窪鳥/事後

 

 ぼんやりと剥き出しの背中を見ていた。浮かび上がる肩甲骨。肉の薄い、硬い身体。
 自分よりは幾ばくか頼りない体躯だが、華奢という程のものではない。
「――何、っスか」
 視線を感じた男が寝返りを打つ。気怠そうな、しかしどことなく緊張した眼差しが刺さる。窪谷須は髪をかき上げ、置いていた水のボトルを放る。
「別に」
 小さくベッドの上で跳ね返ったそれを、男はじっと見ていた。喉が乾かない筈が無い。さっきまでひっきりなしに、荒い息を吐き出していたのだから。
 もう一本の水を取り、キャップを捻る。力を入れ過ぎたボトルが撓み、水が溢れる。窪谷須は舌打ちして、同じく裸のままの胸に飛んだ水滴を指で拭う。
「――何だよ」
 向けられる視線に顔を上げずに問う。冷えた水が滴り落ちる感触は悪くないが、そのままにしておく訳にもいかない。
「あんた……よかったんスか」
 問いかけにはすぐに答えず、水を一気に流し込んだ。きんと冷えたそれが火照った身体を芯から冷やす。 混濁していた思考が多少クリアになり、窪谷須は立ち上がった。
 咄嗟に身体を身じろがせる男の近くへ、ゆっくりと近づく。
「具合が?」
 見下ろした男は一瞬言葉に詰まり、それから有り得ねえ、と搾り出すような声で呟く。 狼狽えたのを隠そうとするその様に口角が上がる。窪谷須は寝そべったままの男の腕を取り、力を入れて起き上がらせる。そして転がっているボトルを拾い、キャップを開けて男に差し出した。
「雑、なのかマメなのか分かんないっスよ」
「気になんの」
「別に。――男の嗜好とか、どうでもいいっス」
 吐き捨てられた文句には、宙に浮いたような違和感があった。 そう口にすることで何かしらの安寧を保とうとしているのかもしれない。
 ボトルを握り締め、飲もうとしない男の胸を見つめる。赤く輪のように残る跡は、窪谷須の歯と同じ形をしている。
「不良の、くせに」
 苦みを帯びたその声と、噛み付いた時の引き攣るような声が重なる。窪谷須は男の手からボトルを取り、一口飲む。
「女好きのくせにな」
 びくりと肩を震わせ男は視線を向ける。顎を掴み、その顔を上げさせて覗き込む。 もう一度水を含んでから、生温くなったそれを、薄く開いた口へと流し込んだ。



窪鳥/お題 「戸惑いながら 引き止める。」

 

 言ってしまえば勢いだった。 女のことしか頭にない軽い男、そいつは身の程も知らず面倒臭く絡んでくるばかりか、あまつさえ浮ついた影すら見せない俺を嫌らしくからかってきた。
  ――女に興味が無いなんて、男の尻なんて追いかけて楽しいとか、アンタそっちっスか――
 その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていたものが音を立てて切れた。隠していた正体のことも投げ捨てて身体を押さえつけ、上に乗り上げる。マウントポジションで徹底的に力の差と上下を刷り込ませてから、小さく笑った。
「そうだって言ったらどうすんだよ」
 だらしない笑みが僅かに引きつり、血の気が引く。
「……まさか?」
 この期に及んでまだ軽い笑みを浮かべる男に、馬鹿な話引っ込みがつかなくなった。そこからはもう、本当に勢いだ。
 途中から何故か妙に興奮していて、自分でもどうしようもなかった。それでも異質な行為であっさりと吐き出した後は、広がる後悔と居た堪れなさに耐えるしかなかった。
 仕掛けたのは自分だ。されるがままだったとはいえ、完全な合意とは言えないだろう。とにかく気まずくて厄介で、目を見ることすら出来なかった。
 少しの間放心していた男が、やがてのろのろと立ち上がる。足取りはしっかりしているもの
の、遠ざかる背中はどこか頼りない。
 このまま見送れば、忘れてしまえるのだろうか。相手もそれを望んでいるように見える。こんなこと、さらりと流してしまった方が互いに都合がいい。それなのに。
 俺は立ち上がり声をかけた。歩みが止まり、男はその場で立ち尽くす。何をしているんだと自問自答しながらも、その背を引き止めずにはいられない。
 引き止めればきっと、終わるどころか始まってしまう。分かっているのに、向けられた背中の向こう側、その顔がどんな表情をしているか、俺は気になって仕方が無かった。


  窪鳥 お題「戸惑いながら 引き止める。」  2人でじゃれったー様より http://shindanmaker.com/a/200050


窪鳥/お題 「大切にしたいと傷付けたいをいったりきたり」

 

 鬱陶しいと思う時はある。しかしそれ以上に離れ難く、突き放すことは最早出来ない。
 女の話をされるとやけに耳につくし、苛立ちのままその身を床に押し付けたくなる(実際何度かそうした)けれど明確な言葉は無い。滞留する感情に出口がない。
 好意でも、ましてや友情でもないそれがただ、手放せなかった。


  窪鳥へのお題は『大切にしたいと傷付けたいをいったりきたり』です。 お題ひねり出してみた様より http://shindanmaker.com/392860


窪鳥/初めて話 R-18

 

 足の間に近付く顔を見て思わず声が出た。悲鳴とも戸惑いともつかないその声に、俯いていた顔を上げてそいつは眉を寄せる。
「……何だよ」
「あ、えーその、ホントにするんだなーと」
「お前が無理っつーからやってんだろ。代わるか?」
「い、や、遠慮しときます……」
 大人しく降参すると、そいつは仕切り直すように息を深く吐いた。そしてオレの下着に手をかけ、まだ柔らかいそれを布越しに高めていく。
 次第に芯を持ち始めた部分に、そいつの吐息がかかって落ち着かない。オレの吐き出す息も段々と湿り始めていく。そろそろ完全に屹立したと思われるところで、そいつは下着を引き下ろ
し、晒されたそれに舌を伸ばして先端へと触れさせた。
「う、わ、ちょっ……マジ、っか……!」
 身じろぐ腰を押さえつけられ、そのまま口内へと呼び込まれてまた声が出た。見上げる瞳と真正面から視線がぶつかりながら、ふかく温かい粘膜に包まれていく。
 何度も懸想した行為は、オレが夢見ていた可愛い女の子の柔らかな唇ではなく、目つきの悪い男の薄い唇によってついにもたらされたのだった。 予期はしていたものの、本当にされると動揺が抑えられない。ぬるついた口内のえもいわれぬ気持ち良さと、それを与える男の顔に混乱してどうしようもない。制したいのかその頭を掴んで思うまま動きたいのか、自分でもよく分からなくなる。 そんなことを考えている間にも締め付けをきつくされ、その的確な刺激に情けない喘ぎのような声をこぼす。
「は……っ、う、あ……っ」
 俯いたそいつは黙々とオレを煽っていた。始める前に男相手の経験は無いと言っていた筈だ
が、その信憑性が著しく損なわれるほどの落ち着きっぷりだった。
 オレは回らない頭でいくつかのパターンを考えていたが、その内ふと「する側」でなく「される側」の経験者だという、極めて一般的な想像に辿り着いた。
 そう思えばこの妙にツボを押さえた所作にも納得できる。溜めた唾液で音を立てながら抜き上げる動きには最早別の生々しさしか感じられなくて、羨望か嫉妬かよく分からない感情で埋め尽くされながらもその心地良さに歯噛みした。
「あ、あ……うっ、あ、いくっ、かも……!」
 我ながらあまりにも早いとは思ったが、今更堪えた所で 何の格好もつかないことは分かっていた。 オレの訴えに、そいつはちらりとこちらを見て唇を浮かせた。
 そしてまた奥ふかくまで誘い込むのかと思いきや、あろうことかそいつはそのまま完全に口を離してきた。解放されたそれはこれ以上ないほど張り詰め、滴る唾液と共に粘ついた体液で先端を濡らしていた。早い話、とんでもない所業だった。
「え……えっ!?」
 呆気にとられるオレをよそに、そいつはオレの身体を強引に俯せさせた。 剥き出しの尻を突き出して、前は完全にお預けをくらっていて、そのあまりの完成度にいっそ笑いすら込み上げてくる。けれどそれも尻に直接触られるまでの話で、指先がいよいよ窄まった部分に触れてくれば途端に血の気が引いた。
「い、いや、は、いんないって……!」
「いけるだろ」
「何スかその他人事っぷり!大体さっきからアンタよく触れるっスよね……って、うあ、そん
な、押されても……っ」
「触んなきゃできねーだろうが。洗ってあんだろ?さっきトイレ籠ってたし――」
 オレの秘蔵のエログッズであるローションを指に塗りつけながら、そいつは事もなげに言ってみせる。決して人のことを言えた口では無いものの、発言の端々がなかなかに雑で心配になる。まさか女性相手にもこうだとは思えないが、もしかしたらその粗暴なやり口がウケているのかもしれない。オレは最早斜め上どころの騒ぎじゃないそんなくだらないことを考えながら、身体の中を出入りする指から意識を背けていた。
 痛みが遠のいてきただけまだましだが、想像以上の違和感だ。他人の一部が身体に入っているのだから当然ではあるが、女性もこんな感覚を味わっているのだろうか。いやそもそも身体のつくりが違うのだから同じではないだろうし、無意識に女の位置に立とうとしている自分に寒気がした。そしてこのかなり萎えかけている哀れな半身を、濡れた粘膜で擦る想像をして打ちひしがれた。そうだ、オレはそういうことがずっとしたくて女の子を追いかけていたのだ。
 それなのに気付けば本来の役目を果たせなかった半身はくたりと頭を垂れ、少しでも圧迫感が薄れるようにと下腹部に力を入れている始末。涙も出やしないと泣き言を思いかけたその時、埋まっていた指が全て引き抜かれた。
「――いけそうだな」
 抜け出た違和感に身震いしていて、背後で聞こえた声に反応するのが遅れた。目いっぱい尻を開かれて、ぬるぬると先端が押し付けられる。息を吐いたが声は出なかった。
 引き攣れる感覚と共に男の性器がオレの、身体の中に入ってきて、その事実に愕然とする間もなく、試すように揺さぶられる。
「入った、だろ」
 どう見ても正確には「入れた」のだが、そこを指摘する余裕すらなかった。引っ掛かりはあれど、結局は中に入れてしまった自分の身体の順応性に、泣きたいやら驚くやらで言葉にならな
い。ただ背中に張り付くそいつの体温が無性に心地良くて、居た堪れない思いで髪を掻き乱し
た。
 首筋にそいつの息がかかる。足の間にいた時よりもずっと熱く、早い。途端にセックスをしている自覚がはっきりと覆い被さってきて頭に血が上る。
 そいつはやたらじれったい動きでオレの内股を探り、項垂れていた性器を掴んだ。
「あっ……」
 漏れ出た声が信じられないほど甘ったるくて固まった。そいつは丁寧にそれを抜き上げなが
ら、オレの耳の裏に口を寄せて吸い付く。際どい所に与えられる刺激は性感を強く煽り、途端に気力を失っていた部分も頭を擡げはじめた。我ながら容易過ぎる。
「――よさそーじゃねーか」
「アンタ、こそ……っ!」
「確かにな……」
 売り言葉に買い言葉のつもりで噛み付いたのに、さらりと受け流されてしまって二の句が継げなくなる。軽く鼻で笑われると思っていたそれを認められてどうしていいのか分からない。震える息を吐きながら擦られている快感に集中していると、耳の裏に吹きかけるようにかすれた声が囁いた。
「ハマる、かもな……っ」
 何に、とも何が、とも聞けなかった。そんなことよりその一言で血圧が更に上がったようで、動悸が激しくなっていることの方が重大だった。
 下腹部の不快感より込み上げる射精欲で頭がいっぱいになる。泡立ったローションが内股を伝ってシーツを汚して、まるで勢いよく潮を吹いたAV女優のようだと思って振り払う。あまりにも倒錯し過ぎている。そんな場面を重ねて興奮するだなんて、あまりにも。
「ん、うあ、あ……っ、あっ、出る、出るって、もう」
「出せばいーだろ」
「ま、ま……た、寸止めするんじゃない、ン、スか」
「してほしいならするけどよ」
「も、ホント……かん、べん……してくださいって……あ、あっ」
 本当にまた放り出された敵わない。そう思って殆ど懇願するように訴えると、擦り上げる手が早くなった。もちろんそれと伴って、内を突き上げる動きも激しくなる。
  重く痺れる腰を早く何とかしたくて、恥も外聞も捨てて強請りながら、動きに合わせて喉を震わせる。
「う、んっ……!あっ……あっ、もう出る、出る……!」
 馬鹿の一つ覚えのように出る、出ると繰り返して、オレは言葉通り男の手の中に溜め込んだ精液を余すことなく吐き出した。少し遅れて、背後のそいつが動きを止め、オレから抜け出ていく。息を詰める気配を感じながら、オレは突っ伏したままでぼんやりと謎の陶酔感に浸っていた。

「で、どうなんだよ」
 あらかた始末を終えたところで、そいつは何故か高圧的にオレに対して向かってきた。その抽象的な質問が先程のアレを差していることは明白だったが、肝心の意図が掴めずぽかんとしてしまう。暫く考えて、それがつまりどちらが突っ込むとか突っ込まれるとか、そういう内容であることに気付いて視線を彷徨わせた。
「あー……いや、どうなんスかね」
「オレが聞いてんだよ。まあ代われっつーなら代わるけどな」
「う、うーん……まあ別に……今のままでも別に……」
「はっきり言えよ」
 寝転がっていたベッドの傍らに、そいつが腰掛けてくる。着崩れたシャツがやけに様になっているのは流石だなと思いかけて、そのよからぬ思考に戸惑いながらも、見下ろす顔に向かって言ってみた。
「入れられるのも、まあ……アンタになら」
「ふーん」
「ふ、ふーんって!聞き出しといてなんなんスかもう!!」
「だって言っただろーがよ」
 そいつは徐に伸ばした指を、オレの少し開いた口に入れてきた。呆気に取られるオレの舌を、指先で撫ぜながら目を細める。
「ハマるかも、ってよ」
 温かい舌の先を指先で挟まれて唾液がこぼれそうになる。 その意地悪くいやらしい手つきを恨めしくみ上げながらも、結局オレは遮ることも出来なかった。


斉鳥/鳥束誕生日

 

 さあ食え、とばかりに卓上を料理で埋められて、その思惑を知りつつも流石に鳥束は困惑を隠せなかった。
 一応表情を伺ってはみるが、目の前の当人は相変わらずの涼しい顔だ。どことなく満足気な様子にも見えるものの、輝くばかりの笑顔だとかそういうことはもちろんない。
「あ、あの、本当にいいんスか?」
 スプーンを手にしてから念の為にもう一度問いかける。彼は自分の料理に手をつけながらおざなりに頷いた。
 並べられた全てが相手の奢りだと言われるとどうにも気後れしてしまうが、いつまでも躊躇っていても仕方がない。 これまた狙い澄ましたように、というか実際狙い打たれているのだが、自分の好物ばかりの皿に少しずつ手を付ける。決して特別豊かではないだろう彼の経済状況から捻出された多種様々な振る舞いに、鳥束は暫く黙って舌を満足させていた。
「うまいっスよ斉木さん、ありがとうございます」
 一通り空けてからそう伝えると、斉木は視線を合わせて頷いた。彼なりに考えた祝い方なのだろうが、何となく親や年上の人間が行うような素っ気なさがあって少しおかしい。不器用ながら自分の為に考えてくれたのだからもちろん嬉しいが、そのギャップを含んだ微笑ましさに思わず笑いが込み上げてくる。
 するとそれを察した瞳が、照れを隠すようにむっとした視線を向けてきて、鳥束はいよいよ我慢が出来ずに微笑んだ。
「いい誕生日っス、本当に」
 口にした言葉に、思った以上の真剣さが込められていて鳥束は自分でも驚いた。言われた斉木も少しだけ目を見開き、やがて持て余すように視線を彷徨わせる。
 調子が狂う、そう言わんばかりに苦々しい表情を浮かべる斉木に、むくむくと頭を擡げる意地悪い感情を抑えられなかった。
 「ね、せっかく誕生日なんスから、もう一つお願いしてもいいっスか?
  眉を顰める斉木には、鳥束の思考は既に伝わっている。それでもあえて口に出したくて、鳥束は低く抑えた声でテーブルの向かいから囁いた。
 「今日は俺にいれさせてくださいよ」
 斉木は全くの無表情で鳥束を見た。その涼しげな表情の奥に見え隠れする熱を、鳥束は嫌というほど知っている。
 別に現状に不満がある訳はないが、一度も興味を持たなかったと言えば嘘になる。引き金は誕生日を口実にして――というより、珍しい照れや戸惑いを見て煽られたといった方が正しい。 そんな鳥束の考えを読んで、斉木は不愉快そうに目を眇める。
 そうはいっても今日は誕生日だ、主役たる自分を楽しませてもらわなくては。鳥束はいつになく強気な様子でほくそ笑む。
 すると仏頂面だった斉木の唇が不適に緩められた。その鋭利に尖ったような微笑みには見覚えがある。身体を、抑えつけられている時のそれだ。
 楽しめればいいんだな? 呟かれた言葉が決定打だった。鳥束は背筋がぞくぞくとざわめくのを感じる。これはまずい。そう思う間もなく、不穏な宣告が発せられる。
 仕方ない、今日は一日が終わるまで、たっぷり楽しんでもらおうじゃないか。普段よりずっ
と。時間をかけて。
 滴るような言葉を残して、斉木が会計の為に立ち上がる。鳥束は固まったままそれを見送っ
た。少しのからかいのつもりが、とんでもないものを焚き付けてしまったらしい。下腹部に感じる甘くまとわりつく重みに、鳥束は思わず頭を抱える。 日付が変わるまで、あと数時間。どんな風に楽しませられるのか気が気ではないのに、そのことばかりを考えてしまって、既に期待をする自分を抑えきれない。 とにかく、この店を出るまでは平静としていたい。そう思いながら鳥束は息を吐く。
 やけに熱く湿る吐息にも気付かない振りをして、どうあっても引っくり返せない男の帰りを待っていた。


斉→鳥/無理矢理

 

 寸分のためらいもなく指先が触れる。引き下ろされるファスナーの音ににじり寄る生々しさ。 明確な意思をもって下腹部に触れるその手を何度も掴もうとした。
 しかしそれは叶わない。手の持ち主を出し抜くことなど出来ない。反抗することも。
 それでも黙ったままされるがままでいることはどうにも耐えられず、無駄とは知りながら後ずさる。身体を離そうとする。もがく足を体重をかけて絡め取られているから意味は無い。まな板の鯉よりもずっと惨めだ。
 そんな抵抗にもならない身動ぎを繰り返している内に、開いたファスナーから下着をずらされる。外気に敏感な部分が触れ、背筋が震える。吐き気にも似た嫌悪感と戸惑いが腹に溜まる。
「ちょっ、さいき、さ……」
 名前を呼んだ。それで相手が現実に引き戻されることを願った。頼むから考え直してくれ、留まってくれと、殆ど懇願するような思いだった。 彼は、そんな自分を一度見ただけだった。渦巻く感情が丸ごと伝わっている筈なのに気にも留めない。それどころか中途半端に晒された柔らかいそれを、直接握り込んだ。
 突然の刺激に腰が浮く。冷えた指が血流を刺激するように辿る。感情とは裏腹に少しずつ固さを持ち始めるそれが疎ましく、頭を抱える。
「斉木さん……っ、ほんと、もう」
 がむしゃらに暴れてしまいそうになるのをぐっと堪えて言葉にする。力に訴えた所でそれこそ何の意味も無い。拒絶したいだけではない、自分は彼に、思い留まってほしかった。 確かに彼に好きだと言った。しかしそれは、こんな意味合いを含んでいた訳では無かった。親愛に限りなく近いそれを彼自身汲み取っていた筈だ。
 それなのに何故か、全てを通り越してこんな行為に及んでいる。 もし彼の思いと自分の好意にずれが生じているとしたら、尚更無意味だ。自分は女性にしか性的興奮を覚えない。全てが逆効果だ。そんなこと、彼なら分かり切っている筈なのに。
 握られたそれに顔が近付く。息すら触れそうな距離に必死で腰を引こうともがく。頭を過った行為だけは避けなくてはならない。今ならまだ何もかもを投げ出せる。
 見て見ぬ振りが出来る。だから。 そう思った瞬間、無情にも緩く勃ったそれを、彼の口があっさりと飲み込んだ。濡れた粘膜が表皮を丸ごと覆い、絡みつく。
 その肉感的な刺激に息が止まった。頭が真っ白になる。目を背けたいのに視線が勝手に下りていく。唇で挟むように銜えた彼の顔を見て、思わず叫び出しそうになる。
 止めろ、離せ、騒ぎ立てる脳内は彼に直接伝わっている。それでもやはり、離してはくれな
い。それどころかすぼめた口内でさらに刺激を煽ろうとさえしてくる。
 切れ切れの声で必死に抗う。
「さいき、さんマジ、で……!止めて、オレ無理っス、無理なんスよ……っ」
 腰の辺りに纏わりつく感覚に覚えはあるが、拒否する感情の方が上回っていた。顔を背け、目を閉じる。焼付いた光景が離れない。こんなのはどう考えても間違っている。
 留まらせなければならない。目を開き、腕を突き出す。それと同時に先端を吸われ、語尾がみっともなく震える。
「斉木、さんっ……!」
 触れた肩を押す。邪魔そうに払われても、頑なに押し退ける。するともがく内に膨らんだ先が喉の奥を抉ったのか、彼は咽るようにして口を離した。生理的な反応は耐えきれなかったのだろう。乾いた咳を何度か繰り返す彼に、慌てて後ろへ下がる。剥き出しのそれは未だ固さを保ったままだが、どうにか隠すべく膝を抱えた。
 少しすれば収まる。深く溜息を吐き、精神を落ち着かせる。息を整えた彼は、どこか疲れたように目を伏せていた。
「斉木さん……」
 彼の反応は無い。全ての音を遠ざけてしまったかのように、動く気配すら無い。口をついて出てしまいそうになる謝罪を堪える。謝った所で何も変わらない。
 そんな気休めの言葉で取り繕えてしまう程、引いた線は甘くない。 もし言えるとするならば一つしかなかった。徐々に柔らかく萎びていくそれをのろのろと収めながら思う。持て余すその感情が、もっと違うものであったなら。あるいはそれを向けるのが、誰か別の人間であったなら。そうすればきっと、きっとまた。
 この葛藤も余すところなく彼に伝わっている。それすらも隔たりにしかならなくて、臍を噛
む。
(貴方のそれが自分でなければどんなによかったか)

殆ど才虎+窪谷須の才窪/窪谷須が捕まる前の話

 

 水が勢い良く流れ出ていた。 青黒く腫れた痣を流水で冷やし、男はおもむろに顔へと水を浴びせかけた。
 分けられた前髪が額に張り付く。 そのあまりにも安っぽく軽々しい光景にせせら笑った。どこまでも庶民の行動と自分のそれは擦り合わない。
 剥き出しの水道管にはいっそ、哀愁すら感じる。
「誰だ」
 濡れた顔を上げ、男が呟いた。その視線ははっきりとこちらを向いていて、仕方なく物影から姿を現す。
 男は自分の顔を見ると、途端に険しい表情で睨みつけてきた。毛先まで濡れそぼっているその様と相成って、いつか道端で見かけた汚らしい野良犬を思い出していた。
 身形は散々なくせに、視線だけは異様にぎらついていたあの犬だ。
「テメー、何の用だよ」
 じっと凄みを効かせながらも、背後や周囲に気を配っているのが分かる。 いつ控えている黒服が飛び出してくるか分からない――そんな警戒が、ひしひしと伝わってきていた。
「……貧乏人にとってはただの水道でもシャワーになるのか。効率は良さそうだが、みすぼらしさには拍車がかかるな」
 殺気立つ様を嘲笑いながらそう言うと、男の眉がぴくりと動く。不快さを隠そうともしていないが、未だ警戒は解かれていない。
 容易に頭に血が上る単細胞ではあるものの、すぐさま殴りかかるほど愚かではないらしい。 男は流れ続けていた水を止めると、煩わしげに髪を撫でつけて視線を逸らした。
 どうやら関わり合いになるのを避けようとしているようだ。賢明ではある。 手負いの状態でこれ以上やり合うのはただの無謀だ。それにいくらボディーガードを退けたところで、何の意味も無いことくらいは理解できていると伺える。
 男は顔を上げ、こちらには目もくれずこの場を去ろうとする。傍らを通り過ぎる男に向かっ
て、呟いた。
「無駄だと思わないのか」
 男の足が止まる。締まりの悪い蛇口から垂れる水滴を見つめながら、思うままに言ってやる。
「お前のその傷も、疲れも、何の意味も持たないんだ。この俺が少し動けば全てを引っ繰り返せる。お前の存在なんて、無かったも同然だ。無駄としか言いようがないな」
 そう、全ては茶番でしかない。どれだけ下位の人間が抗い、足掻いたところで、俺と金の力には敵わない。無駄な傷、徒労。奪われるだけ奪われ、残るものといえば消えない痛みぐらいだ。あまりに滑稽ではないか。 わざわざそう、指摘してやったにも関わらず、男は結局視線を合わせようともせず通り過ぎていった。
 足音はそのまま遠ざかっていくが、少し離れたところでまた止まった。その惨めな姿を、最後にもう一度見てやろうと振り返る。
 男は背を向けたまま唸るように言った。
「……確かに無駄かもしんねえな」
 吐き捨てられた言葉に唇が歪む。芯の強さを気取ってはいても、所詮は矮小な一般庶民だ。圧倒的な力の差をやっと思い知ったらしい。今にも頭を垂れんばかりの後頭部を一人嘲笑う。すると本当に男の頭が僅かに伏せられた。男は顔だけでこちらを振り返る。
「ボディーガードなんざどうでもいい。オレがぶん殴ってやりてえのはテメーだからな。そのふざけた態度、絶対改めさせてやるよ」
 男はそれだけ言うと、今度こそ背中を向けて去って行った。少しの間を置いて、沸々と怒りが込み上げてくる。 言われた内容はもちろんのこと、突き刺さった惨めで忌々しい視線を思い出して奥歯を噛む。何としてでもあの、生意気な庶民を叩き落さなければ気が済まない。 控えていた一人を呼びつけ、言付ける。これで明日からもうあの男を、この学校で見ることは無くなるだろう。それでもまだ昂り続ける神経を抑えるために拳を握り込む。
 ふざけた態度?ぶん殴る?誰に向かって口をきいているんだ。あんな男がこの俺と同等に語るなど、それこそふざけた行いだ。精々黒服相手に傷を作るくらいがお似合いの癖に、身の程知らずもいい加減にしろ。
 静まらない苛立ちを持て余しながら、まだ水を垂らし続ける蛇口を睨み付ける。どいつもこいつも忌々しい。未練たらしく縋りつき、喘ぎ続けることほど空しく、無駄なことなど無いのだ。大人しく全てを投げ出せばいい。立っている場所が違う、そんなことも理解できない愚かな人間には、分からせてやるより他に道は無い。
 蛇口に近付き、触れようとするとボディーガードがすぐさま飛んできたが制する。古く安いそれを力いっぱい握り締め、固く締め付ける。縁に溜まっていた水滴が震え、やがて静かにこぼれ落ちた。これでもう、垂れ流すことは無いだろう。
 清潔かつ高級な布で手を拭いながら歩き出す。そう、こうやって分からせてやればいい。
 ありとあらゆる手段で追い込み、差し出すように仕向ければいい。簡単なことだ。 脳裏にちらつく視線に向かってそう言い放つ。
 お前も踏みにじってやる。二度とそんなおこがましい態度を取れないよう、徹底的に。
 薄いガラスの向こうで歪むそれを想像してほくそ笑む。背を向けた水道からはもう、水音は聞こえなくなっていた。