love letter in later
肩を並べて二人、寛いだ様子で漫画を読む。
最初こそその慣れない状況にささやかな緊張を覚えないでもなかったが、今はただ穏やかな時間にゆったりと浸れるようになっていた。
昼下がり、夏の終わりが近い空。下がり切らない残暑から逃れた海藤の部屋で、彼は気を緩めた様子で座っている。
ページを捲っていた手が止まり、斉木は隣に座る海藤に目を向けた。
視線に気づいた海藤が斉木の手元へと視線を落とす。読み進められた漫画の続きは傍らに無
い。
ちょっと待て、と言い置いて立ち上がる。最新刊はたしか机の中だ。
海藤が引き出しを探り始めたのを見て、斉木も腰を上げた。
背後で扉が閉まる音がする。 勝手知ったるその素振りに文句なんてまるでなかった。おそらく行先はトイレだろう。
顔を上げることなく海藤は手を動かす。
やがて指先に引っ掛かった紙の感触に引っ張り出すが、 探していたそれとは別のものを見つけて固まった。
一枚一枚、便箋が重ねられ、束になってまとまっている。そのすべては同じ相手に宛てられ
た、誕生日を祝う手紙の書き損じだった。
斉木へ、から始まる文章。書いては止めて書き直し、読み返しては頭を抱えて唸る。
そんなことを繰り返している内に溜まったそれを、海藤は一つとして捨てることなく残していた。
いやむしろ捨てられなかった、という表現の方が、どちらかというと正しい。
直接言葉にすると緊張してうまく伝えられない思いも、一度文字にすることで形を保てる気がしていた。
けれどやはり悩みは尽きず、完成稿に至るまで何度も書き直した。
気恥ずかしさと、しかしそれ以上の何ともいえない愛おしさにクリップを外し、一枚ずつ捲っていく。
気を引き締め過ぎて固くなった言い回しと言葉。逆に緩め過ぎてあまりにあっさりとした短いものや、感情のままに書き連ねたのが丸分かりな荒っぽいものもある。
斉木、と書き出すところを楠雄に変えてみて、 慌てたように二重線で消した跡には、流石に恥ずかしくて顔を顰めた。
一度も面と向かって呼んだことなんてないのに。言うなればレターハイ?もしくは頭にラブが付く?過った言葉が更に羞恥を煽って首を振る。
没にした便箋の空白には、それぞれにその時思ったことが走り書きされている。
固過ぎ、やり直し。 もうちょっと言いたいことをまとめる。呼びたい、いやでも無理だ!
苦悩や葛藤がまざまざと蘇るそれは居た堪れないほど海藤の胸を疼かせる。それでも捨てられなかった。何ひとつ。
手紙も贈り物も、相手のことをただずっと考え続けて選ぶところがいいと海藤は思っていた。
渡せなかった手紙は、とるに足らない紙切れに過ぎない。
しかしその一つ一つに込めた想いをどうしても尊ばずにはいられなかった。誰かのことを考えて、考え続けて悩む苦しくなるほどの幸せがその端々には満ちている。
人との関わりを強く求めていた海藤が初めて繋がることが出来た相手。惜しみなく注いだ気持ちの名残を抱き、大切に留めておきたかった。
机に置いたクリップを手に取り、少し迷って、楠雄と書きかけたそれを一番後ろへと回してから束ねる。
そしてまた元の場所へと戻そうとした腕を、横から伸びてきた手が遮って、海藤は派手に身体を飛び跳ねさせた。
「うわあっ!?」
音もなくいつの間にか背後にいた斉木が、海藤の手元にじっと視線を向けていた。
奥深くに入れられなかった剥き出しの手紙を見られて、全身の血がかっと巡る。取り繕って片付けようにも、斉木に手を抑えられていてままならなかった。
「さ、斉木……あの」
呼びかける海藤の声にも耳を貸さず、斉木は手紙を見続ける。
やがてもう片方の手が翻り、 重なった最後の一枚の裏地に触れる。
その、どこか揶揄するような仕草に海藤はどきりとして身を強張らせた。もしかしたら見られていたのかもしれない。葛藤と欲望がない交ぜになった名前の二文字が頭を埋める。
人知れず息を飲む海藤を、斉木が見た。けして厳つくはない、けれど有無を言わさない真摯な視線に、海藤は根負けして手紙の束からそろそろと手を離した。
自由になったそれを掴んだ斉木が、一度海藤を伺うように見やってから捲り始める。
露わになった感情をそのまま見られているようで、海藤は顔から火が出る思いだった。
嘘偽りなく純粋に綴られた想いは、確かに彼へと向けられたものだ。
しかしだからといって一切の羞恥が無いわけではない。後生大事に保管していた事実も相成って顔から火が出る思いだった。
斉木はそんな海藤に構うことなくゆっくりと、並ぶ文字を眺めて捲っていく。
漸く一巡しようという時に、斉木の手が止まる。最後に重ねられたのは言わずもがな、例の名前が記されたそれだった。
わあわあと叫び出したくなるのを必死で堪える海藤をよそに、斉木は葛藤の跡を眺める。
すると捲りかけた指が徐に名前の部分に触れて、柔らかい手つきで撫ぜていった。
愛撫にも見えるその仕草に海藤の視線は一気に奪われる。顔を上げた斉木の瞳には、手招くような不思議な色が滲んでいた。
名前を軽く叩かれる。僅かに首を傾げて伺われて海藤は拳を握り締めた。
「……くす、お」
囁きのつもりで呟いたそれは、予想以上に静かな部屋へ広がった。
斉木がまた名前を叩く。乞われるがままもう一度名前を呼ぶ。今度はもう少し大きな声になった。
「楠雄……楠雄、」
催促を待たずに海藤は繰り返す。初めて口にしたその名前は砂糖で煮詰めたようにあまく、身体も意識も、全てが斉木へと引き寄せられていた。
「楠雄、くす、っん」
名前をなぞっていた指先が紙を離れ、海藤の唇に触れる。少し冷たい斉木の指が、火照った唇から体温をさらっていく。
途端に腰の辺りにわだかまる熱をはっきりと自覚して、海藤は誘われるがままに斉木の背へと腕を回した。
ぴたりと寄せ合った身体の間で、なおも斉木は唇をなぞっている。
書けなかった名前を辿る手つきと同じように、楠雄と形作る海藤の唇を愛おしんでいる。からかうでもなく、突き放すでもなく、顔を背ける訳でもない。
海藤の思いを察して、それを受容しようとする。言葉は無くとも、そこに込められた心は充分に伝わってくる。
名前なんてただの呼称だ。斉木が拾い上げようとしたのはもちろん、その隅々にまで染み込ませた途方もない愛情だった。
「……斉木」
呼び慣れた名前に変えると、指の動きが止まる。
そのまま手首をとって自分から指に口付ける。 移った熱が徐々に指先を温めていく。
上がるのは体温だけではない。だって恋をしている。
「斉木 、俺は」
言いかけた言葉は、斉木から寄せられた唇に吸い込まれる。
いつもの呼び方に戻したのは手慣れた仕草でリードしたかったから。そろそろ唇に口付けたかったから。
けれどそんな思惑も斉木にはお見通しだった。先を越された悔しさを込めて唇を柔く噛む。
それならばと指先を絡めて、海藤は斉木の手から手紙を取った。
とりあえず今は抱き締めてほしい。過去より何より、今の思いを受け取って欲しいと願いながら、取り上げた手紙を机の上に滑らせる。
斉木楠雄。どちらの名前を呼んでも許してくれる、俺の恋人。
欲しいっていうなら 、しまっていた引き出しごと渡したっていい。でもそんなものなくたって最初から。最初から俺の心は全部差し出してる。
勘が良いからきっと気付いてるんだろうな。
紙に閉じ込めた愛情も、書き切れなかった恋も全部お前のもの。
いつだってしたためてる、俺の初めての恋人へ。
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