渡瀬×桐生 R-18「愚者」 本文サンプル

 

 病院で目を覚ます感覚は、どうしてこういつも霞がかっているように思えるのだろうと一人考える。人よりいくらか怪我の多いこの身体は、病室のベッドとも浅からぬ因縁があるにもかかわらず、だ。
 桐生はゆっくりとリクライニングベッドを上げ、身体を起こした。喉の渇きを覚えながら閉じられたカーテンを見る。漏れ出した光の眩さが、快晴であることを告げていた。
「桐生さん――桐生さん、おはようございます」
 掛けられた声に扉を振り返ると、一人の看護師が室内へと入ってきた。彼女は窓際へ歩み寄
り、カーテンを引く。
 途端に明るい日光が部屋いっぱいに差し込んできて、桐生はそれを目を細めて眺めた。
「良いお天気ですねえ。お加減はどうですか? 食欲は?」
「気分はそこまで悪くない。ただ――食欲はあまり無いな」
「そうですか、じゃあもう少ししたらお食事持ってきますね」
 看護師は人好きのする笑顔を浮かべ、慌ただしく外へと出て行った。身体を再度ベッドに沈ませ、桐生は脇腹の辺りにそっと触れる。ガーゼのざらつく感触が痛みを生々しく思い起こさせるようで、吐き出す息が詰まる。 冷たい、雪の記憶。温かい血に塗れた身体が徐々に冷えていくその感覚は、未だ昨日のことのようにまざまざと残っている。
 終わりを覚悟していた。今までだって考えたことは幾度かあったが、そのたびに思い返したのは親しい人の姿だった。むしろそれがあったからこそ、生きて、戦ってこられたのだとはっきりと分かる。しかし、あの時は。
 男が待つ場所に向かい、傷付き疲れ切った身体を抱え必死で仲間の元へ帰ろうとした。あの時桐生は本当に一人きりだった。それは偏に、自ら離れた少女の存在を、
 遠く感じていたことに他ならない。来た道を辿りながらも桐生が歩いていたのは、仲間へと続くそれではなく、死に繋がるただ一本の道だったのだ。
 腹から手を離し、凍てつく記憶から意識を遠ざける。爽やかな太陽から遠く離れた、酷く物寂しい朝だった。
 食事を終え、手持無沙汰にぼんやりとしているとノックの音が聞こえた。桐生の病室は東城会の関係で、ごく一部の人間にしか知らされていない。何人かの顔を思い浮かべながら返事をす
る。
「よう桐生、調子はどうだ」
「伊達さん」
 伊達は覗き込むように桐生の病室を伺ってから中へと入ってきた。手にした二人分の缶コーヒーを傍らに置き、座るかと思いきや、身体を起こしていた桐生に近付きまじまじとその姿を眺める。
「傷は塞がったらしいな。顔色も前ほど悪くない」
 そう言って何度か頷いてから、伊達は置かれている椅子を引き寄せた。腰を落ち着けると、強張っていた伊達の表情が少し和らいでいることに気付く。
 何度か見舞いに来てくれているが、いつも桐生の様子を間近で見るまではこんな不安を滲ませた顔をしていた。自分が思っているよりずっと、心配をかけているのだろう。
 桐生は少しの居た堪れなさを思いながらも、黙ったまま頷くだけに留めた。
「だがあまり無理はするなよ。大体お前はいつも養生が足りないんだ」
 間髪入れずに差し込まれた小言じみた言葉に、桐生は思わず笑みをこぼす。安堵と照れがないまぜになった物言いに、不器用ながらも優しさが込められているのがよく分かる。それに伊達の言うことも尤もだった。 入院して暫くの間は、溜まっていた疲れが堰を切るように溢れたよう
で、眠り続ける日が殆どだったぐらいだ。
 限界近くまで身体を酷使していたと言わざるを得ない。
 伊達は持ってきた缶コーヒーを開けると、桐生に向かって差し出してきた。そして自分の分も開け一口含み、意図的な間をつくるようにしてから口を開いた。

 <中略>

「それでお前は、何をしに来たんだ」
 渡瀬の目がふと、呆気に取られたように見開かれた。何を言い出すのか分からない、そんな表情を浮かべながら、渡瀬はまるでそれが当然のことのように言う。
「何しにて、見舞いに決まってますやろ」
 今度は桐生が、何を言われたのか分からないと途方に暮れる番だった。見舞い、確かに病室に来る理由としてはこれ以上ない程に自然なものだが、何故この男が。
 桐生は混乱する頭を抱えながら、言われた言葉を繰り返す。
「見舞い……?」
「そう、見舞いです。いやもう、何をいきなり言われるんか思うた」
 あっけらかんとそう言われ、桐生はむしろ戸惑っている自分がおかしいのかと自問する。いやしかし、この状況はどうしたって異常だ。
 それはもちろんこの男とは少なからず因縁があるが、それにしたって何の用も無く見舞いに来られるような間柄でなかったことだけは確かだ。
 やはり何かある筈だ、そう思って伏せていた顔を上げると、存外近くに立っていた渡瀬に見下ろされていてはっとする。
「何だ、やっぱり何か……!」
「ああすんまへんなあ、この椅子、使わせてもろてええですか。えらい病院の中で迷うてしも
て、足がしんどくて堪らん」
 指差された簡易椅子に、桐生は唖然としながらも頷いていた。

「東京っちゅうのも、たまに来るとええもんや。ゴミゴミ小うるさい街なだけやと思ってましたわ」
 窓の外に目を向けて、渡瀬が不似合いな程のんびりと呟く。桐生は拭いきれない違和感を思いながらも、それをどう言葉にすれば良いか分からないままだった。
 仕方なくそれとは別に、気になっていた疑問を口にする。
「大丈夫なのか、こんな所へ来て」
 渡瀬の瞳がゆっくりと桐生を捉える。言外に含まれたいくつかの意味に、どう答えたものかと見極めているようだった。
「お察しの通り、あまり長居は出来ませんな。近江はがたついてます。勝矢も、戻ってくるにはまだ時間がかかる。それにいくら今はお互い身内のことで手一杯で構うてられへんとはいえ、ここは東城会の息がかかった病院で、あんたはその四代目。何の理由もなく、いやいくら理由があったとしても、なかなか大手を振っては来られへんでしょう」
「それなら何故――」
「せやから、見舞い言うてるやないですか。それが理由です」
 核心に迫りかけた所でまた躱され、桐生は憮然と押し黙った。渡瀬は頑なに見舞いだと言う
が、どう考えてもそれだけだとは思えない。
 本人も自ら口にしたように、組織の再編に忙殺される身の上、立場としても非常に際どい存在の筈だ。あまりにリスクが高過ぎる。纏まらない考えに沈む桐生に向かって、渡瀬は何故か突然手を伸ばしてきた。
 桐生は咄嗟に身を引きかけるが、しかしその手は近付くことなくベッドの手すりにかけられ
た。どこか、彷徨うような手つきだった。
「傷は」
「……え?」
「傷は、どないですか。痛みは」
 藪から棒に、それこそ普通の見舞いのように問いかけられる。渡瀬はじっと桐生の顔を見ていた。サングラスを取り払った素の瞳が、力強い眼光を持ってして身を苛む。
 何故か責められているような錯覚に陥り、桐生は思わず正直に答えていた。

 <以下抜粋>

 やがて身体をぶつけるしかなかった行為を経て、渡瀬が桐生の身体を探り始める。細かい手順など知る筈がない。手探りで肌に触れ、粘膜を辿る。
 勢いのまま突き立てた歯が痕を残し、力を入れ過ぎた手が骨を軋ませる。 快感よりも痛みばかりが先立つのに止められない。荒い息を吐き桐生が呻くと、それに誘われるように渡瀬が顔を近付けた。
「……っ、なん――」
 言葉を遮るように唇が塞がれる。何の前触れも無く与えられる行為に、背筋がみっともなく震える。剥き出しの肌が擦れ合い、湿った温度が境目無く溶ける。
 鋭敏な舌先から広がるように身体が欲情で満たされ、腰が重く痺れる。固く育ち始めたそこを擦り合わせる。 まとわりつく粘液が落ち、尻の間まで滴る。
 唇を離した渡瀬は、そのまま桐生の首筋を食んだ。 そして互いの体液に塗れた下腹部へ指を滑らせる。桐生は拒まなかった。荒れ狂う欲望を早くどうにかしたかった。
 太く筋張った指が押し込まれ、喉が反る。身じろぐ身体を押さえつけるように首元を再度噛まれ、上擦った声が洩れる。渡瀬は焦れたように舌を打つと、桐生から身体を離して立ち上がっ
た。