押しては惹いて

 

 そつの無い誘い方なんて出来る訳がないから、きっとこういうことを仕掛けたい時、はっきりと分かってしまうような空気を出してしまっているのだろうとは思う。
 それでもまるで予期していたように視線を合わされ、その後の出方を伺われるとやっぱり気恥ずかしい。
 結局したいことに変わり は無いし、拒否されないだけ万々歳ではあるけれど、矜持というか、少しの自尊心がちりちりと疼いてしまう。
 経験を積むしかないのか、もちろん彼限定で。
 どうにもずれてしまいそうになる思考を引き戻して、海藤は目の前の斉木に顔を寄せる。
 ちらりと覗く首に触れたくなって指を這わせれば、冷たかったのか眉を顰められる。馴染むように何度か擦ると、レンズ越しの目がふっと細められた。
 彼は時折こういう仕草をする。嫌悪ではなく、恐らくは心地良さを覚えているのだろうがはっきりとは聞いていない。
 ただ隙間なく肌を触れ合わせている時にも彼は同じような表情を見せるから、多分間違ってはいない。
 唇が触れる。机の上に置かれたカップと同じ、コーヒーの匂いがする。
 下唇だけを挟んで擦り合わせると、彼が僅かに動いた気配がした。そのまま間から舌を差し入れる。今度はコーヒーの味がした。
 舌と上顎で彼の舌を捕まえる。濡れた音が少しだけ大きくなって、口内にわだかまる。
「斉木、」
 触れ合うのを止めて、近い距離で名前を呼んだ。伏せていた視線がこちらを向く。
 その一連の流れが堪らなく好きだった。許されている、彼の内に許容されている。そうひしひしと感じられて愛おしい。
 だからいつもそうやってしかけてしてしまう。言葉にはしていないけれど、彼には既にばれている気もしていた。何せ自分は恐ろしく分かりやすい性質らしいから。
 首に触れていた手を頬に滑らせて、引き寄せてもう一度口付ける。今度は最初から中を許してもらう。
 するとされるがままだった彼の舌が自ら触れてきた。ぞわぞわと湧きあがる欲望のまま、弾力を確かめるように押して撫ぜる。
 少し離れて、誘い出した舌を柔く吸い上げる。手探りの拙い動きだったが、洩れてくる吐息は湿っていた。
 何ともいえない充足感と、浮足立つ心。込み上げてくる欲には際限が無くて、もっと深く、より強くと求める気持ちが止められない。
 飲み込むように深く口付けようと身を乗り出す。ぴったりと重なった唇は心地良いが、それに少しだけ水を差すのは、彼がかけている眼鏡だ。
 こうやって近付いて求めようとすると、かけられたままのそれはどうしたってぶつかってきてしまう。
 角度を変えたりずらしたり、色々試みてみるものの、それどころじゃない頭の中では結局のところ障害にしかならない。
 そんなことを考えている内にもまた、フレームが髪に当たって擦れている。
 邪魔なそれから逃れるべく首を傾けると、鼻で息をする斉木のリズムが僅かにずれた。喉の奥に引っ掛かったような小さな乱れが妙にいやらしくてどきりとする。
 もっと引き出したくて舌を少々強引に押し進める。 コーヒーの苦みしか無いと思っていた口内に、微かな甘い残り香を感じた。
 その香りがついさっき、彼が口に入れたチョコレートの名残だと気が付いた瞬間、痺れにも似た欲情を覚えて目を開ける。ちらりと覗いた衝動を、海藤は抑えなかった。
 少しだけ、物の試しに。
 そんな思いで、眼鏡のつるに手をかけた。そっと押し上げ、そのまま引き抜こうとする。
「……ん、っ……!」
 しかし突然絡ませていた舌が動き出して遮られる。
 繋がりを解いた彼の舌が、滑りながらじれったく唇の表面を伝う。
 伝った唾液を吸い上げて口付けられ、腰の辺りが重たくなるような可愛らしい音を立てて離れていく。
 堪らず上擦った声が洩れた。 それでも眼鏡に手をかけたままでいると、彼の手が海藤の耳に触れた。
 温い指先は耳の縁を辿り、頭皮を撫ぜ、喉仏に触れる。
 くるくると性感を煽るような手つきで弄られ、舌はまた合わせた口内で絡め取られる。立てた指先が行き着く先は、シャツのボタンだった。
 人差し指が真っ直ぐに滑り落ちてボタンを引っ掻く。ただ喉を鳴らして、待ち望んでしまう。
 何の躊躇もなくあっさりと、外されたそれが臨界点だった。
 眼鏡も何もかもがどうでもよくなって唇を離す。先走ってしまいそうになる手をやっとのことで押し留めて問いかけた。
「触って、いいか?」
 僅かにずれた眼鏡を戻して、斉木が頷く。こういう時必ず、はっきりと行動で返してくれる所も好きだった。
 ――そう結局、彼の全部が好きだ。
 細かいことはいい、とにかく今は思う存分、それを伝えられたらそれでいい。
 単純過ぎる思考、しかしそれは海藤の中にある揺るぎない真意だった。
 広げた腕でぴったりと抱き合う。上がる熱を分け合いながら、肌を触れ合わせていく。
 抱き締めた斉木の表情を、海藤が伺うことは出来ない。だから気付く筈がない。
 その口元が少しだけ、悪い笑みを浮かべていることに。