海藤×斉木 R-18「escape chase escape」 本文サンプル
◇海藤に告白される予知夢を見た斉木が逃げたり追いかけたりする話+その後の話(R-18)
好きだ、と告げてきた声は不自然に掠れていてひどく熱っぽかった。
赤くなったその顔は言葉以上に興奮を訴えていて、口にした思いがどれだけ真剣なのかは理解していた。
それに元をいうなら、その好意はずっと前から伝わっていた。
否応なしに聞こえてくる心の内は、相手の思いを実に情熱的に、そして時には言葉を失ってしまうほど率直に、伝えてきていた。
ただ一つ、読めなかったのは、その告白に頷く僕の反応だった。
僕は緊張に身を強張らせる相手に向かって真正面から頷き、思いを受け入れる。
向かい合った相手は――海藤は呆気にとられた顔で暫し固まり、薄く開いたままの口から本当に?と小さな声で聞き返す。
――いや、ちょっと待ってくれ
――頷く?
激しい違和感を覚えた途端、こめかみを刺す鈍い痛みと共に目を覚ます。
カーテン越しに差し込む朝の陽光は暖かく、心地良い朝の始まりを告げている。僕は正反対の重苦しい気分を抱えたまま、ベッドに腰掛けて溜息を吐いた。目覚めの悪さは頭痛の所為だけではない。
とんでもない予知夢を、見てしまった。
「あらくーちゃんおはよう、今日はちょっと遅いわね」
爽やかな笑顔を浮かべる母に頷き返し、僕は重い身体を引き摺って食卓につき、並べられた朝食に箸をつける。
普段ならそろそろ寝過ごした父親が大慌てでうるさく騒ぎ出す時間だが、今日は珍しく早めに出られたらしい。
鼻唄を歌いながらのんびりとコーヒーを運ぶ母に隠れて、僕は鈍痛が残るような気がするこめかみを何度か指先で擦った。
生まれた時から付き合ってきた数多くの能力。
その中の一つである夢は、これから現実に起こることを僕に予知として見せている。例外は今だかつて存在しない。
ある時は身近に及ぶ危険、またある時は地球そのものを揺るがす大事件といったように、僕は予知をする度その解決に奔走せざるを得なかった。
そう、それがあくまで危険を及ぼす事態であり、原因も特定出来ているのなら話は早い。僕が人知れず対処さえすれば、何事もなくまた平穏な一日が続いていく。
しかし今朝の夢は――果たして、危険と言い切ってしまえるものなのか。そしてこの場合、僕はどうするべきなのか。
ぴりぴりとした息の詰まるような緊張。向かい合った相手から痛いほど感じる何ともいえない焦燥を思い返して、香ばしく焼けたトーストの最後の一片に噛り付く。
サクサクと歯触りの良い感触を味わいながらも、僕は気怠さとはまた別の居心地の悪さを覚えて途方に暮れていた。
そんな僅かな異変に気付くことなく、上機嫌の母は食べ終えた僕の前にコーヒーを置くと、リモコンを手に取りテレビをつけた。
淹れたてのコーヒーにすぐさま口をつけ、その熱さをそのまま受けた僕は、自分の中の動揺にほとほとうんざりしてカップに溜め息をこぼす。
「今日はくーちゃんが一番ね。何かいいことあるかしら」
自分のことのように嬉しそうな母の声で、のろのろと顔を上げる。見つめた先のテレビでは、星座占いのランキングが並んでいた。
――占いなんて。こっちはそれどころじゃないほど確実な予想を示唆されて、頭を抱えているというのに。
冷ましたコーヒーを一息で飲み干す。上品な苦味は舌の根に絡まるような混乱をまるごとさらっていって腹に馴染んでいく。
カップを置いた僕は立ち上がり、足早に玄関へと向かう。 視界の端、今日の一位である僕の結果に、大きく踊るピンク色の文字。
そこに書かれた「恋愛運好調」の文字に、今度は別の頭痛を覚えて、母のいってらっしゃいと見送る声を背に家を出た。
通学路は穏やかな春の風に包まれ、綻び始めた桜の花が微かな芳香と共に揺れていた。
くっきりとよく晴れた青空に柔らかい陽光。何てことはない春の一日だったが、僕にはそれが妙に浮かれた天気であるように見えて居た堪れなかった。
ピンク色の字、暖かな光、桃色の花。恋というものはそんな華やかな色に満ちている。もちろんそれらは自分には縁の無いもので、持っているイメージは単なる受け売りに過ぎない。
しかしながらそんな風に遠く思っていたそれを、気候一つにまで絡め、あっさりと想起してしまう自分の心情に、ぶり返した頭痛が更に酷くなる気がした。
引き摺られるように鈍くなる歩みを急かして前へ進む。どうしたものかと考えている内に、いつの間にか学校へと到着していた。
正門を抜けて歩き、玄関へと足を踏み込むと、脳内に届く人の思考が更に雑然としてくる。そんな中、近くなるその気配に僕は咄嗟に身構えながらも、上履きに手をかけた姿勢でどうすることも出来ずに、そのまま近付いてくるのを待っていた。
「あ――」
登校してきたその男は、僕に気付くと一瞬驚き、そして顔を綻ばせた。
斉木だ、やった、朝から会えた―瞬時に差し込まれる剥き出しの感情には最早慣れきってい
る。筈、だったのだが、今日は流石に複雑な思いを抱かずにはいられなかった。
「よお、斉木」
そう言って笑いかける海藤に頷き、僕はいつものように何でもない顔で、僕への好意をひた隠しにする海藤と並んで教室へ向かった。
<中略>
黒板を埋め尽くす文字を、何とはなしに眺めていた。
午前中の授業はまだ新鮮さが残っていて、クラスに漂う思考も皆教師の話す言葉に集中している。
常に平均を目指す僕に、授業の内容を真剣に聞き入る必要は無い。試験に必ず出るポイントを覚えようが覚えまいが、点数は僕の心持一つで変わる。僕が考えていたのは羅列している数式の答えではなく、今朝の予知夢についてだった。
状況から察するに、あれは下校中の出来事だった。ということはつまり、海藤が僕に告白するまでの猶予は夕方までしかないのだ。
その間で何とかして、切り抜ける方法を見つけなければならない。
やはり最適なのは今までと同様に、相手がどこにいるか把握し、絶対に鉢合わせしないように逃げるという手だ。
しかし僕の予知はおそらくそれを乗り越えて実現するだろう。それでも僕はそれ以外の選択肢を持ち得ていなかった。
そう、僕は何としてでも海藤の告白から逃れなければならない。
今までの人生で一度たりとも抗えた試しの無い自分の能力を、真っ向から否定することになったとしても。それ以外に道はない。何故なら。
今朝の夢が鮮明に蘇る。目の前の人間が僕のことだけを考え続けて、その感情を吐露しようとしている。じっとしていられない程の居心地の悪さ。
その時の動揺が喉元から込み上げてくるようで、僕は何の意味も待たない数式を睨んで息を詰まらせる。
好きだなんて言われて、どうしたらいいのか分からない。その手前、かわす方法ならいくらでも考えられる。
けれど今さらストレートに告白などされて、一体どうしろというのだ。どうするのが正解だというのだ。
断る、聞かなかったことにする、誤魔化す。そのどれもが僕にとって未知の世界でまるで頭が働かない。
無理矢理引き上げられた舞台で途方に暮れるしかない自分を認めたくないのに、その現実は今も着々と迫りつつある。悪夢でしかない。
だから僕には逃げる以外の選択肢が無かった。他の方法に頭を向けることがそもそも出来なかった。
どうしたらいいか分からない自分を目の当たりにしてしまうことに耐えられなかった。
黒板に向かっていた教師が不意に振り返り、海藤の名前を読んで答えを訊ねる。立ち上がった海藤は特に躓くことなくそれに答えた。
その姿を見ていた僕と海藤の視線がぶつかり、慌てたようにすぐそらされる。
駄目だ俺、何か今日すごく斉木のこと気にしてる。流石に変に思われる――
一人焦る海藤とうらはらに、僕は違う意味で海藤を訝しんでいた。
決して望んでいる訳ではない、のだが。
考えた傍から、僕が違和感を覚えていないかどうか横目で探る海藤に気が抜ける思いで首を傾げる。
この男、本当に告白する気があるのだろうか?
<以下抜粋>
【その後の話】
本をめくる手、食事をする口、寛ぐために伸ばされた足――海藤は僕のそんなところにいちいち視線を向けては、はっとしたようにそらしていた。
それならばもういっそ顔を見て訴えてくればいいのにと思うが、そこまでは踏ん切りがつかないらしい。
しかし僕としてはもう限界だった。
そうやって海藤が僕に視線を突き刺す度に、妙な心地になって落ち着かない。
何を考えているんだと問いかけたくなるが、その頭の中には潔く僕の存在しかなくて参考にならない。
――いや、それはこれ以上ないくらいの参考なのかもしれないが、だったらなおのこともういいから何とかしてくれと言いたかった。
それなのに当の海藤は僕から少し離れたところに座り、緊張を宥めようとスポーツドリンクを何度も口に運んでいる。
僕はテーブルに手を伸ばしてリモコンを取り、テレビの電源を落とした。ハプニング動画を紹介する映像が途切れ、沈黙が部屋の中を満たしていく。
にじり寄るように海藤に近付き、ベッドを背もたれにして座る海藤の前に腰を下ろす。その後ろのシーツに視線を向けると、取り繕われた海藤の声がした。
「……何だよ? どこ見てんだよ斉木」
お前がどこを見ているんだ、と言いたかった。
僕はいい加減お前のことを考え過ぎてどうにかなりそうなんだよ。
焦りを滲ませた海藤がペットボトルを横に置いて僕の顔を見つめる。ようやくぶつかった視線がまた外される気配を感じて、僕はその肩を掴んでいた。
途端にびくりと身体を震わせて海藤の瞳が僕をとらえる。 薄く開いた唇が、躊躇いがちに僕の名前を呼んだ。
「斉木」
絡んだ視線は湿って熱を帯びていた。
僕はその狼狽えているようではっきりと明確な意思を持った瞳を、無下にする気になれなかった。
緩やかな動きで持ち上げられた手が僕の頬に触れる。
火照っていると思った指は以外に平温で、その視線とのアンバランスなずれに僕の方が落ち着かない気分になった。
近付いてきた顔が僅かに傾げられ、唇がぎこちない動きで重なる。触れるだけで離れていくかと思いきや、 海藤は僕の下唇を挟んで柔らかく食むような動きをしてみせた。
途端にじくりと背筋に何かが這い回り、流れ込んでいる筈の海藤の思考にノイズが混ざる。自らの意思に関わらず、推し量ることの出来た相手の脳内が急速にぶれ、僕は自分のあまりに単純な反応に人知れず愕然とした。
「……斉木?」
無意識に身体を硬直させた僕に気が付いて、海藤が触れていた手と唇を離して僕の顔を覗き込む。
眉を寄せるその顔には労りと慈しみがこれでもかというほど滲んでいた。
「嫌なら言ってくれねーと――俺は、もう」
言葉を切った海藤の声には切羽詰まった空気が漂っていた。
嫌じゃない。決して。しかしそれをどうやって相手に伝えたものかと考える。言葉に上手く出来ないなら――例えば。
こちらを伺う海藤の目を見て、小さく首を横に降る。
それを見た海藤はやはり気遣わしげな表情のまま、再度顔を寄せて唇を触れさせてくる。今度は本当に触れるだけだった。
短い触れ合いの後、離れようとする動きを感じ取って、僕は突き出した舌の先で海藤の唇を舐め上げた。
粘膜と柔らかい皮膚が擦れ、また背筋がざわめく。海藤の肩がびくりと動く気配がした。
上と下、交互に舌を触れさせて、僕はこれで正しかったのだろうかと自問しながら離れようとした。しかし少しだけ開いていた唇がそれを遮った。
顔が更に近付き、先程と同じような動きで舌先が挟まれ、海藤の口内へ呼び込まれる。迎えられた粘膜の温かな感触に戸惑っていると、誘い出された海藤の舌が僕のそれと重なった。
ざらりと舌の表面を舐められ、頬の内側をつつかれ、唇の裏側を辿られる。口の端からこぼれる熱い吐息はきっと海藤のものだ。いや、本当のところそんな確証は最早まるでなかった。
ざわざわと震えっぱなしの背筋が訴える感覚に、いい加減僕だって気が付いていた。
他人と、海藤と触れ合う行為に、僕は何かを感じ取っていた。
「……なんかたまに、斉木には全部お見通しなんじゃねーかなって思うよ」
残念ながらそうでもないんだ。
恋をするのか。僕が、あいつと。
むず痒い単語が首筋を撫でて、僕はその場に立ち尽くしたまま、伸ばした手で自分の胸ぐらを押さえた。
今になって込み上げる激しい羞恥と困惑に、身体中が熱を持ったように昂るのを感じる。
――まったく、厄介なことになった。
ひどく、ひどく厄介なことに。