四宮×創真再録集 Résonance 書き下ろし「La promesse」本文サンプル

 

 三度目の欠伸をしたところで、隣に座っているその人がぴくりと動いた。
 さっきからずっと、様子を伺われていることに気が付いていたにもかかわらず結局堪えきれなかった。
 ああこれは何か言われるだろうなあと思った瞬間、案の定顔がくるりとこちらを向く。
「先に寝ろ」
「大丈夫っす」
 間髪入れずに言い切れば、俺が師匠と呼ぶその人は黙って眉を顰めた。
 確かに風呂も入ったしやることといえば特にない。そのまま寝てしまっても何の問題もないのだが、そうあっさりと諦めてしまうのも俺としては躊躇われた。

 北海道での連隊食戟を終え、帰ってきた俺のスマートフォンに届いたメッセージは相変わらずシンプルだった。
 スケジュールの空きと帰国日、あとは滞在しているホテルの場所。今回の一件に合わせて組んだ仕事の関係で、ホテルに滞在していることは話の流れで聞いていたものの、ここに訪ねていくのかと思うとちょっと身構えた。
 現体制との入れ替わりのごたごたでばたついている中だったが、それでも会いに行かないという選択肢は無くて、何とか許可を取ってそのちょっと身構えてしまうホテルに向かった。
 それまでに交わしたやり取りといえば予定の連絡くらいで、他の内容は殆ど何もなかった。直接会って話せばいいと思っているのは分かっていたし、俺自身もその方がいいのは確かだった
が、会ってから何をどうやって言えばいいのかとも思っていた。
 言いたいことは山ほどあるように思っても、いざ言葉にしようとすると上手く言えない。いっそ何も言わなくていいような気さえしてくる。けれどそれじゃ何も伝わらないからやっぱり違
う。
 らしくなく迷う俺をホテルのロビーで出迎えた師匠は、何も言わずにラウンジへ向かって熱いカフェオレを奢ってくれた。冷えていた身体がじわじわと温まり、思わず深く息を吐く。
 向かい合った四宮師匠が、そんな俺を見て微かに笑った。その微笑みを見た瞬間、考えていた色々なことが一つにまとまって、自然と笑みがこぼれていた。

 暫定っすけど、と告げれば、そうだなと頷かれる。素っ気なく聞こえる声とは裏腹に、師匠の唇は緩く弧を描いていた。
 招き入れられたホテルの一室に足を踏み入れ、腰を下ろす前にまず呼びかけた。背を向けていた師匠が振り返る様はあの日の、獲れと言われた時の光景とそのまま重なる。
 師匠、と呼ぶ度に嫌がられるが、やっぱり俺にとっての師匠はこの人だと思う。初めて自分から食戟を挑んだ相手、初めて遠月で負けた相手、初めて自分の殻を破るきっかけになった相手―俺の料理の根幹にゆきひらがあって親父があるのなら、遠月という新しい下地が出来た中で、この人は特別深いところにいる。多分、これから先も。
 とんでもない縁が出来たものだとしみじみ思う。それこそ遠月に入った頃は想像もしていなかった。
「……何呆けた面してやがる。どうせさっさと獲りに来いだの言ってきたんだろ、感傷に浸ってる暇なんざねえな」
「何で分かるんすか」
「そんなもん、聞かなくても分かる」
 妙に楽しげに鼻であしらわれて、仕方なくそういうものかと引き下がる。黙る俺を見て何と思ったのか、師匠がゆっくりと近づいてきた。