これから

 

 渡瀬が持ってきた酒の瓶を見て、桐生は彼らしからぬ気まずそうな顔をした。
 好みのものと違っていただろうか、ラベルを確認しかけてふと気づく。その瓶はいつぞやの、桐生と渡瀬が初めて顔を合わせた際に、桐生が派手に叩き割ってみせたそれとよく似ていた。
 渡瀬は黙ったままテーブルに酒を置き、ソファに腰を沈める桐生の隣へと座る。 そして酒をつくりながらのんびりと口を開いた。
「そんなこともありましたなあ」
 桐生がちらりとこちらを伺ったのが分かった。つくった酒を桐生の前に差し出し、渡瀬はグラスを持ち上げてみせた。
「あの時は話聞かん堪え性の無い人や思いましたが、それもまあ、こうして飲めるようになったんや、チャラですわ」
 そう言って一口飲むと、桐生もつられるようにグラスへと手を伸ばした。暫く互いに言葉も無く酒を飲み続ける。これまでのあらゆることを思い返しているのだろう。
 それは遠い過去のようで、つい先程起きた出来事にも思える。
 いずれにせよ、蘇る記憶は濃い。そして口をついて出るのは、いつだって同じ言葉だ。
「生きとって、よかった」
 グラスの中身を見つめながら呟く。今でも相手と真剣にやり合いたいという気持ちはあるが、それも今ここで生きて、酒を酌み交わしていられるからこそだ。
 だから思わずにはいられない。程良く回ったアルコールに引き摺られて、言葉にせずにはいられないのだ。
 桐生の頭が揺れる。手にしたグラスを置いて、桐生の身体が渡瀬に向き直る。同じ酒の匂いが強く香って、肩を掴まれた。そのまま体重をかけられて仰向けに沈む。
 咄嗟に高く掲げたグラスが揺れるが、中身はこぼれなかった。
「酔うたんですか」
「……そんなお膳立ていらねえよ」
「酒にとは言うてませんけど」
「言うじゃねえか」
 圧し掛かる桐生の瞳の奥底までじっと見据える。熱く火の点ったようなそこには、静かに押し寄せる欲がちらついていた。
 渡瀬は手を伸ばしてグラスを置き、その目元に触れる。温かい肌の感触が指に伝わってきて、それにまた揺さぶられそうになるのを押し留めて微笑んだ。
「……せや、言うてなかった」
 近付こうとする顔を抑えて囁く。すべらせた指が顎を捉え、桐生がじれったそうに眉を顰める。それでもこれだけはと、触れ合う前の唇に告げた。
「今年もよろしゅうお願いします」
「……ああ、だからもう――」
「やっぱり、堪え性の無い人やな」
 そう至極楽しげに渡瀬は笑い、抑えていた力を抜く。 あとはただ、その笑う吐息すら飲み込もうとする桐生を引き寄せ、今年最初の夜を過ごした。


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