せないまま、頭を擡げ始めている下半身を持て余していると、彼の足が大きく動いた。
 咄嗟にびくりと肩が動くが、彼はやはり目覚めた訳ではなかった。
 唸る声と共に寝返りを打って仰向けになり、姿勢が辛くなったのかそのままずるずると靠れていたベッドから下がっていく。
 捲くり上がっていたシャツが反対に引き摺られ、隠れていた胸が露わになる。限界だ、叫び出しそうになった。
 彼の上にゆっくりと覆い被さり、顔にまでずれ上がったシャツを引いてもう一度口付ける。それからベッドサイドに手を伸ばしてローションとコンドームを引き寄せた。ずらしやすく伸ばされた足を爪先まで眺めてから下着ごとズボンを引き下ろしていく。
 現れた固さを保ったままの性器に身震いして、熱い息を吐き出しながら手の中へ粘つく液体をぶちまけた。
 温く馴染んだそれを指に絡めて、窄まった尻へと這わせる。正常な思考は既に振り切った熱に塗り潰されていた。
 先端を湿らせる性器を擦り上げながら少しずつ指先から含ませていく。彼の吐息が僅かに乱れる気配がした。
 慣れたといえば語弊があるが、覚えのある感触を得て侵入を深くしていく。 締め付けを緩めるべく広げ、先走りを擦りつけながら濡らしていく。じっと顔を見つめたまま手を進めていたが、彼の瞳は未だ閉じられたままだった。
 あまりに深い眠りに少し心配になるが、予知夢以外の睡眠が日中の疲れを取る為か多少深くなりがちなのを思い出して察する。
 そんな中でこうして手を出している自分に、追いやっていた罪悪感が小さく顔を覗かせていたが留められない。
 一際大きく粘ついた音がして我に返る。突き入れていた指を抜くと、普段より広がったそこがてらてらと濡れていた。
 最早殆ど脊髄反射のような勢いで自分も前を寛げる。コンドームの封を切り、勃たせたそれに被せて息を吐いた。
 彼の呼吸の邪魔をしてしまわないようまた軽く口づけて、足を開かせる。ローションに濡れた先端を擦り付けながら足を持ち上げ、体重をかけた。途端にぞわぞわと腰から込み上げてくる快感に捕まって、僅かに残っていた遠慮が吹き飛ぶのを感じた。
「あっ……あ、あー……イイ、やべ……」
 恍惚とした声をまるで他人事のように聞きながら、押し込めた性器で内部を揺する。
 不快そうに眉を寄せる彼の顔を見下ろしてただ呻く。無理に折り曲げられた姿勢を強いられて彼の口が何かを訴えるように動いた。
 もう殆ど覚醒しかけているのだろう。 薄く開きかける目に何故かひどく煽られた気がして、ギリギリまで引き抜いたそれを勢いづけて押し込んだ。
「……う、わ……!」
 生々しい音を立てて、性器が根元まで飲み込まれていく。いつも以上に柔軟な身体の収縮に包まれ、先端まできつく搾り取られるような感覚を覚える。 荒くなる息を吐き出しながら浅く出し入れを繰り返して、掴んだ足を引き寄せてまた深く入り込む。
 未だ固さを保つ彼の先からこぼれだす粘液に、頭が割れそうなほどの興奮が押し寄せて逃げ場を失う。
「さいき、さん……っ、あ、すげ、いいっス、も、ちょっと、入れさせて……っ」
 低く喘ぎながら内部を突く。既にいつ吐き出してもおかしくないほどに張り詰めていた。激しく、深くと急く衝動のまま何度も擦り上げる。
 本当に身体の順応性が末恐ろしい。自分自身も、彼も。
 普段はある程度身体の融通をきかせているのだろうが今は違う。無意識のままに受け入れ、快感を拾いつつある。
 愛おしさと興奮がない交ぜになって息をさらう。
 「は……っ、は、あ……さいきさん、」
 唇に触れたくなって抱え上げていた足を下ろし、繋がったまま身を屈める。ぬるつく下半身を擦り合わせながら顔を寄せた。
 少しの違和感を滲ませている表情をじっと眺めてから口付ける。そしてふとその唇の温かさに気付いて呟いた。
 「……斉木さん、起きて――」
 言いかけた言葉は、不意に力を込められた下腹部によって遮られた。思わず素っ頓狂な声を上げてしまいそうになるのを飲み込んで、その心地良い責苦に耐える。
 これほど好き放題やっておいて、起こさずに済むとはもちろん思っていなかった。けれどまさかこんな意趣返しをされるとは正直予想していなかった。だってこれではとっくに目覚めていた彼が、わざと甘受していたようにしか見られない。
 熱に浮かされているとはいえ、流石にそんな都合の良い解釈を真っ先に思う訳にはいかない。
「斉木さん、ちょっ、……あ……っ!」
 とりとめない思考を打ち消すように、彼が溜息を吐いて腕を掴んできた。繋がった下半身がぬるりと滑る。
 限界まで張り詰めたそれを根元まで締め付けられ、堪えていた射精欲が一気に押し寄せる。
 謝罪も、気遣いも、頭にあった全ての言葉がどこかへ追いやられて快感に上書きされていく。堪らず喘ぐ自分を見て、彼の唇に意地悪げな笑みが浮かぶ。その仕草にまた欲情を煽られて糸が切れた。
 捲り上げられたシャツと剥き出しの下半身、あられもない姿でされるがまま犯されていながら余裕すら滲ませる彼。
 それでもふかく中に押し入ると息が乱れる。勃ち上がった性器は先を濡らし続けている。観察するように、楽しむように、瞳がこちらを見ている。
 堪らない。好きなように乱せる快感も興奮したが、やはり向けられる視線には敵わないと思った。
 もう一度抱え込んだ足を撫ぜながら突き上げる。顔を覗きこみながら動きを激しくする。
「斉木さん、ね、もう、出させて……っ、イイっス、よね?斉木さん、のも……っ出そう、っだし」
 唇を触れ合せながら強請る。触れていなかった彼のそれを擦り上げながら突くと、彼の喉が小さく鳴った。限界が近い。
 先に達したのは彼だった。手の中でとろとろと滴る精液を受けて、同じように堪えていた欲を全て吐き出す。
 腰を押し付け、奥の奥へ含ませるようにぴったりと寄せる。
 眉を顰めてそれを受け入れる彼の唇を舐めながら、留まる快感を味わうべく暫くそのままでいた。

 皺が寄り、どろどろに汚れた彼の服の後始末をしてから、ようやくその顔を見た。どことなく特有の気怠さを纏わせてはいるが、表情に剣呑な気配は含まれていなかった。 それに少しだけほっとして、手を伸ばす。
 彼の乱れた髪を整えてやると、彼はふと目を閉じてきた。唇がまたからかうように緩んでい
る。
 もっときつく当たられて然りだと思っていたから安堵するものの、居心地の悪さは拭えない。だから滑らせた指で頬に触れ、強請る。
「目、開けて下さいよ……あの、正直超、興奮したんスけど、やっぱ……見たいっス」
 直接は見られない瞳。身体を触れ合せている時ですら気をやらなければならないそれは、彼にとっては面倒な性質だ。
 しかしだからこそ、目を閉じない彼を見る度、寄せられる思いを感じていた。
 されるがまま流すのではない、自ら受け入れようとする彼の意思を。
 そしてそれは結局のところ、どんな状況よりも自分を、浮足立たせる唯一の要素だったのだ。
 言葉と胸中を受け取って、彼が目を開く。取り澄まされた鋭い視線も、今は少しだけ甘さを秘めている。
 彼の機嫌が普段よりほんの少し良いことに改めて感謝して唇を寄せる。目を閉じるのは今この時と、二人で眠る時だけでいい。
 そんなことを思いながら差し出した舌は、慣れた仕草で誘い込まれ、舞い上がる思いに堪らずその身を抱き締めた。


燃斉/獣姦

 

 事態は少しだけ切迫していた。この僕が能力を使わず全力疾走しているという現状からもその差し迫った気配は伝わるだろう。
 しかしながら正確に言うなら、既に能力は使っている。
 変身能力。僕はその姿を一匹の猫に変え、昼日中の街を駆け抜けていた。
 慣れない四足、慣れないダッシュ、すぐにでもどこかの路地裏に抜けて変身が解けるのを待ちたいがそうもいかない。
 僕の頭上、右後方からは断続的にバサバサと羽根の擦れる音がしていた。威嚇を含めた派手な動作は、既に目の前の小動物を射程距離に収め、どう爪をかけてやろうかと企む余裕を現している。
 そう、僕は猫の姿で、カラスに追いかけられていた。

 元はと言えば例のアンプにしつこく頼まれた結果だった。 詳しい事情は割愛するがともかく、僕は猫に変身し、早々に家へと戻ろうとしていた。その帰り道、カラスに目をつけられた。
 カラスは道路の中心に居座り、餌を飲み込むのを止めて通りかかった僕を睨め付けた。
 賢いといっても鳥は鳥、一睨みきかせてやれば怯えるだろうと威圧を込めかけて、その嘴にうごめく何かの存在に気が付いた。
 あろうことか、カラスが啄んでいたのは生きている虫だった。それを見た瞬間、何よりもまず生理的な苦手意識が先立ち、僕はつい視線を反らせてしまった。カラスは瞬時にその頭で意地悪い思考を巡らせ食べかけの餌を嚥下した。
 小生意気な小動物、 こっちはまだ腹が減っているんだ。野生動物の生存本能らしい獰猛さを剥き出しにしたカラスは、羽根を何度か羽ばたかせて飛び上がると、脇目も振らず僕に向かってきた。 僕は仕方なく猫の姿のまま走り出し、こうして追いかけられる羽目になったという訳だ。
 固いアスファルトに肉球を弾ませながら、僕はうんざりと溜息を吐く。
 いつまでも鳥と戯れていても仕方ない。そろそろどうにかして撒いてしまおう。しかし誰が見てるか分からない往来で、目立つ手段は選びたくなかった。
 細い脇道を曲がる。建物の隙間、日差しがあまり入らないそこは薄暗く湿り、道もぬかるんでいる。
 走り難い土に足を取られながらなおも駆ける僕の頭上で、カラスは忌々しく鳴いている。次第に羽音が大きくなり、振動する空気と共に黒い羽根が降ってくる。 落ちてきた羽根の先が視界を遮り、僕は転がっていたペットボトルに前足を引っ掛けてしまった。
 乱れた走りに反応したカラスが一気に間合いを詰めてくる。耳障りな鳴き声が刺さり、眉を潜めて唸るが、距離は離れない。
 厄介だな、と思った瞬間だった。迫る鉤爪が背中の毛を掻き、奔る寒気に足が縺れる。バランスを崩して傾ぐ僕の背に、カラスが爪と嘴を突き立てんと身構えた。まずい。膝を折って仰向けに転げかけながらも、僕は瞬時に前足をカラスの目に向かって突っ張ろうとした。
 背中を土に打ち付ける衝撃に力を込める。 しかし丸めた僕の背はぬめる地面ににぶつかることなく、別の障害物に遮られた。
 尻もちをつくように止められ、そこに立つ存在を見上げて、僕は言葉を失った。
「お? なんだ猫か」
 路地裏の寂れたラーメン屋から出てきた燃堂の足が、僕の背中を受け止めていた。
 思わず呆気に取られて見上げてしまう僕の顔を、燃堂はまじまじと見つめた。そして漸く動きを止めた獲物に飛びかかろうとするカラスを見て、何となく状況を察したようだった。
「オメー腹減ってんのか? ちょっと待てよ、そういやさっきなんか……」
 そう言って燃堂はおもむろにポケットを探り始めた。もちろんカラスにその意図が伝わっている訳はないが、カラスは突然現れた人間の姿に戸惑っているようだ。無造作に積まれた段ボールの上にとまり、燃堂と僕をじっと観察している。
 頭にはまだ攻撃的な思考が残っているものの、現れた燃堂の高い背丈に、次第に警戒心を抱き始めていた。
 深追いは得策ではない。そう直感で察したカラスはやがて、勢いよく飛び立って離れた電線へと消えていった。
 僕は燃堂の足に背を預けたまま、ずれた眼鏡を直した。べったりと張り付いた泥を避けて、前足でそっとフレームを押し上げる。
 他にも方法があったとはいえ、結果的に助けられたのは事実だ。僕の背後で、相変わらずごそごそと身体を探る男を見上げると、燃堂はようやく目当てのものを見つけたらしい。
「何だよ、せっかくさっき貰ったラムネやろうと思ったのによ」
 手にした小袋を振りながら、飛び立ったカラスの行方を探す燃堂を、僕は気の抜けた思いで見ていた。
 すると視線に気付いた燃堂が、今度は僕に向かって小袋を見せつけてきた。食玩のおまけについていそうな簡素な菓子だ。
 何にせよどうすることも出来ずに静止する僕を見て、燃堂はその場にしゃがみ込んできた。
 足を動かすことなく腰だけそっと落す様は、もたれかかる僕を気にしての動作だ。
 見下ろす燃堂の視線が刺さる。まさか気付いているとは思わないが、こいつの裏表のない目は時にそんな疑惑を抱かせるほど真摯だ。
 しかも僕の今の姿は猫で、いつも以上に遠慮のない、純朴な視線が向けられている。どうにも居心地が悪かった。
 不本意ながらも思わず目を背けかけた僕の顔を、燃堂が突然掴んできた。
 親指と人差し指で顎関節をとらえられ、ぐりぐりと毛の根元から擽るようにして撫でられる。
「きたねーなオメー、ドロドロじゃねーか」
 そう言う口ぶりは何故か楽しそうだった。燃堂はラムネ菓子をポケットに戻すと、僕の脇に両手を差し入れて抱え上げてきた。
 ふわりと宙に浮く身体。後ろ足に残った泥がはね、制服のシャツに染みをつくっても、ちっとも気にする素振りはなかった。
 僕を抱き上げたまま、燃堂はさっさと路地から出て、どこかへと向かい始めた。僕はやはりどうすることもできずに、されるがまま四肢と尻尾を垂れていた。
 腕を突きだし、顔を見合わせるようにして猫を抱くいかつい男に、周囲の視線が物珍しそうに向けられる。
 汚れた足に、どこかしょんぼりと項垂れているようにも見える僕と相成って、まるで悪戯を窘められる猫と飼い主のそれだ。
 僕はそのあんまりな状況に頭を抱えながらも、抵抗はしなかった。逃れようと思えば逃れられる。それでも借りがある以上、強引な手を使う気にはなれなかった。
 何より僕を運ぶ燃堂の顔が妙に眩しく、使命感に駆られていて、その子供じみた空気に水を差そうとは思えなかったのだ。
 燃堂がまっすぐ向かったのは、公園のトイレだった。くすんだ蛇口を捻り、勢いよく噴き出す水に騒ぎながら、燃堂は濡れた手で僕の顔に触れてきた。
 オメーなんかお洒落だな。どっかで飼われてんのか?
 ほい、右足終わり。次左な。
 あっおい尻尾動かすなよ! 濡れっぞ!
 猫にいちいち話しかけて、燃堂は僕の泥で粘ついた足を洗い、毛に絡まった得体の知れないぬめりを濯いだ。
 洗面所の上に抱え上げられ、上下に揺さ振られて頭がくらくらしてくる。しかしながら足元にまとわりついた不快感が拭い去られていく感覚はすっきりと心地良かった。
 猫は水が苦手。そんな習性をまるで侵してはならない重大なボーダーラインのように意識しているのか、殊更慎重に手を進め、顔は決して直接濡らさなかった。その代わり、自分のシャツが水濡れになったとしてもだ。
 一人で大騒ぎしながらも僕についた泥を落とし終わった燃堂は、しんなりと毛を湿らせる僕を連れてベンチへ移動した。
 大きな木陰の下に設えられたベンチへ僕の身体をそっと横たえ、隣に座る。柔らかく温かな風が毛の間を擦り抜けて、僕は思わず 四肢を伸ばして欠伸をした。温い地肌から水分が蒸発していく。これならそう時間をかけずに乾くだろう。
 静かな公園に、風が凪ぐ音だけがしている。微睡にも似た陶酔の中で、僕は燃堂を見上げた。
 そいつは実に気の抜けた顔で、僕たちの間を通り抜けていく風を受けている。
「気持ち良いなあ」
 呟いた燃堂の手が、僕に伸びてくる。親指が狭い額を擦って、酔いが更に増す。
 つい、喉が鳴った。猫の姿であるとはいえ、いくらなんでも気恥ずかし過ぎる。僕は木製のベンチを引っ掻くことで漏れ出た声を誤魔化そうとしたが、
 遅かった。燃堂は僕を見ることなく視線をボケッと前に向けたまま、勝手知ったる手つきで身体を撫で始めた。
 顎が捕まえられ、喉元に太い指が差し込まれる。柔く押される感触がどうにも心地良く、僕はむずがるように身体を突っ張りながらも逃れられずにいた。
 乾いた風が撫でていった地肌に触れられ、じわりと熱がこもり始める。その何とも不可解な感触に、僕は本能的に危機感を抱いていた。
 しかし燃堂の手は留まることを知らず、指の背で毛先を労わりながら喉を過ぎ、胸元へ潜り込んでくる。
  足を立てかけたが間に合わず、僕は呆気なくくるりと身体を仰向けにすくい上げられ、腹を露わにした間抜けな姿勢で転がっていた。
 頭上から爽やかに聴こえる葉擦れの音に紛れて、また喉が鳴る。
 指が這い回る。
 相変わらず本人はぼんやりと呑気な様子であるにもかかわらず、その手の動きは止まらない。殊更やわらかい腹の毛を、広げた掌が撫でる。
 優しく、宥めるように擦れていく手つきに、小さくなった僕の心臓は早鐘を打った。
 撫で擦る指は、時折地肌をマッサージするように深く埋められ、揺れる。
 僕は今、猫だ。だから何の問題もない。そう頭の隅で繰り返さないと正気でいられなかった。
 燃堂が触れているのはたしかに猫の腹で、それは慈しみの行為だったが、僕はもっと別の、熱と情のこもった触れ方を想起していた。
 猫としての快感と、思い出される快楽が頭の中で衝突する。 刺さった指の腹が胸に触れ、肌を掠めていく感覚に、背筋が震えあがる甘い衝動を感じて、
 前足で顔を覆う。何とも猫らしくない素振りだったが、そんなことを言っていられる余裕は無かった。
 冗談じゃない。こんな姿で、こんな所で高められて堪るか。
 そう思って耐えているのに、快感の波は引くことを知らず断続的に襲い掛かってくる。
 本当に嫌になるほど絶妙な力加減で、撫で擦る燃堂の指が、徐々に下がっていく。
 へその下、下腹部辺りを辿って、何故か背中へと回される。
 正確には、尻。 尻尾の付け根をとんとんと優しく叩かれ、堪えきれず小さな声が出た。
 しかしそれは掠れた猫の鳴き声にしかならず、燃堂は特に気にする気配もない。その事実が無性に、空しく思えた。
 僕は無理やり蕩けた快感から意識を引き剥がし、四肢を突っ張って飛び起きた。突然の派手な動きに、流石に驚いたのか燃堂が手を離してやっと僕を見る。しかし何かを言われる前に僕はベンチから飛び降り、一目散に茂みへと駆け出した。
 緑が生い茂る闇の中でじっと身を潜めて息を殺す。前足は手に、後ろ足は足に、首にあったヘアピンは頭へと戻り、僕は斉木楠雄の姿を取り戻した。
 そっと立ち上がり、茂みを抜け、公園の中ではなく外に出てもう一度、正面から入った。
 近付いてくる僕に気付くことなく、燃堂は突然消えた猫の行方をきょろきょろと探している。僕は早足でベンチに近付き、燃堂の前に立った。
 ようやく僕を見た燃堂は、驚きながらも嬉しそうに笑いかけてくる。
「お? 相棒じゃねーか――っておい、どうしたんだよ? 何かすげーぐったりしてるな。誰かに何かされたんか?」
 誰かに、じゃないお前にされたんだ!!
 僕は苛立ちと羞恥の狭間で悶絶しながらも、ぽかんとしている燃堂の腕を捕まえた。そしてそのままベンチから立ち上がらせ、有無を言わさず
 引っ張っていく。行く先はもちろん、僕の家だ。
 礼か、単なる欲か。この際どちらでも構わないが、とにかく。
 責任は取ってもらうからな。
 未だ冷めやらない熱の名残を尾てい骨に感じて、僕は呼びかけてくる燃堂に構うことなく足を早めた。