ブルー

 

 退屈だった。すぐにでも眠ってしまいそうなぐらい退屈だった。
 欠伸を噛み殺しながらも意識を手放そうとしなかったのは多分、触れているそいつの体温が新鮮だったからだ。
 
 最高速がこうで馬力がこう、最大トルク、サスペンション。喜々として語られるそいつのこだわりを、僕は話半分で聞いていた。
 メーカーの努力やそれをひたむきに追いかける情熱には確かに敬服するが、やはりどこか距離を置いて見ざるを得ない。
 一度視線を向けて数秒も経てばその内部を正確に把握出来るからではない。見たところで僕にとっては鉄の固まりでしかないそれは、結局のところ趣味嗜好の違いというやつだ。
 特別な力が無かったしても、必ずしも夢中になっていたかといえばもちろん断言はできない。そう考えられるくらいには柔軟になった。
 それでももう少し好奇心をそそられていたかもしれないとは思う。
 住宅地を抜け、スピードを上げたバイクが滑らかにカーブを曲がる。
 広い県道を抜けて北上していくと徐々に緑が多くなってくる。といっても既に夜は更け、辺りは闇に包まれていて、なびく木の葉を目視することは叶わない。
 初夏の湿り気を帯びた風が草の匂いを運んできて、道の荒れ具合が顕著になった。林道に近付いている。
 慣れていると自負するだけあって、たしかにそいつの二人乗りは上手かった。
 普段乗り慣れていない僕に余計な負担をかけぬよう、器用に加減速しているのが伝わってく
る。ついこの間まで無免許だった事実さえ無ければ、胸を張って誇れる腕前だと思う。
 例えそれが、僕には一切不要な気遣いだったとしてもだ。
 上下に揺れる振動が激しくなる。腹部に回した手にぐっと力を込める。
 隙間をつくらず、身を寄せることで、より安定した走行になると聞いていた。
 勾配は緩やかだが長く続く坂道を上った先には、多少広がったビューポイントがある。古ぼけた木のベンチと、東屋。
 更に上に行くことも可能だったが、今日のところはここが目的地だ。
 バイクは減速しながら横へと逸れ、停止する。
 サイドスタンドを掛けて、そいつが車体をしっかりと支えたのを確認してから降りる。借り物のヘルメットを外すと、夜の匂いが一層濃くなった。
 バイクから離れたそいつが近付いて来る。 レザーのグローブを外し、シールドを上げる。新鮮な空気を大きく一息吸い込んでから、そいつは僕の顔を伺った。
「大丈夫だったか?」
 頷いた僕に、そいつはほっとしたように表情を緩めた。自信とそれに見合うだけの腕があった筈なのに、緊張は拭えなかったらしい。
「よく乗せてた奴にはもう少し、体重差があったからな」
 その心の内が見えているにもかかわらず、僕は何となく揶揄するような、探りを入れるような視線を向けた。
 体重差、それはもっと軽かったという意味か?例えば小柄な女性、だとか。
 そいつは僕の視線に、慌ててヘルメットを外して否定する。
「ちげえよ、昔の仲間で俺より体格の良い奴だって」
 懸命に言い繕うその様は、そいつらしからぬ動揺を滲ませていて物珍しい。 つい唇を緩めてしまう僕に、そいつは気まずそうに乱れた頭を掻いた。
 昔気質の古い不良で、男としての気概を重んじる人間だ。女性が絡む内容でからかわれることに耐えられないのだろう。
 それとはまた別に、思うところもあるようだ。わざわざここまで連れてきた僕に、そういう冷やかし方をされたくないらしい。
 一度こうと決めたら曲げない誠実さには頭が下がる。しかしどことなく、居心地の悪さを感じてしまうのも仕方がない。
 僕は妙な間を埋めるように、眼下に広がる夜景へと視線を向けた。
 遠い街並みが輝く様は決して派手ではない。しかしこうして時間をかけて昇ってくると、こんなささやかな灯りがより胸に染み入る気がする。分かったような気になっているだけかもしれない。
「やっぱいいだろ、ツーリング」
 心地良さそうに伸びをしてそいつが言う。
 ツーリングといっても、後ろに乗っていただけに過ぎないのだが頷いておく。むしろそいつが次に言おうとした言葉に、僕は気を取られていた。
「お前にもさ、良さを分かってほしかったんだよ。せっかく免許取ったんだし、な」
 いきなりバイクで連れ立って行くのは無理がある。しかしその感覚を忘れない内に少しでも、慣れて親しんでほしい。
 その面倒見の良さは美徳だが、あっさりと退路を断つのは止めてもらいたい。
 僕は何となく負かされた気分で溜息を吐く。そこまでする理由なんて、自惚れを抜きしてもたかがしれてる。
「退屈か?」
 今はそうでもない。素直にそう感じたから、僕は黙って首を振る。
「やっぱり何だかんだ付き合い良いよな、斉木」
 否定はしない。不快感もない。
 ただここまでするのはおまえだけだと口にしたら、どんな顔をするのかとは思っている。
 未だ熱を持った車体に視線を落とす。どこか口実のようになってしまったそれに感謝を思っていると、そいつはまるで自分を肯定されたように照れて笑い、肩を寄せてくる。
 生温い風とそいつの指が、僕の喉を撫でていった。


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