にせもの同士

 

 天龍型1番艦天龍という存在を、実は私はよく知らない。
 私がこの鎮守府に配属される以前からいる古株で、経験も多い強者という話だけは聞いていたしかし彼女本人と会ったことはなく、元より私と彼女は所属する艦隊自体が異なっていた為、見かけること自体も無かった。
  だから私は先の戦闘で不覚にも被弾し、前線を離れ入らざるを得なくなったドックで初めて、その艦と顔を合わせた。

にせもの同士

「あ――どうも」
「ん、ああ……」
 入ってきた私を見て彼女は、一瞬きょとんとした顔を見せた。無理もない、私だって目に飛び込んできた見慣れない色味に、入る場所を間違えたかと思ったのだから。
 私が戸惑いながらも軽く会釈すると、彼女もつられたように頷いた。何となく居心地の悪さを思いつつ、しかし入渠しない訳にもいかなくて、私は彼女の側へ近付いた。
  彼女はぼんやりと宙を眺め、見るからに暇を持て余している様子だった。
 修理を受けながらも、手や足がじれったそうに時折動く。新参者のような落ち着きの無さが目について、聞いていた印象とは正反対のそれを感じていた。
 彼女の状況から察するに、かなりの損傷を受けたらしく、入渠時間が予定より大幅に伸びているのだろう。今にもドックを飛び出して行かんばかりだなどと考えていたら、はたと視線がぶつかった。
「……なんだ?」
「いえ、落ち着きが無いと思って」
 初対面で流石にもう少し言い方があったとは思ったが、遅かった。さらりと告げてしまった率直かつ愛想も何もない感想に、彼女は目を丸くした後、実に好戦的な獣のような笑みを浮かべてきた。
「悪かったな。――お前、加賀だろ?一航戦の」
「そちらは天龍型1番艦、天龍さんかしら。お初にお目にかかります」
「ああ、初対面の割には随分な挨拶をもらったけどな」
 売り言葉に買い言葉を実践するように、不敵な笑顔のまま私に言う。その文句を真顔のまま流していると、彼女はさも面白くなさそうに鼻を鳴らした。
 とはいっても、先に口を滑らせた身ではあるが、私も端から彼女と険悪になりたい訳ではない そう思って彼女の顔を伺いながら、軽く頭を下げて言ってみる。
「ごめんなさい、不躾だったわ」
「思ってねえだろ、お前」
「そんなことは。ただ思ったことを初対面の方にいきなり口にするのは、やっぱり失礼かと」
「もういいよ。ったく、いい性格してやがるな」

 彼女は呆れたように肩をすくめて言った。丁度その時私に修理を施す為、作業担当が傍らに近付いて来る。私は激しく損傷した装備を差し出した。
 その有様に、隣の彼女が眉を顰める。
「……結構、食らってるな」
 外されていく装備と彼女の顔を交互に見て、私は黙ったまま頷く。しかし彼女の視線が私の、焼け切れた衣服から覗く生傷に向いていることに気付いて首を振った。
「大したことは無いわ。でも迂闊だった――迷惑を」
「赤城か」
 何でもないと背筋を伸ばすつもりが、つい言葉を付け足してしまった。そしてその意図をあっさりと彼女に拾われ、咄嗟にその顔を見つめ返してしまう。
 私に見られた彼女は、どこか気まずそうな表情を浮かべていた。 しかし恐らくそれは私への言及についてではない。むしろ自らの痛い所に、不本意ながら触れてしまった、そんな居心地の悪さを思う雰囲気だった。
「ま、心配はしてるだろうけどな」
 彼女は漂った不安定な空気を、丸ごとさらうようにそうさらりと言う。
 その取り繕うとする空気は見過ごしたものの、言葉自体にはどうしても反応せざるを得なかった。
「そんなこと」
「ないって?それはお前、赤城が気の毒じゃねえのか」
「……詳しいのね、赤城さんのこと」
「いや、そんなによくは知らねえよ。けど何となくさ、そういうのは伝わる気がするんだよ」
 私とあの人のことを何一つ知らないはずの彼女は、そう言って悪びれもせず笑った。
 そのいっそ清いとも言えそうな態度に、不快感よりも先に疑問が顔を出す。 分かったような口ぶりに対する疑問、それは先程の彼女の後悔と相成って、私に一つの記憶を思い起こさせた。
「――初対面では、無かったわ」
「え?」
  虚を突かれた彼女が私を見る。私の記憶から蘇った光景、それは彼女と、もう一人の存在だった。
「会ったことはないけれど、見かけたことは。あなたと似た雰囲気の方と連れ立っているのを、一度」
「――ああ」
 そこまで言うと彼女は私の指摘に思い至ったようだ。 彼女と似た存在、綻ぶように笑う横顔とそれに柔らかく応える彼女の姿が、おぼろげに再生される。
 その存在を指摘した途端、彼女の纏う空気が変わった。情のような、翳りのような、確実に今までとは違う表情が滲む。 彼女の痛い所が、剥き出しになって晒される。
 けれど彼女はそれを一瞬で元のように覆い隠し、視線を彷徨わせた。
「仲が良いのね」
「……そんなことよく分かるな、見かけただけで」
「そういうのは何となく伝わるから」
 私の返しに、彼女はあからさまに嫌そうな視線を寄越す。 もちろんそんな承知済みのことに構うことも無く、私は素知らぬ顔で言葉を続ける。
「同型艦ね、名前は?」
「龍田だ」
「龍田……ネームシップはあなただから、2番艦――妹艦とでもいうのかしら?」
「ああ――いやまあ、どっちでもいいけどな」

 投げやりな口調とは裏腹に、彼女がちらつかせる警戒がピリピリと張りつめていく。
 それでも私は退かなかった。ただの意地だと自覚はしていたが、上の空な彼女にその存在を指摘し続ける。
「龍田さんは出撃中? それとも、遠征とか」
「何だよ、やけにあいつのこと聞いてくるじゃねえか」
「あなたの挙動不審の原因かと思ったから」
「……別に、関係ねえよ。じっとしているのが性に合わないだけだ」
 明確な言葉で踏み入ると、彼女はそう不満げに吐き捨てた。 その姿は恐らく、虚勢ではない。指摘されるのを予期していた気配すら感じられて確信する。
 そんな温い関係性ではないのだと、彼女の粗雑な言葉が叫んでいる。分かりながらも私は、分かったような口を止めることは無かった。
「そう。てっきり心配で落ち着かないのかと」
「俺の相棒はそんなにやわじゃねえ」
「信頼しているのね」
「まあな。あいつは強いし、俺のいない所でヘマなんてやらかさねえよ」
 遠くを見ていた彼女の瞳が、何かを捉えたようにぐっと鋭くなる。 その横顔には決意と、揺るぎない絆を手繰り寄せる強さが滲んでいた。それは彼女自身だけではない。
 相手――離れた所にいるその存在も、確固たる強さを秘めているからこその確信だ。 彼女はそれを、重々理解している。そしてその思いには、既視感があった。
 私は思わず目を伏せ、脳裏にちらつくあの人の姿を思う。思わずにはいられなかった。 退く私を顧みることなく、眼前の敵を澄んだ眼差しで射抜く姿。あの人はいつだって強かった。 不安も杞憂も要らなかった。戦場でのあの人は震えるほどに強く、そして戦いから離れたあの人は、息が詰まるほどに優しかった。
 あの人を助けたい、あの人を思いたい。全ては私の、行き過ぎたエゴイズムだ。その強さと、与えられる信頼を一番に理解しているであろう私がそうなのだから、これ以上の皮肉は無い。
「――そう、そうね」
 呟きは、彼女に宛てたものではない。滲んでいた愚かな思いを引き戻そうとした。彼女の言葉に同調することで。
 信頼に応えるには、同等の信頼を寄せるしかない。それには私の思いは邪魔でしかない。
 私がすべきことは一刻も早く傷を治し、過ちから学び、再度戦場に立ち戻ることだ。そうでなければその強さと肩を並べることは出来ない。許されない。
 深く息を吐き、強張っていた身体の力を抜く。
 私の様子を眺めていた彼女は同じように嘆息し、少しだけ声を潜めて呟いた。
「まあ、まるっきり心配しない訳じゃねえけどな」
「どうして?」
「どうしてってそりゃあ――」
 彼女の言葉が止まる。引っかかったその先を、掴んだ指が震えているように思えた。彼女は怯えているのだ。ごく自然に導かれた理由が、自身の思っていたものと違うことに。そしてその意図する内容を私は察していた。根拠など言うまでもない。信頼を揺らがせる不確かな感情を、恐らくまだ彼女も、捨て切れてはいない。
「言わないの」
「……意味が無えよ」
「それを決めるのはあなたではないでしょうけど」
「正論だな。でも、それをお前に言われる義理もないぜ」
 鼻で笑って首を振るくせに、視線には迷いがちらつく。そしてその言葉尻には、私に対する揶揄も含まれている。
 彼女も私の不要な感情について気が付いている。だからこそまるでけし掛けるように言い返してくるのだ。しかし私のそれと彼女の想いとでは根本が違う。
 彼女には他の道筋がある。唯一無二の存在、同型艦という繋がりが。
「……それこそ、意味が無いわ」
「お前が言い出したんだけどな」
 口調は穏やかで敵意は無い。それでも私はその冷静さにまた不甲斐なさを煽られる気がして黙り込む。彼女は投げ出した自らの足先を見つめながら、言い聞かせるように言葉を続ける。
「仲間を思いやるのは自然なことだろ。近い存在ならなおさらだ」
「姉妹ごっこで十分だと?」
「ごっこだろうが何だろうが、あいつが笑っていられるならそれでいいよ」
 噛み付いた私の言葉にも、彼女はただ静かに笑うだけだった。 振り上げた拳を行き場なく翳したまま、私も彼女に倣って視線を彷徨わせる。 笑っていられるならそれでいい。彼女の言葉は紛れもない真意だ。それが分かるからこそ居た堪れない。 重ねている訳ではない。元より重ねられる訳がない。それなのに。 思い出す。
 私に向けられる笑顔、凛とした横顔、優しい声。 私だってそれだけでよかった。傍でその姿を見られればそれで。けれどそう願えば願う程、望みは遠ざかる。
 私自身の感情の所為で遠のいていく。離れていくのだ。
「加賀さんは優しい人ね」――あの人の言葉が、耳から離れない。 あの人がくれた賛辞でも息が詰まった。優しさなんて要らない。心なんて、要らないのに。
 彼女に近付いてきた担当が、作業の終了を告げる。修復された装備を抱えて、彼女は立ち上がる。
「おう、ありがとうな。じゃあ、お先」
 それだけ言うと、彼女は私に向かって背を向けた。私は黙ってその背を見送る。もしかしたらもう二度と、顔を合わせることも無いかも知れない。
 歩いていた彼女は少し離れた所でふと立ち止まり、顔だけで振り返って呟いた。
「後悔しないようにな」
 まるで自分の腹は決まったとでも言うような口ぶりに、私は首を振って答えた。
「お互いに」
「やっぱりお前、いい性格してるよ」
 彼女は何故か楽しげにそう言って、今度こそ振り返ることなく出て行った。

 天龍と呼ばれる彼女は、噂に違わぬ強さと優しさを兼ね備えた存在だった。 結局それから、私が彼女を見かけることは無かった。
 きっとまた、あの穏やかな笑みを妹へと向けているのだろうと想像する。 彼女の告げた後悔の真意は分からない。けれど恐らく彼女は、どんな形でも後悔を思わない気がしていた。 離れる日が来れば姉として涙し、その指に婚姻の証を光らせて戻れば、姉として祝うのだろう。何があっても、ずっと。
 私は――私が彼女のようになることは無い。悩みながらも最後は受け入れ、きっとこの思いも無くしてしまえるだろう。後悔も、いずれ無くなる。

 天龍型1番艦天龍という艦を、私はよく知らない。 私が知るすべては、彼女とよく似た相棒の存在。そしてその優しく、どこか苦みを帯びた微笑みだけだった。