メロウ

 

 怪我の治療ならやはり温泉が一番だ、などと真顔できっぱりと言い切るものだから、彼はそれにただ頷くしかなかったのだ。

メロウ

 水の音が聴こえる。
 シャワーの細かい水の粒が打つその音を聞きながら、どこか居たたまれない思いで桐生は煙草を燻らせていた。
 広々としたリビングには彼一人しかいない。飾り気はないが高級感の漂うその一室は、持ち主の男がいくつか所有している物件の一つだった。
 最低限の家具が置かれているだけのその様子から察するに、所有に至ったのはごく最近のようだ。現にここに来るまでの道中で、行く先の冷蔵庫に口に出来るものが殆ど無いことを断られ、酒だ何だと買い込む様を見届けていた。
 煙草を唇に挟み、桐生は徐にテーブルに置かれたリモコンを手に取った。電源ボタンに触れ適当に数字を押していくと、目の前の大きな液晶画面が次々に変化する。
 普段殆ど目にしないテレビは、どれをとっても今一つどんな番組なのか分からない。それでも暫くぼんやりとニュースの解説番組らしきそれを眺めていたが、遠い水の音が止んでふっと我に返り、電源を落とした。無音が続く。 やがて注ぐような水の音が再度聴こえてきたかと思えば、重なる様に扉が閉まり足音が近付いてくる。
 背後に近付く気配に桐生が振り返ると、腕捲りをしたこの部屋の持ち主がそこに立っていた。
「お待たせ。すぐ溜まるんで、シャワー浴びながら待ちましょう」
「――ああ」
 堂島大吾はゆるりと笑うと、どこか落ち着かない様子の桐生を見て、愛おしげに目を細めた。


 腹と胸、それぞれ一発ずつ銃弾を受けた男達は、つい先日まで病院で治療を受けていた。
 今は傷も大方塞がり、現場復帰を急がれる東城会六代目は、身体を休めつつ各所の調整を図っていた。 桐生自身も、身体の回復は進んだものの、退院の際には医者から十分な養生を、と言い含められるように告げられていた事情があった。
 以前からの心身への無理は確実に蓄積している。ただでさえここ暫くは拠り所を――否、押し寄せる空虚の中生活していたのだから、余計ではあった。
 少しの間神室町に留まり、親しい人達の力を借りつつ身体を休めることにしていたのだが、大吾――かつて心を寄り合わせたその男とは、意図的に接触しないままだった。
 病み上がりで奔走する六代目の、貴重な時間を割かせる訳にはいかないと思っていた。 もちろん、それはただの建前で、単に逃げていただけに過ぎない。
 そしてそんな桐生の思惑を、六代目はとうに見透かしていたのだった。

 突然現れた黒塗りの車に驚く間もなく、桐生はあっさりと助手席に乗せられ、逡巡していた男との一対一での再会を果たすことになった。
 ただ車内には運転手や護衛がいる。大吾は二言三言事務的な口ぶりで要件を告げ、あとは殆ど黙ったままだった。 部下に買い出しを命じ、窓ガラス越しの景色にじっと目をくれる大吾に、桐生もまた黙り込むしかない。そのままこのマンションに連れられ、部屋に上げられた所で大吾はやっと口を開いた。
「風呂に入りませんか」
 予想していたいくつかの台詞と全く違うそれに、桐生は訳が分からず立ち尽くした。しかし大吾は桐生の反応をよそに、ジャケットを脱ぎ腕まくりをすると、風呂場へとさっさと消えてしまったのだ。 あとはもう、文字通り放り出された桐生が残るだけだった。

 そうして時間が経ち、今に至る。 戻ってきた大吾は、どこか達成感に満ちた表情すら浮かべていて桐生は戸惑いを隠せない。
 しかし有無を言わさぬ姿勢の大吾によって立ち上がらされ、バスルームへと連れて行かれる。本当にあれよあれよという間に進んでいく事態に、むしろ居心地の悪さを思う方が間違いなのかとすら思い始める。
 脱衣所に立ち、バスルームから擦りガラス越しに聴こえる水音に耳を傾けていると、大吾が伺うように桐生の顔を見た。
「どうかしました?」
「……いや、何故風呂なんだと思ってな」
 言いたいことも言わなければいけないことも山程あったが、口をついて出たのはそんな言葉だった。
 大吾はああ、と頷くと、真新しいタオルを洗面台のラックから取り出して事もなげに言う。
「身体を労るならやっぱり風呂でしょう」
「……それなら、湯乃園でもよかったんじゃないか」
「そこはまあ、一身上の都合です」

 そう言って大吾はさりげなく桐生の喉元に触れた。何かを匂わせるその仕草に喉が鳴る。 殊更ゆっくりと首を辿る指先に桐生が思わず身構えると、ぷつりぷつりとシャツのボタンが外されていく。されるがまま上半身をはだけさせた桐生を、そうさせた張本人の男は至極満足そうに眺めた。
 そのまま慣れた手つきでシャツは脱がされ、袖から腕を抜くと同時に唇が重なった。 戸惑う程に優しいその行為に思考がとろりとぼやける。差し出された舌に柔らかく
  吸い付いた所で、スラックスの金具が外される音がした。 びくりと身動ぎしたのにも構わず、あれよあれよという間に残りの衣服も全て剥ぎ取られ、唇が離れた時にはもう何も身に付けてはいなかった。
「――こういう都合か」
 息が上がっているのを認められたくなくて、少し恨みがましく男に訊いてやる。けれど大吾はそんな男の態度さえ甘いようで、唇をやんわりと緩ませ微笑んだ。
「まさか。人目につきたくなかっただけですよ」
 そう言ってからかうように笑う年下の男を見て、ひっそりと落胆した自分がいることに桐生は気付いていた。ただそれを認めるのは流石に気恥ずかしく、それこそ何でもないような顔をしてみせる、のだが。
「これぐらいの都合で済ます訳ないって、あんたもわかってんだろ」
 抱き寄せ、耳元にそんなことを吹き込んでくるから、その男に堪えきれない愛しさを感じてしまうのだ。

 部屋の広さに違わず、バスルームもなかなかのものだった。
 身体を洗わせろと言って聞かない大吾によって、桐生は身体の自由を奪われていた。広い洗い場の鏡の前に座り、背後に回った男の手によって髪を洗われる。
 少し力が入り過ぎてはいる手つきだが、鏡越しに見えた表情が昔の面影を漂わせていて、じわりと甘い心地好さを覚える。
「お前もやってやるよ」
「後で構いませんよ――とりあえず、触れさせて下さい」
 さらりと返された言葉の気恥ずかしさに桐生が絶句していると、シャワーの湯が頭上から降り注いだ。張り付いた髪を丁寧によけられ、目が合う。大吾はふとどこか狼狽えたように髪をかき上げた。
「増してやしませんか」
「何がだ」
「色気」
「馬鹿か」
 心底呆れた桐生が言い返すのにも、大吾は嬉しそうに笑うばかりだった。 泡立てられた柔らかいスポンジで身体を撫ぜられる。さっきとは打って変わってまるで腫れ物を扱うような繊細な手つきで泡を塗り込められていく。
 一通り泡をまみれさせた所で男の指先が直に身体に触れてきた。ぬめりきったその身をごつごつとした手のひらが撫ぜる。指の間まで丹念に擦られ、 腕を辿り、背中――ただの背ではない龍の身に触れた。探るように触れてくる指先に、桐生は大吾の顔を伺おうと身を捩る。しかしそれを許さないとばかりに、男は腕を回し、龍の背ごと抱きすくめてきた。
「――っ、大吾……」
「あなたの背を見てると堪らなくなる――ずっと、昔から」
 大吾はそれだけ囁くように言うと、桐生からゆっくり身体を離し、また洗う作業に戻った。
 優しい手が、戸惑いを含めて腹に触れる。塞がった傷を刺激しないように気遣うその仕草に、桐生はそっとその手に触れた。
「傷が絶えませんね……」
「お互い様だろう」
「それでも、遠ざけたいと思ってしまうんですよ」
 何かを堪えるように絞られた声が息が詰まる。重ね合わせた手のひらが、対峙したあの時は何よりも遠かった。
 大吾は一度だけ指を絡め、足を洗い始めた。やがて指先はするりと下腹部に触れる。 直接的な感覚に桐生は少し身を強張らせるが、大吾は内腿、下生えと丁寧に洗い、
 固く引き締まった尻へと指を這わせた。思わせ振りなその手はけれどそれ以上の行為には及ばず、閉じられた感覚を確かめるようにさわさわと擽るだけだった。
 しかしその先に慣らされた身体はそれだけの刺激でも充分に感じ取り、桐生は溜まった熱い息を吐き出すことで何とかやり過ごそうとした。
 愛撫まではいかないもどかしい動作。甘く重くなる腰の感覚に焦れったささえ覚えるが、大吾はそれをかき消すようにシャワーを浴びせた。ぬるついた身体は洗い流され、
  蟠る衝動をもて余した桐生が振り返ると、仕上げとばかりに薄く開いた唇に口付けられた。 触れるだけのそれはすぐに小さな音を立てて離れ、物足りないと思う間もなくにこりと笑いかけられる。
「俺の番、お願いしても?」
 いっそ爽やかなその笑顔に艶らしいものは全く見受けられず、桐生は己ばかりが年甲斐もなく先走っていることに居心地が悪くなる。
 大吾の、否、以前の大吾らしくない程の綽々とした余裕に、丸ごと翻弄されっ放しのようだった。
 先程自分がされたように、鏡の前に座らせた男の髪を洗う。普段きつく整えられた髪も、今はしっとりと水気を含んで寝かしつけられている。 昔の面影を感じさせるその姿を見る度、愛しさと、どこかどうしようもない程の息苦しさを覚える。 シャワーを浴びせ、瞳を隠す髪をよけると、ぞくりとする色気を含んだ視線が向けられていて、息をむ。 そんな目で見るくせに、仕草や素振りには決してそれを含まないから桐生は居た堪れない。逃れるようにスポンジを取り、男の身体を丁寧に清めていった。
 背中を撫ぜ、腹へと手を回す。違和感の残る傷痕に触れると、それが付けられた瞬間に、叫んだ男の名前が耳の奥に反響する気さえして、堪らなくなった。
「もっと怒られるかと思っていました」
 ぽつりと、桐生の心中を察したように大吾は呟く。
「――俺にそんな権利がある訳ないだろう」
「そんな言い方はやめて下さい。……あなたがどういう思いでいたのか、少しは分かった気になっているんです。これでもね」
 自嘲を含ませ笑うその姿に、桐生は黙ったまま労わるように傷の下を撫ぜた。 ただでさえ、この身は傷が多い。
 そのことを思う度、筋違い、否、あながちそうとも言い切れない自責の念に駆られるのだ。 お互い様と言った言葉にはもう一つ、そんな別の意味も込められていた。
 やるせなさを押し込めて、桐生も男の中心へと手を伸ばす。大吾と風呂に入るのは初めてではなかった。 しかしこうも念入りに互いの身体を洗い合うことは今までに無く、桐生は若干の戸惑いを覚えながらもそこに触れた。 大吾は何も変わらない。ただ鏡越しに桐生の顔をちらりと見ただけだった。反応らしいものは見せていないその部分を、桐生は出来るだけ丁寧に洗った。
 顔を見るのも落ち着かず、かといってその部分にばかり目を向けるのも躊躇われて、桐生が視線を彷徨わせていると、大吾の指がするりと喉元に触れ顔を上げさせた。
 目が合う。面白がるような、それでいて求めるような視線に何かが焼き切れるのを感じて、桐生は後ろ手にシャワーのレバーを倒した。
 熱い湯が泡を一気に流していく。その中で桐生は大吾の下半身に顔を寄せ、おもむろにそれを口内へと飲み込んだ。
「っ、ちょっと――」
「黙ってろ」
 煽るような視線を寄越しておきながら、いざ桐生から何かされれば途端に慌てだす大吾が愛しく、桐生はより深い部分まで銜え込んだ。
 口内で膨らむそれに舌を這わせ、水分を溜めた中で音を立てながら擦ってやる。大吾は小さく喉を鳴らすと、シャワーでべったりと寝かしつけられた髪をかき上げた。
 水と、それとは違う味が舌を刺激する。大吾が屈みながらシャワーを止めると、含んだものが喉を突かんばかりに押し込まれた。
 それに合わせて桐生は先端を吸い、中の締め付けを強くしようと口を窄める。
「っ、は――」
 押し殺した声に背筋にぞくぞくとしたものが込み上げる。最早自制や羞恥といったものはとっくにあらず、桐生はとにかく早くこの男を追い詰めようとやっきになっていた。 括れをなぞり、唇を使って丹念に抜き上げると、大吾の手が焦れたように顔を押さえつけてきた。ずるりと口内からそれが引き出されて息が漏れる。
「勘弁して、くださいよ――っ、堪え、きかねえって」
「黙れって言っただろう、っ、う、ん」
 大吾の制止を短い言葉で撥ね退け、再度口内へと呼び込む。銜えたまま男の顔を見上げ早くと急かすと、眉を寄せた大吾が未だ押さえつけたままの手に力を込めた。
 どくどくと激しい血流を感じると共に桐生の口からそれが離される。ぴしゃり、と音がしそうな勢いで叩きつけられた粘液が、桐生の顔を白く汚した。が、それを思う間もなく大吾の伸ばした手がシャワーの雨を降らせる。 たちまちべったりとかかったそれは注ぎ流され、一通り全て洗い流した所で大吾はシャワーを止めた。
「――こういう利点はあります、が」
「何がだ」
「いや、聞き流してください」
 何故かばつの悪そうに濁して、男は洗顔でもしますかと的外れな提案をしてきた。
 それをあっさりと桐生に否定され、大吾はおもむろに立ち上がらせ、バスタブへと誘った。
「ああ、身体冷やしちゃ元も子もないですね。すみません、どうぞ」
 乳白色の広々としたバスタブは、厳つい体格の男が二人入っても、それほど辛くはなさそうだった。
 大吾と向かい合う形で湯につかると、これほどまでにない程満ち足りた表情を浮かべた男と目が合う。
 視線だけでどうかしたかと問えば、大吾は柔らかく緩めた表情のままさらりと言い放つ。
「あんたが好きだと思って」
 ――本当にもう、どうしたというのだろうか。 気恥ずかしさで呆気に取られる桐生の濡れた顎を、愛おしそうに撫でながら男は笑う。
「あなたに惚れっぱなしのままここまできて――何か、俺の中でも変わったかと思いましたが、やっぱり根っこは変わりませんね」
 顎に触れた手を首の後ろへ回し、大吾はぐっと桐生の顔を引き寄せた。口付ける寸前まで近づいたその距離で、吐息のような声で囁かれる。
「――堪んねえよ」
「っ―ふ、ん……」
 奪いかかるようなその行為に、風呂の湯が激しく波打つ。大吾は頭を押さえつけたのとは逆の手で、初めて明確な性感の意思を持った手つきで桐生の胸を撫でた。
 思わず身体が動いたのに嬉しげに眼を細められ、じゅっと音を立てて舌先を吸われる。 温い湯でじわじわと温められるように煽られた劣情は、もどかしさと離れた時間も相成って息苦しささえ感じる程だった。
 喉の奥で鳴る喘ぎを飲み込み、湯の中で己の身体を弄ぶ大吾の指先に集中していると、不意に唇が離されて情けなくも声が漏れる。
「っ、お前、」
 それだけ言ってじとりと睨む桐生に向かって、熱を帯びた視線を向け続けている男はけれど、落ち着き払った様子で言い放つ。
「まさか、桐生さんの方から期待してくれるなんて、思ってもみませんでした」
「――いい加減、怒ってもいいのか」
「昔を思い出しますね」
 この期に及んでまだ焦らしたがるこの男は、軽く凄んで見せてもそれさえ甘いと言い出しそうな勢いだ。どこまでもずれた反応に今まで堪えてきた些細なプライドや後ろめたさがぷつんと切れる。
 桐生は何も言わず、湯に浸かった下半身を大吾のそれにぴったりとくっつけた。 僅かに身じろぐ動きすら許さないとばかりに、己の兆し始めたそれを大吾のものと一緒に手の内で包み込む。
「っう……!」
 息を詰める大吾の表情をわざとじっくり見ながら、反応を示しだした手の中のものに触れる。 先程吐き出させたにも関わらずさほど時間をかけず育つ様に、愛しさがふつふつと込み上げてきた。 熱い息を噛み殺そうと引き結ばれている唇に、誘われるがまま触れようとしたところで大吾が口を開いた。
「やめて、下さい」
 端的なしかし明確な制止の言葉に身体が硬直する。 沈みかけていた理性や羞恥やその他真っ当な感情が、思い出したように顔を出す。
  年甲斐の無い浮かれ方をした自覚はあったが、返ってきたあからさまな拒絶には流石に狼狽を隠せない。 手は離したものの、未だ腰はくっつけたままの桐生に向かって、大吾は苛立ちを含めて言い放つ。
「身体、もう大分温まりましたよね」
 問いかけの意図が分からずぼんやりと頷くと、大吾はそんな桐生を見てまるで懇願するかのように呟く。
「そんな顔しないで下さい」
 どんな、と問いかける暇はなかった。 桐生は立ち上がった大吾に強引に引き寄せられ、気付けば風呂場の床へと押し付けられていた。
 跳ねる滴を顔に受け、それを鬱陶しそうに手の甲で拭った大吾が、射殺さんばかりに睨みをきかせて言う。
「抱いて欲しくて堪んねえって顔だよ、この野郎」
 自然に抜け落ちた敬語に背筋が震える。 先程までの余裕や体裁を取り払った大吾の、それだけで侵されんばかりの艶に欲情が治まらない。 嫉妬さえ覚える程の色気が愛しくて、桐生は大吾の首を引き寄せ掠れた声で言った。
「犯せよ――大吾、頼むから」
 それからはもう、話す余裕なんてある筈がなかった。 湿気が立ち込める風呂場とのそれとは別に、むせ返るような濃い空気がぴったりと満ちている。
 すぐ側の洗面台に不自然にも用意されていた油の類の力を借りて、桐生は大吾の指をようやっと飲み込んでいた。 久しぶりに感じるそれは、気持ちと反して居心地の悪い違和感を呼んでいたが、時間をかけることによって徐々に快感をさらいつつあった。
 それでも息苦しさは拭えず、それを誤魔化すように大吾を見ると、どこか恍惚とした表情の男と視線が合う。
「辛いですか?」
「少し――な」
 労わるように問いかけるくせに、それと同時に三本目の指を含ませてくるのだから性質が悪い いやらしく押し広げられる感覚に内腿がびくびくと引き攣る。
 奥に押し込まれて撫ぜられると、それだけで焼き切れそうな快感が湧き上がった。 掠れた情けない声を聞きたくなくて歯を食いしばっていると、大吾が開いている方の手を口内へ差し入れてきた。
「噛まないで下さいね――ああ、いい恰好だな」
「おまえっ、う、あ」
 仕向けたのは確かにこちらだが、こうも吹っ切られるとは思わず、桐生は恨み言の一つでも言ってやりたくなった。
  しかしそんな文句も追い詰めるような快感に押し潰されてしまう。 我ながらほとほと面倒な性質だと思った。けれど躊躇いや迷いをすっかり無くして、この男と関わっていられる程浮かれきってもいないのだ。
 不意に俯せていた身体を引っくり返され、後ろに含まされていた指を抜かれる。舌をいじる方はそのままだが、やがて用意が終わったのか、好き放題触れてからずるりと離れていった。 押し付けられるその感触に、反射的に背筋が戦慄く。 思わず言いかけた制止を飲み込んだとほぼ同時に、熱い熱の固まりに身体の中心を串刺しにされた。
「う、っ、く――」
 みちみちと肉が引き攣れ、それでも身体はそれを飲み込まんと収縮する。 大吾は黙ったまま腰を深く沈め、内部の感触を確かめるように時折揺らせた。
 桐生は細く息を吐きながら、伸し掛かる大吾を見つめる。目が合うと男は真剣な表情のまま、伺いを立てるかのように腰を擦り付けてきた。
 顔ははっとする程良い男のそれだが、仕草は昔の甘えるような素振りなのが愛おしく、桐生は苦しささえ覚えながら目を細める。その表情を肯定と取ったのか、結局一言も声を発さないまま、大吾は身体を揺さぶり始めた。 溢れだした油がぬるぬると絡みついて心地良い。時折逃げたくなるような圧迫感に襲われるが、それでもやめて欲しいとは思わなかった。
 激しく抉られる衝撃に息を詰まらせながら、年を重ねてもセックスの本質はそう変わらないのだなどとぼんやり考えていると、徐に顔を近づけてきた大吾に唇にやんわりと噛みつかれた。
「っ、あっ」
 ぴたりと密着したままゆるゆると動かされ、快感の波に声が零れ落ちる。 大吾の腹で擦られる己のそれがびくびくと震えるのがはっきりと分かった。
 思わず閉じた目を薄く開けると、どこかしたり顔でこちらを伺う大吾と目が合って、桐生は苛立ちを込めて舌を交わらせる。気持ちが良い。己をこじ開けるこの男に違和感も痛みもすべて蹴り飛ばされて、真っ白になる。 こんな風に抱かれてしまって、どうして離れられるというのだろう。そんな身勝手を思いながらも、快感を追うのを止めらない。
「――は、堪んねえって顔して、ますよ」
 からかうような大吾の言葉にも、まともに反論できなかった。 高ぶる熱を吐き出したくて堪らない。思うままに揺さぶって欲しくて大吾を見ると、桐生の両足を引き寄せ、左右に限界まで開かせているところだった。
「っう、あ、あ――!」
 一度強い衝撃の後、がんがんと叩きつけるように内部を突き上げられる。 きつ過ぎる快感に電流のような刺激すら覚える。呻き声にすらならないそれを上げながら、抉り込まれる快楽に酔い痴れる。
「だい、はっ、あ、大、吾――っ」
「抱き潰して、やりてえよ、この、くそ……っ」
 快感に喘ぎながら名前を呼ぶと、暴力的な本質を思い出した大吾が苦々しく呟く。 それにすらぞわぞわとした快感が吹き上げて、もうまともな思考なんて残ってはいないのだと思い知る。
「大吾、っ、ああ、もう……」
「……もう、なんだよ。出してえの?」
 大吾の腕を掴んで限界を伝えると、男は取り繕った真顔を持ち出してそのまま言い放つ。
「言えよ、出させてくれって。犯して、全部出させてくれって。言えよ、なあ」
 どろどろになった下半身を骨が軋む程重ね合わせて、大吾は桐生の間近で吐き捨てるように言う。 ぶるりと背筋が震えて、桐生はいっそ眩暈じみた快感を覚えながらも口を開く。
「出させてくれ、早く、おまえも中、に――っ」
「――この、ばかやろ……!」
 身体を引き寄せながら桐生が喘ぐと、乞われた男は舌打ちでもしそうな勢いで毒づき、張り詰めた桐生のそれを握り込んだ。
 突然の直接感じる刺激に腰を引きかけるが、もちろんそれはずっぷりと埋め込まれた大吾によって許されない。 後ろだけで無理やり到達させられるかもしれないなどと危惧していたが、久しぶりの身体にそこまで無体を強いるつもりもないらしく、大吾は激しく揺さぶりながら桐生のそれに刺激を与え続ける。 湿度の高い空間でぴったりと重なり合い、流石に意識がぼんやりとしてきた。
 ただただ気持ちが良くて、吐き出したくて、そんなことだけを延々と考えながら、目の前の男のそれに食らいつくように縋る。
「うっ、く、大吾、あ、あ――」
「桐生さん、っ、は……!」
「ん、はっ、う、あ……!」
 掻き乱すような激しい動きとは別に、名前を呼ぶ声は妙に優しくて、それを意識した途端最後の箍が弾け飛んだ。 びくびくと震えながら恥ずかしげもなく欲を垂らす桐生を見て、大吾も背筋を震わせ、小さく吐息をこぼして桐生の中へと吐き出した。 薄い膜ごしでも、注がれている感触が懐かしさを呼び起こして、胸が詰まる。ぐったりと四肢を投げ出して声も出せない桐生を、大吾は黙ったまま抱き起し、シャワーを浴びさせた。

 セックスの本質は変わらなくても、その後の余韻というか、空気はやはり違うものがあると桐生は思う。 しかしそれは重ねた年月の所為というより、年甲斐もなく風呂場でぐずぐずとしてしまったことへの羞恥が、余韻を大きく上回っているということだった。
 といってもそれも結局、年の所為と言っても大差ないのかもしれないなどと、やはり取り留めもないことを考えてしまっている。
 ぼんやりと、広く柔らかいベッドの背に身体を預け、桐生は煙草をふかしていた。 風呂に入る前と殆ど変わらない構図だったが、下半身をまとう重い倦怠感がはっきりとした差だった。 煙草を唇から離し、サイドボードに置かれたグラスの水を取る。一口流し込むとのぼせかけていた思考が多少すっきりとした。 それでもまだ服を着込む気にはなれなくて、桐生は身体を更に横に反らし、傍らの灰皿に煙草を押し付けようとした。
 するとその裸の背に不意に温い感触が触れて、思わずびくりと身体を跳ねさせて振り返る。
「背中、すみませんでした。痛みますか?」
 同じく下着だけを身に着けた、間の抜けた恰好の男が立っていた。 大吾は手にした酒のグラスを置き、桐生の隣に腰掛ける。
「いるなら声をかけろ。驚くだろう」
「すみません。……いや、あの、まあ――はい」
 労わりを込めて桐生の背中を撫ぜながらも、大吾はどこか居心地悪げに言葉をにごす。
「……まさか、照れ臭いのか」
 ふと思いついたそれを口にすると、大吾は思いの外動揺したようで、居た堪れなさを隠すように煙草に火をつけ始めた。
 当てずっぽうの指摘だったがどうやらど真ん中を射たらしい。桐生は大吾が吐き出す煙を目で追いながら、何の気はなしに呟く。
「なんだ、図星か」
「……まあ、その。俺もまさかあそこまで切れるとは……」
「身体を労わるには、とか何とか言ってたくせにな」
「っ、それは――」
 わざと意地悪く言ってやると、大吾は焦ったように振り返ってきた。 桐生はそんな男の顎に触れ、小さく笑って言い返す。
「まあ、労わられたよ。俺はな」
「……敵わねえな。ったく」
「そうでもないんだがな」
「よく言うぜ」
 大吾はばつの悪そうに息を吐くと、煙草をもみ消し置いてあった酒を桐生に手渡した。
 自分のそれを半分程煽り、大きく息を吐いた大吾は、グラスの水面を見ながらひとりごとのように言う。
「やっぱり、変わらねえな」
 何が、とは問いかけなかった。 ただ桐生も手にしたグラスを傾け、疲れた身体に染み込んでくるアルコールに浸る。 大吾は酒を飲み干すと、桐生に向き直り、剥き出しの胸元へ唇を寄せた。熱を持った舌が触れ、腰がざわめいて落ち着かなくなるが、大吾はそのままの姿勢で口を開く。
「結局、昔も今も、アンタには振られっぱなしだ」
「――大吾」
 否定しようとした桐生を目で制し、大吾は甘く歯を立てて確かめるように言う。
「それでも、俺は俺の方法でアンタのこと、愛そうって決めてます。アンタに惚れた時から、ずっと。その根っこだけは、どうしたって変わらない」
 見つめる瞳は昔と変わらない強い意志と、同時に覚悟を決めた者のそれを揺らめかせている。 こんなにも真摯な視線を向けるこの男を、突き放せる筈がない。
 ――否、迷い続けてきた己は、何度もそうしようとしてきていた。それでも、この男は。
「……俺はお前に、何回惚れればいいんだろうな」
 堪らなくなって呟いた言葉も、男は緩く微笑んでやり返す。
「何度でも。きっとそれでも、俺がアンタに惚れ直した回数とは、比べもんにならないだろうから」
 最後に一度、強く唇が押し当てられ、顔を上げた大吾と視線がぶつかる。 大吾は黙ったまま桐生の肩を引き寄せた。触れ合う肌から、血液の巡る感覚が直に伝わって、の上なく安心する。
「アンタの全ては無理でも、アンタの一部は確実に、俺のものだから」
 睦言じみている言葉はけれど息が止まる程酷薄で、真っ直ぐだ。
 桐生は大吾の傷つききった背中に触れ、抱き寄せる。
「だからもう、背けないで」
 ああ、と返した言葉は頼りなく、伝わったかどうかも分からない。
 それでも僅かな隙間も許さないとばかりに抱く男に、桐生はただ、途方もない恋情を覚えていた。