I like you

 

 人の好みというのは本当に多種多様だ。少し離れた所にいる彼女が机の上に置いている棒付きのキャンディを見ながら心底思う。
 自分がそれを口に含めば何とも形容し難い、早い話がクソまずいと思うのだから、主観が違うだけでこんなにも感覚が変わってくるのかと、 当たり前ながら妙に不思議な気さえしてくるの
だ。
 もちろん毎回彼女の好みやそれ自体を頑なに否定するばかりではなく、悪のりにも似た好奇心で自分から乗っかってみようと挑戦した事も幾度かはあるが、その時の結果は前述した通り散々なものだった。
 結局は人は人だよなあなんて身も蓋もない分かりきった常套句を並べてみたりして、堂々巡りの思考の末にふ、と欠伸をした。
 その瞬間に先程まで雑誌を捲っていたその人と目が合って、何となく罪悪感のような居心地の悪い思いをする。
「アンタ何でそないな所に立ってんの?」
 部室に入ったきり扉近くの壁にもたれていた自分を訝しげに見やりながら訊く。 ページをつまんだ指を意味なく凝視しつついや、だかうん、だか曖昧な返事をこぼした。
 あのスティックを握る華奢なそれは、 丸い女性味を感じさせる爪を薄めのマニキュアの上に乗せたトップコートとかいうものでつやつやと光らせている。
 そうやって意識してしまうだけ、彼女の読んでいる女性誌やファッション雑誌は正しいのかもしれない。 それと同時に変にそういう男だなと思う部分を自覚してしまい、その事すらもやましいように思えて何なんだと小さくひとりごちた。
「まあ、確かに遅いなぁ」
 頬杖をついてぼんやりと前を見ながら、それこそひとりごとのように言う。 一瞬そうかとも思ったがすぐにその考えを打ち消した。
 こちらを見ていないもののその口調は明らかに他人を意識したものだ。 しかしながら自分に向けられた言葉にしてはあまりにも脈絡がない。いっそのことひとりごとと割りきってしまう事も考えて、 けれど気付いた時にはえ、と聞き返すような言葉を咄嗟に発していた。
「ああ、いやええんよ」
 先程ののんびりしたそれとは違う、どこか剣呑な響きだ。 若干の嘲笑までもを含んでいるのに何か機嫌を悪くさせるような事でも言ったかと思い返してみるが全く身に覚えがない。 単に虫の居所が悪いだけかもしれない。そうあってほしいと彼女を伺うと、そんな自分に気付いて視線はそのままにええんよ、と 今度は普段通りの、けれど少しだけ優しいトーンで繰り返した。
 それに人知れず安心して、目に入った鮮やかな包み紙を何気なく見る。
「お前本当にそれ好きだな」
「おう何や、お前も食うか」
「それ食うぐらいなら俺は周りの紙食うからな」
「よーし分かったそこへ直れ」
 立ち上がって腰に手を当て威嚇する相手にはいはいと軽い調子でおどけてみせる。 いつの間にか包装紙を外していた飴を片手に手招きされ、突き出した手を掴まれた。いつもの他愛ないやり取りだ。
 口に押し込もうと躍起になる彼女に抵抗していると不意にさらり、と髪が触れて普段は特に意識しないそれにあ、と声がもれた。
「ん?」
「あ、や、何でも」
「何やねん、気になるから言えや」
「いや、髪が」
「髪?」
 細い金色の髪をつまむ指先を追いながら呟く。今まで深く考えた事もなかったが、それは独特の柔い感触で指をするすると滑るのだ。
 何か付いてるかぁなんて言っているそばから絡む毛先に目がいって、ただそれは惹かれるとかそういった甘くうずくような感覚とは 明らかに違った。
 けれどそれ以外の形容が思いつく訳でもなく、そんな感情も時間と共に曖昧なものとなってしまう。
 髪だけを見つめる自分に何を勘違いしたのか、彼女がからかうように言った。
「なん、アンタ髪フェチなん?」
「そ、そんな事ねーよ。俺はもっと、指とか」
「へえ、指?」
 しまった。さもおかしそうに聞き返す彼女に、今しがた自分が言った言葉を思って絶句する。適当にあしらう事なんて何でもないのに、馬鹿正直に答えてしまった理由は全く分からない。というか自分は指フェチだったのか。
 もっと直接的な、そういう所を思い浮かべようとしてふと脳裏にその姿が浮かんで、胸が締め付けられるような愛しさのあとに、 切なさがこみ上げる。細い指は確かに似通ってはいるが、違う。違うのだ。
 言葉を詰まらせた自分を見る瞳が、見た事の無い感情を映していて、途端に泣きたくなる程確信した。
 けれどそれは表情に出さずにうるせーな、と視線をそらして微かに震えた声で答える。
「なあ、」
 まるで幼い子供に言い聞かせるような温かい、声色。
「アタシの、聞いてみるか?」
 指を唇に当てて笑う仕草は、わざとらしくて彼女に限って見慣れない筈なのに、それが見事にはまって眩暈にも似た感覚を覚える。
 きらりと光る爪と無造作に転がった飴。今なら舐められるかもしれない、そう思って口にするのがいつも常だった。 だけど結局自分は食べられやしないし、つまりはそういう事だった。

 人の好みなんてのは理解出来たもんじゃない。それがもし、もし万が一自分と同じであって
も、だ。