不器用な人
自室の扉を閉めた瞬間、背後から伸びてきた手が身体の前へと回ってくる。そのまま強い力で抱き締められ、背中にぴたりと人の身体が張り付いた。
まるきり予想していなかったことではないが、それでもこうして行動に移されてみるとどうしたものかと立ち尽くしてしまう。ただもちろん無下にしたい気持ちがある訳でもないから、些細な戸惑いは嘆息に紛れさせて名前を呼んだ。
「……幸平」
抱く腕の力がふっと弱まる。殊更柔らかく口調を緩めたつもりだったが、窘められていると誤解させたのかもしれない。
眼下で交差していた腕が解かれ、触れ合っていた身体が離れていく。振り返った先の創真は、一人前に本心を覆い隠した顔をしていた。照れたように笑い、自分の行動を何でもない戯れだと言いたげに背筋を伸ばしてみせる。
自分の力で立とうとする男の顔だ。しかし今求めているのはそんな顔ではない。
「幸平」
もう一度名前を呼ぶ。見つめた瞳の奥には珍しく狼狽が垣間見えた。
「何だ」
「や、別に何でも。すんません、なんか」
頑なな態度より、添えられた謝罪の言葉に心が波立った。謝られる謂れなど四宮には何もな
い。もし何かあるとするなら、この期に及んでまだ煙に巻こうとする意思だといえた。
一人で前を向き、何があっても揺れない強さがあるのは知っている。それこそが彼の魅力であり、彼自身の支柱であることもよく分かっている。
だからこそこうして意識をしている、していないにかかわらず、寄りかかることを求めているなら退くなと言いたかった。その相手が自分を認めた、追いかけるべき対象で、恥じない姿でいようと心に決めていたとしても。
同じ料理の道を行く隣人として、あるいは少し長く生きている分先を行く先輩として、傍にいて受容してやりたいと思っていた。
伸ばした手で創真の手首を掴む。何も言わずに引き寄せれば、すんなりと体重が預けられるのを感じた。
真正面から抱き合って、相手が未だ成長途中であることを改めて思い知る。もどかしさに奥歯を噛み締めた。
少しの間を置いて、背中に回った腕に力が込められる。腹部が僅かに上下し、溜め込んだ息が吐き出されていく。
「……やっぱ、おかしいっすね」
やっとこぼれた率直な言葉に、四宮は自分の認識が誤っていなかったことを悟る。
返事をする代わりに、抱いている腕へと力を込める。痛いっすよ、と返ってきた声には、普段程の気軽さはない。
「本当に、何でもねーんだけど……何なんだろうな。師匠の背中見たらほっとしたっていうか」
「……ガキが」
「やーほんとっすよね、恥ずかしいっす」
「違う」
また遠のきそうになる本音を捕まえるべく強く否定する。
身体を離し、見上げてくるその顔に触れる。
同士、先輩、不本意ながらもそう呼んで慕われる師匠。どの立場であったとしても、受け入れてやりたいと思う気持ちに変わりはない。――何よりも。
「いい加減、気の抜き方を覚えろ」
彼を思う、一人の人間として。
「気って……そんな緊張してないっすよ?俺」
「そうじゃねえ。――あー、もういい上がれ。とりあえず座ってろ」
「え?ちょっ、うわっ!」
戸惑う創真の手首を掴んで部屋へと上がらせる。
有無を言わさずリビングへと足を進め、革張りのソファへと腰掛けさせた。手にしていた荷物はとりあえず真横に置いて、四宮も隣へと腰を下ろす。
ぽかんとその様子を見ていた創真は、触れ合っている肩に視線を落としてから問いかけてき
た。
「服着替えなくていいんすか?風呂とか」
「今はいい」
「俺風呂入れてきましょうか」
「後にしろ」
「じゃあ、えーっと……」
「幸平」
今度は窘める意味を込めて呼びかける。
「いいからここにいろ」
はっきりと口に出して告げる。
創真は一瞬呆気にとられた顔をしてから、やがて四宮の分かり難い甘やかしを察したかのように、緩やかに破顔してみせた。
(やっぱり俺、四宮先輩のことすげー好きっす)
(……見りゃ分かる)