everything

 

 0時ちょうどに送信しようかと暫く悩んだものの、結局少し遅れて「誕生日、おめでとうございます」とだけメッセージを送った。
 お互いにいい大人で、何なら仕事上の仲間でもある。それでもどうしても早くおめでとうと言いたかった気持ちを抑えられなくて、こんな行動になってしまった。
 机の上に置かれた液晶画面を眺めながら、オレは溜まった息をゆっくりと吐き出した。明日は朝から一日レッスン漬けだ。真面目なあの人のこと、明日に備えて今日は早く寝ているかもしれない。そう冷静に考えながらも、暗く光を落とした液晶を睨まずにはいられなかった。
 十分程経った頃、新着メッセージを通知するポップアップと共に、 画面がぱっと光る。オレはそれに弾かれたように手を伸ばして、文字を覗き込んだ。
 ――ホントに律儀だなお前。ありがとう、翼。明日に備えて早く寝ろよ!
 想像していた通りの言葉が返ってきて、口がだらしなく緩んでしまう。 はい、おやすみなさい輝さん。すぐさまそれだけ返すと、少しの間を置いて、おやすみと返信があった。オレはこの上なく満たされた思いで、その言葉を暫く眺めてから、部屋の電気を消した。

 輝さんに好きだと言った日、あの人は驚いた顔をして、けれど嫌悪は見せなかった。
 今思えば、仕事のことやオレのことを気遣っていたのかもしれない。輝さんは不意を突かれたような表情をしてから、少し苦い笑いを浮かべて言った。
 ――お前だって分かってるんだろうけど、何にせよ今は無理だろ。アイドルとして、俺達まだまだ半人前なんだから。
 「今は」そう言った輝さんの言葉が建前である可能性に気が付きながら、オレはそこに目を向けなかった。 掴めない訳じゃない。努力すれば、いつか。
 そう考えなおして、気持ちを抑え続けてきた。
「柏木、昼休憩だ。行くぞ」
「あ、はい!」
 ステップの確認をしていたオレを、薫さんが呼ぶ。その隣にいる筈の輝さんの姿が見えなくて、オレはきょろきょろと辺りを見回してしまった。
「天道ならトイレだ。後から来る」
 そう言ってさっさと歩き出す薫さんの後に慌てて追って、練習スタジオから出る。 薫さんの様子は普段と何も変わらない。もちろんこの人も今日が輝さんの誕生日であることは知っている。 プロデューサーからレッスン後、こっそりケーキを持ってくるから残っていてくれと言われて、この上なく面倒そうな顔で渋っていた。
 それでもその段取りについて、プロデューサーが話す内容を真面目に聞く辺り、素直じゃないこの人らしい反応だった。
「全く、面倒なことに付き合わされる」
 表情には出さないものの、薫さんも気にはなっていたらしい。溜息交じりにこぼされたそれはどこか落ち着かない気持ちの表れのようで、つい微笑んでしまう。
「ライブに向けての結束の意味も込めて、お祝いしましょうね」
「……君は律儀な男だな」
 薫さんの言葉が、昨日の輝さんのそれと重なる。そういう意味ももちろんあるが、それだけじゃない。 喜ぶあの人の顔を想像して、また緩んでしまいそうになる表情を引き締める。 近付いて来る足音の主に悟られまいと、小さく薫さんに向かって頷くだけに留めておいた。

 激しいレッスンに疲れを滲ませていた顔は、プロデューサーとケーキ、それにオレ達の祝福によって、たちまち輝いた表情になった。 輝さんは本当に驚いたようで、オレと薫さんの顔を交互に見て、それからプロデューサーに向かって照れ臭そうに頭を下げていた。
 山村さんが特注で用意してくれた、星形のケーキキャンドルに火を灯し、照れて躊躇う輝さんを促して火を消させる。率先してケーキを切り分けてくれるプロデューサーの、ちょっと不揃いな分け方に、薫さんが焦れたように口を出す。 皿を持って待機中のオレが、何とかバランス良く配分されたケーキを乗せる。 輝さんは黙って笑ったまま、その様子を眺めていた。
 星のパーツが散りばめられたチョコレートのプレートは輝さんに。輝さんがそっとケーキの山を崩して口に運ぶのを、オレはずっと、こっそりと伺っていた。
 嬉しそうな横顔に笑いかけてしまいそうになって、慌てて自分のケーキを口に入れる。
  舌に触れる甘さははっきりと分かるのに、その味に全く集中できないまま、綺麗なケーキを食べ続けた。
 ケーキを食べ終わり、片付けも済ませたところで、帰り支度を早々に済ませた薫さんとすれ違う。 呼び止める前に手を上げて、薫さんがオレを制する。
 オレはそれに頷き返して、輝さんが残っているであろう部屋に向かった。 部屋に入ると、丁度輝さんが上着を着込んでいるところだった。 オレの顔を見て輝さんが笑う。
 何となく呼ばれた気がして我慢出来ずに、オレは輝さんに向かって駆け寄った。
「びっくりしたぜ、まさかこんなの用意されてるとはな」
「プロデューサーがノリノリだったんです。あの人マメだから」
「そりゃお前もだよ」
 輝さんはそう言って、机の上に置かれていた携帯を持ち上げ、軽く振って見せた。
「ありがとな、夜中にわざわざ」
「そんな……オレが言いたかっただけですから」
「この年になって今更って思ってたけどな、祝われたら嬉しいよ。翼の気遣いが伝わってくるしな。お前が言いたいだけでも、俺は嬉しかったし万事良し、だろ?」
 からりとした輝さんの笑顔は、いつだってオレの胸の内を温め、そして時折どうしようもなく締め付けてくる。 オレは喉の奥に絡む感情を飲み込もうとした。
 けれどその、輝さんの柔らかく緩んだ瞳を見ている内に堪らなくなった。輝さん、と呼ぶ声が熱っぽい。手をぐっと握り込んで、オレは輝さんに向かって言った。
「あのオレ、薫さんもそうだけど本当、輝さんに出会えて良かったと思ってます。輝さんに出会えて……一緒に、いられて。だからその、誕生日、祝いたくて。
 来年も、出来ればずっと、その先も」
「な、んかお前それ、プロポーズみたいだぞ」
 隠しきれない熱を含んだオレの言葉に、輝さんが戸惑いながらもからかうように微笑む。オレは一向に落ち着かない心を必死で宥めてから、意を決して頷いた。
「……えっと、正直そのつもりもある、っていうか……」
「――え?」
 上着の前を留めていた輝さんの動きが固まる。冗談めかして受けたつもりが、思わぬ一手を向けられて、咄嗟に理解できないと言った様子だ。
 プロポーズというのは正直少し語弊があるが、それでも伝えたい本質に変わりは無い。オレはそっと手を出して、輝さんの腕に触れた。
 そのまま引き寄せて、身体ごと触れ合わせたいのを堪えてもう一度、告げる。
「輝さんのこれから全部、オレに、ください」
 語弊があると言ったものの、ここまで口にすれば殆ど同義な気もし始めていた。 真正面から捉えた輝さんの瞳がまた見開かれる。
 輝さんは何かを言おうと口を開いたが、言葉にならないようだった。 オレが触れていない方の手で頭を掻き、俯いて、輝さんはもう一度オレを見た。
「いや、全部ったってお前……」
「今すぐじゃなくていいんです、少しずつでも。輝さんが前に言ってくれたこと、オレも同じように思ってるんで」
 一人前のアイドルにはまだ遠い。だから今は無理だ。そう言った輝さんの言葉は紛れもない本心だ。その気持ちは何よりもまず輝さんの仲間である以上、痛いほど分かる。 ――それを考えるなら、本当はもう、口に出すべきでないことも。
 輝さんに以前言われた時のまま、留めていくのが正しい道だ。 それでも結局、堪え切れなかった。自分に嘘はつけなかった。彼の生まれた日を一番に祝いたい、願わくはずっとその、喜ぶ顔を見ていたい。
 オレのぶつけたエゴに、輝さんは細く息を吐いて、やがて首を振った。
「……無理だろ」
 冷静な声が、浮かれた熱を冷ましていく。輝さんの真剣な瞳は逸らされることなくオレを見つめていた。 ――そのことに、ずっと救われていた。
「俺はアイドルだ。翼、お前もな。だから全部は無理なんだよ。応援してくれるファンの為に、返す分は残しておかねえと」
 輝さんの声は、揺るぎない決意を滲ませていた。トップアイドルになる、頂点を掴む、時に離れ、時にぶつかり合いながらも、同じ行く先を見つめ続けているオレ達にとって、その言葉は容易に投げ出すことのできない重みを携えていた。 上り詰めても、それで終わりじゃない。支えてくれたファンに感謝し、その先を見据え続ける。一時の感情で蔑にしてしまえるような、小さな話ではないのだ。
 触れていた手を離して、オレは頷いた。理解はしている。それでもどうしても目を伏せてしまうオレの肩を、輝さんの手が優しく叩く。
「あーもう、そんな顔すんなよ!だから――まあ、あれだ。お前が欲しがるものは、やるから」
「欲しがる、もの?」
 顔を上げた俺の前には、輝さんがいる。輝さんはオレの好きな笑顔のまま、少し芝居がかった動きで両手を広げた。
「やるよ、翼。お前が欲しいもの、その時の俺が許せる限り渡してやる」
 言われた言葉の意味が分からず、目を瞬かせるオレに輝さんは問いかける。
「何が欲しいんだよ、翼」
 頭を過ったそれが正解なのか、オレには判断がつかなかった。 だから恐る恐る口を開く。輝さんの瞳は、優しいままだった。
「輝さん」
「ん?」
「今だけ、触ってもいいですか」
「……ちょっとだけな」
 低い声で許可されたのは多分、戸惑っているからじゃない。 オレはもう一度手を伸ばして、輝さんの腕を取った。そしてそのまま少しだけ自分の方へ引く。
 輝さんは拒まない。 今度は強く引いて、輝さんとの距離を埋める。あっさりと重なった身体が信じられなくて、しがみついて掻き抱いた。オレの背中に触れた手が、照れを隠すように叩いてくる。 輝さんの首に顔を寄せて名前を呼んだ。何だよ、と応える声の、喉の震えすら伝わってきそうな距離に、息が詰まる。
 言いたいことが あり過ぎてまとまらない。それでも声が聞きたくて、俯いたまま口を開く。
「輝さんの誕生日なのに、なんか……オレがもらっちゃいましたね。すみません」
「本当にそう思うか?」
「え?」
 輝さんはそっと身体を離すと、つい名残惜しさが滲んでしまったオレの顔を見て笑った。
「言っただろ、お前に祝われて嬉しかったって。――ありがとな、翼」
 伸びてきた輝さんの手が力強くオレの手を握る。すぐに離れていこうとしたそれを捕まえて、自分から握り返した。一度繋がりを解いて、指を絡ませる。
 仕方ないなとされるがまま許してくれる輝さんに、オレはぐっと顔を寄せて訊ねた。
「輝さん、あの――この後時間、ありますか 」
「ある、けど……何だよ?」
 首を傾げた輝さんは、何となく焦ったような顔をしていた。繋がれたままの指と、オレの勢いに、何かあらぬ予感を抱かせたのかもしれない。
 もちろんそういう意図が全く無いといえば嘘になるが、今はまだ尚早だ。今の輝さんがくれる分を、オレはもう貰ってしまった。だから今度は本来の、輝さんの為の日に戻さなければいけない。
「ご飯、食べに行きませんか。薫さんも一緒に」
「……あいつ先帰ったんじゃ」
「先にお店向かってます」
 そう言ってしたり顔で笑ってみせると、きょとんとしていた輝さんも、つられて笑ってくれた。 結んでいた手を離そうとしたオレを、今度は輝さんが遮る。
 最後にもう一度だけと握り合って離れた感触を、オレはきっと、この先何があっても忘れることが出来ないだろう。
「よし、行くか!」
 はい、と頷いたオレの肩を輝さんが叩く。今度のそれは、一緒に目指す仲間に向ける行為だ。 けれど寂しさはない。少しずつ、確実に前へ進めばきっとまた、近付ける余裕が見えてくる。 盗み見た横顔をしっかりと胸に焼き付けて、考えるのはもちろん、彼のことだ。結局もらってばかりになってしまった誕生日の締め括りをどうするべきか。あれこれ想像するだけでも楽しいのだから、どこまでいっても自分は単純明快だ。
 それともう一つ大事なこと、予定よりずっと待たせてしまった薫さんへのフォローに頭を悩ませながらも、オレは言葉にならない幸福を噛み締めて、肩を並べたその人と部屋を後にした。