噛み合うしかない

 

 我ながらよく続いているものだとは思っていた。
 当然のような顔をして僕の部屋にいる窪谷須は、視線に気付いて持込んだバイク雑誌から顔を上げた。
 首を傾げて僕を伺う表情には、親しみ以上の柔らかい情が込められていて何ともいえない感慨を覚える。
 同級生のくせにどこか大人ぶった顔。物怖じする後輩に向かって、何だよ仕方ねえなと言いながら腕まくりをして話を聞こうとするような姿。
 それがこの男の気概であり長所なのだろうが、僕はそういう気配を感じ取る度どうにも居心地の悪さを覚えていた。
 距離を取ろうとする僕の間合いをそれこそ拳でも打ち込もうとするかの如く詰めてきた男。
 表裏の無い無骨な姿は好ましく、その押し付けがましくない力強さに甘やかに絡めとられている自覚もあるが、それだけに途方に暮れずにはいられなかった。
 言うつもりが無かったことまで引き出されそうで落ち着かない。保ってきた自分を易々と折られるような感覚。
 その戸惑いは窪谷須にも伝わっている。だからこそ余計に僕の頑なな身を撓めようと、殊更緩やかに接してきているのも分かっている。要は堂々巡りだ。
 それでも早々に破綻することなくこうして付き合い続けているのだから、やはりよく続いているものだと感慨に耽ってしまっていた。それだけだった。
 窪谷須は僕の反応を待っている。そうは言っても特別何かあった訳ではないから、僕は黙って首を横に振った。
 何でもない、そういう意味での動作だったが、窪谷須には伝わらなかったらしい。
 何だよ。
 言い出し難いことを聞き出すような緩やかなトーンで問いかけて、 窪谷須が雑誌を置いた。
 その脳裏に走る不穏な空気に、身を引く僕を追いかけて窪谷須はにじり寄ってくる。
 投げ出した僕の足の先に窪谷須の膝が触れる。もたれていたベッドの縁に背を押し付けて窪谷須を見た。
 探ろうとする瞳に僕は再度首を振ったが、それはどことなく弱々し気で、何かを堪えているようにもたしかに見えた。
 窪谷須の右手が、僕へと伸びてくる。その手は僕の肩に触れて、労わりを込めて撫で擦ろうとしている。
 しかしその宥めるような仕草を甘受することがどうしても出来ずに、僕は咄嗟に膝を立てて逃れようとした。
 窪谷須の手に僕の膝が強くぶつかる。反動で跳ね返った手は窪谷須の顔を叩き、ずれていた眼鏡の黒いフレームに引っ掛かった。
 カシャン、と軽い音がして眼鏡が床へ転がり落ちる。
 続いて広がる沈黙が、生々しい気まずさを撹拌して引き伸ばしていった。
 少しの間の後、手を伸ばして窪谷須の眼鏡を拾い上げた。もやもやとした不快感の上に、後ろめたさが覆い被さっている。
 流石に申し訳なかったと思い直して、僕は窪谷須に向き直った。
 手にとったそれをかけてやろう、そう思った僕の脳内に緊張が走る。しかし既に僕の瞳は、窪谷須の顔をとらえていた。
 眼鏡を奪われ、素顔を晒した窪谷須の瞳には、隠し切れない炎が燃えていた。
 苛立ちとも欲情とも違う、もっと根本的な熱。
 自身の芯が折られそうな――そんな気配を感じ取ったとでも言うような、反射を含んだ激情。
 僕は思わず動きを止めてその瞳に見入った。長く見続ければそれだけ物質的な中身が透けてしまう。それでも視線を逸らせなかった。
 僕の動きを遮ったのは紛れもない欲情だった。僕と同じように窪谷須が、僕に言いように翻弄され、自身の矜持との板挟みでもがいている。
 その事実に僕は堪らなく興奮していた。
 こめかみがじくじくと疼き、肌が煮立つ。愛情か所有欲か征服欲か、それら全てが混在した何かかによって、理性と躊躇の糸が断ち切れていく。
 呆然と床を見ていた窪谷須が僕に視線を向けた。途端にその燃え盛る揺らめきは遠のき、焦ったような、戸惑ったような表情に変わる。
 それがもどかしくて僕は窪谷須に近付き、取り繕うとして苦みを滲ませる唇に口付けた。
 左手で呆気にとられる顔を掴み、空いた隙間の奥で動こうとしない舌に前歯を立てる。
 柔く走ったであろう刺激に吐き出す息が震えて、それを合図に窪谷須の手が僕の後頭部を掴んで引き寄せる。
 食い合うような口付けに全身が痺れていく。こめかみの疼きが激しくなる。
 これでいい。包み合うような愛情で擦り合わないのなら、ぶつけ合えばいい。
 窪谷須の中に渦巻く葛藤を抑え、その奥の欲望を引き摺り出すべく頸動脈に程近い所に掌で触れる。
 曖昧になった距離感の中で揺蕩う欲望が、主導権を取り戻そうと覚醒する。
 低く唸った窪谷須が僕の首元に顔を埋める。
 熱い吐息と共に噛み付かれる感覚に溶かされ、僕は掴んだ眼鏡を静かに離れた床へと手放し
た。