真琴×京 R-18「彼らの話」 本文サンプル
「……やー、しかしその、まさかだよな……」
歩き始めて二十分、隣から定期的に繰り返されるその言葉を耳にする度、進は律儀に頷き返していた。
いつもと変わらないペースで練習を終え、各々で身支度を済ませて、帰宅しようといった矢先のことだった。
荷物を纏めたその男は、普段なら早々にスタジオを後にする筈の足を止めて、暫くその場に留まっていた。
その時点では珍しい光景だと認識した程度で、何か他の印象を受けることはなかった。――少なくとも、レイ自身は。
やがて若干の間の後話がある、と切り出された時も彼の―真琴の纏う空気に変わりはなく、次の練習日に急な予定でも入ったか、もしくは時間についての相談か何かか、その辺りの話だと予想していた。
メンバー全員が揃っている中、真琴が改まって自ら話し出すことだ。十中八九バンドに関する事務的な内容に違いない。プライベートを切り離し、音楽を暇潰しと言って譲らない男の発言
は、いつだって合理的かつ極めて淡白なものだった。
何の疑いもなく、真琴自身の話だと思い込んでいた。
だからこそ意識は口を開こうとする真琴にしか向いておらず、他のメンバーの様子など気にも留めていなかった。――当然の流れではあった。
「京さんと個人的にお付き合いしています」
一呼吸置いて、淀みなく告げられたその言葉に、レイは初めて真琴の少し後ろでこちらを見ている存在に目を向けた。無駄な力の入っていない立ち姿で皆を伺うその男は、つい先程練習の合間に見せた姿と何ら変わらない。
静閑な佇まいとは裏腹に、自身の心を震わせるような歌で聴く者を惹き付ける男。この場で何の説明もなく京と呼ばれる人物は彼以外にはなく、そこで漸く真琴の話が全くもって予想外のものであることに思い至る。
何を言っていいのか、そもそも言われていることを正確に理解出来ているのか。
呆然とするレイの傍らで、同じように戸惑いを浮かべているであろう進が、それでもリーダーらしい冷静な声で応える。
「……そうか。もちろんバンドは今まで通りだよな?」
「ええ。僕としてはそのままで。皆さんさえよければ、ですが」
「京もそれでいいんだな?」
「……ああ」
進に問いかけられた京は、視線を逸らすことなく頷く。そのあまりの自然な振る舞いに、この話が紛れもない事実なのだと実感する。ただそれでも思考が纏まらず、レイはやはり言葉を失ったまま、見慣れたバンドメンバーの顔を眺め続けていた。
<以下抜粋>
再び並んで廊下を歩き、自室の前で足を止める。慣れた手つきで鍵を開け、真琴は扉を支えて京を招き入れた。
後ろ手に鍵を閉め、すぐ横の壁に設えられた電気のスイッチに触れる。明るくなった室内で、未だ部屋に上がろうとしない京に視線を向けた瞬間だった。
「京さん――っ!」
振り返った京は一歩踏み出すと同時に、背にした扉へと勢いよく真琴を押し付けた。
それほど強い力ではなく痛みもなかったが、思ってもみない京の行動に思考が固まる。真琴は呆然と間近に迫る顔を見つめた。京の表情に特別な変化は見られないが、ただ穏やかだった瞳の奥にゆらりと熱が垣間見えた気がして息を飲む。
捕まれていた両腕から手が離れ、そのまま下へ滑っていった指先が、手の甲へと触れる。その、意味ありげな触れ方に戸惑う間もなく、身体を寄せた京が僅かに首を傾け、唇を重ねてきた。
柔らかく触れてくるその感触が、覚えのある衝動を引き寄せてくる。薄く開いていた唇の間を遠慮がちにさ迷う存在を感じて、真琴は更に隙間を開け、京の舌先を口内へと呼び込んだ。
大胆な仕掛け方をした割には仕草に迷いがちらついて、それにむしろ火をつけられる思いで口付けを深くする。
触れられていた手を握り込み、片方の手は京の腰辺りに回して引き寄せる。
玄関先、しかも扉一枚を隔てただけの場所で及ぶには些か深い触れ合いだが、どちらも離れる素振りを見せることはなかった。
絡ませていた舌を解き、下唇を柔く食む。離れる寸前に音を立てて表面を吸い上げれば、洩れ出す京の吐息が乱れた。
腰に触れる手はそのままで剥き出しの首へ指を滑らせる。指の間接で喉を辿り、顎から下唇までするりと撫で上げて京の顔を伺った。
軽く俯いた京は、真琴の指を銜えるようにして唇で挟む。熱を持て余していると訴えるその様に、理性の根幹がぐらりと揺さぶられるのを感じた。
不意を突く情欲を含んだ仕草は色々と容赦がない。覿面に煽られた事実に内心頭を抱えなが
ら、真琴は京の背中をそっと撫でた。
いずれにしても、部屋の中へ入らなくてはならない。抱き寄せたままの身体をそっと離し、脱いですらいない靴に手を伸ばすべく身を屈めようとする。
しかし何故かそれよりも先に、京がその場に屈みこんだ。そしてあろうことか真琴の下半身へと身を寄せ、ベルトに手をかけようとする。
「ちょ、ちょっと京さ……!」
咄嗟にその手を掴んだものの、更なる想定外の行動にそのまま硬直してしまう。見上げてくる京の視線は真剣そのもので、元来そういった性格でないのは分かりきっているが、冗談という訳でもないようだった。
「……駄目か?」
「――そういう言い方は……」
少しの間の後、そう問いかけられた真琴は、何とも歯切れの悪い返答をする。熱を持った瞳で見上げられ、敏感な部分に程近い場所でそう囁かれれば、そんな困惑と情欲が混ざった答えになっても致し方ない。駄目かと訊かれて撥ね付けられるほど冷めているつもりもなかった。
とはいえ、実際に応じるかといえば話は別である。場所が玄関先であることは変わりなく、帰宅してすぐの身ということも問題だ。今までにない京の振る舞いも、正直なところ気にかかる。
やはり何にせよ、部屋に入ることから始めなくてはならない。
「とりあえず、中へ入りましょう。それからシャワーを」
そう言って手を伸ばす真琴に、京は存外あっさりと頷いて立ち上がった。