remain

 

 相変わらずこいつの思考というか意思は全く読めたものじゃない。
 別に特別知りたい訳でもないが、それにしたって毎度毎度意表をつかれるのはやはり気に入らない。
「先生は結婚とかしないの」
 火野木が家の手伝いでまさゆきがそれにつられるように出て行って、ブタはそういえば何かいなくて。
 二人になった部室で方々好き勝手なことをしていた筈なのに、今までの生温い空気をぶった切るみたいに 突然こいつはオレに話しかけてきた。
 その上その質問だか疑問だかが全くもって藪から棒としか言いようがないそれで、オレは割とバカみたいに 口をぽかんと開けて、大分間をおいてからはあ?と気の抜けた声を出してそいつを見た。
「だからさ、結婚。先生だっていい年ですよね」
 手元の携帯ゲーム機から視線を上げないでそいつは言う。
 ちょっと伏せがちな横顔がそれでも見紛うことなく美形で、 オレは何となく視線を逸らすのが癪でじっと見つめたまま問いかけた。
「――何、何なの急に。お前オレの母ちゃんだったの?」
「先生にも母親がいるっていうのが、なんかちょっと新鮮だな」
「いや、当たり前だろいくらオレが勇者でも人の子だよ。勇者の家にはお母さんが大体いるだろ――や、そういうことじゃなくて」
 少し語気を強めて逸れかけた話題を引き戻す。
 それでも相変わらずそいつの意識はゲームに向いていて、話を吹っ掛けておきながらあまりにもぞんざいな扱いだった。
 察するに、大した理由も興味もないのだろう。何となく思いついたことを口にしてみた、それぐらいの意図しか感じられない。
 だからオレも妙に張っていた肩の力を抜く。 素っ気なくも整った横顔から目を逸らし、いつものどうでも良い話をする時のようにだらだらと口を開く。
「まーそうだなあ、家で貞淑にオレの帰りを待つ嫁、とかならいてもいいかも――」
「河野が?」
 まるで適当な相槌を打つみたいにこぼれ出たそれに、流石のオレも言葉に詰まった。
 何故今の会話の流れで名前――たった今帰りかけて、しかしその前にトイレに行くと言い残して出て行った男の名前が出てくるんだ。
 男、そう、そいつは男だ。百歩譲って女だったとすればまだ分かる。 生徒と教師とかそんな倫理はさて置き、例え話として出てくる可能性は確かに存在する。
 しかし河野は男だ。ごく一般的な、友達の少ない、面倒臭くて素直じゃなくて嫌になるほど意固地な男だ。どう見たって嫁だなんて呼べる要素は無い。
 それでもこの男は河野の名前を出した。その中に潜む意味を探ろうとするが、生憎とオレとそいつの相性はさほど良くない。
 見つめた横顔はやはりこちらを向かず、眼球だけが忙しなく画面を追っている。透けてくる思いも何もあったもんじゃない。
「……お前、盾のことそう見えんの? あいつが? 嫁?」
「いや、僕は別に。でも先生はそうなのかなって。あ、もしかして逆でした? だったらすみません」
 爽やかに笑う男が差し出してきたのは芯に迫る一言だ。
 取るに足らない雑談を広げるような声で言うくせに、その切っ先はじくりと立ち入った部分に触れてくる。
 これはもう疑いようがない。笑えない冗談かとも思ったが違う。この男は確信を持って言っている。
 オレと河野の間に存在する、河野が死んでも自分から口にしないであろうその、関係性に気付いている。
 言葉を発さない互いの間には、ゲーム機から鳴る電子音だけが彷徨っている。器用そうな指が叩くボタンの音が、心地良くリズムとなってそれに絡まる。相変わらず淡々と高難度ステージをクリアする男は、否定も肯定もしないオレのことなど気にも留めていない。
 しりとりの答えを打ち返すような自然さで、オレと河野の間にわだかまる感情を暴いて晒す。 オレは黙ったままその男を見ていた。
 重ねて言うがこいつの考えが読み取れた試しなんてない。
 トイレに行った河野が戻ってくるまであとどれくらいだろう。そう無意識に気をやった所でふと、思う。
 当然のように帰ってくると思っていた。しかしそんな保証はどこにもない。
 オレは机に置かれた鞄へと目を向けた。持ち主の帰りを粛々と待つその姿にあからさまに安堵する。
 河野に引き上げられるのをひたすらに待つ健気なそれ。 思いがけず連想されるやけにはっきりしたイメージに息を飲んだ。バージンロード、結婚、未来。
「先生の奥さんは想像出来ないけど――河野はなんか、結構あっさりしてそうだ」
 朗らかな声が刺す。視線を戻すと、顔を上げていた美形と目が合う。
 薄く微笑む男の顔に悪意は感じられない。それでも何故か詰問されているような気にすらなって狼狽え、言葉を探した。
「……お前は、選びがいがありそうだな」
 搾り出した下種な物言いにも、そいつの表情は変わらなかった。
 そのまま広告にでも使えそうな爽やかな笑顔を向けて、いつの間にか完全クリアしていたゲームの電源を落として立ち上がる。
「でも結局、選ぶとしたら一人なんですよ。僕も――河野も」
 そう言った男にはゲームクリアの達成感だけではない、正体不明の愉悦が漂っていてその得体の知れなさにぞっとする。
 一度たりとも歪むことの無かった綺麗な顔は、颯爽と鞄を取り上げてゲームを突っ込み、部屋を出ていこうとする。 オレは振り返らなかった。
「うおっと! あれ、杖帰んの?」
 振り返らなかったオレを引っ張ったのは、トイレから戻ってきた河野の声だった。
 丁度扉を開けた河野とぶつかりかけたそいつは一瞬驚いた素の顔を見せたが、すぐにゆるりと笑いかけて頷いた。
「ちょっと用事がね。悪いけど、戸締りよろしく。部長」
「お、おう……じゃあな」
 戸惑いながら鍵を受け取る河野の横をすり抜け、出て行ったそいつの背中を、オレはじっと眺めていた。
 その視線の先に横入ってきた河野がオレを見て、怪訝そうに眉を寄せる。
「何だよ。ボケっとして」
「――まあ、選ぶ時は黙って選んでほしいけどな」
「はあ?」
「よっしゃ盾帰るか! オレもう待ちくたびれたわ何食ってく?」
「何で一緒に帰る前提なんだよ! 仕事しろ!」
 肩を抱き、あくまで親しげな担任教師の体を繕うが河野の反応はどこかぎこちない。 照れと居た堪れなさが拮抗するその態度に笑って、オレは背中を押す。
 急かしたいのか突き放したいのかオレだって分からない。分からないものに怯えたって仕方がない。だから笑う。今だけはこの男の隣で。


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