薬と食

 

 白い乳鉢の中の薬粉は目に優しい緑色をしている。生薬、顆粒。それらを独自の配分で磨り潰し、調合する。
 効能は疲労回復、過敏になった神経を緩和する等。そして何より、内蔵――消化促進作用。医薬の家系に生まれた私が、一番最初に覚えた薬だ。
 薬包紙に包んだそれを、主人の元へ運ぶ。広い屋敷、夜が更けた人気のない廊下を、私は静かに歩く。厳かに。
 人肌程度のぬるま湯と、薬。カモミールの紅茶も添えて、主人の部屋へ声をかける。
「えりな様、緋沙子です」
「入りなさい」
 返ってきた主人の声に、私はそっと扉を開ける。
 仕立てられた一流の調度品に囲まれたわたしの主人は、 ソファに身体を預け、軽く目を閉じていた。
 私の姿と、手元のシルバートレイに乗せられた薬包を見て、 きれいな形の唇を緩める。
「ありがとう、そこへ」
 促されるまま私は従順に腰を折り、マホガニーのローテーブルへとトレイを置く。
 これで私の役目は終わる。厳密には、薬をつくった時点で終わってはいた。それでも私はいつも自ら主人の元へそれを運んでいた。
 一つのけじめ、あるいは忠心の証しともいえたが、結局のところ私がそうしたいという願望が根底にあった。
 私は背筋を正し、一礼する。そのまま退出しようと足を向けかけて、そのひとは不意に私を呼んだ。
「いつもありがとう、緋沙子。いいのよ、誰かに持ってこさせても」
 まるで心の中を読んだように、射抜く主人の言葉。柔らかく弧を描いていた唇には、今は少しだけ好奇が含まれている。
 清廉とした主人が時折見せる、いたずらを滲ませる表情に、私は瞬時に動けなくなる。
 女神の微笑みは慈愛と、あまやかな雷を秘めている。私はとらわれた頭を必死で動かして、やっとのことで首を振る。
「私の務めですから……えりな様」
 私の言葉に、主人は小さく首を傾げた。思っていた答えが出てこなくて、それを導こうとする無慈悲な笑顔。
 私がお伺いしたいからですえりな様。そう言えたら。浮かんでは消える本心を心の内で磨り潰す。
 そんな答えがなくとも、この身も心もとうに捧げている。だから私は従者の顔で押し黙る。主人はそんな私に、隣へ座るよう促した。固辞するのも妙な話で、私はやはり従順に腰を下ろす。
「薬を溶くから薬指。そうだったわね」
 そう言うと私が仕えるそのひとは、白く細いしなやかな指先で私の左手を包む。
「薬師のあなたのこの指は、私の為にあるの」
 もちろんですえりな様。そう言って頷いた私の声は、みっともないほど震えていた。
 その指は私の薬指に触れ、まるで約束事をする時のように絡む。
 左の、薬指に。
 主人の瞳が私を映す。結ばれた指が答えを急かしている。
 蕩けるような戒めに応えるべく、 同じように絡ませろと促している。
 それでも。
 応えられず目を伏せる私に、主人は過ぎた戯れを詫びるかの如く小さく笑んで、指を離す。
 私は静かに立ち上がり、爪先まで神経を研ぎ澄ませた姿勢のまま礼をして、主人の部屋を後にする。
 音の無い廊下で、扉を背にして私は一人、手の中に指先を丸めて包む。
 同じ指をだなんてとんでもない。それでももしそのひとに触れられるなら、食指。人差し指をと願ってしまう。
 尊い神の舌を潜ませる、そのくちびるに触れる指を、私に。