三つの手紙

 

 ジャイワール国、ツェザール王子からの手紙はきまって三通ある。
 一つは、国王陛下におかれましては、なんて書き出しで始まる公式の書簡。宗主国であるゼビオンの王二人へ宛てた、形式をきちんと守った文章だ。
 もう一つ、公の手紙とは別に二人へ――俺とテレシア宛に送られたものがある。そこには少しくだけた語り口で、近況だったり、俺たちを気遣う内容がだったりが綴られている。ツェザールから手紙がくる度に俺たちは二人で顔を並べて読んで、読み終えたらテレシアが専用の手帳へ挟んで保管する。王族らしく、規則正しく並んでいるあいつの文字が、俺たち二人に宛てている文章の時は少しだけあそびを含んだ筆致になるのが、間違い探しみたいで楽しかった。
 最後の一つ、他の便箋より一回り小さい手紙。文章はそれほど多くない。伝えたいことをただ書いてあることが多くて、どんな内容かは読んでみないと分からない。でも最後にはいつも必ずこう書いてある。
 "お前に会いたい"

 腹を括って二人、何とか王という立場に収まったものの、どうにも慣れないことだらけで毎日が目まぐるしい。
 もちろん宗主国として栄えてきた国の権威は伊達じゃない。右も左も分からない俺たちがどうにかやっていけるのは、豊かな知識と積み重ねられた歴史を携えた優秀なゼビオンの人々がいるからだ。前国王の凶行から立ち上がり、不安を抱えながらも俺たちを信じて引っ張ろうとしてくれる。そんなみんなの思いに応えるべく、俺たちは一日も早く人々が安心して暮らせる王様にならなくちゃいけない。
「もちろん期待はしてるが――あまり根を詰めすぎるんじゃないよ。あんたたちのそういう思いは、みんな分かってるんだからね」
 見張りの兵以外誰もいない謁見の間で、ついぐったりと玉座に身を預ける俺とテレシアを見て、オルネーゼは微笑む。
 伝承の塔が崩壊して以来、オレンカやジャイワールの腕、魔物三国の動力、クレティアの魔力を借りて、ゼビオンの城と呼ばれる建物は完成した。それぞれ自分たちの国の有事もある中で、生まれ変わった宗主国の象徴たる場所を一刻も早く建てんと協力してくれた。結果ゼビオンに相応しい建造物は今も、未熟な俺たちごと国を支えんとそびえ立っている。
 慣れた調子で謁見の間に訪れたオルネーゼは、翻弄される俺たちをことあるごとに労ってくれていた。
 現ゼビオン国政において間違いなく最大の立役者である彼女の言葉は重く深い。
 期待している、という言葉が共に戦った仲間に対する贔屓目じゃないことも分かっている。周りの人々と同じように、俺たちを心から信頼しているから、オルネーゼもそれに応えようとしてくれている。
「ありがとう、オルネーゼ」
「これからもよろしく」
 ごく自然に、どちらからともなく流れるように二人で言うと、オルネーゼは小さく噴き出していつものように笑った。
「そういや、表の兵士から手紙を預かったんだった。差出人は――ああ、常連さんだよ」
 そう言ってオルネーゼがかざした封筒には、見慣れた紋章の封蝋があった。
 生まれ故郷の印を見て、テレシアはすぐさま立ち上がってペーパーナイフを取ってきた。大臣も側近もいない場で封を切ることはあまりないが、いずれにせよ公のものは後で目を通すから甘く見てもらおう。何せ差出人とは久しく顔を合わせていないのだ。
 テレシアが封を切り、そのまま手紙を渡してくる。一枚を封筒に残し、もう一枚は折り畳んで膝の上に置いた。最後の一枚を開いて二人で覗き込む。整った、でも少し軽いタッチの文字が並ぶ。ラゼル、テレシア、調子はどうだ――
「ツェザール、元気そうで良かった」
「王子の戴冠はまだなんだろう」
「ああ、ジャック将軍と色々相談してるらしい。将軍みたいにあいつの考えを分かって、ちゃんと考えてくれる人達がいるから大丈夫だろ」
 ゼビオンだけじゃない、他の国々も大きな被害があった。それぞれの為政者はみんな懸命に国を立て直そうと努力している。俺たちが言うことじゃないが、中でも一人若くしてその指揮をとるツェザールの努力は相当なものだろう。
 ただあいつも、俺たちも、周りの人々に恵まれている。
「それにしても、王子様はまめな性分だね。まあ、それだけ二人を気にかけているってことだろうけど」
 オルネーゼの言葉に、俺たちは何となく顔を見合わせた。離れているとはいえ、魔力に頼れば一瞬で行き来できる世界だ。それだけこまめに手紙のやりとりをしているなら、時間を作って直接会うことがあってもいいだろう。けれど俺たちは最初に決めていた。この国の王になると決めたその日から。そしてツェザールにも、自分たちの思いを伝えていた。
「いつでも頼れる距離だからこそ……私たち、甘え過ぎずに頑張ろうって決めたの」
「ほら、あいつも忙しいしさ。俺たちなりにやれることからやってみようっていうか」
 今までのような距離感だと、どうしても寄りかかり過ぎてしまう。だからこちらから線を引いた。背中合わせで剣を抜いたあの戦いの時と同じように、互いが互いの場所で今すべきことを出来るように。
 それからあいつは俺たちを気遣う思いはそのまま、まめにペンを取るようになった。俺たちの気持ちを汲んで。
 真剣な表情で俺たちの思いを聞いていたオルネーゼが、おもむろに畏まって咳払いをする。それから恭しく膝をついて、何事かと伺う俺たちを見上げた。
「素晴らしいお心ですが陛下、僭越ながら申し上げます。気心知れた大切な方との私的な交流も御身の健康には必要なのでは?」
 何を言われるかと内心身構えていた俺とテレシアは、思いがけない言葉に虚を突かれて固まってしまう。きりりとした大人の顔をしていたオルネーゼの唇が、戸惑う俺たちを見て柔らかく緩む。次の瞬間には見知った仲間のオルネーゼがいて、さっきの言葉をもう一度言い方を変えて口にした。
「王と王子じゃなく、昔馴染みとして顔を突き合わせる機会なら――少しくらいつくってもいいんじゃないのかい」
 あんたたちにとっても、向こうにとっても、かけがえのない存在なんだから。そう微笑まれながら言われてしまえばもう何も言えない。ともすれば固くなり過ぎてしまいそうな俺たちの考えを解いてくれるのは、いつだってこんな飾らないまっすぐな言葉だった。
「返事、どうする?」
「そりゃもちろん、いつも通りみんなで協力して書くとして――とりあえず、ジャイワールに連絡するか」
「手紙が行き違いになっちゃうかもしれないわね」
「そん時はまあ、アイツに直接言っとこうぜ」
 慣れた調子で言い合う俺たちを見て、オルネーゼは見張りの兵に声をかけた。
 大臣側近に話を通してからほどなくして、ジャイワール国王室に魔法を使った通信が繋がった

 多忙な中、早々に時間をつくってツェザールがやってくる、その前夜。俺は自室のベッドの上にいた。
 一人用にしてはかなり大きな寝室にもようやく慣れたが、たまには適当にその辺で昼寝がしたいとも思う。生粋の王族ではなく、みんなに支えられて立っている王なのだからついそんな思いもよぎってしまうが、もちろんそうも言っていられない。
 しかしながら今俺が手にしている手紙は、王や王室から離れた極めて個人的なものとしか言いようがなかった。
 開いた手紙はいつもと同じ、それほど長くはない文面だ。しかしその、一文一文から滲んでくる焦げるよう熱もいつも通りで、俺はその文章の意味を読解する度に気恥ずかしさでどうにかなりそうになる。
 無理はしていないか、眠る前にお前のことを思い出すと堪らなくなる。甘えるような言葉に、二人きりの時の顔を思い出して身体がかっと熱を持つ。
 整えられたシーツを強引に乱して潜り込んだ。ベッドサイドの小さな明かりに照らされる文字を見つめる。俺への、とめどない思いが溢れた言葉を。
 ――お前に会いたい。
 耳の奥で聞き慣れた低い声がした気がして鼓動が跳ねた。最後に綴られるのも同じ一文だ。まっすぐ突き刺さるような言葉が心をとらえて離さない。ツェザールが、俺にだけ明け渡す心の一部が。
 明日、明日か。俺はどうしたって浮つく気持ちを持て余しながら、長い夜を過ごした。

 ツェザール王子の来訪は正式なものではなく、あくまで私的なそれであることはみんなに周知していた。けれどだからといってそれなりのもてなしという訳にはいかない。大々的な歓迎こそ見送られたが、夕食は大広間での賑やかなものになったし、オルネーゼや顔馴染みの面々が同席していた。ジャック将軍に関してはツェザールの留守を預かるため不在だったものの、渡された手土産には彼からの丁寧なメッセージが添えられていた。
 豪華な卓を前にした俺とテレシアは、少し離れた隣に座るツェザールへあれこれと思いつくまま話しかけていた。
 肩を並べた食事のような気安さはないが、それでも多少は慣れ親しんだ距離感を感じられるような気がして楽しかった。テレシアはよく笑ったし、ツェザールの表情も柔らかかった。俺も久々に肩の力が自然に抜けて、俺たちの気持ちを汲んでくれたオルネーゼや周りの人たちに心から感謝していた。

 歓談の時間が過ぎて、皆それぞれ大広間を後にしていく。
 人気の少なくなった広い空間の隅に、テレシアとツェザールがいた。テレシアは自室、ツェザールは用意されたゲストルームへ向かおうとしている。俺は何となく連れ立って歩きづらくてその場に留まっていた。
 けれど案の定、テレシアに見つかって声をかけられる。
「何してるのラゼル、早く行くわよ」
 流石に固辞する訳にもいかず大人しく二人へ近付く。ツェザールの視線が気になって仕方なかった。
 いや、俺が意識をし過ぎているだけかもしれない。それでもどうにも顔が見られず、俺は率先して廊下へ繋がる大きな扉を開けた。
 静かな廊下に、石造りの床を歩く足音が響く。松明の炎と月明かりが差し込む城内はいつ歩いてもどこか新鮮な心持になった。
 三人で連れ立って歩いている状況も相成って、子供の頃に戻ったような高揚すらある。三人で遊んで、自由に笑い合っていたあの頃のような。
「おやすみ、ツェザール。今日は本当にありがとう」
 テレシアの声でいつの間にかゲストルームの前まで来ていたことに気付く。
「こちらこそ。じゃあ――」
 重厚な扉を開け、ツェザールが中へ入ろうとするその瞬間、目が合った。普段と変わらないその瞳が一瞬、ほんの一瞬違う色を帯びた気がして息が止まる。
 身体中の熱が一気に上がったようだった。俺は結局何も言えず、閉まっていく扉をただ見送ることしかできない。
「ラゼルもおやすみ。……ラゼル?」
 怪訝そうな顔を見せるテレシアに慌てておやすみと返して、俺は足早に自室へと戻る。
 耳の奥で、聞こえない筈の声が響いていた。何度も手紙に綴られていた文字。ツェザールが俺だけに向ける言葉。
 上がった熱が一向に引いていかない。俺は深く息を吐き出して、とりあえず落ち着いて風呂にでも入ろうと自室のバスルームへ向かった。
 備え付けのバスルームは相変わらず広く快適だった。白とグレーの石で統一された色味は清潔感があり、バスタブも大きくゆとりがあって十分に足が伸ばせる。熱い湯に浸かって、多少緊張は解れた――ようで、正直あまり変わらなかった。
 そもそも風呂に入ろうと真っ先に思ったあたり、などと考えれば考えるほど深みにはまっていくような気がした。実際何がとは言わないが念入りにしたところはある。
 ばしゃん、と派手な音を立ててバスタブから出る。一人で考え込んでいても仕方ない。自分がどうしたいかなんてとっくに分かりきっているのだから、あとは行動するだけだ。
 濡れた身体と髪を拭いて、柔い素材のシャツとパンツに着替える。
 テーブルの上に伏せられたグラスを取り上げて、隣の水差しから水を注ぐ。まだ冷たさの残る水を一気に飲み干して、気合を入れるべく頬を両手で打った。腹は括った。
 そっと自室の扉を開く。時折見張りの兵士が歩く気配はするが、廊下は静かなままだった。
 そこまで後ろめたく感じることではないと思いながらも、やはり息をひそめてしまう。足音もなるべく立てないよう注意しつつ、先ほど通り過ぎたゲストルームの前で立ち止まった。もう一度深く息を吐きだして、控えめに扉を叩く。
 ツェザール、と声が大きくなり過ぎないように気を付けながら呼ぶと、少しの間を置いて扉が開いた。
「――まさか、お前の方から忍んでくるとはな」
 少し揶揄を含んだような物言いにかっと顔が熱を持つ。けれどそれ以上に俺を部屋へと迎え入れるツェザールの表情が柔らかくて、つい目を奪われた。
 先ほどまでの王族としての姿ではない、ラフな室内着をまとった素のツェザールがそこにいた
「お、まえが……!毎回毎回会いたいって書くから、来たんだろ」
「そうだな」
 もう一つくらい言い返す言葉が降ってくるかと思いきや、ツェザールは嚙み締めるようにそう呟いて頷いた。伸びてきたあいつの手が、扉を背にして立ったままの俺に触れる。いや、正確には触れる前に「いいか」と確認する言葉があった。こういう仲になっても極力筋を通そうとする姿が、愛おしくもありじれったくもある。
 自然に抱き寄せられて、久しぶりにツェザールの体温を感じる。入浴はもう済ませているのだろうが、何となく故郷の懐かしい砂交じりの香りがするような気がした。
 落ち着くその香りを辿るように俺もツェザールに手を伸ばす。上背があるその身体に伸びあがるようにして擦り寄って、耳から首のラインに鼻先を押し付ける。
 温かな肌の感触が心地良くて懐くみたいに何度も擦り付けていると、不意に身体が引き離された。少し強めの力に嫌だったかと顔を伺えば、憤りと戸惑いが混ざった複雑な顔をしたツェザールが俺を見ていた。お前は、と呟いたものの結局その先を押し留めて、ツェザールは俺の手を引いた。広いゲストルームを歩いて導かれたのは大きなベッドを備えた寝室だった。
 どうしても意識してまた体温が上がる俺をよそに、隣の男は悠々とベッドに腰掛けて俺にも座るように促した。豪華な刺繍が施されたベッドシーツの上に腰を下ろすと、ツェザールは長い足をベッドへ上げて俺の背後に回り、背中から抱き込むようにして座り直した。
「ちょっ、ツェザール」
「嫌か」
「いやじゃ、ねーけど……なんか、恥ずかしいっつーか」
「そうか」
 小さくなる俺の声に、ツェザールがいつもの調子で低く笑う。耳に馴染んだその声がどこかぞくりと背筋を震わせて、俺はこっそり息を飲んだ。背中に感じるツェザールの体温が熱い。視線の置き場を求めて下に目を落とすと、腹の前で組まれた指があった。剣を持つ固く強い手が、俺とテレシアだけに宛てて書く手紙。――俺にだけ宛てて書く手紙。そのやわらかな一文一文を思い出して、胸の奥がじんと熱を持つ。
「……ラゼル?」
 小さく笑った俺の顔を、ツェザールが覗き込むようにして伺ってくる。
「いや、お前がくれた手紙のことを思い出してた。お前手紙の振れ幅でかすぎだろ。
 めちゃくちゃ真面目な文面の後で俺とテレシア宛のはいつもと同じ感じだし、俺への手紙はなんかすげえし」
「公式の書簡とはそういうものだ。お前とテレシアに宛てるのだから俺だってそれなりにくだける。お前には伝えたいことしか書いていない」
 立て板に水の如く言い返されて言葉が出ない。特に最後なんてあまりに堂々と言い切るものだから、毎度照れている自分が初心なのだと言われているようで落ち着かなかった。いやしかし想像してみてほしい。クールを気取りながらも、熱いところを隠し切れない男からこぼれ出る、大量の愛の言葉を。無理をするなたまには頼れ、お前のことが気になって仕方ない――そして決まって最後は、"お前に会いたい"と結ばれる、そんな熱を持った手紙を。
 言い返せない俺の髪にツェザールの指が触れた。生え際を擽るように撫でていくその、やさしい動きに心が緩やかに解けていく。
「……返事、時間かかって悪いな。お前みたいに畏まって書くのとかやったことねえからさ、オルネーゼとか周りのみんなに教えてもらって何とかやってるんだよ」
「それなら俺が教えてやる」
「お前に出す手紙を?お前が教えんのかよ。いや、つーかそうやって頼りっぱなしになるから、締めるところは締めようぜって話だったんだって」
「分かっている」
 返ってきたのはまるで自分に言い聞かせるような固い言葉だ。俺は思わず振り返ってその顔を覗き込む。目が合ったツェザールは少しだけばつの悪そうな表情をしていた。じっと見つめてその先を尋ねる俺に、小さく嘆息してから男は口を開く。
「本音を言えば――いや、何でもない」
 けれど結局留めてしまうツェザールに、俺は焦れる思いを隠すことなく食らいついた。逸らされた視線の先に無理矢理顔を割り込ませて再度目を合わせる。今度は明らかに狼狽していた。
「何だよ、言えよ」
「お前に俺の思いを押し付けるつもりはない」
「んなこと分かってるから言えって」
 何を遠慮しているのかは知らないが、こっちだって生半可な気持ちでお前に向き合っている訳じゃない。気遣う気持ちは純粋に嬉しい。しかしそれと同じくらい、相手の素直な思いを知りたいとも思っている。それがたとえわがままと呼ばれるものであったとしてもだ。今の俺たちはあくまで、好きな相手に向き合う一人の人間なのだから。
 ツェザールが俺にしたように、手を伸ばして髪に触れる。軽く撫でつけてあるだけの髪型は少し乱せば全て下りてきそうだった。こういう関係になって以来、下ろした髪型一つでさえ新鮮な光景になった。髪だけじゃない、声や言葉や、それこそ手紙の一文だって今まで知ることのなかったツェザールの姿だ。だから俺はもっと知りたい。俺が好きなお前のことを、たくさん。
 毛先を指に絡ませる俺の手を、ツェザールが捕まえる。持ち上げられた手首にそっと唇が触れた。押し付けて、軽く音を立てて吸い付かれる。ほっとするほどやさしくて、蕩けそうなほど色気が滲んでいた。腹に回された腕に力がこもる。また前を向かされて、耳の後ろに吐息がかかるのを感じた。触れる寸前の近い距離で、俺の好きな声が素直な心をさらけ出す。
「出来ることなら……お前に一から教えてやりたいと思っていた。俺が知っていて、お前が知らないことはすべて。何もかも」
「すべてとはまた大きく出たな。そこまで言ってもらえるのは嬉しいけどよ」
「ただの俺の独占欲だ。――これからお前をつくるすべてに、俺がいればいいと思っていた。お前の、唯一の人間になりたいと」
 焦げつくような熱を持った言葉が俺を包む。取り繕うことなくまっすぐ向けられる思いに胸が締め付けられた。
 俺たちが気持ちを伝えあったのは最近だが、聞けばツェザールは俺のそれよりずっと前から意識していたらしい。俺がオレンカに留学することになって、物理的な距離に諦めがついたかと思いきや、四年越しに再会してあっさり火が付いた感情に腹を括ったそうだ。
 王の座に就くと決めた日から数日後、ツェザールは一世一代の決断をするような顔で俺に思いを告げた。お前と共に在りたいと言ってくれたあの時、ツェザールの言葉には俺が思っている以上に深く、熱い思いが込められていたのだ。大人の顔で、俺たちに恥じることのないように立ちながらもずっと、募る感情を抱えて続けて。
 切ないような苦しいような、言葉にできない思いで溢れてどうしようもなかった。俺だってお前の唯一になりたい。こんな気持ちになるのはお前しかいない。今までも、これからも。
「心配しなくても、俺に付き合えるのなんてお前ぐらいだ」
「逆も然り、か」
「ああ。付き合ってくれるんだろ?」
「当然だ。……お前がどこにいようと、手放す気などさらさら無いからな」
 まだ少し含みのあるその物言いが気になって、俺はもう一度身体を反らせて背後のツェザールを見た。こちらをじっと見つめる瞳はまっすぐで揺れない。ただその奥底に、根拠のない不安のようなものが見え隠れしている気がした。
「ツェザール」
 少し無理な体勢からツェザールの頬に両手で触れる。何かを言いかけた唇に、込み上げる思いのまま自分のそれを押し付けた。柔らかく触れ合う感触は一瞬だった。頬に触れたまま至近距離で見つめたツェザールは、驚きのあまり目を丸くしている。そういえば俺からしかけたのは初めてだった。気恥ずかしさに襲われる前に、目の前の男に伝える。
「来いよ、ツェザール。俺だってお前に会いたかった」
 何度も文字で綴られた思いに直接言葉で応える。ツェザールの瞳が更に大きくなって、それからそのまま背後のベッドへと二人で沈み込んだ。

 明かりを消した寝室に、一筋のほのかな月の光が差している。乱れる吐息と鼓動に翻弄されながら、俺は何とはなしに差し込む光を見ていた。そうしていれば少しでも冷静さを保っていられるかと思ったが、一際強く首筋に吸い付かれる感触に容赦なく引き戻される。
 仰向けになった俺の首に顔を埋めたツェザールは、唇を押し付けたり歯を立てたりあらゆる手段で俺の肌に触れていた。俺と同じくらい熱くなった吐息が敏感なところを掠める度に、俺は腰が浮きそうになるのを堪えた。そうしている間にも来ていたシャツは脱がされ、むき出しの胸が外気に触れる。ツェザールの指がゆっくりと肌をたどっていく。頬から唇、喉、鎖骨。焦らしを含んだ指先がとうとう乳首の端にたどり着いて思わず身構えた。視線がまた夜の闇をさ迷う。
「……どこを見ている」
 いつの間にか顔を上げていたツェザールが、不満げに口を開いた。
「いや、なんか、どうすりゃいいのかなーって」
 下手に取り繕わず素直に答えると、ツェザールは一瞬戸惑いを含んだ顔を見せてから、伸ばした指で俺の顎をつかまえた。
「俺を見る以外に何があるんだ」
 窘めるようなその口ぶりに反抗心が僅かに顔を出した。
「じゃあそれをお前が教えろよ」
 顎に触れる指を引き寄せて柔く噛み付く。途端にツェザールの瞳が虚を突かれたように見開かれるのが愛おしかった。
 初めて肌に触れたのは、俺たちの戴冠式が終わって暫くしてからだった。情熱的な言葉で俺を求めた割に、壊れ物に触れるみたいに慎重だったツェザールへ、いいから欲しがれとけしかけたのは俺だ。
 お前の欲しがる気持ちが全部欲しい。そう伝えたあの夜と同じように求める。
「お前がしてほしいこと、俺に教えて」
 俺に噛まれた指を取り返して、ツェザールはゆっくりと俺の唇をなぞった。それから先程よりもずっと熱を持った瞳で俺を射貫きながら、裸の胸に顔を近付けて囁く。
「俺を見ろ、ラゼル。俺がお前を、どれだけ求めているのか――ちゃんと見ろ」
 とんでもないところに唇を寄せながら何を言っているんだという間もなく、そのとんでもないところに口付けられる。外気に触れて膨れていたそこは、ツェザールの下と唇の感触を直に受けて更にはっきりと立ち上がった。湿った音と共に吸い付かれて声が出る。与えられる感触と、視界に広がるツェザールのいやらしい動きの二つに煽られて止まらない。
「……っん、あ、も、いいって……っそれ、エロいっつーの……っあ!」
 むずがるみたいに身体を捩ると、ツェザールは既に反応しきっていた俺の下腹部に触れた。膨らんだ性器を下着の上から捏ねられて腰が逃げを打つ。もちろんそれを見過ごす筈もなく、呆気なく下着が足から抜かれていく。
 既に濡れている先端をそっと掌で包まれて捏ねられる。ぴちゃり、と響くようなその音が胸と下半身から聞こえて、高鳴りきっていた鼓動が更に大きく跳ねた。
「……っう、あ……っ」
 胸から顔を離したツェザールがべたべたに濡れた俺の下半身を見ている。じっと注がれる視線に居た堪れなくなって腰を浮かしかけるがもちろんそんなことは許されない。
 更に体重をかけて俺に圧し掛かり、俺の開いたままだった唇を舐めてツェザールの手がそこに触れる。今にも達しそうなほど張り詰めた性器のすぐ下、指先が穴の近くを探るように辿っていく。
 少し前の風呂で身体は洗ってあったが、それでも反射的に身が竦んだ。
 最初、ツェザールに教えられるままそこを直接清めた時は羞恥でどうにかなりそうだったことを思い出す。その後一緒にやろうとするツェザールを押し留めて自分でできるようにはなったものの、今だってそう慣れた訳じゃない。
 戸惑う心は残っているが先に言った通り、俺だってこいつに会いたかったし触れたかった。
「……っ、は、も、触れよ……っ」
 こちらを伺う視線に頷くと、ツェザールはベッドサイドにいつの間にか置いてあったクリームを手に取った。
 薬成分を含んだ葉からできるそれを手で伸ばして、ツェザールの太い指が探りながら俺の中へ入ってくる。
「……っ、あ、つぇ、ざーる……っ!あ、あ……」
 穴の縁を慣らすように押しながら、指が深く入り込んでくる。違和感で勝手に身体が引き攣れるが、決して無理に押し入ろうとしない動きのおかげで徐々に慣れてきた。
 それでも久しぶりの刺激はなかなかにきつくて上手く呼吸ができなくなってくる。つい息を止めてしまいそうになって喘ぐ俺の額にツェザールの指が触れる。
 汗で張り付く前髪をそっとかき分けて、ツェザールが優しいキスを落とす。それだけで身体の力が抜けやすくなったようで、俺は深く息を吐き出すことができた。
「つらいか」
「だ、いじょうぶ……は、そんな、念入りにやんなくても、いいって……っ」
「お前の身体を傷つける訳にはいかない」
「だいじょうぶ、だって……っ、あ、ひさしぶり、で、すげー心臓、バクバクいってて……っ、う、いたい、だけ」
 探るようなツェザールの瞳が一瞬眇められる。だめ押しとばかりに背に回していた手を首にスライドさせて、舌を突き出した。
 案の定煽られてくれたツェザールは、俺の濡れた舌を丁寧に舐めながら中に埋めた指の数を増やした。ばらばらに動く指がいいところを掠めて喉が鳴るが、こぼれる喘ぎはツェザールに全部飲み込まれていく。くちゅくちゅと音を立てて繰り返すキスが気持ちよくて、身体の奥も熱くて蕩けそうだった。
「……っあ、ツェザール、いい、きもちいい……っ」
 唇が離れた隙にそう伝えると、ツェザールが微かに笑った。触れ合わせ過ぎて熱を持つ下唇を甘く噛んで、俺もだと囁くその声にまた心を奪われる。
 開いた足で腰の辺りを挟むようにして引き寄せれば、俺の思惑を察して指が引き抜かれる。
 ひらかれていたそこが勝手に収縮するのを恥じる間もなく、固く張り詰めた性器が押し当てられる。
「感じた時は素直に言え。苦しい時もな。――入れるぞ」
 ツェザールのその言葉にふと涙が滲みそうになって、俺は反射的に抱きついていた背中に力を込めた。
 引き寄せる俺の動きに合わせて、ツェザールが入ってくる。熱く腫れた性器が粘液を絡めて、体内を押しひらきながら奥へと進んでくる。
 普段なら浅いところを何度か擦って馴染ませるように動くのに、今日はいきなり奥まで含まされた。根元までぎちぎちに締め付けた性器が熱くて苦しい。けれどそれ以上に満ち足りた幸福感が込み上げてきて、背筋が甘く震えてとまらなかった。
 小さく声をもらしながら衝撃に耐える俺を、ツェザールがじっと見下ろしている。焦げ付くような視線に何か言いたくなって堪らず薄く口を開けば、言葉の前に舌ごと吐息をさらわれた。
「……っん、ん、あ……っ、ン、う」
 舌先を吸われながら緩く奥を突かれる。乱れたツェザールの髪が頬に触れて擽ったい。
 薄く目を開けて、下りてきた髪に指を絡めると、気付いたツェザールが荒っぽい仕草で髪を撫でつけた。俺の気が逸れたのが気に入らないようでかわいいなと思ったのも束の間、少しも目を離すことを許さないとばかりに刺さる強い眼差しに引き付けられる。
「……っ、ラゼル」
 ツェザールの熱を持った唇が頬を掠めて耳元に近付く。低くかすれた声が耳の奥で響いて、滴るような色気に腹の奥が切なく疼くの感じた。
 蠢く内部に先端をきゅっと締め付けられてツェザールが呻く。身体を離したツェザールは俺の腰を両手で支えて、容赦のない挿抜を繰り返した。
「あっ、い、つぇざーる、ふかい、ふかいって……!」
「……っは、すまない……っおまえがおくまで……っ、俺を、うけいれてくれる、から、な……っ」
「お、まえが……っあ、っ、ん、おく、に、くるんだろっ、あっ、……っ」
 腹の奥をごりごりと擦りながらにツェザールの性器が押し入ってくる。もう無理だというところまで入り込まれているのに、身体はその侵入を拒否するどころか迎え入れるように中を収縮させた。苦しくない訳がなかったが、押し寄せる快感が腰を重く痺れさせる。
「……っ、ここは嫌か」
「い、やじゃねえ……っ、けど、すぐいきそうで、っあ、やばい……」
「いけばいいだろう……っは、ラゼル、」
 触れられていないのに固く張った俺の性器からは、絶え間なく体液がこぼれ出ていた。少しでも刺激を与えられたらすぐにでも達してしまいそうだったが、ツェザールは性器には触れてこなかった。
 恐らく中で達するのを求められているのだろう。事実触れられないまま出してしまいそうな気配はあった。甘い快感がずっと脳を痺れさせていて、いつも以上に感じているのが自分でも分かる。
「ツェ、ザール、も、いきそう、」
 息も絶え絶えにそう訴えると、ツェザールは汗で滑る腰を支えなおした。感じるところを的確に責めながらも、自らの快感も追いかける激しい動きに翻弄される。
「あっ、う、ツェザ、いく、あ、いく、ツェザール……っ!」
「ラゼル、ラゼル……っ、は、あ……っ!」
 昇り詰める感覚に伸ばした足が引き攣れる。俺を見つめるツェザールの瞳が熱い。キスが欲しかったがその感じ入っている顔も見ていたくて、結局後者を取った。
 至近距離で見つめあったまま快感を追いかける。腹側の浅いところを引っかけるようにして擦られ、その勢いで奥に捻じ込まれて達した。直接的な刺激を受けない状態で射精する感覚はとてつもなくて、俺は打ち揚げられた魚のようにびくびくと身体を震わせた。
 少し遅れて抱き締めるツェザールの背中も震えて、勢いよく性器が引き抜かれる。興奮しきったツェザールのそれから噴き出る精液を腹の上で受け止めながら、未だ冷めない熱の中に浸っていた。
「あ、っ……は……」
 自分の出した精液とツェザールのそれが混じり合い、俺の腹を汚していく。ぼんやりとその様を眺めていると、ツェザールの唇があちこちに降ってきた。
 首や頬、額に触れたそれが唇を塞いで、舌を絡める。堪らなくなって両手で頬を引き寄せた。隙間なく触れ合った後の穏やかなキスが心地良くて愛おしい。ラゼル、と呼ぶ声が何度も思い起こした想像のそれよりずっと甘くて、心の奥に深く刻み込まれるのを感じていた。

 バスルームを借りて身体をあらかた清めて、さてどうしたものかと立ち尽くす。正直に言えば離れがたかったが、流石にこのまま居座るのは躊躇われた。
「……ラゼル?」
 躊躇われた、のだが。ベッドへ入ったツェザールにあまりにも自然に呼ばれて、少し戸惑ったものの結局隣りへ潜り込んでしまった。
 向かい合ったツェザールに抱き締められると、安心感と眠気に全身が弛緩していく。完全に眠りに落ちかける前にと口を開くが、声は既に寝惚けたそれだった。
「部屋、戻んねえと……」
「朝早くに戻ればいい。起こしてやるから、このまま寝ろ」
 甘やかす声に抗えない。額に優しく口付けられる感触が心地良くて、俺はそのまま意識を手放した。

 結局、律儀に目を覚ましたツェザールに起こされたものの、まどろんだり触れ合ったりしている間に太陽は完全に昇りきってしまった。
 久しぶりの逢瀬に盛り上がって話し込んでしまった――という体だったが、特に問題が生じることもなかった。まあ丸きり間違っている訳でもない。
 少しだけ気怠い身体を引き摺りながら自室へ戻って身支度を済ませ、既にテレシアがいるだろう謁見の間に向かう。途中同じように支度を済ませたツェザールと鉢合わせて、わざわざ離れる理由もなくて二人連れ立って歩く。夜とは違い、廊下は朝から溌溂と動く人たちで賑やかだ。すれ違う人々からかけられる挨拶に二人して応えながら歩いて、合間に小さな声で言葉を交わす。
「身体は?」
「ちょっとだるいけど大丈夫。なんか腰がまだ痺れてる感じする。腹の奥とか」
「……あまりそういうことを言うな」
「お前が訊いたんだろ」
 気取らない会話が妙に嬉しくて自然と笑みがこぼれる。隣を歩くこいつが好きだと改めて噛み締めて顔を見れば、同じようにこちらを見ていた瞳と視線がぶつかった。
「ラゼル」
 近付く謁見の間を前にして、どちらともなく足を止める。公の場に戻る前に言葉を交わしておきたくて、ツェザールに向き直った。
「返事、ちゃんと書くから待ってろよ。皆と相談して、テレシアと相談して、あとは」
「あとは?」
 続きを求めるツェザールの顔は真剣だ。だから俺も茶化すことなく素直な思いを伝える。
「……お前にしか言えないこと、書いておくから」
 ひそめた声にツェザールが満足げに微笑む。
 伸びてきた手が優しく背中を叩いて、自然と背筋が伸びるような気持ちで前を向いて歩き出した。

 ジャイワール国、ツェザール王子からの手紙はきまって三通ある。
 一つは、国王陛下におかれましては、なんて書き出しで始まる公式の書簡。もう一つは、俺とテレシアに宛てた手紙。
 そしてもう一つは――ツェザールという一人の男が俺だけに書いた、焦げ付くように熱い気持ちの恋文だ。

/三つの手紙