「男鹿!話があるんだ、付き合ってほしい」
「名前で呼んでほしいってやつならやんねーぞ」
「違う。いや、厳密には違わないが、とにかく頼む」
 なかなか捕まらない男鹿の足をようやく止めさせて、伝えたかったことを言葉にする。怪訝な顔をして何事だと訊ねてくる男鹿を何とか説き伏せ、僕は彼を呼び出すことに成功した。

「いやでもよかったなあ久也、男鹿君に気持ちを伝えられて」
 件のバレーボール対決の後で、どことなくまとう雰囲気が変わったような出馬さんが、それでも以前と変わらない調子でしみじみとそんなことを口にした。たまたま校内ですれ違い、事務的な会話をしていた合間に差し込まれたものだから、僕は少し面食らってしまった。
 出馬さんは僕と男鹿の諸々を知っていて、色々と面倒をかけた人だ。あの一件以来、少し向き合い方が変わった僕のことを言っているのだろう。何と答えたものかと逡巡して、結局この人相手に今更取り繕っても仕方ないと素直な言葉を返す。
「はい。まあその、気持ち……というか、僕からちゃんと歩み寄ることができて、よかったと思っています」
 僕の返答に、レンズの奥の瞳がやや細く尖る。訝しむようなその目つきに身構える僕を、出馬さんは無言で見つめて、まさかと呟いてから言った。
「久也、お前男鹿君に告白してへんのか」
「こっ……!?」
 突然の問いかけに言葉が出ない僕と、そんな僕の反応に同じく言葉を失う出馬さん。互いの間に何とも言い難い沈黙が横たわる。僕は混乱で回らない頭に焦れながら慌てて考えた。告白、と言われたか。それは即ち好意を伝えるだとかそういった意味で、つまり相手は僕が、男鹿に、そういった感情を抱いていることに気付いている。
 何だかんだ、少しずつ戻ってきた冷静な思考が、それ自体はあり得ることだと囁いた。あらゆる意味で勘の鋭い人だ。僕のこれまでの姿を見ていて、そんな風に結論付けたといえば納得できる。
 ――それはそれとして。呆気にとられる出馬さんの表情を見るに、恐らく僕が早々に男鹿へ気持ちを伝えていると思っていたらしい。しかしながらそれはいくらなんでも早すぎないかと思
う。
 僕はようやく彼と真正面から関われるようになって、今はまだ距離を取られているけれど、それを徐々に詰めていけたらと考えているところであって――
 つい悶々と考えこんでしまった僕を見て、黙ったままだった出馬さんが小さく溜息をもらし
た。焦れたというよりは世話が焼けるといったような様子で、考えに沈む僕の片腕を引き上げ
る。
「まあ、お前の問題やから無理にとは言わへんけどな。そんなに悠長に構えてられるような状況ちゃうとは思うで。ただでさえ男鹿君は――」
 まったくもって真っ当な意見を並べた後、出馬さんは不意に口を噤んだ。何かをいいかけて止めたような様が気になったが、何でもないと返されてそれ以上の問いかけは重ねられなかった。
 出馬さんの言わんとしていることを正確に理解できているかと問われれば自信はなかった。ただ思い当たる節が全くないかといえばそうではなく、思うに男鹿がいつまでも、特定の誰かがいない状況にあるとは限らないということだろう。いや、それ以前に僕が知らないだけで、そういった相手が既にいるのかもしれない。
 心の片隅にあった不安が、じわじわと勢いを増して広がっていく。行き場のない感情の高ぶりを、拳に力を込めることでやり過ごす僕に、出馬さんは物言いたげな視線を向けていた。
 そうして暫く僕を見つめていた出馬さんだったが、思い直したように一つ咳払いを挟んで、まあお節介やったなと呟いた。
 意図せず追い詰める形になったと感じて線を引いたのかもしれない。しかしながら僕としては出馬さんのおかげで、腹を括れた思いだった。
 そうだ、全ては憶測であり、男鹿から直接聞いていない以上、確かなことなど何もない。
 一人で勝手に不安になっている暇があるなら、行動しなければならない。あの日、目の前の相手に教えを乞うために一歩踏み出した時と同じように。
 僕は姿勢を正して出馬さんに向き直り、頭を下げた。はっきりとした声のありがとうございますという言葉と僕の態度で、大方察した様子の出馬さんが、僅かに口角を上げる。それから彼は踵を返そうとしたものの、ふと足を止めて、もう一度向き直って僕を見た。
「あっ久也、お節介ついでにもう一つ。男鹿君、そっちはかなり鈍いみたいやから、言うならストレートに。ド正攻法で行った方がええで」
「ド正攻法……」
「せや。まあお前がそんな回りくどいことするとも思ってへんけど。ほなな」
 それだけ言って去っていく背中を見送りながら、かけられた言葉を反芻する。ストレート、正攻法。言われたとおり搦手などは元より思いつかないが、そう助言されるなら猶更、そのままぶつかるしかないと強く思い直した。

「言われた通りベル坊はヒルダに預けてきたけどよ……何なんだよ改まって」
「ありがとう。どうしても二人で話したかったんだ」
 放課後、校舎裏の人気のないところに呼び出された男鹿は、面倒そうな顔を隠すことなく僕と向き合っていた。
 あれから姿を見かけては声をかけ続けること数日。すげなくあしらわれ続けていた僕だった
が、根負けした男鹿についに時間を取ってもらうこととなった。
 何か緩衝材になるような、例えば近況などを話そうかと口を開きかけ、僕はそれを押し留め
た。今更様子見もあるかと自分を鼓舞する。目の前の男鹿を見つめて、視線を逸らすことなく思いをまとめる。彼に伝えたい気持ちを。
「君が好きだ」
 こぼれ出たのは、格好も何もつかないストレートな感情だった。
「憧れていた。背中を任せてもらえるようになりたいと思っていた。それだけだったんだ。でも今は、それだけじゃない」
 そう、それだけじゃなかった。いつの間にか気持ちは膨らんで大きくなる一方だった。君に伝えたいと、心から思うほどに。
「好きなんだ、男鹿。君の特別にしてほしい」
 言った。ついに言った。内容の精度はともかく伝えた。
 反応をいくつか予想してはいたが、そのどれもに自信がなかった。結局のところ男鹿が僕をどう思っているのかわからなかったのだ。 
 一方的な感情で振り回した自覚はあるし、罪悪感だって残っている。それでも自分のことを憎からず思ってくれていることを、僕は願わずにはいられなかった。
「三木」
 名前を呼ばれただけで心臓が跳ねる。汗の滲む拳を握り締めて、次の言葉を待った。
「いや、知ってっけど。お前がオレのこと好きなの」
 言われた言葉に理解が追い付かず、僕は一人心の内で繰り返した。僕が、男鹿を好きなことを知られている?何度か反芻して思い至ったのは、彼の考える好意と自分の思いが異なっている可能性だった。
 自分で言うのも何だが、僕の執着めいたそれは当人にも伝わっている。それが好意に変化として、ということなら辻褄も合う。背中を任せられて、一応は和解というか信頼し合った仲にもなったのだから、それに友情を感じたとしてもおかしくはない。
 間違ってはいない。間違ってはいないが、本質からはずれている。僕は言葉にならない無力感を味わいながら首を横に振った。
「多分、君が思っている好意と僕の気持ちは違うんだ」
「違わねえよ」
「いや、違う」
「違わねえって」
 やけに頑なな態度だった。僕が食い下がるならまだしも、男鹿がそこまで否定してくる理由が分からない。違和感を覚えて口をつぐんだ僕を見て、男鹿はさっぱり分からないといった顔をしながら、ぽつりと呟くように言った。
「だってお前、恋してるんだろ」
 オレに。
 唐突に向けられた核心に言葉が出ない。男鹿の口から出る恋という単語の新鮮さに戸惑う。いやそれよりも、まさか本当に男鹿は僕が、そういった意味で彼を思っていることに気付いていたのか。理解の範疇を超えた事実に思考が停止する。焦りと、不安と、それと抑えようのない歓喜が押し寄せてきて何も考えられない。
「……どう、して」
 震える声と、絞り出したようなその返答が、男鹿の言っていることが真実であることをはっきりと証明していたが、それを取り繕う余裕もない。もっとも、取り繕う必要もなかった。
 僕は男鹿に向けているその気持ちを、今日伝えようとしていたのだから。
「三木の野郎、何でオレにくっついてくんだろうなって言ったんだよ、古市に。そしたらあれはもうほとんど恋だ、あいつお前に恋してんだろって言うから、そうなのかって」
 特に照れることもなく、普段と変わらない態度で男鹿は答えた。
 もし男鹿がその手の話題に触れるとしたら恐らくそこだろうなとは思ったが、古市君の意図までは見えなかった。何となくだが、単に思ったことをそのまま口にしただけのような気がする。それでも、僕はこの場にいない古市君に心の底から感謝した。まさか彼の言葉が、こんな風に繋がってくるなんて。
 その会話がなければ男鹿はきっと僕がどんな思いを抱えて対峙しているかなど、まったく予想もしなかっただろう。正直彼と男鹿の絶妙ともいえる関係性に思うところもあったが、その認識を詫びたい思いだった。彼がいたからこそ、不要な誤解を含まずに、僕の気持ちは男鹿へ向けられるかもしれない。
 僕をまっすぐ見つめる男鹿の視線はやはりいつもと変わらない。相手を逃げられなくさせる、強い目だ。
「違うのか」
 違わない。君の言う通りだよ、男鹿。
 君のことを考えるだけで胸がいっぱいになる。こうして会話していることに感謝しながらも、それ以上のつながりを望んでしまってどうしようもない。君のことがもっと知りたい。君が他の誰かの唯一になるなんて考えたくもない。
 恋だとしか、いえない。
 込み上げる行き場のない感情と、それを相手に悟られている事実を改めて自覚して、身体がかっと熱を持った。もしかすると、いや多分恐らく、先程の話の通りだとすれば、僕が今日彼に伝える前にその好意は知られていたことになる。
 思ってもみなかった男鹿の反応に動揺していたが、少し落ち着いてから噛み締めるその状況
は、完全に僕の許容範囲を超えていた。相手に気付かれている片想いなんて、手の内をすべて読まれている試合と同じだ。容赦なく翻弄されるしかない。
「お前顔真っ赤だぞ。大丈夫か?」
「顔も赤くなるよ……もう、何を言えばいいのかわからない」
 思わず頭を抱える僕の上から、男鹿の声が降ってくる。呆れたような、でもどこか労わりを含んだような声の気がしていた。僕の思い上がりでなければ。
「さっきまで散々好き好き言ってたじゃねえか」
「そりゃ言うよ好きなんだから――ああくそ、好きだ」
 顔を上げた視線の先に男鹿がいる。鋭い目つきは変わらないものの、少しだけ僕を気遣うように緩んでいる気がした。僕の、思い上がりでなければ。
 深く息を吐き出して、高ぶった神経を落ち着かせる。混乱して気持ちの整理がついていなかったが、今すべきなのは一人であれこれ思い悩むことではない。目の前にいる、男鹿と向き合うことだ。
 友情のそれだと逸らさせた僕の言葉を、彼は否定した。わざわざ否定して、僕の気持ちを確認してくれる事実を、思い上がりと決めつけてしまっていいのだろうか。僕は意を決して、男鹿の顔を真正面から見た。気持ちを伝えて、それでいいなんて嘘はつけなかった。彼が僕をどう思っているのか知りたかった。
「すきだ、男鹿」
「ああ」
「……伝えても、いいのか。これからも君に、好きだって」
 それはつまり、僕の思いを受け入れてくれるのかという確認だった。僕が男鹿を、このまま好きでいてもいいのかと聞きたかった。もしそれが受け入れられない事実なら、容赦なく断ってほしいと身勝手ながら願っていた。
 僕が向けている、恐らく焦げつくように熱い視線を受けた男鹿は、珍しく一瞬だけ目を逸らした。
 その瞳はすぐに戻ってきたが、言葉はなかなか出てこなかった。男鹿の唇が何度か物言いたげに動きかけるのを、緊張に強張る身体で見守る。汗が滲んだり熱が引いたり忙しなかった。
 暫しの間の後、男鹿は意を決したように口を開いた。
「まあ、お前はそうやって言ってりゃいいんじゃねえの」
 その、突き放す物言いが、けれど確かに優しさを含んでいて、僕は胸が締め付けられるように疼くのを感じた。はっきりとした肯定ではない。けれど不快なら不快だというし、義理で付き合うような人間でもない。だからこれは間違いなく彼の答えであって、僕が望んだそれに限りなく近いものだった。
 男鹿が僕の心を、迎え入れようとしている証だった。 
「男鹿」
「何だよ」
「君の気持ちを聞かせてくれないか」
「……今言ったようなもんだろ」
「言葉が欲しいんだ」
 感情があふれて止まらない。抑えきれずに懇願じみた物言いで訴えかけると、男鹿は今度こそはっきりと、狼狽を滲ませながら言った。
「嫌だったら話なんか聞かねえよ。けど……あんま人前で言うなよ、オレだけにしとけ」
 軽く眩暈がした。全身が心地良い熱に包まれて、足元がふわふわと覚束ない気がする。そんな風に感じてしまうほど僕の脳内は幸福感で痺れていた。おそらく、いや間違いなく照れ隠しなのだろうが、最後に付け加えられた"オレだけにしとけ"が絶妙だった。言われた通り、君にだけずっと伝え続けたいと思ってしまう。
 そのあまりに甘美な響きに、男鹿はまったく気付いていない。けれど僕はその言葉にすっかり参ってしまっていた。そのまま目の前の男鹿に手を伸ばしてしまいそうになるのをぐっと堪え
て、何なら叫び出しそうになるのも抑えて、僕はつとめて冷静にありがとう、と応えた。語尾は少し上擦ってしまったけれど。
「君が好きだよ、男鹿」
 もう一度、彼に受け入れられた状態で伝える。一方的ではないそれを噛みしめていると、不意に男鹿がくるりと背を向けた。さすがに浮かれすぎたか、とうろたえる間もなく、振り返った男鹿に手招きされる。一拍置いて、それが散々彼に願ってきた状況であることを理解した。一歩、確かに踏み出して隣へ並ぶ。落ちかけた夕日の赤が、かたくなに前を向く彼の横顔を照らしていた。僕はその瞬間、この光景をこの先何度も思い返すのだろうと感じた。

「とりあえず、健全なお付き合いをしようか」
「健全なお付き合いって何すりゃいいんだよ」
「……一緒に下校する、とか」
「今やってんな」
 意図的に歩くペースを落としながらそんなとりとめもない話をしていた。互いに黙っていても頬が緩む状況で、僕は浮足立つ気持ちのまま考えを巡らせる。
「じゃあそうだな……一緒に勉強でもしようか。分からないところがあれば教える」
 名案だと思ったそれはあまり男鹿には響かなかったらしく、眉をひそめられた。それならもう少し踏み込んで、何かを一緒に食べるだとか、もっと言うならどこか遊戯施設に遊びに行くだとか――そこまで考えたところで、僕に合わせてのんびり歩く男鹿が口を開いた。
「何つーかお前……欲がねえんだな」
 ぽつりと呟かれたその、想像だにしなかった言葉に反応が遅れる。欲がない、というのは僕が並べ立てたあれこれでは控えめだと暗に言っている訳で。控えめじゃなかったらそれは、つまり――つまり?
「欲、って……ちょ、ちょっと待ってくれ男鹿! それってつまり……どういうことだ!?」
 緩やかだった男鹿の歩調が何故か少し早まり、僕は慌ててそれについていく。発言の真意を伺いたいのに追いつけない。男鹿がスピードを上げる。早足が最終的には何故か全速力の追いかけっこになっていたが、それすらも僕にとってはつまるところ幸福でしかなかった。
 傍から見れば奇妙なじゃれ合いでも、僕にとっては唯一無二の時間だ。
「男鹿! っ、さっきのは、その、欲っていうのは、っ!」
「っ、やっぱなし、健全に、全力疾走な、っ」
「それも嬉しいっ、がっ、でも僕はっ」
「嬉しいのかよ!」
 男鹿の家まであと数百メートル、最終的に着くのは自宅なのだから、男鹿は強制的に足を止めることになるのだが、きっと気付いていない。僕もそれを見越して足を緩めるなんてことはしない。子供のようなやりとりが楽しくて、視界のすべてがきらきらと眩く光っているようだった。ずっと求めていた光景だった。
「男鹿、僕は――」
 勢いのまま言いかけたそれを慌てて止める。オレだけにしとけと、言われた傍から無下にするような真似はできない。けれどそれよりも先に食い気味の勢いで、男鹿の声が前から聞こえる。
「知ってるっつの!!」
 そうだ、知ってるんだ。その事実が何度も心をとらえて離さない。踏み込む足に力を込めて加速した。いきなり追い上げるスピードを上げた僕を男鹿が振り返る。――きっと繋がる。そんな確信を抱いて、僕は彼に向って手を伸ばした。