大吾×桐生 R-18「始まりに向かう」 本文サンプル
――「アンタはずっと、ここに――神室町にいるんだろ」
雨の中を走る車で、東城会六代目会長堂島大吾は一人の男について考える。
思考は次第に深く沈み、彼にとって忘れられない記憶を呼ぶ。
◇桐生との過去を0~5になぞって大吾が回想する話
捏造有
降り続ける雨は鈍色をしていた。
今日は全国的に天候が優れず、朝からどんよりとした雲が空を覆い、光を遠ざけていた。
高速道路を順調に走るセダンの後部座席に腰掛けた男は、窓の外へ視線を向けたまま動かなかった。
過ぎていく景色と共に、ガラスにぶつかっては流れていく雨粒を眺め続けてもう三十分は経
つ。何か物思いに耽っているのだろうか、そう問いかけるような存在は、ここにはいない。
車内にいるのは運転手と彼だけだった。
運転手はただ実直にハンドルを握り、乗せている男のことを意識的に排除している。
作られた沈黙が空間を満たす中、彼は誰にも邪魔されることなく、一人の男のことについて考えていた。
広い背中だ、と思った。周囲にいた兄貴分の男達に比べればまだまだ青かったのだろうが、むしろ自分と年が近くなる分、身近で大きな存在に思えた。そしてその、見つめてくる視線が気になった。
まっすぐな視線は親の息子である自分にもぶれることなく突き刺さった。そこには媚も、畏怖も、言うならば遠慮も無かった。
散々向けられてきたそれらが眼差しに含まれていないことが物珍しく、まず警戒を抱いた。自分にも汲み取れない巧妙な打算が隠されているのか、そんな風に身構えかけて、それがその男の素であることに後々気が付いた。
男は誰に対しても裏がなかった。子供の自分が呆気に取られる程直線だった。
それを認めて、張り詰めていた警戒を解いた。代わりに興味を抱いた。
「若」
耳についたその呼び名も、男が口にすると妙な新鮮味があった。
閉じかけていた目を開く。視線の先は未だ雨に煙っている。
進み続ける車とは裏腹に、少しずつ意識が過去に戻り始めている気配を感じていた。
過密なスケジュールを縫って時間を作ったせいか、はたまた降り続く雨にぼやける視界のせいか、思考が微睡むようにさ迷っている。
彼はそれに逆らうことなく身を委ねた。再び目を閉じて、螺旋を描く思考の波に飲まれてい
く。
青臭い過去はむず痒さを覚えさせるが、その中に焦がれる背中があるのなら、たまには悪くないと思い直した。
「何かあったんですか、若」
大人びた顔を不機嫌に歪めて、少年は喫茶店の席に腰掛けていた。
正面に座る男は厳めしい顔に、珍しく困ったような表情を張り付けている。
少年はうんざりと溜め息を吐き、目の前に置かれたアイスコーヒーのグラスを睨んで胸中でひっそりと毒づいた。
何かあったどころじゃない。言ってやりたい文句は山のように出てくるのに、上手く言葉に出来なかった。
それは自分の抱いた不満に、一欠片も後ろめたさがないと言い切れる訳ではなかったからだ。
むっつりと押し黙る少年をどうしたものかと悩む男は、太く武骨な指を伸ばしてコーヒーカップを持ち上げる。
その広げた掌につい先日、盛大に打たれかけたことを思い出して、少年はもやもやと込み上げる思いにまた溜め息を吐いた。
それは傷みと言うより強い衝撃だった。呆然とする少年を見つめる男の目にはやはり裏も表もなく、ただ歪んだ道を歩もうとする男を引き戻す真剣さだけがあった。
自棄になった少年を咎め、男は背中を押そうとした。そのあまりの熱意に言葉を失い、涙が込み上げた。
こんな風に向き合おうとする人間が、まだ近くにいたのだと思い知らされた。
あの一夜のことを、自分は生涯忘れないだろう。そう自覚した。
全力でぶつかってくれた男に恥じぬよう背筋を伸ばし、少年は敬意と親愛を込めて「兄貴」と読んだ。
いつか肩を並べて酒を酌み交わせるよう、そんな男になると誓った。男もそれに頷いてくれ
た。しかし。
その時起きていた一件は、男の身を、果ては東城会という組織全体をも揺るがす出来事だっ
た。
男はそんな中で組を――東城会を去る決意をしていた。
後から聞かされた――正確には聞き出したその話は、少年にとって寝耳に水そのものだった。
男が微妙な立場にいることは理解していたし、事が終わったあと、その凄まじい経緯を耳にして密かに息を飲んだ。
それでもまさかそんな選択があったとは思わなかった。
あの時、頷いた時でさえ、最後になるかもしれないなどと考えられているとは予想だにしなかった。
まるで子供だ、と思い返して、苦々しさに眉を顰める。
無論、責め立てるつもりなどない。それこそそこまで子供ではないし、事態はそれほど浅いものではなかった。
男自身、生きるか死ぬかの瀬戸際だったと聞く。
それに一連の出来事に、実父が大きく関係している以上、男の選択に物申すことなど出来る筈がなかった。
それでも、何か。何か一言あってもよかったのではないか。
それが具体的に何かと言われれば言葉に詰まるが、このまま何事もなかったように接していくのは嫌だった。
要領を得ない感情に自分で苛立つ。 喉の乾きを覚えてグラスに手を伸ばし、ストローから勢い良く吸い上げる。
染み入る健全な苦味はここが休日の真昼、賑わう喫茶店の一角であることをまざまざと思い起こさせる。
男にもう、恥じる部分を見せぬよう、自分から喫茶店、そしてコーヒーを提案してみせたというのに。
件の男は依然困惑を滲ませたまま、カップから離した指先で頭を掻く。
その、持て余した子供に対するような仕草に苛立って、そして途方もない自己嫌悪に駆られ
る。
ような、ではない。これでは結局、厄介な子供のままだ。
水滴を滴らせる冷えたグラスを見つめながら少年は考える。何を言ってほしかったのか。何に落胆したのか。
手前勝手に認めたとはいえ、男の言動が姿勢を正す引き金になったことは確かだ。だから待っていてほしかった。
自分の存在を同じように認めて、心に置いてほしかった。簡単に断ち切れてしまう関係だとは思いたくなかった。
何も言わずにいなくなろうとするなど、あまりに。
そうしてまた同じ不満に辿り着いたところで、何か引っ掛かるものを覚える。 不満、といってしまえば確かにそうだが、もっと適切な名前があるような気がしていた。
羨望、執着、そして――嫉妬。
自分がこれだけ相手のことを意識しているにも関わらず、関係をあっさり放棄されてしまうことへの、どうしようもない絶望。
酷く一方的な感情に振り回されているこの状況は、不満ではなく、もし呼ぶことが出来るとするならそれは。
「あ、りえねーだろ」
脳裏に過ったその可能性に、少年の口から掠れた声がこぼれ落ちる。
視線を宙に浮かせていた男がそれに反応して、顔を覗き込んでくるが、いつもは誇らしくさえ思う向けられる瞳から今は無性に逃れたくて堪らなかった。
異常なほど、顔が熱かった。顔どころか全身が熱を持ったようで、居ても立っても居られな
い。
少年は残ったコーヒーを一気に飲み干して立ち上がり、呆気にとられている男に向かって言い放った。
「――っとにかく酒、絶対奢らせろよ!」
捨て台詞然としたそれを突き付けて、引っ張り出した財布から札を机に置き、少年は振り返らずに喫茶店を後にした。
残された男はそのあまりの剣幕に言葉を失ったまま、少年が出て行った扉と置かれた札を交互に眺めて、首を傾げていた。
転がるように喫茶店を出て、そのまま通りを真横に突っ切る。暫く衝動のままに足を動かし、行き着いた公園の前で、少年はざわざわと落ち着かない胸の内を宥めるべく歩みを止め、深く息を吐いた。
ふざけている。有り得ない。脳内で何度も繰り返した否定の言葉が、全身に滾る血流に押し流されていく。
行き過ぎだと吐き捨てるには綺麗に収まり過ぎていた。要領を得なかった自分の感情が、ただ一つの可能性であっさりと結論に辿り着く。
――好きなのか。
少年の呟きは、闊歩する人々の足音に紛れて霞んでいった。
<中略>
「暇そうだなあ兄ちゃん」
振り返ると、同じように制服を着崩し、ポケットから煙草を覗かせる男が立っていた。
男の後ろにはあと二人、似た雰囲気の男がへらへらと笑っている。 捕まれた肩を振り解く前
に、強い力でゲームセンターの隣の細い路地へ連れ込まれる。
背が高いビルに囲まれたその筋は、昼間だというのに薄暗く燻るような空間だった。
肩を押され、ビルの壁を背にした彼の前に男達は並んだ。声をかけてきた男は歯並びの悪い口をにやりと吊り上げて彼を睨め付ける。
「暇ならさあ、ちょっと相手してよ。俺たち金ねえわ暇だわでもう散々なの」
「悪いが、他所当たってくれ」
「おーいおいおい、待てよ。んなつれねーこと言うなって」
一言で全てを終わらせて歩き出そうとするが、男達は彼の周りを取り囲むように立ってそれを遮る。
彼は存外冷静な頭で男達一人一人の顔を見た。知らない顔だ。少なくとも面識がある訳ではなさそうだった。
万が一、彼の素性を知って絡んできているとするならそれなりに警戒も必要だったが、単に目についた人間に声をかけているといった様子だった。それなら構える必要もない。
さてどうやって蹴散らしたものかと考える彼を、臆していると受け取ったのか、正面の男は機嫌良く口笛を吹いて彼の手から学生鞄を引ったくった。
チャックを開けて、中を乱雑に探り始める。 財布はポケットに入れているし、試験期間中の鞄など大したものは入っていなかった。
唯一財布に似た感触を探り当てた男が、嬉々として引っ張り出したものも学生手帳だった。
男はつまらなさそうに中身をちらりと見て、隣の男に手渡す。渡された手帳の中の学生証を見た男は、写真と彼の顔を交互に見比べて、いやらしい笑みを浮かべた。
「あ、俺コイツ知ってるわ。なんかどっかのボンボンらしいぜ。金回りがすげえ良くて昔いい思いさせてもらったって、ツレが知り合いから聞いたってよ」
「おーおーそりゃいいねえ。是非俺らともお友達になってよ。まずはお近づきの印に十万円、ってことで」
「あ、俺にも十万な」
ニヤニヤと笑いながらいう男達をひっそりと彼は冷笑する。どこでどう話が違ったのかは分からないが、単なる金持ちのボンボンにされているとは笑い種だった。
大体その話を人伝で耳にしている辺り、男達はおそらく普段は神室町に寄り付きもしないのだろう。
この辺りをうろつく悪ガキなら、彼の存在は認識している筈だ。
こともあろうに堂島――姓まで目にしておいて気付かないのだから図星だろう。
金と親の名で人の心を懐柔しようとしていたのは昔の話だ。あの頃はそれこそ全てを冷ややかに笑って生きていた。
誰も己の本質など見ようとしない。見る意味もない。そんな風に分かった顔をして、本当に欲しい繋がりから目を背けていた。
そんな彼を引き戻した男に、彼は誓った。自分の足で立ち、自分の足で歩くと。
自分自身にも誓った。もう二度と、男に恥じるものがないように生きると。
「――付き合う相手は俺が決める。少なくとも、お前らはお友達にはなれねえな。未だに他人の親の金当てにするしか能のねえ、大人ぶったクソガキ共とはな」
「んだとこの野郎……ボンボンがスカしてんじゃねえぞ!」
気色ばんだ男が拳を振り上げる。頬を抉る熱い痛みに身構えた瞬間、背筋を震わせる低い声が空間を切り裂いた。
「おい」
時間が止まる。固まった男達が声のした方へ顔を向ける。彼もそちらを見て、言葉を失った。
大通りを背にして、男が立っている。 見覚えのあるグレーのスーツに身を包んだその男は、眉間にくっきりと皺を刻んで、男達に鋭い視線を突き刺した。
「ガキ共、通行の邪魔だ」
「……あ? 何だよオッサン、アンタの方が邪魔なんだけど」
「おい! あの胸の……アイツどっかのヤクザだ!」
「あ!? んだよヤクザかよ……! おい、行くぞ!」
スーツの胸元に光る代紋に気付き、男達は悪態をつきながら散っていった。
相手がヤクザだろうと舐めてかかっていく若者も多かったが、奴等にはそれほどの度胸も無かったらしい。
たまたま粋がって絡んで痛い目を見たといったところだろう。
彼はいっそ哀れみすら覚えながら、薄汚れた路地に転がる空き缶に躓きながら我先にと駆けていく背中を見つめる。
どっかの、とは随分お粗末な言い分だった。お前達が散々口にしていた金持ちの本質がそこにあるというのに、最後まで勘の悪い連中だった。
去り際に放り出された鞄と学生手帳を拾い上げ、汚れを叩き落とす。
近付いてきた男が何か言うかと待ってみるが、男は黙ったままだった。仕方なく、彼から口火を切る。
「……何でここにいるんだよ、桐生さん」
「偶然だ」
「偶然ね……それで? 何で出てきたんだ」
向き直って問いかける。男は答えなかった。珍しく答えを言い淀んでいるように見えた。
男の躊躇いはおそらく遠慮だ。大方揉め事の気配に様子を伺って、彼の顔を見付けて近付いてきたのだろう。
いつだって彼は、男に気を向けられている。その事実はたしかに彼の背を押すが、同時に今は強い焦燥を呼んだ。
抑えていた焦りが、再度駆け上って彼の心中を埋める。
「ガキが売ってくる安い喧嘩ぐらいで俺は潰れねえよ。自分の足で立って歩くってアンタに言った。いつまでもアンタの後ろにはいない」
「分かってる。お前を信じていない訳じゃねえんだ、大吾」
彼も分かっていた。男は決して自分を軽んじて足を踏み入れたのではない。
ただ彼の性質が、放ってはおけないのだ。しかしその裏に彼が思うような特別な思いはなく、それが彼にとっては焦りを呼び、もどかしさを覚える理由になる。
ただそんなわだかまる感情をすべて伝えるにはまだ距離が遠く、彼は波打つ胸の内をやっとのことで押し留めた。
代わりに抱き続けた焦りの一部をさらして告げる。
「アンタはずっと、ここに――神室町にいるんだろ」
漠然とした問いかけに、男の表情が困惑を抱いて揺らいだ。
<以下抜粋>
湿り気を帯びた肌が触れて、大吾は無意識にその身を掻き抱いた。
雨の中、長く待たせてしまったことへの詫びが込めていたが、ただ単に沸き上がる衝動に身を任せずにいられなかったともいえた。
かさついた唇を舐め、深く息を奪い合う。すぐさま差し出された舌を吸い上げて撫ぜ、溢れる唾液を飲み下す。
強く抱いた掌で背中をなぞり、引き締まった臀部に触れると、それに応えるように桐生が絡んでいた舌先を捉えて、音を立てて吸った。
混じり気の無いストレートな欲情が、視界をちかちかと明滅させる。
「……っ、は……」
震える息を吐き出して互いの衣服を取り去っていく。ジャケットを落とし、ネクタイを解か
れ、シャツを剥ぎベルトを引き抜かれる。
向き合って下着のみの姿になり、再度肌を重ね合わそうと手を伸ばしかけて大吾は思わず吹き出した。
漂っている濃度の高い空気を一蹴するその反応に、桐生が呆気にとられたように目を丸くす
る。
くつくつと笑いをこぼしながら、桐生の背後を指差した。閉めきられた窓の横に束ねられている、ダークグレーのドレープカーテン。
地上九階の一室、日が落ちかけた薄闇とはいえ、開けっ広げのカーテンに気をやれないほど頭に血を上らせていたらしい。振り返った桐生もその必死さに我に返ったのか、同じように低く笑いながらもどこか居たたまれない様子だった。
「ガキじゃねえんだから――本当、すみません」
「いや、それを言うなら俺だって同じだろう」
「まだまだ若いってことですか」
「お前もな」
笑って、大吾は窓に歩み寄りカーテンを引いた。眩かった街の光が遮られ、室内の柔い明かりのみが頭上から降り注ぐ。
振り返った先の桐生に腕を取られ、そのまま窓際のベッドへと倒れ込んだ。
口に含んだ性器は既に限界まで張り詰め、先端から絶えず体液をこぼしている。
溜め込んだ唾液を絡ませながらぐしゅぐしゅと擦れば、壁に背をもたれ両足を投げ出していた桐生が堪えきれず声を漏らした。
「う、あ……っは、……」
唸るような声と吐く息に神経が焼き切れる。堪らず既に収めていた指で内部を強く探った。
粘ついた音が口内と広がった穴からこぼれ落ち、唾液とも潤滑油ともつかない粘液が尻の下に敷いたタオルへ吸い取られていく。
示し合わせた訳ではないが、こうして二人で会う時、桐生は予めその身で受け入れる準備をしてきてくれていた。
性急に求めた最初は色々と大変な思いをした。その過去を省みての配慮だったが、無理を強いる行為に自ら応えようとしてくれる姿は、大吾の心に深く入り込んだ。
一方的な思いはないと、心から抱かれている気がした。
反り立った性器をずるりと口内から引き出し、艶かしく光る竿を擦り上げる。その間も指は収縮する体内を撫で、快感を引き出そうと這い回る。
大吾はじっと、桐生の顔を見た。電気を消した暗い部屋で、ベッドサイドの柔い明かりだけが空気の中に溶けている。 横顔にオレンジの光を受けた桐生は、大吾が向ける視線に小さく喉を鳴らした。
剥き出しの喉仏がゆっくりと動くその官能的な様に、自然に唇がつり上がる。
「俺に見られて――感じますか」
身を乗り上げ、耳に吐息を絡めながら囁くと桐生の身体がびくりと震えた。