幸福な日
「そうだ、良かったら秋山さんも一緒にどうですか?」
まさか自分に話が向くとは思っておらず、秋山は呆けた声を洩らさずにはいられなかった。
桐生と遥、互いが時間を作って神室町を始め、各地へ渡り食事や買い物を楽しんでいることは知っていた。 事情は多々あれど、彼らが過ごしてきた年月は長く、絆も強い。
久々のゆったりとした時間を、二人が心の底から喜んでいるのは傍目にもよく分かった。 そこは彼らしか立ち入れない関係だったのだ。
桐生、そして遥と少しの間時間を共にはしたが、あくまでそれだけだった。 もちろん、それ以上何を求めるという訳では無い。二人の微笑ましい姿を眺めるのは、秋山にとって楽しみの一つでもあった。
そんなことを思いながら離れた所からその様を見ていたその矢先、今日も今日とて楽しげに出かけようとしていた遥に突然声をかけられたのだ。
一緒に来ないか、と。
「今日はおじさんと二人で蒼天堀に行くんです。秋山さん、美味しいお店とかお詳しいかな、と思って」
「えっ、いやそれなら遥ちゃんの方が――それに俺、食事っていっても飲み屋が殆どで」
本当に寝耳に水の提案で、秋山は柄にもなく狼狽えながらそう返した。そんな秋山に柔らかく微笑んでいた遥が、小首を傾げ伺うような視線を向けてくる。
「もしかして、困らせちゃいましたか…? そうですよね。あの、すみません突然こんなこと」
「ああ、いやあの、そういう訳じゃないんだけどね? 何といいますか、せっかくの水入らずを邪魔するのも悪いかなーっと……」
歯切れの悪い秋山の言葉に、遥が伏し目がちに頷く。その様子に秋山は申し訳なさを覚えてたじろいだ。
正直な気持ちを言えば、嬉しい、と思ってしまう。二人の楽しむ姿を離れた所から見ていたい気持ちもあるが、一度並んで歩いてみたいと思ったことが無い訳では無かった。
しかし、あくまでそれは個人的な気持ちだった。
遥は色々と聡く気の付く少女だ。もしかしたら何かを察し、厚意から誘ってくれたのかもしれない。 けれど、傍にいるその人はどう思うだろう。
伝説と畏れられ、数多の人を惹きつけるその男は、ことその少女に関しては特に、とても可愛らしい性分も持ち合わせている。もしかしたら、あまり良くは思わないかもしれない。
そんなことを思いながら秋山は首に手を当て、ちらりと遥のすぐ横にいるその人へ目を向けた。
するとこちらをじっと見ていた男とはた、と目が合って、秋山は思わず固まった。 睨まれているのかと思ったが、その視線はどこか優し気で、ざわりと心が波立つのを感じる。まるで二人でいる時のそれのようで、甘く疼く衝動を抑えられない。
なんて人だ、そう一人ごちたいのを堪え、秋山は遥に向き直った。
「……ホントに良いの? 俺なんかがお邪魔しちゃって」
「えっ、そんなもちろんです! ねえおじさん?」
綻ぶように微笑んだ少女に笑いかけられ、桐生も唇を緩ませた。ああ、と応じる低音の声が耳に心地良い。
じゃあ早速行こう、と先頭きってニューセレナを出ようとする遥の背を、桐生が追いかける。未だ戸惑いを隠し切れず、その場から動かない秋山に向かって、桐生が振り返り微笑んだ。
良くは思わないかもしれない――そんな葛藤すら、お見通しだとでも言うように。
秋山の平静を乱して仕方が無いその人は、やはり一枚上手だったようだ。いっそ気恥ずかしささえ感じながら、それでもこうなれば自棄だとでも言う勢いで、秋山は立ち上がった。
その日一日、遥は心から楽しんでいるようだった。 蒼天堀につき、まずは昼食からということで手近なお好み焼き屋に入った。 秋山が大阪に来てから何度か足を運んだそこは、チェーン店とはまた一味違った趣があり、遥も初めて来たらしくメニューを見てあれこれと楽しげに悩んでいた。
幸せそうにお好み焼きを頬張る遥を眺めながら、同じようにその様子を眺める桐生を盗み見るそんなことを繰り返していてたらまた目が合ってしまって、気恥ずかし気に逸らすその様にこっそりと微笑んだ。
食事を終わらせ、次に遥がゲームセンターに寄りたいというので三人は歩き出した。
遥を間に、なかなかの恰幅である男二人が挟んで歩く姿というのは、それなりに目立つ。 アイドルである遥が注目を浴びるのはまだ理解できるが、それだけではない視線をいくつか感じて秋山は苦笑を洩らした。
「どうかしましたか?」
そんな秋山を見て、遥が不思議そうな顔をして尋ねる。
「いや、やっぱり目立っちゃうなあと思ってね」
秋山の言葉に遥は暫し考える素振りを見せて、やがて合点がいったように頷いた。そしてどこかいたずらっぽい笑みを浮かべて、秋山に耳を近づけるよう手招きする。
歩きながら秋山が半身を傾けると、身を寄せた遥が囁いた。
「おじさん、どこに行っても目立っちゃいますね。でも本人は、そんなことないと思ってるみたい」
何か、可愛いです。遥はそう言うと楽しげにくすりと笑って、おじさんには内緒ですよ、なんて付け足した。
己よりずっと年若い少女に可愛がられている男を思って、秋山はにやつく口元を抑えられない了解、と小声で答えると、遥は肩を震わせて笑った。
そうこうしている間に、一行は目的地のゲームセンターに着いていた。
そこで漸く顔を上げた二人が、いつの間にかその様子に気づいてた桐生に恨めし気に睨まれるのだが、それすら可笑しくまた顔を見合わせて笑ってしまったのだった。
ゲームセンターでは、遥と桐生が太鼓の音楽ゲームをプレイしていた。 なかなか白熱したらしく、遥は息を弾ませながら後ろで眺めていた秋山に交代を頼んできた。
秋山が太鼓の前に立つと、横に立っている男がにやりと笑ってくる。
何度か経験があるらしく、手に覚えはあるとでも言わんばかりのその笑みに、闘争心がむくむくと湧き上がってくる。
負かせてやろうじゃないか。そう年甲斐も無く意気込み、秋山はバチを握った。傍らで見ている遥の、どちらもを応援する声が嬉しい。
結局、一勝二敗という結果に落ち着き、華を持たせた意味でも秋山は満足していた。決していい年をした大人の負け惜しみなどではない。
何だかんだ上がってしまう息を恨めしく思う秋山だったが、遥に絶賛されながらも肩が弾んでいる男の背を見て、笑みを浮かべずにはいられなかった。
UFOキャッチャーやシューティング、格闘。これでもかという程遊びつくした最後は、遥の満面の笑顔とプリサークル、だった。
少女の心からの笑顔で頼まれてはもちろん嫌とは言えない。この三人でのプリサークル、傍目から見たらどう映るのだろう、などといった懸念はとりあえず置いておき、中へ入る。
遥と一緒にあれこれ言いながらフレームを選び、遥を間に立たせて並んだ。楽しげにポーズを作る遥に合わせて、秋山も動く。
悩む様子の桐生の手を引き、遥を囲んでポーズを取らせた。普段そんな様を見せることが無い男のそれは、秋山の目を楽しませてやまない。
文字通り顔をにやつかせていると、間の遥が秋山と桐生、それぞれの腕に自分の腕を組ませてきた。それと同時に最後のシャッター音が鳴る。
三人で書いたラクガキ入りのプリクルを眺め、遥は満足そうに笑った。その笑顔に心から安らぎを感じて、男二人はどちらともなく顔を見合わせる。
傍から見れば物珍しさしかないのかもしれない。それでも少女がこんな風に笑ってくれるのなら、そんなことを思いながら、秋山は桐生に笑いかけた。
ゲームセンターを出て、今度はカラオケに行きたいという遥の言葉に従い向かった。 遥の本職の美声はもちろん、桐生の、普段あまり聞く機会の無いその歌声に思わず聞き惚れた。耳に心地よい低音の声が甘く歌う度、何か錯覚してしまいそうになる自分が単純で恨めしい。
そして桐生の歌う姿に合いの手を入れる遥が可愛らしく、桐生は桐生で、遥の歌声に聞き入りながらも的確に合いの手を挟む姿が、愛おしかった。
夕食は飲み歩いてきた中で聞いた、創作和食の店に行った。 話に聞く限り雰囲気の良い店で、そこまで堅苦しくなく、味も申し分ないという店だった。
その店は確かにその全てに満足のいくものだった。旬の食材や珍味などを扱った料理は、見目も良く、遥は目を輝かせてそれらを楽しんでいた。 落ち着いた空気の中、
食事は和やかに終わり、店を出た後神室町に帰るまで暫く散歩をすることになった。
夜の喧騒の中、三人で堀に沿いゆっくりと歩く。心地良い疲労感は自然と言葉を少なくし、三人は殆ど無言のまま歩いていた。 しかしその無音は何故か暖かく、優し気で、秋山はひそりと桐生と遥を盗み見た。
きっとこの二人の間では、こんな風に穏やかに時間が流れていたのだろう。
だから言葉が無くても、こんなに心地良い静けさが生まれるのだ。 後ろめたさもあったが、邪魔をさせてもらえて良かった。心から楽しんでいた自分を思い返しながら、秋山は一人微笑んだ
「今日はすまなかったな」
神室町へ戻るタクシーの中で、遥はいつの間にか眠ってしまったらしい。 助手席で窓の外をぼんやりと眺めていた秋山は、桐生からかけられた言葉に思わず振り向き、眠る遥を見とめたのだった。
「ああ、いえそんな――むしろ俺の方こそ、邪魔させてもらってすみません」
前へ向き直り、秋山はそう答えた。思えば今日、きちんと二人で話すのはこれが初めてなのだ
そう思い直すとタクシーの中であるにも関わらず何故か意識をしてしまって、どうも落ち着かない。秋山は外に視線を向けながら、ちらりとバックミラー越しに桐生の姿を伺った。
「お前のことだ、きっとそんな風に気を遣うだろうと思った。そんな必要は無いんだがな」
「はあ……そうですかね」
「ああ――遥がな、大阪でお前には世話になったから、お前さえよければと言っていた。お前のこと、よほど気に入ったらしい」
「それは……光栄ですね」
一緒にどうかと言ってきた遥の、恐る恐るといった表情を思い出し、秋山はひそりと笑った。 気の利いたことなどしてやれなかったが、そう言ってもらえるのは純粋に嬉しかった。
「大阪で色々あって――頼れる人間もいない中で、お前に相当救われたんだろうと思う。 俺が言える義理じゃないのかもしれないが……ありがとう、秋山」
桐生の言葉に、秋山は思わずバックミラーを見た。すると鏡越しに目が合って、そこから視線を離せなくなってしまう。
そんな目をするな、と言いたかった。抱き締めたくなってしまうから。けれどここはタクシーで、遥もいて、そして今日という日を、貴方と遥と心から楽しんだのだ。遥の為でも、ましてや貴方の為でもない。己が好ましいと思う人がそこにいたからなのだ。
そんなんじゃないんです。俺は遥を楽しませたくて、貴方にも楽しんでほしくて。
貴方と遥と、一緒に楽しみたくて。
貴方が、好きで。
喉まで出かかった言葉を丸ごと飲みこみ、秋山は口を開いた。
「――また、ご一緒しても良いですか」
その言葉に一瞬目を丸くした桐生が柔らかく微笑むのを見て、秋山は外へと目を向けた。
タクシーは天下一通りに止まり、目を覚ました遥をニューセレナまで二人で連れ帰った。ママに借りている奥の部屋へ遥を送り、楽しかったと笑顔で礼を言う遥に笑いかけ、秋山はニューセレナを出た。
そのまま上のスカイファイナンスへと上がるべく階段を上る。花はおそらくもういないだろうが、気紛れに寄ろうと思い立ったのだった。
夜風の冷たさに身を震わせながら上がっていると、すぐ下から靴音らしきそれが聴こえて見下ろす。
「桐生、さん?」
見覚えのあるグレーのスーツに向かって声を掛けると、その人が振り仰いだ。
見上げるその視線が、相変わらず真っ直ぐ過ぎてくらりとくる。
「仕事か?」
「いえ、今日はもう多分店仕舞いですね――どうか、しました?」
男の口ぶりに、どこか期待してしまう自分がいるのはもう致し方が無いことだった。
「今日の礼をしたいんだが……その、飲みにでもいかないか」
躊躇いながらもはっきりとした口調に、秋山は唇を緩ませる。 腕の時計に視線を落とせば、まだ日付は変わっていない。
時間はたっぷりとある。先程言えなかった言葉を何度聴かせても、十分すぎる程に。 どこか決まり悪そうな表情の男に向かって、秋山は言った。
「礼なんてされる筋合い無いですよ、俺が行きたくて行ったんだから」
少し気落ちした様子の男に向かって、再度秋山は言う。
「でもまあ、それ以外の理由なら大歓迎です」
「……それ以外?」
「ええ。例えば――そう、逢引、とか」
そう言って意地悪く笑うと、桐生は眉間に皺を寄せて顔を背けた。 それは男の隠せていない照れ隠しだったが、もちろんそれすらも愛おしいので何ら問題は無い。
「一晩、貰っても?」
「……ああ、構わない」
それだけ聞くと、秋山は疼く足をもう抑えきれないとばかりに、階段を駆け下りたのだった。
(幸せな日の締め括りに、貴方と) (ああなんて、幸せなんだろうか)